邪馬幸王子と奴国王の娘、豊玉姫の出会図
■第3章 倭人の国統一の始まり
建安十年(205年)正月、辰国を治める辰王、天津彦、莫優は後漢の遼東太守、公孫康の朝鮮半島攻撃により、濊人や韓人たちが恐々としてる中、一族に危機を感じ、王子、邪馬幸と漢の曹丞相の娘、麗英公主を従者や兵と共に東海にある倭国に亡命させた。邪馬幸一行は塩土や布津たちが船長を務める船に乗って、目的地、奴国へ向かった。船には邪馬幸たちの他、乗組員、食糧、積荷、馬などを満載しており、島から島への航海が心配された。幸い海事に詳しい塩土や布津が先導したので、対島、壱岐島を経て、志賀島と能古島の間を通過して、無事、奴国の海岸に着岸することが出来た。塩土は懐かしい奴国の海岸に到着するや、於都姫のいる竜宮城へ向かった。その間、邪馬幸たちは船上で待機していることになっていたが、船の上にいるのが退屈で仕方無かった邪馬幸は、こっそり船から抜け出し、陸に上がり、近くにあった桂の大木によじ登り、遠くを見やった。ところが、そこを通りがかった若い女に木の上にいる事を気づかれてしまった。女は不審そうな顔をして邪馬幸に質問した。
「そこの桂の木の上にいらっしゃるのは、どなた?泉の水に、その影が映っていますよ」
邪馬幸は慌てなかった。塩土に教えてもらっていた倭人の言葉で答えた。
「怪しい者ではない。ちょうど良い。水をくれないか」
邪馬幸は木の上から水汲みに来たらしい女に依頼した。すると女は笑った。
「どうぞ。降りて来て、お飲みください」
女は親切に邪馬幸に美しい壺に入った水を差し出した。邪馬幸は待ってましたとばかり、水を飲んだ。美味しい。奴国で初めて飲む水であった。邪馬幸は感動して言った。
「これは素晴らしい壺じゃ。水もまた美味しい」
「あっ!」
女が叫んだ。邪馬幸は慌てた。
「しまった。俺の髪飾りの玉が壺の中に落ちてしまった」
女も慌てた。邪馬幸から壺を取り戻し、壺の中を覗き、中の玉を取り出そうとした。しかし、思うように行かなかった。
「どうしましょう。底に沈んで採れません。豊玉姫様に・・・・」
「問題ない。壺を逆さにすれば採れるであろう」
邪馬幸は壺を逆さにした。乱暴な邪馬幸の壺を揺する動作は女を困惑させた。
「壺を揺するのは止めて下さい。豊玉姫様に見ていただきます。壺を返して下さい」
女は泣きそうになって、壺の返却を要請した。そこへ、もう一人の女がやって来た。美しい女だった。
「何を騒いでいるのです?」
「姫様。壺の中にこの人の飾り玉が」
女は姫様と呼んだ女に壺を渡して見せた。
「まあっ、何ということでしょう。どうして、こんな中に?」
邪馬幸は不思議がっている女に答えた。
「逆さにすれば採れると思うが・・・」
女は邪馬幸に言われて、玉を採り出そうと壺を揺すった。何度も何度も揺すった。
「逆さにして、揺すっても揺すっても出て来ません。本当にどうしたことでしょう。不思議なこと?」
女が壺をどう回転させてみても、飾り玉は壺の口から出て来なかった。邪馬幸は悩んだ。
「困ったことになった。その飾り玉は俺の母上の形見なのだ。しかし、その壺も素晴らしい品じゃ。壊す訳には行かない」
それを聞いて、女は気の毒そうな顔をして邪馬幸に訊いた。
「どうしたら良いでしょう?」
そう質問されても、他人の美しい壺を壊せとは言えない。邪馬幸は苦悩した。それにしても美しい女だ。
「仕方ない。そなたに上げよう。そなたは俺の母上のように美しいし、そなたなら大事に守ってくれるであろう。その壺と同様、俺の飾り玉も大事に守って欲しい」
「分かりました。お守りしましょう。して、貴男様のお名前は?」
「邪馬幸です」
「私は豊玉。この地を治める奴国王、綿津見の娘です」
邪馬幸は豊玉の名を聞いて、びっくりした。奴国王の娘だと。今、塩土が訪問している竜宮城の姫君だというのか。そこへ邪馬幸の従者、押雲将軍が現れた。
「邪馬幸様。こんな所で、何をしていらっしゃるのです」
押雲将軍の武人姿を見て、豊玉姫と侍女は顔を蒼白に変えた。邪馬幸は彼女たちが恐怖にたじろいでいるのを感じた。
「押雲。そう騒ぐでない。直ぐに戻るから、あっちへ行って待っていろ」
邪馬幸は押雲将軍を追い払った。豊玉姫が邪馬幸に訊いた。
「あの幡を持った人たちは?」
「私の従者たちだ」
「連れている大きな動物は?」
「あれは馬じゃ。あっという間に、千里を走る。この国には馬はいないのか?」
「鹿や熊や猪は沢山いますが、あのように首の長い大きな動物はいません。またあのようにして荷物を運んだりもしません。鹿や熊や猪は山野を駈け廻っていて、人になつこうとは致しません」
「そうか。この国に馬がいないと、うすうす聞いていたが、真実だとは・・・」
彼女たちは海岸から街の方へ移動する騎馬の一隊を茫然と眺めながら質問した。
「これから、どちらの方へ?」
豊玉姫の質問に邪馬幸は答えた。
「この島の東方に不死山という美しい山があると聞いた。その山の麓へ行って暮らそうと思う」
それを聞いて、豊玉姫が進言した。
「不死山は、ここより東方、海を渡った遥か彼方にあると聞いております。私の父は先程、申した通り、この地を治める奴国王、綿津見です。長い船旅でお疲れでしょう。私が父を説得致しますので、この地で一泊なさっては如何でしょう」
そこへ移動中の押雲将軍たちから声がかかった。
「邪馬幸様。置いて行きますよ!」
押雲の奴。また良いところで邪魔をする。邪馬幸は苦笑した。
「分かった。分かった。今、行く!」
そう大声で返答してから、邪馬幸は豊玉姫に言った。
「豊玉とやら、ここで会ったは何かの縁。また会おう」
「はい」
邪馬幸は豊玉姫との再会を約し、馬上の人となった。豊玉姫は去って行く不思議な馬上の人、邪馬幸を茫然と見送った。
〇
一方、奴国王、綿津見は竜宮城にやって来た懐かしい塩土の訪問を受け、塩土の故国、辰国の事情を知り、山の麓で馬たちに草を食べさせ、休息をとっている辰国の一行を出迎えに出た。
「私は奴国の王、綿津見です。ようこそ奴国にお出で下さいました。塩土殿から仔細、承りました。どうぞ奴国でゆっくりお暮しになり、英気を蓄え、倭人たちをお守り下さい。我々も隣国との争いが多く困っていたところです。お気づきのことがありましたら遠慮なく申しつけて下さい」
すると押雲が口火を切った。
「奴国王、綿津見殿の直々の御出迎え、有難く感謝する。塩土の翁から説明があったと思うが、我々は天神の子孫にあたる邪馬幸王子様の一行である。この錦、紫、黄、白、青、赤、緑、黒の八幡は、我々の位階を示すものである。我々は、この八幡の位階をして、貴国との交流を深め、共に発展繁栄するつもりでやって来た。しばらくの間、厄介になるが、よろしくお願い申し上げる。こちらにおわすが邪馬幸王子様です」
押雲の言葉を受けて、邪馬幸が挨拶した。
「綿津見殿。貴公の名は先程、豊玉姫殿から教えて貰った。出迎えご苦労。私が天子、邪馬幸皇子、莫流である。この戦乱の地を平和にする為、辰国から遣わされてやって来た。押雲が申した通り、八幡の色別により、各神々に仕える者の役職が決まっている。相談事は総てこれらの神々の役人に依頼せよ。我々は奴国に危害を加えるつもりでやって来たのではない。塩土の翁が受けた厚意好情の恩返しのつもりでやって来た。されど、我ら一行に刃向かう者あらば、容赦なく殺す。殺された者は黒い幡を持った神の使いのお世話になることになる」
若き邪馬幸の威圧的挨拶に綿津見は平伏した。
「何と畏れ多いことでしょう。私の先祖、奴国王、大夫は、今から百年以上前、建武中元二年(67年)、後漢の光武帝様に貢物を奉じ、奴国王の印綬を賜った程の立派なお人でした。そして以後、代々、その金印を家宝として、この倭人たちの小国を統一しようと努力して参りました。ところが伊都国、末盧国、山門国、不弥国などといった国々の王が群雄割拠し、その願いは未だ叶えられておりません。こうして八幡を持った辰王様から遣わされた人たちがやって来られたという事は、まさに天祐。皆さまにお従いして、倭人の国々を統一せよとの天神様の御指示に違いありません。この綿津見は天子、邪馬幸様にお仕えし、倭人の島を平和にしたいと考えます。皆さま。お疲れのことでしょう。どうか奴国の竜宮城にお立ち寄り下さい」
そう言われて、押雲は警戒した。この誘いに迂闊に乗るべきでは無いと考えた。
「綿津見とやら。有難う。しかし我らは不死山へ向かわねばならぬ。塩土もそれを希望している」
すると綿津見は顔色を変えた。
「塩土殿。邪馬幸様たちを不死山に連れて行ってはなりません。あの山に近づき、山に登ろうとすると、山の神が怒って、火を噴きます。我が姉、於都姫様もあの山に向かって亡くなられたのです。それに不死山の麓に辿り着くまで、鬼奴国、巴利国、等弥国、那古国など、沢山の野蛮人たちと会わねばなりません。倭人の島の統一が成されておらぬ今、あの火の山に近づくことは危険です。ひとまずは、塩土殿の知り合いの多い、この地に御逗留下さい」
綿津見は必死に不死山の麓行きに反対した。塩土も綿津見の意見に同感のようであった。綿津見の真剣な説得に邪馬幸は心を動かされた。
「綿津見殿の仰有ることは真実のようだ。如何に我らが天神の使者であっても、倭人の島を知らぬ我らにとって、万が一ということも有り得る。綿津見殿の御親切に甘え、数日、この地に滞在させていただき、倭人の国々のことを勉強しよう」
「それがよろしゅう御座います。是非、この地に長逗留して下さい。しばらくは、私のいる奴国の竜宮城内の館にお泊り下さい。明日から城の近くに邪馬幸様の館と、お連れの人たちの家屋の建設を始めます。ここらの地は雨の多い所です。しっかりした家屋が必要です」
「お手数をお掛けして申し訳ないが、よろしく頼む」
邪馬幸が奴国に滞在することを決心した。その為、押雲や塩土たちは、それに従わざるを得なかった。押雲は綿津見に言った。
「建物を造るのなら私も得意です。私に手伝わさせて下さい。私の父は天児屋根といって、天神の御殿を幾つも建造した建築家でしたから」
「それは心強いことです。では明日から皆様の家屋造りを始めましょう。建築場所は私から皆様に差し上げます。そして、その一帯を皆様御一行の旗印にあやかり、八幡と名付けましょう。そこはかって今は亡き私の姉、於都姫とここにおられる塩土殿が時々、遊びに行っていた美しい場所です」
綿津見の言葉に塩土は白髪頭を掻いた。邪馬幸は綿津見の配慮に心打たれた。
「綿津見殿。邪馬幸、心より感謝申し上げる。突然、やって来た我々に対する好意厚遇、誠に有難い。この御恩は邪馬幸、決して忘れません」
「勿体のう御座います。天よりの御使者をおもてなしするのは、この地を治める私の務め。民草として当然のことです」
綿津見の尊崇の言葉に邪馬幸は心底から感謝感激した。
「綿津見殿。この邪馬幸、綿津見殿のお気持、とくと分かった。この邪馬幸、身命を賭けて、綿津見殿の倭人統一国家の夢を実現させてみせましょう」
「有難う御座います。我ら一同、邪馬幸様のご指示に従い、頑張りますので、よろしくお願い申し上げます」
わずか百八十騎の部下を引き連れ、辰国からやって来た辰国王子、邪馬幸は、かくして奴国王、綿津見の支援を受け、倭人の島での足がかりを築くこととなった。
〇
邪馬幸と押雲将軍は、その年の春、奴国王、綿津見の従者たちの力を借り、辰国から来た部下全員を収容する家屋を完成させた。更に曹麗英公主の意見を取り入れ、押雲将軍の設計で、館を建て、その外側を城柵で囲んだ。そした或る日、邪馬幸は奴国王、綿津見の招待を受け、押雲と塩土を連れて竜宮城へ出かけた。三人を部屋に通し、奴国王、綿津見は、娘、豊玉姫を邪馬幸王子の第二夫人として迎えて欲しいと、婚姻の話を持ち掛けて来た。邪馬幸が麗英公主の賛同を得なければならないと答えた時、綿津見の家臣が息も絶え絶えに部屋に跳び込んで来た。
「綿津見様。不弥国の連中が攻めて参りました」
「何じゃと。こんな時に。全く飽きずにやって来る連中だ。直ちに各砦を固めよ。わしが行くまで攻めずに防戦していろ。武器を整え次第、駆けつけるから」
「ははーっ!」
家臣は奴国王の指示を仰ぐと、直ぐに引き返して行った。邪馬幸は戸惑っている綿津見に訊いた。
「綿津見殿。不弥国とは大きな国なのですか?」
「いや。ちっぽけな国です。多分、貴男様一行に八幡の地を与えたので、怒っているのでしょう。彼らにとって八幡の集落が出来たことにより、海への道が塞がれた格好になりますから。半農半漁の連中なので、海に近づけなくなったことを恨んでいるのです」
「ならば彼らが自由に海に行けるようにして上げてはどうか。彼らが我らの集落の中を通過しても我らは一向に構わぬが・・・」
綿津見は邪馬幸の言葉に、ちょっと興奮した。
「そんな甘いことを言ってはいられません。彼らは気を許すと、図に乗る連中です。かって今まで、彼らに甘い事を言った為、幾度かひどい目に遭いました。彼らは漢帝国と交易しようとしています。漢帝国と交易するのは、この奴国だけで良いのです。ところが安帝の永初二年(107年)、山門国王、帥升が漢帝国に朝貢したのです。それ以来、倭人の代表がどの王か不明な有様です。倭の代表を証明する金印を護持しているのは、この奴国王であるのに、周辺の国王たちは皆、倭人の代表になりたがっているので困ります。倭人の国を統一する為には、どうしても我ら奴国が中心にならねばならぬと思っております。従って不弥国の侵攻を許す訳には参りません」
「その理論からすると不弥国は奴国の属国となるべき存在かと?」
「そうです。ところが中々、どっこい。彼らは洞窟の中に住んでいて、こちらが攻撃しても、うまい具合に洞窟の中に逃げ隠れして、ほとぼりが冷めるまで、姿を現わさないのです。そして時が経過して、物が欲しくなると、また思い出したように攻めて来るのです。困った連中です」
綿津見は困った顔をした。木矛や弓矢や竹槍や石投げなどの戦いは、相手にそう打撃を与える事が出来ず、はかどるものでは無かった。それを聞いて邪馬幸は自信をもって、綿津見に言った。
「綿津見殿。そういった連中を攻撃するのは、我々にお任せ下さい。我らの戦術を用いれば、不弥国を陥落させることなど簡単なことです」
「本当ですか?」
「本当だとも。押雲に訊いてみるが良い」
邪馬幸は胸を張り、同伴していた押雲将軍に話を振った。それを受けて押雲将軍が綿津見に答えた。
「綿津見殿。洞窟に住んでいる連中を攻撃する方法として三ッあります。第一は石攻め。洞窟の上から石を投げ、洞窟を潰すのです。あるいは洞窟の入り口を石で塞いでしまう方法です。第二は火攻めです。洞窟の中に火をかけ、敵をいぶり出す方法です。一等、残酷なのが第三の水攻めです。洞窟の入り口から水を流し込むのです。これにはどんな強敵でも降参します」
「成程、名案ですな」
「この攻撃にあったら、どんな土蜘蛛族も洞窟で棲息していることが、いかに不利なことであるか気づく筈です。それが分かったら、洞窟に住むことを諦め、綿津見殿たちと同化したがるでしょう。不弥国を奴国の統治下に入れるには、このいずれかの戦法を用いれば、必ず成功致します。」
押雲将軍の『石火水の戦法』は明確であり、奴国王、綿津見をうならせた。邪馬幸は押雲将軍の説明に満足だった。
「綿津見殿。聞いての通りだ。押雲のいう戦法で不弥国を攻撃すれば、総てはこちらの意のままになる。倭人の国統一の第一歩として、これらの戦法で不弥国を一緒に攻めてみませんか?」
「そう致しましょう。邪馬幸様や押雲様の指揮に従い、不弥国を攻撃しましょう。邪馬幸様。押雲様。我々の指揮を執って下さい」
綿津見は即刻、奴国の兵士、五百人を館の前に集めた。そして不弥国への攻撃の指揮を辰国王子、邪馬幸が執ることを兵に伝えた。邪馬幸は高台に登り、奴国兵に号令した。
「只今、紹介された辰国の王子、邪馬幸莫流である。皆の者、御苦労である。今回の不弥国の予告無しの攻撃は違反である。よって綿津見王に依頼されて皆の者に指示する。知っての通り、敵の根城は真近である。従って諸君たち奴国兵は、急ぐ事無く明晩まで適当に不弥国兵に防戦していてくれ。深追いをせず、むしろ、じわりじわり後退せよ。さすれば明後日、不弥国兵は得意になって奴国内深く侵攻して来る。そこを我ら騎馬軍団が側面から急襲する。我らの思わぬ攻撃を受けて不弥国兵は必ず退却する。それを追跡し、ここにいる辰国の押雲将軍の指揮に従い、『石火水の戦法』を使い、石攻め、火攻め、水攻めを行い、不弥国の根城に逃げ込んだ土蜘蛛族を一気に壊滅させる。勝利は我ら奴国にある。天祐を信じ、それぞれ、与えられた本分を尽くせよ!」
邪馬幸の号令指示は奴国兵にとって神々しく勇気を奮い立たせものであった。奴国の綿津見の兵は邪馬幸の指示に従い、即刻、不弥国へと向かった。
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四日後、不弥国の首領、多模が押雲将軍たちに捕えられ、竜宮城の門前に平伏し、降参した。多模が絶対服従するので、命だけは助けて欲しいと願い出たので、綿津見は、多模一族が洞窟から出て、奴国の土民として働くことを条件に、許してやった。綿津見はこの勝利に狂喜した。
「邪馬幸様。不弥国の王、多模が我ら奴国に従うと完全降伏して参りました。有難う御座いました。総て、邪馬幸様が来られ、支援して下さったお陰です。これから更に一致協力して、倭人の国々の統一を進めて参りましょう」
綿津見の言う通り、倭人の国々の統一は、邪馬幸の望むところであった。しかし、考えてみれば自分は朝鮮半島からの亡命者である。今まで偉そうに振る舞って来たが、これから一致協力して倭人の国々を統治下に治めて行くには、相棒である綿津見に自分の本当の氏素性を明かす必要があると思った。邪馬幸は綿津見に自分が現在、奴国にいる理由の総てを包み隠さず告白することにした。
「綿津見殿。この邪馬幸は今まで貴殿に対し、己れの過去の真実を隠して来ました。この八幡の地を賜り、貴殿と共に倭人の国の統一を進めて行くにあたって、貴殿との間に隠し事があってはならないと思っています。そこで私は私の本当の氏素性を説明致します」
すると綿津見は笑って手を振り、阻止した。
「その必要はありません。御説明していただかなくとも、塩土殿から聞いて分かっております。貴男様は天神、東明王様の後裔、邪馬幸皇子様。またの名を莫流王。太祖王の子、莫勤様の子、辰王、天津彦莫優様の次男、莫流様です。総てが私には明白です」
「何故、塩土から、そこまで詳しいことを?」
「当然でしょう。如何に塩土殿が昔の知り合いだからとは言え、二百人近い兵を連れて上陸して来られたのですから、その真実を知っておかなければ国王として失格です。それに大事な娘、豊玉姫を差し上げると決めたのですから」
「塩土と知り合いとは言え、我らは異国からの逃亡者。何故、一気に滅ぼそうとしかったのですか?」
邪馬幸は、奴国王、綿津見が、何故、邪馬幸たち一行を始末しようとしなかったのか、綿津見の本意を知りたかった。それに対し、綿津見が答えた。
「それは貴男様と貴男様の率いる騎馬隊が欲しかったのです」
「成程」
「倭人の島々には今、沢山の小国があり、絶えず何処かで戦さが起こっております。これらを鎮圧し統一する為には、是非とも貴男様たち、辰国軍の力が欲しかったのです。特に貴男様方が持ち込んで来た騎馬兵と鉄剣等の武器は、小国を制圧するのに最高の武器であると思ったからです。以前にも申しましたが、私は邪馬幸様一行が奴国に来られたことを天祐と思っております。そして、その代表、邪馬幸様を天の御使者であると心より信奉しております」
綿津見に褒めそやされ、邪馬幸はきまりが悪かった。慌てて天の使者であることを否定した。
「天の御使者だなどと、そういった考えは止めてくれ。塩土から聞いているかも知れないが、私は愚かにも辰国の兄と兄弟喧嘩して、漢の遼東太守、公孫度を怒らせ、彼を死に追いやった。公孫度の後継、公孫康は憤然として、辰国を攻撃して来て、兄、烏弥幸莫静は公孫康の味方となった。父王は仕方なく、私を塩土の知る貴国に逃亡させ、私を救おうと考えた。従って私は今や辰国の兄からも追われる身である。最早、天孫として崇められる男では無い」
「いいえ。我々は既に貴男様を天孫と信じております。貴男様の過去など関係ありません。現在の邪馬幸様が我々には必要なのです。不弥国を一気に討伐服従させてくれた邪馬幸様の偉大さが・・・・」
「私にはまだ天孫を名乗る程の自信は無い」
「何と御謙遜を。この度の不弥国との戦いの指揮、誠に立派なものでありました。我ら倭人にとれる指揮では御座いません。奴国の兵や民たちは、邪馬幸様のことを、武神と崇めております」
綿津見は、ここぞとばかり、邪馬幸を祭り上げた。
「勝手な判断だ」
邪馬幸は綿津見の称賛を迷惑に思った。だが綿津見と忌憚なく話せることは嬉しかった。綿津見も若い邪馬幸に遠慮なく言いたいことを喋れることが嬉しかった。
「それにしても、兄弟喧嘩してお兄様に追われるとは、御不運なお話。何か余程の深い訳でも、お有りなのですか?」
「いや。単なる肌の合わぬ兄弟喧嘩じゃ。ふとした事で、私が兄の恋人、赤女という女を海で死なせた積年の恨みの為に虐められているだけのことじゃ」
「赤女ですと?」
突然、綿津見が大声を出した。綿津見の目が輝いた。邪馬幸は自分の顔を一直線に見詰めている綿津見の目を見て訊いた。
「赤女を御存知か?」
「赤女という名の女がいます。漁民たちが海から拾って来た異国の女です」
「もしや、赤女では?その女は何処にいるのですか?会わせて下さい。その赤女に」
「分かりました。早速、使いを出しましょう。おい、誰かいるか」
すると侍従と侍女が部屋に現れた。
「お呼びでょうか?」
綿津見は二人に訊いた。
「お前たちは、数年前、魚住たちが海から拾って来た女の居場所を知っているか?」
「海から拾って来た女?」
侍従は首を傾げた。侍女も首を傾げたが、侍女が直ぐに思い出して答えた。
「もしかして、その人は赤女様?」
「そうじゃ。赤女じゃ」
「はい。その赤女様なら海辺の芦屋に住んでおられます」
「そうか。それは良かった。直ちに行って、ここへ呼んで来てくれ」
「了解しました」
二人は、そう返答すると、急いで部屋から出て行った。邪馬幸には信じられぬことであった。あの赤女が生きていようとは・・・。
〇
その日の午後、邪馬幸は塩土と一緒に竜宮城の一室で赤女と面会した。部屋に現れたのは本当に赤女だった。彼女は部屋に入って来るなり、素っ頓狂な声を上げた。
「どうして、どうして、どうして邪馬幸様や塩土様が!」
邪馬幸たちにとっても同じことだった。互いに見つめ合うと、三人は抱き合った。綿津見がその姿を見て、目に涙を滲ませた。しばらくしてから、赤女が海に飛び込んでからの経緯を語った。
「あの時、私は海に飛び込み、あの大きな魚が口にひっかけている糸を捕まえ、そのまま何時間も魚に引きずりまわされ気を失いました。気づいたら、その魚と一緒に奴国の漁師、魚住船長の船に乗せられていました。船長にお願いして、烏弥幸様の釣針を魚の口から、外していただきました。その釣針は今も保管してあります」
「そうであったか。とても心配していたぞ。兎に角、無事で良かった。本当に良かった」
「この塩土も、海に飛び込み、赤女様を追ったのですが、何しろ荒波にもまれ、赤女様を見つけることが出来ませんでした。お許し下さい。耆老様のお嘆きをどうして良いのか、私はずっと悩んで参りました。しかし、この度、赤女様と再会出来て、悩みが吹き飛びました」
塩土も綿津見同様、泣いていた。赤女はそんな老人たちを明るくさせようと、笑って答えた。
「私も悩みが吹き飛びました。疲労が回復したら辰国に戻る予定でしたが、辰国が遼東との戦さをしているとかで、その機会が無くて、そのままに」
元気な赤女の態度を見て、邪馬幸は笑った。そして赤女を八幡の館に連れて帰った。押雲をはじめ、布津たち赤女を知る者は驚いた。邪馬幸は麗英公主やその侍女、李紅梅にも赤女を紹介した。すると彼女たちは仲間が増えたと言って喜んだ。邪馬幸は赤女が生きていたことにより、自分の罪科が一つ減ったような気がして、気が楽になった。
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建安十一年(206年)、邪馬幸は奴国王、綿津見と共に平定した不弥国を卑弥国と改名した。そして奴国の軍事強兵に力を注ぎ、八幡牧場で軍馬を増やし、八幡浜で鉄器鋳造作業を開始させた。一方、大陸では公孫康が辰国を破壊し、楽浪の屯有県以南を帯方郡とし、濊人や韓人や流民を支配した。また、康は曹軍に追われて遼東に逃亡して来た袁煕、袁尚の兄弟二人を殺害し、その首級を曹操に献じ、襄平候左将軍となった。邪馬幸は大陸がどうなっているのか気がかりだった。邪馬幸は時々、浜に出て、大陸に残して来た父、辰王、天津彦や兄、烏弥幸のことを思った。そんな邪馬幸を見つけて、押雲が声をかけた。
「邪馬幸様。海を見やって何をお考えです」
「おうっ、押雲か。故国の父上や兄者のことを考えている。無事でいてくれるだろうか?」
「無事ですとも。濊人や韓人に人気のある辰王様のこと、きっと首尾よく事を運んでいるに違いありません。心配は御無用です」
「とはいえ、兄者は内には強いが、外には弱い。そんな兄者をかかえ、父上はさぞ難儀していることであろう。それを思うと、今にでも辰国に戻りたい。行って父上を助けてあげたい。また、赤女も耆老に戻してやりたい」
邪馬幸の望郷の念は分かるが、辰王に命じられた兵力増強については、まだ一歩踏み出しただけで、充分では無かった。押雲は意地悪く言った。
「邪馬幸様。それはなりません。辰王さまは、一族の祭祀を絶やさぬ為、邪馬幸様を奴国に移動させたのです。邪馬幸様が我々となさなければならないのは、倭人の国々を統一し、遼東に匹敵する軍事力を確実に手中にすることです。私が見るに邪馬幸様は、まだまだヒヨコもヒヨコです。ちゃんと羽根も出来上ってからでないと、飛び立っても墜落するだけです。今、帰ることは出来ません」
「そうはいっても、この邪馬幸、あの強敵、公孫康と決着をつけぬまま、半島から奴国へ来てしまった。それも、お前という名将軍を引率して来てしまったのじゃ。辰国の弱体困窮の程は目に見えている」
邪馬幸は涙ぐんだ。
「とはいえ、騎馬民族の血を引く辰王様の軍隊は、そう簡単に敵にやられる筈がありません。公孫康とて、半島の全域を掌握出来ないことは分かっています。烏弥幸様を使って、何等かの条件をつけ、辰王様との停戦の手を打つでしょう」
「そうであると良いのだが。聞くところによれば、公主、麗英は公孫康の妃になる筈だったという。従って停戦するにしても、公孫康は公主返還を要求して来るに違いない。その時、父が公主返還を拒否すれば、公孫康は今まで以上に執念を燃やし、南下して来るであろう」
「公孫康には、名参謀、公孫模や張敞がついております。危険な深追いは、きっと中止させる筈です」
押雲は自分の予想を邪馬幸に語った。邪馬幸は腕組みした。
「それが確実にそうであるか否かが分からないから困るのだ。邪馬幸は今、辰国の父や兄と遠く離れ、故国を心配し、断腸の思いで毎日を送っている」
「そんな女々しいこ事を。邪馬幸様。貴男様は、いずれ倭人の国の王の中の王になられるお方です。当分の間、辰国のことは忘れて下さい。倭人の国の統一。それが貴男様の使命です。故国のことを考えるのは、強国、山門国を討ち破ってからにして下さい」
押雲の言葉は、さながら邪馬幸を叱咤するかのようであった。邪馬幸は、押雲に説教されて、少々、立腹した。
「押雲。俺は女々しくは無いぞ。必ずや強国、山門国を討ち破ってみせる。山門国はおろか不死山まで辿り着き、鬼奴国、等弥国、那古国などを平定し、倭人の住む全島を統一してみせる」
邪馬幸は目を輝かせて言った。
「流石、邪馬幸さま!」
押雲は感動した。邪馬幸の言葉は倭人の国統一に対する自信と、辰王から命令された東明王の本流を守り抜く忠誠心を明言する強い言葉だった。
〇
その年の秋、漢の丞相、曹操の娘、麗英公主は卑弥国の八幡城で、辰王の王子、邪馬幸の子供を出産した。それを知らせに塩土と赤女が邪馬幸の部屋に駆け込んで来た。
「邪馬幸様。公主様が貴男様のお子をお産みになりましたぞ」
「何と、それは本当か。して男か女か」
その質問に赤女が答えた。
「可愛い女の子です」
「女か?」
「公主様はこのお子に、こう名付けようと仰有りました」
「何と?」
「卑弥呼様と」
国名に似た卑弥呼の名を聞いて、邪馬幸は満足した。
「卑弥呼。美しい名だ。半島統一の暁に、神事を引き受ける巫女として、立派に成長させよう」
邪馬幸の言葉に塩土の翁は満面に笑みを浮かべ、邪馬幸に祝辞を述べた。
「邪馬幸様。おめでとう御座います。辰王、天津彦様と魏公、曹操様の血を引く姫君、卑弥呼様の御誕生、誠におめでとう御座います。これをきっかけに、倭人諸国を統一し、半島にも進出し、辰国を復活さることが大いに期待されます。半島のこれからが楽しみです。いいえ半島はおろか、遼東、河北、中原に至るまで辰国は進出するかも知れません。卑弥呼様の御誕生、心よりお慶び申し上げます」
塩土の翁の祝辞を聞いて邪馬幸は笑った。
「卑弥呼は女じゃ。そのような武勇は無理なことだ。卑弥国で産まれた卑弥呼か。良い名じゃ。早速、見させてもらおう」
邪馬幸は笑いながら、赤女に案内され、麗英公主と我が子、卑弥呼のいる部屋に向かった。