第十四章「東下り小町」

幻の花

唐衣きて馴れにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をとぞ思ふ

 貞観十年(八六八年)桜の咲く三月、深雪山に隠れ住んでいた傷心の小野小町は、体調も万全では無いが回復し、秘かに在原業平と会った。そして都に残して行く母と姉のことを業平に依頼し、こっそりと出羽の国へ出かけた。父、良実の墓参りが主目的であった。この出羽の国への旅は大変なものであった。何故なら遠い辺境の地まで旅することは、恐ろしい危険が沢山、伴うからであった。小町は業平に反対されても、出羽の国に行くことに頑なだった。何故、そんな恐ろしい旅をするのか。その理由は、清和天皇の後宮になることを、嫌った訳では無い。また業平に相手にされないからでも無い。藤原基経や遍昭親子、あるいは安倍貞行兄弟、紀友則、長谷雄、菅原道真らに、やたら付きまとわれたからでも無い。その理由は、見えざる手によって片輪者にされた悲しみを癒す為と、父、良実の供養の為であった。業平は、そんな危険を顧みない小町に、小野家の従僕、雉丸だけでは心許ないので、剛力の家来、平岡馬足と石川長綱を同行させることにした。小町は片輪者にされた遣る瀬無さを、ひた隠し、『竹取物語』の写本と『東下り業平集』を手にして、父の旧友、在原業平に見送られ、逢坂の関を出発した。湖畔の粟津を経て、左に近江の湖を見ながら勢多の長橋を渡った時、当分、都と遠く離れるのだと、寂しい気持ちになった。小町の従者、馬足と長綱と雉丸は、小町の複雑な気持ちなど、全く気に止めず、楽しそうに先を急いだ。まず初日は野洲という村に泊った。二日目は多賀神社に詣で、旅の安全を祈願した。そこで犬上という豪族の家に泊めさせてもらった。それから伊吹山を眺めながら不破の関を越え、美濃の国に入り、更に尾張の国に至り、熱田神宮に詣でた。鳴海の浦など街道の景色は、実に美しかった。小町は『東下り業平集』の歌を口ずさんだ。

  いとどしく 過ぎ行く方の恋しきに

  うらやましくも 帰る波かな

 業平の郷愁の歌は夕暮れになると、汐の如く胸に迫って、小町を切なくさせた。小町は、業平が一緒だったら、どんなに楽しいことであろうかと、業平を懐かしく思った。尾張の国から三河の国に入ると、あの有名な八つ橋に到着した。そこは川の流れが丁度、蜘蛛の手足のように幾筋にも分かれていて、板で出来た橋が、八ッ渡してあった。四人は、そこで腰を降ろし、弁当を食べた。まだ燕子花が開花する季節では無かったが、その花が咲いた時の素晴らしさを想像することが出来た。従者の石川長綱は主人、在原業平が、ここで詠んだ歌を諳んじていた。

  唐衣 きつつ馴れにし 妻しあれば

  はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ

男たち三人は、この歌に、都に残して来た妻や子を思い出し、都を恋しく思った。そn為、膝の上の乾し飯が涙でぐしゃぐしゃになってしまった。四人は、それから尚も浜名の橋、天竜川、宇津の山と、かって業平が旅した街道の旅を続けた。小町は業平と同じ道を歩きながら、業平の詩情の美しさに酔った。あの人は何という詩心の持ち主なのだろう。小町は亡き父の友、業平を心の底から敬慕した。

           〇

やがて駿河の国に至り、三保の松原で、噴煙棚引く富士山を見た。初めて見る富士の山容は、小町をあっと言わせた。何と美しい山であろう。小町の胸は、躍った。中納言、源融の創作した『竹取物語』のラストに現れる天上に最も近い美しい山。帝が、かぐや姫の形見に残した不死の薬を焼かせてという、最も高い山。その絵に描いたような山は、まさに比類ない霊峰そのものであった。四人は富士の麓に辿り着こうと先を急いだ。由比の海岸を経て富士川を渡り、吉原という所に到着した時には、もう夕暮れになってしまい、白雪を被った富士は夕焼け色に変わっていた。四人はそこに泊り、二、三日、滞在することにした。翌朝、宿の庭に出て富士山を仰ぐと、かって在原業平が、『東下り業平集』の中で記述しているように、その富士の高さは比叡山を二十個も積み重ねたくらいの高さで、紺碧の山容は、今日も、その山頂に白い雪を光らせていた。小町は従者と共に田子の浦まで散歩した。田子の浦から見る富士はまた格別であった。

  田子の浦 うちでて見れば 真白にぞ

  富士の高嶺に 雪はふりける

 山辺赤人の富士山を望める歌が思い浮かんだ。田子の浦から見る富士の絶景に小町は感動して歌った。

  人知れぬ 思ひをつねに 駿河なる

  富士の山こそ わが身なりけれ

 小町は美しい富士と出会い、心洗われる思いがした。そして小町は、吉原に滞在中、源融の漢文伝奇で養われた『竹取物語』の構想力に感動すると共に、それに自分の女性心理を加え、五人の求婚者を描き、仮名本『竹取物語』を書き続けた。富士を見ながらの創作は楽しかった。それから数日後、小町は富士山を眺めながら、その裾野を北上し、険しい足柄の関を越えた。

           〇

 足柄の関を越えると、景色は一転して、大木の茂る鬱蒼とした昼なお暗い、石だらけの下り坂となり、下っていくのに難儀した。暗くて寂しい谷間に迷い込むのではないかと恐ろしく感じたが、剛力、馬足と長綱と雉丸が一緒なので、大丈夫だった。足柄山の麓にある滝を通り過ぎると、夕暮れになってしまったので、近くにあった家に泊めさせてもらった。そこは足柄峠を往来する人たちの旅籠のような所で、女の召使が数人いたので驚いた。小町は、とうとう相模の国まで来たのかと、深い眠りについた。そして、その翌日、酒匂川に沿って小ゆるぎの海岸に出て、先祖、小野家と縁のある小野神社に向かった。途中、有名な小町の来訪を知り、歌人、壬生忠峯の縁戚、壬生直広主が、箕輪からやって来て、小野神社まで案内してくれた。小町は小野神社にて、相模介、橘長範、郷司、小野秀忠らに歓迎され、歌を詠んだ。

  とこしへに 変わらぬものは 相模野の

  小野がながれの 玉川の水

 その歌を聞いて、小野の縁者たちは勿論のこと、村人たちも、大いに感激した。小町は、先祖、小野永見が、坂上田村麻呂の東征の時、副将軍として従軍し、ここに祈願した時代を偲んだ。そしてその日は、鮎川を越え、橘長範の館に招待された。

          〇

 小町たち一行の旅は順調だった。四人は相模の国から武蔵の国に入った。まず父、良実の知り合いであった従五位上、武蔵守、橘春成の館に訪問した。しかし残念なことに当主、橘春成は不在であった。小町らは仕方なく、在原業平が旅立ちの時、もし旅の途中、困った事があったら、縁者帳を見るが良いと渡してくれた縁者帳を見て、三芳野の入間家麻呂の所へ行くことにした。その時、橘春成の館から、一人の若者が駈け出して来た。そして三芳野へ行こうとする小町を引き止め歌を送った。

  むらさきの 多かる野辺に 宿りせば

  あやなく あだの名をや立ちなむ

 小町は、その歌に感動した。こんな田舎にも、歌心の有る者がいようとは。若者は旅姿の小町に、とても親切だった。

「私は今日、父の用事で国府に来ました。明日は都に帰ります。もし、よろしければ今夜、我が家にお泊り下さい」

 都と聞いて、小町は母や姉、寵子のいる都のことを愛しく思った。

「貴男は都のお人ですか?」

「はい。小野美材と申します」

 小町は若者の名を何処かで聞いたような気がした。自分と同じ姓である。しかし何処で聞いた名なのか思い出せなかった。だが彼が小野一族と関係あることは、間違い無かった。小町は返歌した。

  武蔵野に 生ふとし聞けば 紫の

  その色ならぬ 草もむつまじ

 小町の歌は巧みであった。美材は、そんな従姉、小町の歌に顔を赤らめた。その時、小町の従僕、雉丸が小町に言った。

「小町様。この御方は小町様の従弟に当たる御方です」

「ええっ。私の従弟!」

「はい。左様で御座います。小町様の伯父上、小野俊生様の息子、美材様です」

「その通りです。小町様」

 小町は目の前の若者が従弟であると知って驚いた。小野美材。彼はまさに従弟であった。小町は、この予想外の巡り合わせに、びっくりした。そして、近くの小野郷にある小野俊生の屋敷に連れて行かれた。美材の父、小野俊生は、姪の小町の来訪を大いに喜んだ。また縁戚の小野春風も顔を見せた。小町はその夜、伯父、俊生と父のことなど話してから、美材と都のことや武蔵の国のことや、将来の事について語り明かした。酒を飲みながら美材は恋心をほのめかせた。

  わが恋は み山がくれの 草なれや

  しげさまされど 知る人のなき

 その忍ぶ恋の歌はロマンチックだった。小町は若い美材の欲望をかきたててはならないと思い、さり気無く返した。

  武蔵野の 向かいの丘の 草なれば

  根をたずねても 哀れとぞ思ふ

 全く哀れと思うしかない。片輪者にされてしまったが故に、もう小町は男を近づけ、セックスする訳にはいかないのだ。自分の体内に官能の海へ溺れ込もうとする熱情が、渦巻いているというのに、それを固く制御せねばならなかった。翌朝、美材は都へ、小町たちは出羽へと向かった。

          〇

 その後、小町たちは、三芳野の入間家麻呂の所に立ち寄り、在原業平との思い出話などして、一泊し、翌日、常陸の国との境川のほとり、関宿まで行った。その日のうちに常陸の国に入りたかったのであるが、霧の深い夜だった為、川を渡る舟を出してもらえず、仕方なく近くの船宿に泊めてもらい、次の朝、岩井に渡った。そして石下を経て、筑波山の麓にある小野の里に立ち寄り、清滝観音を詣でるなどして、縁戚、小野源河の屋敷に泊めさせてもらった。ここでも、父、良実との思い出話などを伺うと共に、小野一族の絆の深さを感じた。さらに一行は筑波山を眺めながら、常陸の国の国府を通過し、磯崎というところまでやって来た。ここまで来ると、つくづく遠くへ来たものだと痛感した。

   久方の 空にたな引く 浮雲の

   行くへも知らぬ わが身なるかな

 後は海沿いに北上すれば、目的の出羽まで十日ほどで到着出来ると、雉丸が語った。一同は出羽の国へと夢を広げた。