波濤を越えて『応神天皇の巻』⑤

2022年1月9日
その他

■ 宋及び呉との交流

 応神二十五年(420年)三月、百済の直支王が逝去した。直支王は倭国に人質として送られ、その後、倭国の兵に伴われ帰国し、百済王に即位して、東晋から使持節、鎮東将軍、百済王に冊封され、東北に沙口城を築くなどして、頻繁に威嚇を繰り返す高句麗への対抗姿勢を見せていた。その直支王の死は百済国内での不安と権力抗争の原因になりかねなかった。任那からの急使の知らせを受けた中臣烏賊津は、直ちに百済、直支王の逝去を応神天皇に報告した。

「陛下。大変で御座います」

「烏賊津。何をそんなに慌てている。そちらしく無いぞ」

「百済の直支王様が薨じられました」

「何じゃと!」

 中臣烏賊津の報告に、応神天皇は驚嘆の声を上げた。十六年前、互いの活躍を誓って別れた、あの直支王が死んでしまおうとは。

「任那の木羅斤資が、逸早く駈けつけ、百済の佐平、余信と国政を執っているとのことです。後継を誰にすべきか、陛下の御指示をいただきたいとの事で御座います」

「ならば、直支王の長男、久尓辛王子を百済王に任ぜよ」

「久尓辛王子様は、まだ若う御座います」

「朕も若くして即位した。任那から木羅斤資が行って補佐をすれば、立派に国王の役目を果たすことが出来る。それに解丘や張威という立派な臣下がいるではないか。久尓辛王子を百済王に任ずるよう、任那の真若大王と木羅斤資に伝えよ」

 応神天皇の指示は明確であった。烏賊津は応神天皇の直支王に寄せる気持ちを察した。

「分かりました。早速、使者にその旨を伝えましょう」

「して直支王の死は倭国以外にも報じられているか?」

「今のところ、高句麗や新羅には勿論のこと、百済国民にも、秘密になっているとのことです」

「それが良かろう。半年間、このことを秘密にしておくよう、百済と任那に伝えよ」

 応神天皇は直支王の死を、半年間、隠蔽するよう烏賊津に命じた。

「しかし、いろんな国民行事が御座います。その時はどう致しましょう」

「木羅斤資の息子、木満致に直支王役を命ぜよ。彼なら年齢も近かろう。きっとうまくやるであろう」

「それは名案に御座います。木満致であれば、立派に直支王役を演ずることが出来ましょう」

 中臣烏賊津は、応神天皇の咄嗟の判断に感心した。確かに直支王に似たところのある木満致は直支王の代行を務めるのに適任かも知れなかった。応神天皇は、直支王の後継を支持してから哀しい顔をした。

「それにしても、人の命とは果敢無いものだ。数年前まで、寝食を伴にしていた朋友を失おうとは・・・」

「誠に哀しいことです。私も直支王様が倭国に滞在中は、時々、百済について語り合った間柄。陛下と同じく、人の命の果敢無さを感じております」

 応神天皇は天を仰いだ。

「直支王は誠実な男であった。あの時は朕も若かった。三年という短い月日であったが、彼とは政治や学問について、しばし時を忘れ、議論し合ったものだ。もう十六年にもなろうか。昔のことであるが、まるで昨日の事のように思い出される」

「我が国からの援護もあってか、直支王様は百済国王として、立派に、その職責を果たされました。高句麗や燕や新羅の攻撃を受けながらも、立派に国を守り、平和な時代を創って参られました」

「彼はまた外交も上手であった。必要とあらば、沢山の若者を他国に派遣した。朕の要請により、阿直岐、王仁、真毛津ら、沢山の優秀な者たちを、倭国に派遣してくれた。朕と彼とは何とも言い難い友情の糸で結ばれていた。朕と彼とが力を合わせれば、世界は意のままになると思って来た。それが・・・」

 応神天皇は窓辺に凭れて、涙を流した。烏賊津にとって、応神天皇の涙を見るのは、武内宿禰が亡くなって以来のことであった。

「残念なことで御座います。しかし哀しんでいては直支王様も喜んでくれないと思います。私達は直支王様の推進して来た政治を、久尓辛王子様に継承してもらわねばなりません」

「その通りである。その為に何か良い方法があるか?」

 応神天皇の問いに烏賊津は即答した。

「倭国の若者を、久尓辛王子様の側近として、数名、派遣致しましょう」

「それは良い考えじゃ。早速、その人選に入れ」

「若者の人選は王仁先生に、お願いしようと思います。王仁先生の弟子の中から優秀な者を選出してもらおうと思います」

「物部大前や大小橋や大伴室屋も、その仲間に入れよ」

 応神天皇は百済の派遣者を指名した。烏賊津は自分の息子、大小橋を指名され、驚愕し、慌てて反論した。

「それは王仁先生の選定されることです。陛下の御指示通りに行くかどうか?」

「朕の命令じゃ。大臣の息子を数名、加えよ」

 応神天皇は一徹であった。言い出したら聞かない。

「分かりました」

 中臣烏賊津は応神天皇の指示に従い、大臣の息子を含む七人の若者を王仁博士に選出させ、百済の使者と同道させることにした。

          〇

 倭国王、応神天皇の御許可を得て、久尓辛王子が百済王に即位した。久尓辛王は年が若かったので、百済の解丘や張威ら重臣と一緒に、任那の木羅斤資が、その補佐に当たった。八月、その百済から、再び、応神天皇のもとへ使者がやって来た。やって来たのは、任那や百済の国政に加わる若き朝臣、木満致であった。その来訪に驚いた葛城襲津彦は先ず、中臣烏賊津に、木満致を会わせて、応神天皇への面会を要請した。それを受けて中臣烏賊津は応神天皇に木満致の来訪を伝えた。

「陛下。百済より、木羅斤資の息子、木満致がやって参りました」

 突然の百済からの使者の来訪に、応神天皇は唖然とした。

「何事であろうか。中央院に通せ」

「では、中央院にお連れします」

 中臣烏賊津が、そう答えて消えると、応神天皇は侍従らと一緒に中央院に移動した。応神天皇が大三輪鴨積、羽田八代らを臨席させて待っていると、中臣烏賊津が、百済の要人、木満致を御前に案内した。木満致は部屋に入って来るなり、応神天皇の前に平伏し挨拶した。

「応神天皇様。任那の木羅斤資の長子、木満致に御座います。お久しゆう御座います。父からの書信を持って、やって参りました」

「おおっ、木満致。直支王の代役、御苦労であった。木羅斤資は元気か?」

「はい。百済の内乱を鎮める為、久尓辛王様の補佐に専念しておられます」

「して木羅斤資からの書信の内容とは何か?」

 木満致は、そう問われて、父、木羅斤資からの書信を応神天皇の侍従に渡し、来訪の目的を、応神天皇に伝えた。木満致の口から出た言葉は驚くべき情報だった。

「百五十六年の歴史を持つ晋国が滅びたことの知らせです」

「何じゃと。晋国が滅びただと。信じられぬことじゃ。三年前、朕の朝貢に対し、晋の安帝は、朕に細笙や麝香を下されたではないか。その安帝の治める国が滅びたとは信じられぬ」

「信じられぬことですが、晋国が滅びたことは事実です。その安帝は北伐軍の首将、劉裕の差し金により、殺されてしまいました。そして劉裕の指示で、司馬徳文が恭帝として帝位に就いたとのことです」

「すると晋帝は恭帝になったということか」

「いいえ。その恭帝に劉裕が禅譲を求め、劉裕が宋王朝を建てました」

 木満致は、複雑な政権交代の経緯と宋王朝の成立を説明した。

「劉裕?」

 応神天皇は偉大な晋国を滅亡させた男の名を呟いた。何と大胆で恐ろしいことをする男がいることか。

「劉裕は江南の京口の生まれで、晋の実権を掌握し、安帝より帝位の禅譲を受けた楚の桓玄を滅ぼし、安帝を復位させ、名を挙げました。それから北方の異民族に奪われた領土を取り戻す為、北方に征服戦争を試み、まずは南燕を滅ぼしました。更に北進を続け、洛陽、長安を攻め、長安に都を置いていた姜族の後秦を滅ぼし、そして、ついには安帝の後を継がせた恭帝に禅譲をすすめ、晋をも奪取し、宋王朝を立てたのです」

「そんなに勇ましい男が晋に現れたのか。となると、再び大陸は戦乱になるのか?」

「いいえ。むしろ落ち着きを取り戻したと言っても良いでしょう。白痴に等しい安帝による晋国の統治は、所詮、無理だったのです。民衆のついて来ない政治は長続きしません。それに比較し、劉裕は民衆の心を知っており、沢山の民衆が彼を支持し、彼と共に行動しました。劉裕の為に多くの兵が命を捧げ、誰もが懸命に働きました。結果、晋国は崩壊し、宋王朝の誕生となりました」

 木満致は劉裕の政治の素晴らしさを応神天皇に語った。応神天皇は劉裕の政治的手腕に感心した。

「政治とは、そういうものじゃ。民心を捕えていなければ良い政治は出来ぬ」

 応神天皇が、そう言って頷いている間に中臣烏賊津が口を挟んだ。

「それで満致殿。木羅斤資殿が陛下に進言するようにと伝えられた事とは如何な内容ですか?」

 中臣烏賊津は木羅斤資が木満致を派遣した最大の目的を知りたかった。木満致は素直に答えた。

「はい。書信を読んでいただければ分かると思いますが、宋王朝の成立と宋王になられた武皇帝劉裕に倭国より朝貢の使者を出して欲しいとのことで御座います」

「倭国からか?」

「取敢えず百済から出したいとのことです」

 百済の国政を補佐する木羅斤資の要請に対し、応神天皇は、木満致の言葉を聞いただけで、即座に結論を出した。

「良かろう。百済から朝貢の使者を出せ。また王仁先生の選出により、留学させている若者を数人同行させよ。そして、宋の武帝劉裕なる者が、如何なる器量をしているか、調査させよ。その報告を聞いてから、倭国からの朝貢を出すか考える」

「それが賢明だと思います。如何に晋国を滅ぼした国であっても、そう軽々と朝貢したのでは、倭国の権威が無くなります。高句麗の動向を見ることも必要でしょう」

 中臣烏賊津は倭国の威厳を重んじた。応神天皇も同じ考えであった。

「倭国は今や、任那、百済、新羅、加羅は勿論のこと、琉球、沃沮などから朝貢が来る国となった。これはひとえに国民の努力によるものである。これから更に諸外国との交流を深め、倭国の存在と信用が高まれば高まる程、多くの国が倭国に朝貢して来よう。何も早まって宋への使者を送ることは無い」

「その通りです。満致殿。百済に戻り、父上に伝えるが良い。宋への朝貢の使者に倭国の若者を同道させ、倭国の存在を、宋の武帝に深く伝播すべしと・・・」

 中臣烏賊津は倭国の存在の偉大さを、宋王朝に強調するよう木満致に命じた。

「分かりました。木満致、百済に戻り、父には勿論のこと、宋への朝貢の使者に、直接、このことを伝えましょう」

 応神天皇も念押しした。

「そうしてくれ。倭国は神武天皇建国以来、諸外国から沢山の朝貢を受け、また沢山の人たちが移住して来た。倭国は東海に浮かぶ美しい国であり、その昔、秦始皇帝の命令を受けた方術士、徐福が不老不死の仙薬を求めて辿り着いた国でもある。小鳥が囀り、四季折々の花が咲き、実に住み心地の良い国である。百済はこの倭国に毎年、朝貢している。宋の武帝王も倭国との交流をされては如何かと、宋への使者に宣伝させよ」

 応神天皇は倭国の素晴らしさを木満致に伝えた。更に烏賊津が続けて言った。

「その通り。倭国は百済、新羅、任那、加羅、沃沮、琉球などから朝貢を受けている東海の大王国である。そしてその大王国は、伊狭沙大王、応神天皇様がお治めになっておられる。大王様の御母は百済の辰斯王、新羅の奈勿王、高句麗の故国壌王もひれ伏した程の高貴な女王で、東方諸国を統治する偉大な女王であり、まさに日出ずる国の輝くばかりの女王であった。応神天皇様は、その神功皇太后様の威信を受け継ぎ、東方の大王として君臨している。宋王朝の安泰の為には、倭国との交流が必須である。このことを、宋の武帝にはっきりと伝えよ」

「分かりました」

 木満致は、宋の武帝の即位の報告と百済から宋の武帝に朝貢の使者を送ることの了承を得ると、応神天皇や大三輪鴨積ら重臣に深々と頭を下げ、中央院の部屋を出た。それから、紀角鳥足に依頼し、祖父、武内宿禰の眠る室宮の墳墓をお参りした。そして休む暇無く、三日後に百済に向かって帰国した。

          〇

 百済の宋王朝への積極的な行動は倭人も加わり、高句麗の長寿王にとって気がかりでならなかった。また、その百済の背後にいる倭国の誇張した態度は、大陸にあって絶えず周辺諸国の変化に気を配っている高句麗にとって、恐怖の対象でもあった。高句麗、長寿王は、時々、目に見えぬ倭国の動きに頭を悩ませた。

「孫漱よ。今や我が高句麗より分裂した百済や新羅は、完全に倭国王、讃の支配下になってしまった。このことは私がどんなに地団駄を踏んだとて明白なことであり、如何んともし難い。私は父、広開土王に対し、誠に申し訳ないと思っている」

 そんな発言をする長寿王に側近の孫漱は頭を横に振って言った。

「何を申されます。そのような事は御座いません。長寿王様は広開土王様に劣らぬ沢山の功績を残されておられます。卑下されることは全く御座いません。碑麗、挹婁への領土拡大、広開土王陵の建立、燕王たちの高句麗への朝貢、東扶余、楽浪、帯方への侵攻、素晴らしい功績ばかり残された使持節、征東将軍ではありませんか」

 長寿王の側近、孫漱は弱気になっている高句麗王を励ましたが、長寿王はすっきりした気持にはなれなかった。

「お前が今、述べたことは、国王として当然やるべき仕事であって、私は決して自分の功績とは思わぬ。臣下や民がやってくれたことだ」

「長寿王様が思わずとも、私を始めとする国民が、長寿王様の功績と思っております。功績というものは、御自分で決めるものでは御座いません。他の者が決めることで御座います。他の皆が長寿王様の功績は偉大だと思っているのですから、間違いなく長寿王様の功績です」

「しかしながら倭国王、讃は倭人を諸国に配置し、着実に大陸での足固めをしている。もし彼が我が高句麗をさしおいて、北魏と手を結ぶようなことがあったなら、それは一大事である。高句麗も倭国の支配下になりかねない。それを防ぐには如何がすべきと思うか?」

 長寿王は倭国の半島から大陸への進出を恐れていた。倭国を東海の海中に留めて置きたかった。その長寿王に問われ、策士、孫漱は長寿王に名案を提言した。

「倭国王、讃は海中の王。世界の動きを知るのに遅れております。これ以上、大陸に深入りされては困ります。それを阻止する為の名案があります」

「名案?」

「高句麗より倭国王に朝貢することです」

「何と。高句麗が倭国に朝貢?話が反対ではないか。倭国から高句麗に朝貢させるのが本筋であろう」

 長寿王の顔が引き攣った。策略とはいえ、倭国に朝貢することは、長寿王にとって、受付け難いことであった。

「長寿王様が不服に思われるのは分かっております。それを曲げて、高句麗より倭国に朝貢することが、今回の策謀なのです」

「それは、どういうことか?」

「倭国王、讃をうぬぼれさせることです。こちらから朝貢の使者を派遣し、彼らを盲目にさせることです」

「盲目にさせる?」

 策士、孫漱は長寿王の顔を覗き込んで冷たく笑った。完全に己の陰謀に酔っている風情だった。

「つまり、こちらから倭国に使者を送り、倭国の使者を求めぬことです。求めれば賢い倭国王のこと、きっと木羅斤資のような優秀な将軍を使者に派遣するでありましょう。そして、高句麗の国情をたちまち把握し、北魏と手を結ぶに違いありません。それをさせないことです。盲目にさせるとは、このことです」

「お前の申す通りかも知れぬ。その昔、倭国は魏と交流が深かった。倭国女王、卑弥呼の母親は魏の曹操の娘、麗英公主であった聞く。後の倭国内乱により倭国は魏と国交断絶となり、一時、燕王との交流もありはしたが、交流の少ない今日に至っている。何かのきっかけがあれば、両国は急接近するかもしれない。それを避ける為、高句麗が朝貢の使者を倭国に送ることは、確かに両国を接近させない為の最高の策略かも知れぬ。倭国の者は我が国を経由しなければ北魏には行けぬ。北魏への入国を我らが阻止すれば、それで良いのじゃ。お前の申す通り、倭国に朝貢の使者を派遣しよう」

 孫漱の提案に長寿王はしぶしぶであるが同意した。孫漱は満足だった。駄目かと思っていた提案が認可されたのである。

「私めの考えを御理解いただき、孫漱、喜び、この上ありません。高句麗が倭国の侵略を防ぐ為には、倭国を手なずけておけば良いのです」

「確かに倭国王、讃は、お前の言う通り、国外に出ず、世界の動きを見るに弱い。宋への朝貢もしておらぬようだ。もしかしたら、宋王朝が誕生したことを知らぬかもしれぬ」

「それに較べ、世界の動きに敏捷なのは長寿王様。晋の相国、劉裕が、宋の武帝として即位されるや、速やかに慶賀の使者を送り、宋王朝の信頼を掴み取り、一方では、魏の明元帝と主従関係を結ぶなど、まさにその外交力は、高句麗の国威を高める為に、大いに役立っております」

「いずれにせよ、高句麗繁栄の為には、倭国王、讃を南東の島国に閉じ込めておくことである。その為であるなら、勿体無いが、高句麗より倭国へ朝貢の使者を送ろう」

 かくて高句麗、長寿王は倭国に朝貢の使者を送ることを決定した。

          〇

 応神二十六年(421年)、百済から任那に戻った木羅斤資のもとへ、息子、木満致が百済からやって来て報告した。

「父上。宋に赴いた解丘からの報告によれば、宋の武帝劉裕は、即位し、朝貢を受けるや、高句麗王と百済王に昇進の詔をされたとのことです」

「何と!」

「高句麗の使持節、都督営州軍事、征東将軍、高句麗王、楽浪公の璉と百済の使持節、都督百済諸軍事、鎮東将軍、百済王の映は、両者とも辺境にあって、遠方より貢物を納めている。今、新たに宋朝を始めるにあたり、この国慶を共に分かち合うように、高句麗の長寿王、璉を征東大将軍とし、百済の直支王、映を鎮東大将軍とする。また、都督、王、公の諸号は、もとのまま認めるとの詔とのことです」

 木満致は、高句麗王と百済王がそれぞれに将軍から大将軍に昇進したことを父に告げた。

「して、倭国、応神天皇様については、何の音沙汰も無かったのか?」

「ありました。倭国王、讃は高句麗、百済の東南の大海の中、万里の彼方から貢物を納めている。遠くにありながら忠誠を尽くすのは、顕彰に値する。よって宋朝創業に当たり、使持節、都督倭、任那、加羅、三国諸軍事、安東将軍、倭国王の爵号を与えるとの詔だったとのことです」

「何ということか。となると応神天皇様は、高句麗王や百済王よりも将軍号が下位ということになるではないか」

 木羅斤資は息子、木満致からの報告を聞いて激怒した。正式な倭国からの朝貢使を出さなかったのが、この評価となったのだろうか。それにしても、このような宋朝の叙勲評価を黙認する訳には行かなかった。木満致も父の思いと同じだった。

「その通りです。宋の武帝劉裕は、倭国のことを全く理解しておりません」

「このことを応神天皇様が知ったなら、激昂するであろう。この詔のあったことについては、秘密にしておかねばならぬ。何としても応神天皇様の将軍号を、高句麗王や百済王以上にせねばならぬ」

「また宋の武帝は、百済王が久尓辛王様に代わっていることを知っていません。まだ直支王様が百済王だと思っています」

 木羅斤資は宋に派遣した百済の解丘のことを脳裏に浮かべた。

「解丘は何故、これらの事実を武帝に伝えなかったのであろうか。倭国の者も同行していた筈なのに。これでは倭国の存在は塵のような扱いだ」

「もしかすると、解丘は、百済を倭国の上に立つ国として、宋に伝えているのかも知れません。倭国の者が異国へ伝える言葉を理解していないので、倭国のことが、応神天皇様の要望通りに伝えられていない可能性があります」

 木満致は、応神天皇の意見に従い、宋朝に倭国使節を派遣しなかったことを後悔した。木羅斤資が思案する木満致に提案した。

「ならば我らは倭国、自らの使者を立てよう。そして応神天皇様の将軍号を格上げしてもらおう。また百済は倭国王、応神天皇様の御指示により、直支王の後を久尓辛王が継がれたと伝えよう」

「それが良かろうかと思われます。して、誰を倭国の使者として派遣しましょうか?」

「お前に心当たりはあるか?」

 父の問いに木満致は、あらかじめ心に決めていた人物の名を挙げた。

「中臣烏賊津様の息子で、久尓辛王様の側近を務める大小橋という若者がおります。また我が国にも、大小橋と一緒にやって来た倭国の留学生がおります。彼らを宋への使者として、派遣しては如何でしょうか?」

「成程。中臣烏賊津殿の息子、大小橋を倭国の朝貢の使者として、宋へ送り込むか。少し若すぎはしないか?」

「彼は若いながら父親に似て、しっかりしています。正しいものは正しいとし、悪いものは悪いと断言する、正々堂々としたところがあります。また広い知恵と勇気を兼ね備えております。熟年の言葉の分かる補佐役を同行させれば、充分に大役を果たして帰る筈です」

 木満致は一年前より百済に来て、久尓辛王に仕えている中臣大小橋らを推挙した。息子、木満致が自信をもって説得するのを聞いて、木羅斤資は同意した。

「良かろう。宋への朝貢の使者は大小橋に決めた。彼には倭国王の使者、司馬曹達と名乗らせよ。そして宋の武帝、劉裕王に倭国王、讃、応神天皇様は東海の大王であり、百済、新羅、任那、加羅の守護者、伊狭沙大王であると、明快に奏上させよ」

「分かりました。大小橋に司馬曹達と名乗らせ、応神天皇様に宋の武帝、劉裕王から、使持節、都督倭、百済、新羅、任那、秦韓、慕韓、六国諸軍事、安東大将軍、倭国王としての官爵を授与されんことを請願させましょう」

「そうしてくれ。そうでないと、我ら親子の面目が立たぬ。何の為に我らが任那にあって百済や新羅の監督を仰せつかっているのか分からなくなる。それにお前は、久尓辛王の母を通じ、無礼が多いと噂されている。注意せよ。名誉を挽回するのは今である」

 この任那での木羅斤資と木満致の会談により、百済に派遣されていた中臣大小橋ら四人は、倭国の朝貢しとして、宋へ派遣されることになった。朝貢の品々は任那で準備した。だが、この朝貢は失敗に終わった。一度出した詔を、そう易々と短期間に変更出来ないというのが、その理由だった。

          〇

 応神二十八年(423年)秋、九月、高句麗の長寿王は、倭国に使者を送り、応神天皇に朝貢した。この高句麗からの朝貢に誰もが驚いた。

「陛下。高句麗、長寿王様からの朝貢の使者が参りました」

通訳の阿直岐を連れて会議室に入って来た平群木菟の報告に、応神天皇は仰天した。

「何と。高句麗、長寿王からの使者が参っただと。一体、どうした風の吹き回しか?」

 すると阿直岐が使者から聞いた高句麗王の目的を、応神天皇に報告した。

「高句麗は、かって倭国と東方で、その覇権を競い合って来ましたが、今や人民は戦さの無い平和を希望しており、長寿王は争うことが無益であると悟ったとのことです。そして長寿王様は、その平和を招来する為には、御自分と応神天皇様が手を組むことであると気付き、この度の倭国への朝貢を決断されたとのことで御座います。お会いになられますか?」

「皆は、どう思う?」

 応神天皇は部屋で打ち合わせしていた大臣たちに質問した。中臣烏賊津が、即座に答えた。

「まずは、お会いされては如何でしょう」

 ところが、最近、朝議に参加するようになった幼な顔の残る菟道若が父王に進言した。

「父上。高句麗は長い間の仇敵。会う必要は御座いません。追い返しては如何がですか?」

 応神天皇の皇子、菟道若は父王が高句麗の使者に会うことに反対した。中臣烏賊津は遠くからやって来た高句麗の国使を、簡単に追い返してはならぬと思った。烏賊津は菟道若の進言に反対した。

「追い返すのは、頭を下げて倭国王に朝貢使を送って来た高句麗、長寿王に対し、無礼というものです」

「烏賊津臣よ。高句麗、長寿王は兄、大雀皇子の伯父、真若大王様を苦しめている憎き仇敵であるぞ。その仇敵からの使者を、易々と受け入れて良いというのか?」

 烏賊津は返答に窮した。それを見て菟道若の師匠、王仁が烏賊津に味方した。

「菟道若様。倭国王は高句麗や百済を超越した東方の大王。寛大であらねばなりません。それに来訪したのは長寿王本人では無く、その使者です。そんな使者に息巻いたところで、何になりましょう。東方の大王として厚情をもって優しく使者を迎え入れるのが、大王の器量というものです」

 菟道若は恩師から諭され、反対することが出来なかった。応神天皇は会う事を決断した。

「王仁先生の言うのが道理である。使者に会おう」

「では高句麗からの使者を、中央院にお呼びしましょう」

 そう言って、平群木菟が阿直岐に合図した。阿直岐は急いで部屋から退出して行った。応神天皇は一同に伝えた。

「高句麗の使者は百済の更に向こうにある遠い国からの使者である。大事に持て成せ」

「ははっ」

 一同は応神天皇の命令に深く頭を下げた。それから皆そろって中央院に移動した。中央院の広間に一同が集まると、会議室から退出しえ行った阿直岐が、高句麗の使者を連れて現れた。

「陛下。高句麗、長寿王様の御使者を、お連れ致しました」

「久礼波殿。もっと前へ」

 前もって久礼波に面談していた平群木菟が久礼波の気持ちを和らげるように言った。久礼波は礼儀正しく、応神天皇の前に平伏すると、同僚と共に応神天皇を見詰め挨拶した。

「応神天皇様。初めてお目にかかります。高句麗、長寿王の使者、久礼波に御座います。ここに控えますは、同行者、久礼志です。よろしく、お見知りおきの程、お願い申し上げます」

「久礼志です。よろしくお願い申し上げます」

 二人からの挨拶を受け、応神天皇は胸を張り、高台から高句麗の使者を見下ろし仰せられた。

「久礼波、久礼志、両名、遠路、はるばる大儀であった。朕は両名に会えて、大変、嬉しい。長寿王の使者として参ったとのことであるが、大海を渡っての旅、苦労が多かったであろう。よくぞ倭国に来てくれた」

 応神天皇の優しい眼差しに、久礼波の心は喜びに満たされた。

「我が高句麗の長寿王様は、南東の海中に浮かぶ倭国という列島に、応神天皇様という聖王がおられると聞き、親交を結びたく、我ら両名と従者を、朝貢使として、お遣わしになられました」

 久礼波が挨拶すると、久礼志が部下に貢物の品々を部屋に運び込ませた。

「これらは長寿王様からの朝貢の品々です。金銀製の食器、刀剣、鏡、楽器、絹綾織物などです。篤と御覧下さい」

 差し出された貢物に応神天皇は満足した。とりわけ、眼前に広げられた朱色の織物に心を動かされた。

「見れば見る程、総てが高価な珍品ばかりである。心から感謝する。特に、その朱色の織物は朕の好むところである。その織物は高句麗で織っているのか?」

「これは呉の織物です。これらの物を織れる者は、呉の地に数名しか残っていないとのことです。これは長寿王様が応神天皇様の為に、わざわざ呉から取り寄せたものです」

「そうであるか。有難く思う。朕が喜んでいたと、長寿王に伝えよ」

 応神天皇は高句麗、長寿王の心尽くしに、只管、感心するばかりであった。そんな応神天皇の様子を窺いながら、久礼波が長寿王の書簡を差し出した。

「これは長寿王様からの書簡です」

 応神天皇は久礼波から書簡を受け取ると、颯っと開いて、読み上げた。

「高句麗の王、倭に教えるだと?」

 応神天皇は、最初の一行を読んで沈黙した。応神天皇の皇子、菟道若の顔色が変わった。高句麗王からの書簡を確認した。

「何ですって。高句麗の王、倭に教えるですって。何と無礼な上表文であるか。久礼波よ。お前は倭国との親交の為では無く、倭王に教え事があって渡海して来たのか?」

 菟道若は、そう叫ぶと、御前に伏せている二人に走り寄り、久礼波の襟首を掴んで、罵倒した。久礼波と久礼志は震え上がった。

「滅相もありません。私達は倭国の聖王、応神天皇様に御教授いただきに参ったのです」

「嘘を申すな。この無礼な表書きを良く見よ。教えると書いてあるではないか。習うとは書いてないぞ」

「教の文字も習の文字も同一の意味を持っております。教は上の人が教え、下の者が習うという交互作用を表す文字です。

 久礼波は熱心に弁明した。

「言い訳は聞かぬ。実に無礼である。久礼波よ、戻って長寿王に伝えるがよい。倭王の皇子に、その表書きを破り捨てられたと・・・」

 久礼波は言葉を失った。そして菟道若が長寿王の書簡を破り捨てようとすると、応神天皇が、それを制した。

「菟道若よ。久礼波の言う事が真実かも知れぬ。文字とは難しいものだ。これ以上、騒ぎ立てても笑われるだけじゃ。倭国の文化の遅れの恥を晒すでない」

「でも・・・」

「菟道若様。陛下の仰せの通りです。もし、それを疑うなら、高句麗に同じ上表文を持った使者を派遣し、長寿王の倭国に対する心を糺してみては如何ですか?」

 応神天皇に続いて、中臣烏賊津が、菟道若に具申した。菟道若は年配者に宥められ、心を鎮めはしたが、ことに対し、積極的であった。

「よろしい。早速、高句麗に使者を派遣しよう。伊莒弗よ。汝、行ってくれるな」

 菟道若は、広間の隅に控えていた物部伊莒弗に、高句麗への出張を指示した。それは若き伊莒弗にとって思いもよらぬ嬉しい要請であった。

「ははっ」

 物部伊莒弗は喜んで同意した、伊莒弗の父、物部五十琴は慌てた様子だったが、応神天皇は気にしなかった。

「ならば物部伊莒弗を高句麗への使者としよう。伊莒弗よ。高句麗派遣のついでに、百済に赴き、宋や北魏の情報を求めて帰れ。砥田盾人を正使とするので、副使として、随行せよ」

 応神天皇は砥田盾人と物部伊莒弗に高句麗への出張を命じた。それと共に、百済にも立ち寄るよう指示した。物部伊莒弗は応神天皇の前に平伏した。

「分かりました。物部伊莒弗、喜んで高句麗に参ります。久礼波殿、案内をよろしく頼みます」

 伊莒弗の言葉に高句麗の使者、久礼波の心は和らいだ。

「お易い御用です。長寿王様への疑いが晴れるなら、喜んで御案内致しましょう」

 かくて、砥田盾人と物部伊莒弗が高句麗に遣わされることになった。

          〇

 応神三十年(425年)百済の久尓辛王の側近を務め、百済に駐留している中臣大小橋は、宋の武帝が三年前に突然、亡くなり、宋への朝貢の機会を失ったままでいた。十七歳で武帝の後を継いだ少帝、劉義符は、放蕩者であった為、四人の大臣に廃帝され、その弟、劉義隆が文帝となるまで、時間がかかり、中々、宋朝に訪問出来る状況で無かった。ところが功臣、檀道済が三大臣を殺し、朝廷人事が刷新されると、宋朝は安定し、異国からも訪問可能になった。ようやく機会を得た大小橋は宋の文帝に倭国の産物を献上することにした。大小橋は司馬曹達と名乗り、百済から山東半島を経由して建康の都に訪問した。この遠い倭国からの朝貢を、宋の文帝は心から喜んだ。

「司馬曹達よ。何を遠慮している。顔を上げ、もっと近う寄れ」

「ははっ」

 中臣大小橋は文帝の前に進んだ。利発そうな倭国の使者に向かって、文帝は言った。

「倭国王、讃は大海に船を浮かべ、荒波を乗り越え、貢物を本朝に納め、誠意を示してくれている。なのに朕は不徳であるにも関わらず帝位を受け継ぎ、その恩沢を受けている。実に有難いことである。本来なら、この礼を申し述べる為、倭国に使者を派遣すべきであるが、何しろ、大海を渡る難業。誰も、その役目を引き受けてくれぬ。それ故、倭国に使者を派遣しないが、倭国王、讃の誠意は充分に理解している。司馬曹達よ。この朕の気持ちを、讃に伝えよ」

 文帝も才気煥発な若き帝王として、倭国の朝貢の使者に対面した。大小橋は、相手が若き帝王であると知ると、積極的に倭国の偉大さを宣伝した。

「倭国王は東海に浮かぶ広大な列島に王都を構え、国内の諸藩は勿論のこと、百済、新羅、加羅、秦韓、任那、耽羅を統治する大王として、君臨しておられます。それ故、最近では、高句麗王も燕王も琉球王も倭国に貢物を納めている次第です。文帝様。宋王朝の安定を計る為には、倭国王、讃を軽んじては、良くありません」

 大小橋の説明に、文帝は幾分、狼狽するような小心さを見せて尋ねた。

「それは、どういうことか。倭国に宋の使者を派遣せよというのか?」

「左様に御座います。国使の交流に御座います。倭国王、讃が高句麗、百済他、多くの国を制圧し、統治されている大王なればこそ、ここのところは、使者を派遣されておかれることが、得策かと思われます」

 それを聞くや、文帝に仕える大臣、謝霊運が大声を上げた。

「何と無礼であるぞ。文帝様に倭国朝貢を要求するのか?」

 まさに威嚇の発言であった。だが大小橋、司馬曹達は怯まなかった。

「いいえ。司馬曹達、倭国朝貢を要求しているのではありません。倭国に対し、高句麗、百済以上の配慮をしておくことが、宋朝にとって、賢明であるかと、申し上げたまでです。倭国に対し配慮されるか否かは、貴国が判断されることです」

 大小橋の進言に謝霊運の顔が怒りに燃えて、赤味を増して染まって行くのが、はっきりと分かった。それを見て、文帝は困惑した。すると別の大臣、檀道済が文帝に助言した。

「文帝様。司馬曹達の申すこと、検討に値すると思われます。ここで問答していては、話が前に進みません。倭国の話を、今少し伺いましょう」

「檀道済の申すことも一理じゃ。司馬曹達よ、倭国の話を続けてくれ」

 文帝の言葉を頂戴して、大小橋は、待ってましたとばかり、倭国がどんな国であるかを話した。

「倭国はその昔、秦始皇帝が不老不死の仙薬を求めた程の古い国です。その住みやすさは例え様も無く、まさに長寿国です。仙薬を求めに訪れた秦の徐福も、国に戻るのが馬鹿らしくなって、倭国に永住し、倭国王に秦の文化を広めたという話です。現在、倭国を統治する王家は、扶余、東明王の後裔です。もとをただせば高句麗、百済と同じ、扶余王の後裔であり、辰王家として尊敬されて参りました。三国時代の初め、辰王家は倭と加羅に分裂し、倭国の葺不合王の姉、卑弥呼は魏と、しばしば交流し、その使者、難升米と牛利は魏の将軍としても、活躍したとのことです。卑弥呼の母は、魏王、曹操の娘、麗英公主で、曹丕の姉君です」

「倭国は、そんな古い時代から、大陸と交流していたのか?」

 文帝は大小橋の説明を聞いて、倭国の歴史の古さに感心した。

「また晋の時代に新羅王、儒礼が倭国に亡命し、倭国王、垂に仕えたとのことです。その後裔、倭国王、讃の母、神功皇太后は、女だてらに自ら甲冑に身をかため、海を渡り、属国、任那を経て、新羅、奈勿王を懲らしめ、百済、辰斯王をその配下に治め、高句麗、広開土王も恐れをなす程の東方の統治をなされたとのことです。そんなことがあってか、高句麗王、燕王、百済王、新羅王、加羅王、耽羅王、琉球王らは現在、倭国王、讃に、海を渡って貢物を送り続けている次第です」

「だから何だと言うのだ?」

 謝霊運は興奮し、ブルブル震えて、大小橋を睨みつけた。大小橋は尚も続けた。

「それ故、倭国王、讃は高句麗王や百済王より上位の爵号でしかるべき大王です。私は三年前、武帝様に、倭国王の爵号昇格の件を進言しに参りました。しかし、その時、武帝様からは、詔を発したばかりなので一年、待つようにと言われました。かかる経緯から願わくば賢明なる文帝様の御配慮をもって、倭国に使者を派遣し、倭国王に大将軍の爵号を与える詔を頂戴しとう御座います」

「何と大それたことを!」

 謝霊運は堂々と爵位の昇格を要求する倭国の朝貢の使者に呆れ果てた。大小橋は情熱をもって文帝に迫った。

「私の申すことを、お疑いなら、百済の久尓辛に御問い合わせ下さい。久尓辛王は倭国王、讃の命により、百済王位を継承したのです。その倭国王が百済王より下位にあるという事は、全くあべこべです。あべこべは正さねばなりません。私にはもうこれ以上、申し上げることは御座いません。倭国王を重んじるか否かは文帝様の御勝手です」

「何じゃと。百済王が久尓辛王じゃと?」

 文帝が驚きの声を上げた。

「百済王は変わられたのか?」

 檀道済の問いに大小橋は凛然とした態度で檀道済に答えた。

「倭国王、讃の命により、久尓辛王が百済王となられました」

 文帝は、それが事実か、謝霊運に訊いた。

「霊運は、この報告を受けていたか?」

「いいえ、全く知りませんでした」

 霊運は青ざめた顔色をして答えた。文帝は大小橋の次から次への説得に圧倒され、ついに大小橋、司馬曹達に約束した。

「汝の願い、良く分かった。諸大臣と相談の上、追って詔する」

「有難う御座います」

 かくて中臣大小橋の宋朝のある建康への訪問は成功し、倭国王、讃、応神天皇は、使持節、都督倭、百済、新羅、任那、秦韓、慕韓、六国諸軍事、安東大将軍の爵号を、宋の文帝より、頂戴することとなった。

          〇

 応神三十二年(427年)百済の久尓辛王が逝去した。その知らせを受けた任那の真若大王は、どうしたものかと応神天皇に使者、沙白を派遣した。それを聞いた応神天皇や重臣たちは驚いた。余りにも若すぎる久尓辛王の死去に疑問を抱いた。情報が余りにも少な過ぎた。そこへ百済にいる中臣大小橋からの知らせが入った。百済国内で後継者を誰にすべきか重臣たちがもめており、大小橋は倭国と関係の深い直支王の系統を重視すべきであり、幼い久尓辛王の長男、餘比を後継に考えて欲しいとの要請だった。応神天皇は直ちに、その内容を許諾し、任那の真若大王に伝えるよう、沙白に伝えた。その報告を受けるや、任那の真若大王は木羅斤資に餘比を王位に就けるよう指示した。かくて直支王の次弟、訓解や末弟、碟礼の子孫を皇位に就ける話は消滅した。だが安心は出来なかった。何時、新王、毗有王餘比が、幼いが為に、反対勢力に追い落とされるか分からない状態だった。もしかしたら、倭国と任那で造り上げて来た百済王朝は、誰かによって、なし崩しにされるかも知れなかった。その為、中臣大小橋は、毗有王が成長されるまで、その補佐役として、自分が百済に残っていなければならないと覚悟した。

          〇

 応神三十六年(431年)百済より、十年ぶりに木満致がやって来た。彼は今や百済の国政を執る大臣であった。

「応神天皇様。お懐かしゅう御座います。陛下の光輝溢れる御尊顔を拝し、木満致、感無量で御座います。本日、父、木羅斤資の命令により、百済の朝貢の使者として倭国にやって参りました」

「海を越えての朝貢、御苦労である。して百済の状況は如何か?」

 十年ぶりに会う木満致に、応神天皇は優しく訊ねた。木満致は拝伏しながら答えた。

「お陰様で今の百済は、至って平穏な日々が続いております。宋に対しては、一昨年、初めて毗有王餘比の名で貢物を献上しました。宋の文帝様は百済のことを大小橋様から教えていただいているとして、久尓辛王様と同じ爵号を授けられ、応神天皇様に協力し、東方の地の監督に努め励むよう指示されました。百済はまた、燕の馮弘との関係も良好で、北魏からの侵攻を何とか食い止めております」

 木満致の報告を聞いて、応神天皇は一安心した。気がかりなのは高句麗だった。

「高句麗の様子は如何か?」

「高句麗、長寿王は倭国と宋の接近を恐それ、北魏の太武帝に朝貢使の派遣を検討しているようです」

 応神天皇は昨年、帰国した中臣大小橋より、北魏の存在を教えてもらってはいたが、詳細については知っていなかった。

「その魏の太武帝とやらは、長寿王が恐れる程の器量を持ち合わせているのか?」

 初めて聞く魏の太武帝の名に、応神天皇は興味を示した。木満致はその応神天皇の目を見て、自分も目を輝かせて答えた。

「魏の太武帝は夏国の赫連勃勃が統万で死ぬや、その子、赫連昌を襲い、夏国を魏の属国となし、更に西方への侵略に力を注いでおります。西方を領土に収めた暁には、東方を狙って来るに違いありません。それを恐れて、長寿王は魏とも秘かに交流しているようです。そういった見方からすれば、魏の太武帝は南にいる宋の文帝と並ぶ、北の大王と言えましょう」

「北の大王か。倭国も魏の太武帝に朝貢の使者を派遣する必要があるだろうか?」

 応神天皇が北魏への朝貢の使者の必要性を問うた。すると、木満致は即答した。

「その必要はありません。陛下は北魏、西蜀、南宋と並ぶ東倭の大王です。高句麗、長寿王のような八方美人になる必要はありません。高句麗を真似ることは愚かしいことであり、無駄なことです。長寿王の考えている事は全く理解不可能です」

 応神天皇は木満致の発言の中に、高句麗王に対する疑心暗鬼を洞察することが出来た。応神天皇は、ここ数年、倭国に朝貢して来る長寿王の忠誠の程を思い、木満致に語った。

「満致よ。長寿王は長寿王で悩んでいるのじゃ。国内城から平壌への遷都も、魏や靺鞨による北からの侵攻を恐れてのことであり、王都の南への移動も、旧辰国や我が国との親交を深めたいとの考えであろう。それだけ倭国も、高句麗から頼りにされるようになったということじゃ」

「そう言われてみれば、そうかも知れません。何しろ魏の太武帝は鮮卑、拓跋珪の後裔であり、漢人を上手に操りながら、世界全土を統一しようと考えている恐ろしい男です。それ故、高句麗の長寿王も、その祖先を一緒とする扶余、東明王の後裔、倭国王に支援を頼もうと深慮して、接近を求めているのかも知れません」

 木満致は高句麗の状況の説明と共に、北魏の太武帝に対しても注意が必要であると奏上した。応神天皇は木満致の報告により、高句麗の窮状を把握した。

「高句麗の状況は分かった。新羅の状況は如何か?」

 応神天皇は続いて新羅の状況について質問した。それに対し、木満致は、こう答えた。

「新羅は父、木羅斤資により、完全に任那の統治下にあります。新羅、訥祇王は武庫の事件以来、任那、倭国に忠誠を尽くし、倭国からの指示無しの外交を禁じており、倭国から帰った王弟、微叱許智王と協力し、高句麗からの従属的体制から脱却しようと努力しておられます」

「そうか。微叱許智王も無事、新羅の重役に就くことが出来たか。そうか。それは良かった」

「はい。微叱許智王は倭国の素晴らしさを国民に伝え、旧辰国の絆を深めるよう努力されておられます。そんな国王御兄弟のお陰で、新羅国民は平穏な日々を送っております」

「そうでったか。そちたち親子の努力に、朕も頭が下がる思いである。今回の来朝を心より歓迎する。今回は直ぐに帰らず、親者の多い倭国での滞在を楽しんで帰るが良い」

 応神天皇は木満致に感謝の意を伝えた。木満致は、応神天皇に種々の事を、お伝え出来て嬉しかった。

「有難き仕合せ。数日間、倭国に滞在し、再び百済に帰ります。もし出来る事なら、応神天皇様におかれましても、百済、任那への外遊の機会を、お作り下さい。この木満致が、百済や任那の御案内をさせていただきます」

「それは良い考えである。朕は海外に一度しか行っていない。一度、検討してみよう」

「ところで中臣大小橋、司馬曹達のことですが、父、木羅斤資の考えでは、そろそろ彼を倭国に帰国させては如何かとのことです。この御返事をいただいて帰るよう、父の指示を受けて参りました。御検討の程、よろしくお願い申し上げます」

 木満致は、現在、百済の毗有王の側近をしている中臣大小橋の帰国について応神天皇に相談した。すると応神天皇は訝しい顔をした。

「大小橋は毗有王の側近を務めるそちの部下ではないか?」

「はい。彼は毗有王様の側近として精励し、百済の重臣たちからも信頼されると共に、倭国の朝貢使として、宋の武帝や文帝のもとへ、幾度か訪問している有能な人物です。そんな有能な中臣烏賊津様の後継者を、何時までも百済に仕えさせておくのは申し訳ないと、父、木羅斤資は申しております」

「それは反対ではないだろうか。有能な人物なれば、百済は彼を手放すことが出来ないのではないだろうか。それとも大小橋が邪魔になったか?」

「滅相もありません」

 応神天皇の追及に、木満致は困惑した。応神天皇は笑って仰せられた。

「伝え聞くところによると、そちは久尓辛王の母と通じ、百済の政治を思いのままにしているとの噂もあり、評判が悪い。この際、百済のことは大小橋に任せて、そちが倭国に来てはどうか。そうすることが、倭国にとっても、百済にとっても、そちにとっても最良と思われるが・・・」

 応神天皇の言葉に、木満致は赤面した。何ということか。

「誰が、そんな噂を。でも悪評は自分の不注意。私が任那から倭国に移籍することが最良であると、陛下が仰せられたと、父に伝えます」

「それは朕の望みである。世界全体を見渡すことの出来るそちは朕のもとで、必ずや活躍してくれるであろうと期待している。帰国したら、父、木羅斤資と良く相談して、一時も早く朕の側で働いて欲しい」

「畏れ多いことに御座います。百済に戻り次第、父と相談し、御返事させていただきます」

 木満致は応神天皇との会談を終えると、羽田八代や葛城襲津彦らの家を訪問して、数日間を過ごした。それから前回、来朝した時と同様、紀角鳥足と江沼若子と一緒に、祖父、武内宿禰の室宮の墓を参拝し、再び百済に帰った。

          〇

 応神三十七年(432年)春二月一日、応神天皇は後漢出身の阿知使主に呉への出張を命じた。十七年前、燕国からやって来た阿知使主にとって、高齢になりはしたが、それは決して難しい要請では無かった。

「阿知使主に呉への出張を命ずる。呉に赴き、朱色の縫女を求めて帰れ。ついでに燕や高句麗に立ち寄り、宋や魏の情勢を把握して参れ。同行者として、物部伊莒弗とそなたの息子、都賀使主を帯同せよ」

「ははっ」

 応神天皇の命を受けた阿知使主親子は、物部伊莒弗らと先ずは百済に渡り、百済の久尓辛王に挨拶した後、高句麗の平壌城に赴き、長寿王に応神天皇からの書信と献上品を届けた。高句麗、長寿王は倭国からの朝貢の使者、物部伊莒弗をはじめ、随行した阿知使主らを歓待した。阿知使主は長寿王と接見の折、かって長寿王が倭国王に贈った呉の織物の織女のいる所へ行きたいと長寿王に願い出た。すると長寿王は、呉への道を知っている者を探し出し、久礼波、久礼志の二人をつけて道案内させた。その後、阿知使主たちがどうなったか、応神天皇のもとへの便りは無かった。阿知使主たちと入れ替わるように、百済から、木満致が家族を連れて、倭国にやって来た。木満致は応神天皇に挨拶した。

「かねてより、陛下から倭国に席を置いて仕えるようにと承っておりましたが、本日、やっと参ることが出来ました。今日から私を思う存分、こき使って下さい」

「何を言う。海山遥か隔てて参られた木満致をどうして、こき使うことが出来ようか。朕の重臣として、明日から朕の政治の教導を頼む」

「この未熟な木満致に、政治の教導などと畏れ多いことに御座います。私は任那から派遣された陛下の一臣下に過ぎません。ただただ恐縮のほか御座いません」

 応神天皇をはじめとする重臣たちの歓迎ぶりに、木満致はいたく感動した。また武内一族の歓迎も木満致をはじめ、その家族を豪奢な宴会をもって歓迎し、海を渡ってやって来た木満致の家族にとって、他国とは思えない温みを抱かせてくれた。

          〇

 応神三十九年(434年)春、二月、百済から中臣大小橋が帰国した。大小橋は百済の毗有王の補佐役を務めていたのであるが、毗有王が成長したので、任那の木羅斤資の次男、木羅斗浩に役目を引き継ぎ、補佐役を引退しての帰国であった。彼は帰国の船に、百済の久尓辛王の妹、新斉都媛を連れてやって来た。毗有王が、倭国の大雀皇子のお相手として、叔母の新斉都媛を倭国に遣わしたいという事での引率であった。その新斉都媛は七人の付き人を連れて来た。その半分は機織や縫衣の工女で、漢織の技術を大和の女性たちに伝える為の派遣であった。応神天皇は彼女たちに高句麗の長寿王からいただいた朱色の織物を織らせようと命じた。だが、どうやっても同じ物を作ることは出来なかった。呉に送った阿知使主の帰りを待つしか方法が無かった。一方、皇后、仲津媛は自分と同じように、渡海して来た新斉都媛に気配りをした。時々、新斉都媛を部屋に招き、近況を確かめた。

「新斉都媛。どうですか。倭国での暮らしは?」

「はい。毎日が珍しいことばかりで楽しいです」

 新斉都媛は仲津媛皇后の優しい言葉とその瞳に湛えられた温かい光に、倭国で自分が最も頼り出来るのは、このお方であると思った。

「そなたは何時、見ても美しいこと。どうですか。大雀皇子は?」

「はい。時々、声をかけていただいております」

「大雀皇子を輝かせることが出来るのは、そなたしか居りません。力を貸してやって下さい」

「はい。皇后様」

 新斉都媛は、簡単に答えてしまったが、直ぐに仲津媛皇后の言葉の意味の重さに気づき、緊張した。仲津媛皇后はゆっくり頷いた。

「でも、無理をして、そなたが不幸になることはありませんよ」

「はい。でも私は栄光の為の苦しみであるなら不幸などとは思いません」

「そうね。私たち女には、どのみち平坦で静かな生涯なんて無いのですから」

 新斉都媛は、そう発言した仲津媛皇后のさりげなさの中に、故知れぬ物寂しさを感じた。

「ええ、そうかも知れません」

「本当に良いのね。大雀皇子と一緒になって」

「はい」

「百済に戻っても良いのよ」

「私はここに居たいのです」

 すると仲津媛皇后は頷き、耳元で、そっと囁くように言った。

「分かったわ。じゃあ言うわ。陛下の御身体の具合いが思わしくないの。まだ誰も知らないことなの。陛下に万一のことがあったら、大雀皇子に難しい問題が起こるかもしれないの。それなので、そなたには大雀皇子を、しっかり支えて欲しいの」

 新斉都媛は息を呑んだ。驚くべき秘密を仲津媛皇后から聞いてしまった。新斉都媛は、自分の倭国での暮らしが落ち着くまで、応神天皇には健康で長生きして欲しいと願った。また応神天皇の不調を誰にも知られてはならないと思った。新斉都媛が頷くと、仲津姫皇后も、新斉都媛の目を見て、かすかに頷いて見せた。

          〇

 応神四十年(435年)春、一月八日、応神天皇は高城入媛が生んだ大山守皇子と仲津媛皇后が生んだ大雀皇子を部屋に呼んだ。その目的は王位四十年を経て、自分の後継者を決めておきたいと思ったからである。応神天皇に呼ばれた二人は何事かと、一緒に御座所に伺った。

「陛下。お呼びでしょうか?」

 部屋に入って来た大山守皇子と大雀皇子を見て、応神天皇は微笑した。それから少し眉根に皺を寄せて仰せられた。

「お前たち兄弟に確認しておきたいことがあって、ここに呼んだ」

「どんな事の確認でしょうか?」

 大山守皇子の問いに、応神天皇は、こう切り出した。

「お前たちは、自分の子供を可愛いと思うか?」

 大山守皇子が即座に答えた。

「勿論、可愛いです」

「私も大変、可愛く思っております」

 大雀皇子も兄に続いて返答をした。更に応神天皇は訊ねられた。

「大きくなった者と、まだ小さい者とでは、どちらが可愛いか?」

「大きくなった方が可愛いです」

 大山守皇子が、また即座に答えた。その答えに応神天皇は顔色を曇らせた。自分が望んでいた答えと反対の答えが返って来たからである。それに較べ大雀皇子の答えには幼い者に対する慈しみの愛情があった。

「私は小さい者を可愛く思います。大きくなった子供は、歳を重ねているので、放っておいても不安はありません。しかし、幼い子供は、一人前になれるか、なれないか分からず、心配で心配で、自然、可愛くなります」

「大雀よ。お前の言葉は誠、朕が心に適っている。実に立派な心掛けである。朕も小さい者の方を可愛く思う。小さい者を強く育てたいと思う。そこでじゃ。朕は己の元気なうちに、朕の後継を、お前たち兄弟と決めておきたい」

「今、ここで後継者を決めるというのですか?」

 応神天皇の言葉に、大山守皇子は唖然とした。応神天皇には長男、大山守皇子が渋い顔をすることは想定内の事だった。応神天皇は平然と仰せられた。

「そうじゃ。今、ここで決める」

「父上、それは無いでしょう。羽田八代、大三輪鴨積、中臣烏賊津、葛城襲津彦、物部五十琴といった大臣たちの意見を聞かなくて良いのですか?」

「次代を担うのは、お前たち兄弟である。年寄りたちの意見は無用じゃ。朕が今、ここで決める。お前たちは、それに従えば良い。良いな」

「私は父上の考えに従います」

 大雀皇子は父王の決断に一任するのが正しいと思い、それに賛成した。大山守皇子も仕方なく、応神天皇の考えに従うことにした。

「父上が、それをお望みなら、私も父上の考えに従います」

「そうしてくれるか。お前たちの気持ちを訊いて、朕も安堵した」

「して、父上がお考えの後継者は?」

 大山守皇子は結論を早く知りたがった。応神天皇は結論を二人に伝えた。

「大山守。お前には山川林野を司る役目の総てを一任する。また大雀。お前には太子の補佐役として、国事を見るよう命じる」

 それを聞いて、大雀皇子は応神天皇に深く頭を下げた。

「有難き仕合せ。大雀、父上の命に従い、御役目、立派にお引き受けすることを、御約束申し上げます」

 大雀皇子は父王から与えられた役目を有難く拝受した。大山守皇子は父王に問うた。

「それで、太子は誰に?」

「菟道若を後継とする」

 応神天皇は二人の息子に、下の弟、菟道若を跡継ぎにすることを明言した。大山守皇子は、それを喜ばなかった。

「菟道若。彼は宮主宅姫の生んだ皇子です。太子として相応しいとは思われませんが」

「何を言うか。菟道若は歴とした朕の子じゃ。朕の子に上下の差別は無い。朕は菟道若を皇太子とする」

「何故に若い菟道若を後継とされるのですか?」

「彼は聡明であり、勇気もある。高句麗の使者に向かって、自分の意見を堂々と述べた。何の恐れも無かった。朕は彼を頼もしく思った。彼なら国民を正しく引っ張って行ってくれると確信した。それに若い。若い分だけ長く国を治められる。お前たち二人が補佐をすれば、天下は安泰である。大山守よ。お前は朕の考えに不服か?」

 応神天皇は、まるで大山守皇子を叱責するかのように、菟道若を皇太子に選んだ理由を語った。大山守皇子は、その父王の鋭い視線を受けてたじろいだ。

「不服ではありません。父上の考えに従います。しかし、大臣たちが、どう思われるか?」

「大臣たちばかりでは無い。お前の弟、大中彦とて、面白くは無かろう。しかし、たった一つの太子の席じゃ。何人かに分ける訳にはいかんのじゃ」

 応神天皇は辛い自分の気持ちを、任那系統の母を持つ二人に伝えた。それは自分の沢山の皇子たちの中で、特に二人が優秀であり、二人に倭国の母を持つ菟道若を後継にしたいという自分の気持を伝えたかったからである。弟の大雀皇子は、その天皇の御心を察して、兄、大山守皇子に言った。

「兄上。父上の申される通りです。後継者の席はただ一つ。それを決められるのは父上、つまり天皇陛下の御役目です。一等、辛いのは父上です。だからこそ、私たち二人を呼んで相談されたのです。一等、風当たりの強いと思われる私たちに、逸早く天皇陛下としての真心を、お示し下されたのです。私たちは、その御心に対し、感謝せねばならないのです」

 兄を諭す大雀皇子を見て応神天皇は涙が溢れそうになった。

「分かってくれたか、大雀よ」

「はい」

「分かってくれたか、大山守」

 応神天皇は息子たちの手を握り締めた。思わず、堪えていた涙が、応神天皇の両の目から、ぼろぼろと流れ出た。大山守も、その涙を見て答えた。

「充分に分かりました。これからのことは、父上と菟道若に、総て御一任致します」

 大山守皇子も、父王の涙を見て感極まったのか、あるいは悔しくてか、応神天皇同様、泣いてしまった。何とも表現し難い親子の対談は、一見、美しく終了した。そして二月二十四、応神天皇は、四男、菟道若を皇太子に立て、王位後継者とすることを、群臣たちに発表した。また同日、大山守皇子に山川林野を司る役目を、大中彦皇子に海洋海島を司る役目を、大雀皇子に皇太子を補佐する役目を任命した。それに従い、他皇子や群臣たちの役目も変わったりした。それから数日して、皇太子になった菟道若は兄、大雀皇子に、皇太子に任命された苦悩を告白した。

「大雀兄者。私には将来、天皇になる自信がありません。私は兄者のように聡明で無く、天業を統べる才能など、全くありません。どうか兄者が、天下の王君となって下さい」

 その弟の願いを聞いた大雀皇子は、父王の命令に背く訳にはいかないと、弟の要請を固く辞退した。そして自分が補佐をするので大丈夫だから安心するようにと説得した。

          〇

 秋、応神天皇は病状が悪化しているにも関わらず、その夢は果てしなかった。時々、息子たちを招いては、自分の夢を語った。皇太子、菟道若は他の皇子たち以上に頻繁に病床に通った。

「父上。体調は如何ですか?」

「今日は大分、気分が良い。お前の顔が見られた所為かも知れぬ。政務はうまく進んでいるか?」

 応神天皇は、自分が皇太子に任命した菟道若が立派に政務をこなしているか心配で尋ねた。菟道若は皇太子に任命されてから月日が経ち、責任感が加わり、政務について自信を持ち始めていた。

「はい。大雀兄者や葛城襲津彦の助けを借り、何とか太子としての役目を果たしております」

「倭国はこれから大変な時代に突入する。大国、宋と魏との板挟みの中で、高句麗や琉球をうまく利用しながら、外交を進めて行かねばならぬ。その大役は、お前の双肩にかかっている」

 応神天皇は、まるで天上から大陸の政情を俯瞰しているかの如く、厳しい倭国の国際情勢を把握し、菟道若に語った。

「責任の重いことです。しかしながら、次代を継ぐ太子として、倭国の為、国民の為、皇室の為、頑張らなければなりません」

「その通りじゃ。倭国はこれから宋や魏と肩を並べる東方の大国であらねばならぬ。その為には、今以上に倭国の国威を海外の国々に知らしめなければならぬ」

「はい」

「宋の文帝は司馬曹達や木満致の嘆願にもかかわらず、いまだ朕の爵位を上げず、高句麗や百済と同等のままの扱いにしている。実に腹立たしいことである」

「何と分からぬ宋王でしょう」

 菟道若は応神天皇に同調した。応神天皇は興奮し始め、起き上がって喋った。

「しかし、それはそれで良い。朕の実質が伴っていないから軽視されているのであって、今は黙っているより、仕方あるまい。問題はこれからである」

「これから?」

「そうじゃ。朕は高句麗王を利用し、宋の支配下になっている呉の国に、物部伊莒弗、阿知使主、都賀使主を派遣した」

「呉の縫女を求めさせる為に派遣した三人のことですね。そういえば、彼ら三人は行ったっきりで、帰国しておりません。何をぐずぐずしているのでしょう。途中、病に倒れ死んだのか、殺されでもしたのでしょうか?」

 菟道若はあの無礼な上表文を持参した高句麗の使者、久礼波と久礼志に案内され、呉の国へ行ったという物部伊莒弗と阿知使主親子のことを思い出した。

「彼ら三人については、百済の木羅斗浩より、木満致のところに報告が来ている。彼らはいまだ朱色の織物の縫女を求めながら、呉の人たちと交流し、宋の政情を窺っているとのことじゃ」

「宋の政情を窺っているですって?」

「そうじゃ。朕の命令により、宋の政情を窺っているのじゃ。彼ら三人は燕王、馮弘にも面会した。もし燕王が決起する時があらば、倭国は燕王を応援すると伝えた」

 菟道若は応神天皇の言葉を聞いて驚いた。父王の余りにも大胆な策謀に恐れを覚えた。

「そんなことをして、宋の文帝に気づかれませんか」

「気づかれぬよう、事を進めている。よしんば気づかれたとて、何も驚くことはない」

「高句麗の長寿王は、このことを知っているのですか?」

 菟道若は高句麗の長寿王が、このことに対して、どう対応するのかが気がかりだった。もし宋朝に燕王と倭国のことが露見し、宋王朝から睨まれるようになった時、一等先に寝返るのは高句麗であると思われたからであった。皇太子の質問に応神天皇は平然と申された。

「当然、知っていよう。倭国の使者の異常な動きの総てを、久礼波、久礼志が一々、密告していよう。それらの事も考え、高句麗、長寿王は、平壌へ遷都したのじゃ」

「高句麗の南下は大変なことです」

「何も大変な事は無い。相手が倭国の戦略に恐れを抱き、媚を売って近寄って来ているだけのことじゃ。朕と自分の格の相違を知り、安全を求めて、倭国に接近して来ているだけのことじゃ」

 応神天皇は高句麗王都の移転の理由を菟道若に語った。菟道若はそれを聞いて、益々、父王が恐ろしくなった。

「成程。高句麗については、それで済みましょう。しかし、宋に気づかれた時は、只事では済まされませんぞ」

「それは分かっている。その時の為に、物部伊莒弗や阿知使主は燕王に会ったり、高句麗の連中と同行したりしているのじゃ」

「ということは、いずれ宋と戦うということですか?」

 菟道若は応神天皇の考えを確認すべく、父王に質問した。父王は愛玩する息子の顔をまじまじと見詰め、哀し気に答えた。

「出来ることなら、戦さは避けたい。宋朝とは幾久しく交流を深め、倭国のことを高句麗や百済より、上位の国と考えてもらいたい。しかし宋朝が倭国の事を軽んじ理解せぬ時は、倭国は燕王と協力し宋朝を倒す。そして、そこに倭国の属国を設ける」

「そんなことが出来るでしょうか?」

「出来る」

 応神天皇は泰然と答えた。菟道若には全く自信が無かった。

「相手は強国ですぞ」

 応神天皇は、そんな自信の無い菟道若の言葉に激昂した。

「皇太子たる者が、そんな弱気でどうする。倭国は宋や魏と肩を並べる東方の大国なのじゃ。相手が倭国を軽んずれば、どんな強国であろうとも、倭国は攻める。そして倭国の威力を顕示し、相手に倭国の強さを認めさせる」

「とはいえ、遠方の大国を、どうやって攻めるというのですか?」

「倭国には大船団を保有する優秀な海軍がある。また大陸には、騎馬軍団をかかえた屈強な陸軍がいる。魏を攻める時は、高句麗王と燕王に協力願い、東と南から攻めさせる。宋を攻める時は燕王と高句麗王に北東から攻めさせ、魏王に西北から攻めてもらう。そして倭国海軍を、琉球王らと一緒になって東方海上から送り込み、宋に上陸し、王都に侵攻する」

 応神天皇は今後、起り得る大国との戦争を想定して、自分の作戦の基本を、菟道若に語った。

「西方はどうするのです?」

 予想していた息子の質問に、応神天皇は微笑して答えた。

「西方は彼らの逃げ道として残してやる。逃げ道を与えることによって、反抗勢力を王都から追い出すことが出来る。そして残された王都を、倭国の属国の王都とする」

「そんな夢のようなことが可能でしょうか?」

「夢を叶えるのが、朕とお前の役目であろう」

 応神天皇は夢を語り終えて快勝したかのように笑った。菟道若も父王に合わせて笑った。語り終えると、応神天皇は再び床に入り、苦笑いを見せた。

          〇

 応神四十一年(436年)二月、応神天皇は、白い梅の花が風に舞っている大和軽島の豊明宮に皇太子、菟道若と大雀皇子を召された。応神天皇は病床の自分に死期が近づいていることを察知していた。そんな父王に召された大雀皇子が、先ず話しかけた。

「父上。大雀です。皇太子、菟道若様と二人して、お側に参りました」

「おお。二人とも元気か」

 応神天皇は病床から細くなった右手を取り出し、快活に笑おうとしてが、その顔は笑う顔になっていなかった。大雀皇子には、そんな父王の顔が誰かに、もう一方の手を引っ張られて逃げようとしている顔のように見えた。その顔は恐怖を抱いている顔だった。ぞっとするような蒼白い皮膚。魂を奪われたような腐りかけた目。蜘蛛の糸のような頭髪。父王はすっかり変わってしまわれた。余りにも変り果て、誰に話しかけてもらっているのか訝る程、応神天皇は衰弱していた。大雀皇子は、そんな応神天皇の問いかけに答えた。

「二人とも、いたって健康です。父上も、お元気の御様子・・・」

「朕のことは、朕が一番、良く分かっている。朕の命は最早、時間の問題である。もう長く生きてはおられぬ」

「何を申されます。父上には、もっと長生きしてもらわねばなりません」

 菟道若が泣き出しそうな声で言うと、応神天皇は涙をうるませ、二人に申された。

「朕も出来ることなら、菟道若の言う通り、長く生きたい。しかし人の命には限度というものがある。我が天皇家の神々が、あの世で朕の参来を待っている」

「そんなことが、ありましょうか。父上には、もっと倭国の為、頑張ってもらわなければなりません」

 大雀皇子は父王を元気づけるようと懸命だった。しかし、応神天皇は衰弱した自分の肉体の終わりが迫っていることを、誰よりも感じ取っていた。

「今や朕の時代は終わった。これからは、お前たち二人が頑張る番だ。もう朕のことは当てにするな。二人で相談し、倭国発展の為、努力せよ」

「とは仰せられても、私たちは未熟者です。父上の教えが無いと何も出来ません」

 菟道若が甘え縋るように言うと、応神天皇は菟道若を叱責した。

「そんなことでどうする。二人で力を合わせ頑張るのじゃ」

「分かりました。皇太子と力を合わせ頑張ります。これからのことは菟道若皇太子と、この大雀に、お任せ下さい」

「その意気じゃ。今から、お前たち二人に、天皇の権限を委譲するに当たり、伝えておきたいことがある」

「何をでしょうか?」

 菟道若は真剣な顔つきになった。応神天皇は喋るのが苦しくなったが、一語一語、しゃがれた声で、ゆっくりと話された。

「第一は倭国を世界の一等国にすること。以前にも言ったと思うが、倭国を宋や魏を越える大国にすることじゃ。その為には世界を知る大臣を加え、しっかりした政治組織を築かねばならぬ。任那から招聘した木満致を大臣にせよ」

「木満致を・・・」

 思いもよらぬ発想に菟道若は驚嘆した。

「木満致は優秀な男である。異国人との通訳だけでは勿体ない。蘇我氏を継がせ、三韓を監督させよ」

「蘇我石川の後を継がせるというのですか?」

 菟道若の質問に応神天皇は首を縦に振った。

「そうじゃ。武内宿禰の三男、蘇我石川は朕が母、神功皇太后が熊襲を討伐した時、戦死した。木満致の父、木羅斤資は、その石川の弟。従って甥の満致が、空席になっている蘇我家を継いでも何ら、おかしいことはあるまい」

「木満致が私たちの直ぐ側にいてくれれば、心強う御座います」

 大雀皇子は任那の元将軍、木満致の大臣昇格に賛成した。応神天皇は語り続けた。

「第二は任那のことじゃ。任那の真若大王は、朕より高齢であり、朕と同様、病床にあるという。木羅斤資が補佐を務め、景真王子を助けているが、木羅斤資とて高齢じゃ。従って木満致と共に景真王子を助けよ。また新羅にいる木羅斗浩にも協力せよ」

 応神天皇の語る目は鋭さを失い、今にも眠り込んでしまうかのようトロンとしていたが、言う事は明確だった。その語る顔は蒼白で、さながら幽鬼のようであった。

「第三は天皇家の祭祀を絶やさず、兄弟で仲良く国を治めて行くことである。兄弟喧嘩だけはせぬようにしてくれ。他人は喜ぶが、兄弟にとっては傷つくだけだ。心配なのは大山守である。ああっ、いろいろ考えると頭が痛い」

 大山守皇子のことを口にして、応神天皇は突然、自分の頭を押さえた。激痛が脳中に向かって走った。病床から見上げる天井画が渦のように回転して見えた。その渦に吸い込まれるような恐怖と割れんばかりの頭の痛さに、応神天皇は今にも息が絶えんばかりに悶え苦しんだ。

「父上。大丈夫ですか?」

「頭が、頭が痛い!」

「誰か、誰かおらぬか!」

 大雀皇子が大声を上げた。その声を聞きつけ、許勢小柄と王仁医博士が部屋に駆け込んで来た。

「如何が致しましたか?」

「陛下の御容態がおかしい。頭が痛いと言っておられる」

「頭が?」

「大雀よ。頭が割れんばかりに痛い。朕はもう駄目じゃ」

 応神天皇の顔色は蒼白から土色に変わろうとしていた。身体中に震えが来て止まらなかった。大雀皇子は慌てた。

「何を言われます。しっかりして下さい」

「菟道のことを、よろしく頼む・・・」

 応神天皇は瞑目しながら、最後の命令を下した。

「父上、父上。ああっ、父上が目を、目を閉じられた」

 菟道若皇太子は、父王の死に遭遇して、気も狂わんばかりに泣き喚いた。大雀皇子は父の蘇生を願って叫んだ。

「父上、父上。それでは余りにも呆気なさすぎます。しっかりして下さい」

 そう叫ぶ大雀皇子と菟道若皇太子に、震えの止まった応神天皇の身体を診察していた王仁医博士が言った。

「菟道若皇太子様。大雀皇子様。陛下は御逝去なされました。天皇家の神々のもとへと旅立たれました」

 王仁医博士の発言は応神天皇の脈が止まった事を、何度も確かめてからの報告であった。大雀皇子は王仁医博士を睨みつけて叫んだ。

「何と。もう助からぬというのか?」

「陛下の御胸に触れてみて下さい。既に呼吸が止まっておられます」

 それが本当か菟道若が確かめた。

「本当だ。父上が呼吸をしておられない」

 菟道若は父王の胸に触れ、恐怖と狂乱の声を上げた。大雀皇子は万斛の涙を流しつつも、冷静だった。

「何ということか。今の今まで、私たち兄弟と語り合っていたというのに・・・」

 落胆する大雀皇子に許勢小柄が近づき、そっと言った。

「中臣烏賊津殿と葛城襲津彦殿に使いを出しましょう」

「そうしてくれ」

 二月十五日、応神天皇は帰らぬ人となった。年は四十五歳であった。その亡骸は菟道若皇太子、大雀皇子らによって、河内恵我の裳伏の丘に手厚く葬られることになった。

          〇

 東海に威厳を誇った倭国王、讃、応神天皇は二月十五日、菟道若皇太子をはじめとする皇子や姫皇子、仲津姫皇后らの祈り空しく、この世を去った。彼の指示に従い倭国の為に東奔西走した重臣や兵士、国民は皆、この大王の死に涙した。そんな応神天皇が亡くなられたことを知らず、呉に出かけていた物部伊莒弗と阿知使主親子の三人は、七月末、呉から燕、高句麗、百済、任那経由で倭国に戻って来た。三人は難波大隅宮で葛城襲津彦の出迎えを受けた。

「葛城襲津彦様。物部伊莒弗、阿知使主と都賀使主と共に、本日、呉から戻って参りました」

「渡海しての長期間の旅、御苦労であった」

「我ら三人、高句麗の久礼波、久礼志に案内してもらい、宋、呉、燕、高句麗を巡り、百済、任那を経由して、帰って参りました」

「三人には、長期間、無理をさせて申し訳なかった」

 葛城襲津彦は、哀しい顔をして三人に言った。

「我ら三人、陛下の望まれた朱色の織物の縫女を求めて、呉の国をさすらい歩きました。そして漸く縫女を集めることが出来ました。ここに一緒にいるのは、その縫女たちです」

「どの縫女も、皆、利発そうじゃ」

 葛城襲津彦は、物部伊莒弗が連れて来た弟媛、呉織、穴織の三人を見て賞賛した。阿知使主親子は、襲津彦に気に入ってもらって喜びの笑顔を見せた。

「もう一人、連れて参りましたが、任那から倭国に渡海する折、お世話になった宗像の君より、宗像大神が縫女を欲しいと申されていると聞き、その一人、兄媛を宗像大神に献上して参りました」

「左様か。それは良かった。宗像の君も喜ばれたことであろう」

「はい」

「かかる三人の努力に対し、この襲津彦、陛下に代わり心より厚く御礼申し上げる」

 阿知使主は、三人の縫女を応神天皇に早く拝見してもらいたかった。阿知使主は襲津彦に願い出た。

「応神天皇様のお喜びになる御顔を、一目、見とう御座います」

 その阿知使主の顔を見て、襲津彦は暗い顔をした。

「その応神天皇様は、お前たちの帰るのを待ちわびながら、半年前、お亡くなりになられた」

 それを聞いて、阿知使主たちは茫然とした。だが、直ぐに阿知使主が気を取り直して喋った。

「そ、それは本当ですか?すると、あれは正夢だったのですね」

「正夢?」

「我ら三人は、宗像の船に乗って、筑紫に着いた時、夢を見たのです」

「どんな夢を?」

 阿知使主は目を輝かせて、その夢の話を襲津彦に話した。

「宗像の館で眠っていると、応神天皇様が夢に現れました。私は夢の中で、連れて来た縫女と朱色の織物を、応神天皇様にお示ししました。すると応神天皇様は申されました」

「何と?」

「朕は道を得てより此の方、法性を動かさず、八正道を示して、権迹を垂る。皆、苦の衆生を解脱することを得たり。故に八幡大菩薩と号す。汝らの努力にも報いることなく、菩薩となったが、汝らの功績は、必ずや後の天皇に認められよう。朕は生まれ育ったこの地に戻り、八正の幡を立て、八方の衆生を済度する。それ故、汝の連れて来た縫女を一人、この宗像大神に奉り、朕の御意とせよ。また他の縫女は、倭にいる皇子に奉れと・・・」

「何ということか。それはまさに正夢である。三人が筑紫に着いた日に、既に、帝の魂が抜け出していたのかも知れない」

 葛城襲津彦は阿知使主の話に引き込まれた。阿知使主の隣りにいる都賀使主が襲津彦に申し上げた。

「誠に残念なことです。私たちは、応神天皇様にお会い出来るのを楽しみに戻って参りましたのに・・・」

 都賀使主の顔は泣き顔だった。襲津彦はねぎらいの言葉を考えて言った。

「陛下も三人の帰りを待ちわびておられた。しかし天命は、貴男方を待ってはくれなかった。とはいえ、貴男方の努力は無駄にはならぬ。菟道若皇太子様や大雀皇子様によって、三人が持ち帰った技術や情報は倭国発展の為の大きな功績となろう」

「襲津彦様に、そう言っていただけると、慰めになります。私たちは一時も早く、皇太子様にお会いし、宋や呉、燕や魏の状況を報告したいと思います」

「倭国は今、応神天皇様が薨御し、大変な時である。こういった時にこそ、貴男方三人の報告が重要になって来る。貴男方の報告により、倭国から宋や魏に対抗する為の大きな力を発揮することを大いに期待する」

 葛城襲津彦は三人の四年間の努力に対し、心から感謝すると共に、これからの三人の活躍に期待した。

「私たち三人は、縫女を求めると言って、高句麗に行き、呉の国から宋の都まで足を延ばし、沢山の事を見聞して参りました。このようにして無事、帰国出来たのも、応神天皇様の私たちを思いやる御加護のお陰であったと信じております。応神天皇様の亡き今、私たちは、連れて来た縫女らと共に、菟道若皇太子様をはじめとする朝廷の方々に、諸国のことを語って聞かせたいと思います」

 物部伊莒弗は、阿知使主たちと巡回して来た各国のことを懐かしく思い出しながら、襲津彦に諸国見聞報告を上申した。

「それは有難いことじゃ」

「特に縫女たちの話は、その国々の真実の有様を語ってくれますので、諸国の実態を把握することが出来ると思います。倭国が宋や魏と比肩する大国になる為には、何が必要か、彼女らの話を是非、聞いていただきたいと思います」

 物部伊莒弗と同様、阿知使主も縫女の重要性とこれからの倭国を思う気持ちを、襲津彦に語った。

「貴男方の話を聞き、今は亡き陛下も喜ばれよう。また倭国も国力を身に着け、一層、繁栄しよう。長い間、実に御苦労であった。本日は、ここに泊り、明後日、縫女を連れて豊明の宮に参内されたい。菟道若皇太子様をはじめ、重臣一同と共に、楽しみにしておるぞ」

「ははっ。明後日、必ず参内致します」

 それから葛城襲津彦は三人の慰労会と縫女たちの歓迎会を兼ねた宴会を大隅宮で行った。その二日後、物部伊莒弗と阿知使主親子は軽島の豊明の宮に参内し、菟道若皇太子をはじめとする重臣たちと面談し、弟媛、呉織、穴織の三人を菟道若皇太子に奉った。

        〇

 以上で仲哀天皇、神功皇太后、応神天皇と続いた神皇親子の物語は終わった。これらの神皇たちの時代を、歴史学者の多くが、非実在としているが、それは正解とは言えない。何故なら、他国に、その記録が残されているからである。作者は神皇の世紀が実在したと信じている。応神天皇亡き後は菟道若皇太子が王位を継いで、そのまま倭国王、讃の名を引き継いだが、兄たちを越えての王位の重さに耐えきれず、三年後、自殺した。その為、摂政をしていた大雀皇子が倭国王を継ぐことになった。彼は倭国王、珍と称し、第十六代、仁徳天皇として即位し、倭国治めた。

     

    『波濤を越えて』完

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