満州国よ、永遠なれ(後編)

その他

 昭和8年(1933年)6月、俺、吉田一夫は満州国の東部、琿春の駐屯地勤務となった。この頃の満州国は建国して一年を経過し、新国家発展の為に、あらゆる施策を打ち出していた。首都、新京の大都市化、奉天の重工業化、大連、営口の港湾整備、新規鉄道の敷設、飛行場の建設、鉱山開発、農地拡大など、やることが山積していた。そんな中で、俺たちは第2次鉄道建設計画の一つ、図佳線の敷設工事の治安確保とソ連国境の守備を任された。この吉林省東部の図們から黒竜江省東北部の佳木斯を結ぶ図佳線の着工は6月初めから始まった。まずは図們から春陽までの工事を進めるということで、新京のパーティに出席していた『鹿島組』や『大林組』や『飛島組』が工事を分担した。俺たちは琿春の駐屯地の兵舎で起居し、ソ連軍の動きの監視と、赤色革命軍の活動家の捕縛に専念した。琿春はソ連と北朝鮮と満州とが接する三角地点の防川に近く、そこを流れる豆満江をちょっと下れば、あのイリーナ・シェルバコワのいる波謝に辿り着く場所であった。イリーナに会いたい。彼女はどうしているのだろうか。相変わらず軍服姿で、監視しているのであろうか。あのあたりでは今頃、小さな自生の水連が咲いているに違いない。『長春ヤマトホテル』で会った独立守備隊の連中は、どうしているのだろうか。かっての図們駐屯所と新設した汪清の駐屯所に分かれて監視しているというが、上手く鉄道守備を行えているだろうか。今まで鉄道守備を手伝って来ただけに、他の部隊のことが気になった。四月中旬の赤色革命軍との戦闘で、共産党活動家を随分、汪清あたりから追い出したが、また逃亡した活動家が戻って来たりしていないだろうか。延吉の飛行場の工事は、順調に進んでいるだろうか。そんな局子街あたりのことなどを考えたりしていると、青木勝利中尉から厳しい訓戒の言葉があった。

「貴様らは何故、琿春駐屯所に移動になったのか分かっているのか。今までの鉄道守備では無く、本来の75連隊の守備に戻って来たのであることを、肝に命じて行動せよ。そこのお前、分かっているのか。75連隊の任務が何であるかを」

 青木中尉は突然、大声を出して、目の前にいる兵卒を指差し、厳しい顔をした。指を差された者は直ぐに直立不動の姿勢で答えた。

「北満州の不逞の輩を打ち払う為であります」

 すると青木中尉は一同をぐるりと見渡してから言った。

「その通りだ。だが、もう一つ、重要なことを忘れている。何だか分かるか?」

「護境の任であります」

 佐藤大助が、大声で答えたので、俺と白鳥はびっくりした。青木中尉は満足そうに頷いた。

「そうだ。護境の任だ。ソ満国境警備の任だ。満州と朝鮮の国境警備は両国の憲兵隊によって、正しく守られている。しかしながら、ソ連との国境は知っての通り、共産党活動家が跳梁跋扈し、ロシア共産党による独裁国家連邦の領土拡大が、レーニンの後を引継いだヨシフ・スターリンによって実行されようとしている。スターリンが発した第1次5ヶ年計画は成功しつつあり、次に満州及び外蒙古への圧力を強めようとしている。このことはソ連が、この陸続きの東アジアをソ連の連邦に包含しようとしていることに他ならない。よって、このソ連の野望を我が大日本帝国としては見逃すことは出来ない。彼らのわずかな動きでも許してはならない。彼らは朝鮮からの愚かなる逃亡者や支那人の不平分子を丸め込み、自分たちの思うままに大陸を治めようとしている。折角、出来上がった満州の楽土を、彼らのものにしてはならない。その為に我々が実行しなければならないのは、厳重な国境警備と共産党活動家の逮捕である。今までの鉄道守備の事は二の次にして、本分を全うせよ」

 青木中尉からの目で見ると、俺たちのやっていることが、鉄道工事監視のような、生温い動きに見えたらしい。このことを受けて、永井岩吉少尉や野田金太郎准尉は、今まで以上に気を引き締め、俺たちを叱咤激励し、北方特務機関との連携活動に傾注するよう指示した。青木中尉にしてみれば、任務に対し、命懸けで立ち向かう特務機関の顔色一つ変えない姿こそ、本当の軍人の姿であると思えていたに違いない。それからすると、お恥ずかしい話ではあるが、俺は敵の襲来に何時も怯えていた。兎に角、生き延びることを第一に考えていた。任務の為に身を挺して戦闘で命を捨てることなど、あってはならないことだと思っていた。どんなことがっても生きるのよと、母が死に際に俺に言った言葉が、頭に刻み込まれていて、生き残ることが、自分がこの世で与えられている使命であると信じて疑わなかった。

         〇

 俺たちが駐屯を始めた琿春は、日本海から豆満江を遡り、百キロ程の場所にある街で、東はソ連、南は朝鮮と接していた。西は今まで駐屯していた延吉方面で、北には老爺嶺が続き、黒竜江省の牡丹江方面に伸びていた。ややこしいのは俺たちの守備範囲が琿春の街から日本海方面に伸びている盲腸のような土地で、その先端にある防川までになっていることだった。豆満江の東岸であることから、ソ連領と平地で繋がっており、そこの丘陵地帯の何処から何処までが、満州国なのか明確で無かった。兎に角、軍服を着た歩哨が武器を持って立っていれば、そこが領土だといえた。また琿春では会寧の時と同じように、朝鮮人兵三人が通訳がてら配属されており、何かと便利だった。高充慶、韓武珍、方大成の三人で、俺たちは偵察に出かける時、必ず三人のうちの誰か一人を連れて出発した。天気の良い日のことだった。俺たちは高充慶の案内で特務機関の連中と琿春河沿いを下り、豆満江の下流、圏河島まで行って見ることにした。圏河島の監視所には小高文武軍曹が監視所長となり、角田武士や磯村喜八たちが周辺の監視をしていた。ドロンコ道をトラックに乗って訪ねた俺たちを発見し、角田武士が一番先に声をかけて来た。

「よう。久しぶりだな。良く来てくれたな」

「うん。元気そうだな」

「まあな。ここは俺の田舎に似ていて、田んぼと河と山ばかりで、朝暘川の時より、のんびりした毎日だよ」

「それは良かったじゃないか。本当にのどかな景色だな」

「まあ、中に入って小高所長から、いろいろと聞いてくれ」

 角田は俺たちが特務機関の横井武彦、有馬利郎と一緒であることから、俺たちが訪問した目的を理解し、監視所の中へ俺たちを案内してくれた。圏河島監視所の小高所長は、暗い監視所の奥の部屋の机に向かって書き物をしていた。俺たちが部屋に入って行くと、笑顔を見せた。俺は朝暘川監視所で御世話になった小高所長に挨拶した。

「小高所長。琿春の吉田組です。本日、御機嫌、伺いに参りました」

 俺は部下を従え、小高所長に向かって敬礼をした。

「やあ、巡察、御苦労さん」

「皆様、お元気の様子で何よりです」

「うん。ここは上官がいないので、気楽だ。まあ座って、お茶でも飲んでくれ」

 小高所長が、そう言っている間に、長テーブルの上に、角田の部下が、お茶を淹れてくれていた。俺たちはお茶を飲みながら、圏河島あたりの状況を質問した。すると小高所長は、角田や磯村に説明を任せ、煙草を吸いながら、その説明を共に聞いた。圏河島監視所でやっていることは、朝鮮人や満州人たちの満州国への出入国検査がほとんどで、共産党活動家の動きは見られないという説明だった。

「ソ連兵の動きは?」

 特務機関の横井武彦が質問すると、そのドスの利いた質問に、角田や磯村は緊張し、小高所長の顔を見た。小高所長は灰皿に煙草を置いて、ゆっくりと答えた。

「御覧の通り、こことソ連の国境は森林で仕切られている。この国境の山中にはアムール虎やヒョウ、熊、マムシなどがいて、危険な所だ。従って地元の百姓たちが、自警団を組織し、絶えず見張っている。ソ連兵は、それを分かっているから、ここへは来ない。用心せねばならぬのは、将軍峰から向こうの防川の監視所だ。迫田照男が困ってはいないだろうかと、時々、部下を派遣している。本部に防川の増員が必要だと伝えてくれ」

 俺たちは、以上のようなことを一時間程、話して、防川へ行ってみようとしたが、特務機関の横井と有馬が香南洞と博石洞を回りたいと言ったので、防川の監視所に行くのは止めた。俺たちは圏河島監視所を出てからソ連国境の村々を回り、夕方、琿春の駐屯所に戻った。互いが持ち帰った情報をもとに、永井岩吉少尉たちと、琿春一帯の治安状況を確認し合った。俺は小高所長から、防川監視所の増員が必要だと言われたことを、強調した。

         〇

 数日後、青木勝利中尉から俺たちに直々の命令が下った。北の春化へ行って、東寧の状況を探って来いとの命令だった。青木中尉は、スターリンによる第1次5ヶ年計画を経て、ソ連がかっての帝政ロシアと比較にならない程、工業化が進み、恐るべき軍事力を保有し、満州に侵攻して来るのではないかという危惧を、誰よりも抱いていた。従って、俺たち諜報部隊の報告を受け、防川の増員も即日、実行に移し、北の警戒も強化する必要があると考え、俺たちを北に向かわせることにしたのだ。俺たちは特務機関の横井武彦と有馬利郎らと一緒に、3台の小型トラックに乗って、琿春河に沿った道を北上した。田園地帯から麦や高粱、大豆などを栽培する焼き畑地帯へ移動して行くと、周辺の景色は、まるで関東平野から自分の故里の山岳地帯へと向かって行くかのようであった。山の樹々の緑は、目にまばゆく、川の流れは、進むごとに清く澄んで行くのが分かった。俺たちは初日、桃源洞まで行って宿泊した。宿泊したのは村の名主、呉寿林、呉福林兄弟の屋敷だった。兄の寿林は汪清村にいた赤色革命軍の無法者が、一時、流れ込んで来たが、村の自衛団の防戦と独立守備隊の来援追跡によって、この春からソ連かぶれの無法者は、この辺にいなくなったと語り、イノシシ鍋を御馳走してくれた。翌朝、俺たちは工藤組の仲間6人と小型トラックを桃源洞に待機させて、吉田組、白鳥組の12人で、春化へ向かった。歩兵であるので俺たちは、それ程、辛いとは思わなかったが、特務機関の横井、有馬、韓武珍の3人は辛そうだった。だが獣道のような森の中の道を進み、目の前に一面のケシの花がピンクのジュータンを敷いたように現れると、全員が皆、興奮した。

「何という美しさか」

 そのケシの花畑の中を若い女たちが徘徊しているのを見て、俺たちは思わず立ち止まった。女たちは俺たちに気づくと、ケシの花畑を離れて、その先にある大きな民家に入って行った。入れ替わりに年配の和服を着た女性が現れ、俺たちはびっくりした。彼女が俺たちに質問した。

「琿春オソスムニカ?」

「イエ、イルボングンイムニダ」

 韓武珍が年配の女に、日本軍の者だと答えた。すると彼女は笑って俺たちに言った。

「ようこそいらっしゃって下さいました。どうぞ、どうぞ。屋敷の方へ」

 俺たちは目を丸くした。紺色の地に、裾に白い花模様のある和服を着こみ、下駄を履いている年配の女は、どう見ても日本人だった。案内された屋敷は校舎のように長い平屋の民家で、石垣の上に堂々と建っていた。正面玄関の中は、広い三和土になっていて、上がり框の奥の部屋に、大きな姿見鏡が光っていた。まさに日本家屋、そのものだった。年配の女は、俺たちに部屋に上がるようよう勧めた。俺たちは、お言葉に甘え、上がり框で軍靴を脱ぎ、部屋に上がらせてもらった。どの部屋も板の間だったが、奥の方にある四つの部屋は畳部屋で、床の間付であった。こんな場所に何故、日本家屋があるのか、不思議でならなかった。若い女たちが和室にお茶を運んで来て立ち去ると、女主人が先に口火を切った。

「初めての方がいるようですので、先ず私の方から、先に自己紹介させていただきます。私は馬場珠代。日本人です。本名は山本珠代。夫は馬場占吉。主人は今、外国に出かけていて、ここにはいません。私は主人の留守中、ケシの栽培を任され、朝鮮人の娘たちを雇って働いています。それで貴方たちは、日本軍のどんな方々ですか?」

 そう問われると、特務機関の横井武彦が正直に各人の所属と氏名を、馬場珠代に伝えた。そして上司の命令で彼女の夫、馬場占吉に会いに来たと、目的を話した。

「それは残念ね。夫は外国へ行っているわ」

「そうですか。何処の国へ行っているのですか?」

「それは言えないわ。でも安心しなさい。満州国の為に行動している人ですから・・・」

「そうでしょうか?」

 横井武彦が疑問を抱いているような言葉を投げかけると、珠代の顔色が変わり、横井を睨みつけた。彼女は怒った美しいその顔を、勢いよく、横井の直ぐ鼻先まで近づけて言った。

「あんたは夫のことを誤解しています。満州国の成立を、一番、待ち望んでいたのは、私の夫です。その夫が何故、満州国建国に協力してくれた貴方たちに疑われなければならないのですか。夫は満州国建国を知り、跳び上がって喜んだ人です。その夫に疑問を持つような人がいるなんて、私は不愉快です」

 その珠代の怒った言葉は、追い詰められた者の悲鳴のように聞こえた。横井をはじめ俺たちは慌てた。数分、次の言葉が出なかった。数分間、互いに睨み合った。珠代の目に、涙が光っているのが見えた。俺は珠代夫人が言っている事の半分も理解出来なかったが、何か得体の知れない彼女の夫の大望のようなものが、彼女を突き動かしているように思われた。俺は話を和らげる為、話題を変え、この屋敷から退散することを考えた。

「失礼な言い方をして済みませんでした。御主人さまが、御不在でしたら仕方ありません。訪問の目的が無くなりました。綺麗なケシの花と奥様にお会い出来たことが、今回の収穫です。春化に来て良かったです。次の場所に行きますので、これにて失礼致します」

 俺の言葉に今度は珠代の方が、ちょっと慌てて肩をすくめた。

「何を言っているの。春化の本当の良さは、ケシの花だけで無く、もっとあるのよ。今夜は阿片と酒と女を楽しみ、明日、次の所へ行くと良いわ」

「えーっ。良いのですか?」

「征四郎さんの手下だから仕方ないでしょう」

「征四郎さん?」

「特務の人よ」

 珠代は、そう言って妖しく笑った。特務機関の横井と有馬は頷いた。気づいて見れば、屋敷の周囲は黒衣の武装兵によって囲まれていた。珠代は、その武装兵たちを、手で追い払うと、俺たちに言った。

「では宿の方へ行きましょう」

 俺たちは屋敷から外に出て、珠代に従い、森の中を5分程、歩いた。歩きながら俺は有馬から、征四郎さんとは、満州国執政顧問の板垣征四郎少将のことだと教えてもらい、仰天した。珠代に案内されたのは珠代が女将を務める料亭『芙蓉楼』であった。その夜、俺たちはその『芙蓉楼』での一夜を楽しんだ。珠代が集めた娘たちを交えての酒盛りが、夕方から始まった。朝鮮人の男が牛肉を持って来て食べさせてくれた。どうなっているのか、『芙蓉楼』とは。特務機関の二人は、以前にも上司と訪問したことがあり、『芙蓉楼』の正体を分かっているようであるが、俺たちにはさっぱり分からなかった。俺は大酒を飲まされ、熟睡したところで殺されたりしないだろうかという不安に襲われた。俺たちが満腹になったところを見計らって、女将の珠代が言った。

「済みません。私は少し酔いましたので、別の屋敷で休ませていただきますので、この辺で失礼致します。皆さんには、まだお酒と時間があります。この娘たちとゆっくり、御自由に、お過ごし下さい」

 すると有馬が待ってましたとばかり、珠代に礼を言った。

「有難う御座います」

 そして女将の珠代が消え去ると、大広間は若い男女を煽り立てるように盛り上がり、酒が浸透し、卑猥なやりとりが繰り返され、一組一組と広間から消えた。女たちは自分の性的魅力をちらつかせ、男たちを誘った。俺は特務機関情報部の横井武彦に確認した。

「こんな事で、良いのでしょうか?」

「良いんだ。俺たちはいろんなことを知らなきゃあいけないんだ。俺たちは、その為に、ここに来たんだから・・・」

 その為とは?俺には良く分からなかった。俺が当惑していると横井が俺の尻を叩いた。

「行けっ!」

 すると俺の隣りにいた娘が俺の脇腹をつついた。

「邪魔だから、出て行けって言ってるわよ。他に行きましょう」

 俺は誘われるままに立ち上がった。彼女に手を引かれ、六畳ほどの彼女の部屋に引きずり込まれた。俺が、小さな窓から月が覗いているのを見上げると、彼女は小窓の戸締めをして、俺と向き合った。二つのうるんだ瞳が、真直ぐに俺を見詰めた。俺には確かめておきたいことが幾つかあった。

「俺の苗字は吉田だ。お前は何という名前だ?」

「リュー・ヘギョンと申します」

「リュー・ヘギョンか。どんな字を書く?」

「柳に恵に京よ」

 彼女は俺の手のひらに漢字を書いた。俺は、そのなめらかな感触に彼女が抱いている企みを感じた。俺は、それを気づかぬ振りをして、更に訊いた。

「昼間、お前たちがいた屋敷は阿片を製造している工場か?」

「何、言っているの。あそこは御主人様の別荘よ。ここは妓楼よ」

 俺は追求した。

「だって、あんなに広い庭先の畑で、ケシの花を栽培していたじゃあないか」

「それはオモニがケシの花が好きだからよ。もっとも種を私たちに集めさせて、副業にしているけどね。貴方、阿片が欲しいの?」

「いや。要らない」

「じゃあ、ベットで休みましょうよ」

 俺は促されるままに柔らかなベットに横になった。柳恵京は俺の横になると、耳元で囁いた。

「もう良いのよ。私たちは外の総てから遮断されているのだから」

 彼女の先程の手のひらが、柔らかく俺の胸に触れ、ゆっくりと下半身に伝わって行くのが分かった。経験を積んだ彼女は、俺の固くなった肉棒を弄び、俺を誘導した。せっぱつまった俺は今まで心に抱いていた恐怖という疑念を忘れて、反撃に出た。俺は恵京を攻めて攻めて攻めまくり、彼女を狂い泣きさせ、そして勝利した。俺はうっとりしている恵京に、再び質問した。

「ここに共産党活動家が遊びに来たりすることはあるのか?」

 すると恵京は、こう答えた。

「彼らは、ここが誰の縄張りか知っていて、恐ろしくて近寄って来ないわ。ナポレオンがいるって」

「ナポレオン?」

「貴方、知らないの。東洋のナポレオン。馬場占吉。オモニの旦那さんよ」

 俺には直ぐに理解出来なかった。俺に反応が無かったので、恵京が俺に説明した。

「フランスの将軍で無くて、満州の将軍、馬占山殿下のことよ」

「ええっ!」

「関東軍の板垣少将とは同じ年生まれで、親友よ。今頃、外国で三者会談しているわ」

 俺は身震いした。まさか、ここが馬占山の隠れ家とは。

「じゃあ、共産党活動家は、ここには来ないのだな」

「東寧に行けば、いっぱいいるわ。でも私は共産党は嫌い」

「嫌いな理由は何だ?」

「男も女も一緒だから。あの人たちには男女の差別が無いの。同じ制服を着て、男と同じ重労働をさせられたり、戦闘に参加するのよ。男と女が集団で同じ部屋に寝るのよ。一晩に何人ともやるのよ。私には我慢出来ないわ」

「そうなのか」

「そうよ。だから共産党の連中には、妓楼など要らないの」

 柳恵京の話を聞いて、人間の考えは様々だなと思った。男女平等を希望し、武装する女もいれば、明るく咲いた花の中に女としての喜びを感じる女もいるのだ。綾乃はどうしているだろうか。俺は信じ難い情報を耳にし、恵京と眠りに就いた。『芙蓉楼』で知った秘密は、自分からは喋ってはならない恐ろしいことのように思われた。黙っていれば済む事であった。翌日、俺たちは、馬場珠代にお礼を言ってから、老黒山近くまで偵察に行き、もと来た道を引き返し、琿春の分隊に帰った。

         〇

 第75連隊の青木中尉と琿春特務機関出張所の富沢吾一分隊長の指示による春化への視察は俺にとって、有益だった。春化の『芙蓉楼』での情報から、満州の変化を考えると、春化の北の東寧が、スパイ天国になっていることが理解出来た。東寧から東の山を越えれば、そこはソ連のウスリースクであり、そこからシベリア鉄道の汽車に乗って、バイカル湖方面に向かい、ウラル山脈を通過し、モスクワを経て、ベルリンに入れば、そこはもうヨーロッパだ。あの日、会った『芙蓉楼』の女将、馬場珠代は、あの馬占山将軍の日本人妻であり、妓生、柳恵京の話によれば、馬占山将軍は今、ヨーロッパに行っているという。軍資金稼ぎの為、アヘンを持って、フランスにでも行っているのであろうか。板垣征四郎少将と三者会談するらしいと言っていたが、三者のうちのもう一人は誰か。俺の知識では分析出来なかった。俺は巡視報告会議で、何故、馬占山がヨーロッパに出かけたのか、その疑問を投げかけようかと考えたりしたが、何故か自分の身に危険が及ぶような気がして、口に出さなかった。報告会議では、ソ連軍は朝鮮の瓶山洞との国境のハサン、黒竜江の黒河との国境、ブラゴ、蒙古の海拉爾との国境、チョイハルサンの三方に軍隊を駐屯させ、対満対日戦に備えているという見方が強かった。いずれにせよ、満州国は塘沽停戦協定により、領土域が明確になり、後はソ連からの侵攻の手助けをしようとしている満州国内に潜む共産党ゲリラ退治に専念し、満州国民の不安を除去してやることに全力を注ぐことが、自分たちの使命であると確認し合った。俺たちは特に防川の監視所の迫田、木下班の所への表敬訪問とその近辺の巡視を頻繁に行った。桃源洞の『呉林屋敷』や春化の『芙蓉楼』にも、時々、訪問した。また呉寿林大人の紹介で、金倉村の全占平の所まで足を伸ばし、共産党活動家の動きが無いか確認した。馬占山の部下である金占平は、自分たちと敵対する共匪は近寄らないが、共匪はまた汪清村の方に集まりつつあるようだと情報をくれた。俺たちは図佳線の鉄道工事の守備についている独立守備隊のことが気になった。そんな心配をしている矢先、十里坪の自警団の子供が、俺たち琿春の駐屯地に駆け込んで来た。赤い戦闘帽を被った荒くれ者たちが食糧を奪いにやって来て、村が大騒ぎになっているので、助けに来て欲しいという訴えであった。それを聞いた永井岩吉中隊長は、野田金太郎准尉に命じ、俺たち100名を十里坪に出動させた。三八銃と機関銃や発煙弾を持って、俺たちがトラックで現地に駈けつけると、赤い戦闘帽を被った愚連隊は、反抗する村の男たちを殺し、婦女子から金品と食糧を集めていた。そこへ俺たち第五中隊が東西から攻め入った。賊兵は50人程度で、俺たちに不意を突かれ、慌てふためき、攻撃して来た。野田金太郎准尉が叫んだ。

「撃てっ!」

 その号令で銃の撃ち合いになった。村を占領しようとしていた赤帽軍は赤色革命軍の一味に違いなかった。戦闘の結果は言うまでもない。俺たち琿春部隊の勝利で終了した。この戦闘で敵の10人程が死亡し、30人程が逃亡した。そして10人程を捕縛した。捕縛した者に、何故、十里坪を襲撃したのかと問い詰めると、彼らは汪清を襲撃し、鉄道守備隊と戦い、十里坪に逃げて来たと白状した。300人の同志と、汪清の独立守備隊を攻撃したという。独立守備隊から何の音沙汰も来ていないが、大丈夫だろうか。野田金太郎准尉は、多分、汪清からの逃亡者だろうと予測していたらしく、偵察隊を汪清に送っていて、しばらくすると、その偵察隊が戻って来た。偵察隊によれば、独立守備隊の一方的勝利で、総て終わっていたとの報告であった。7月5日、24人の朝鮮人共匪が、汪清の『鹿島組』の現場を攻撃したことから、闘争が拡大したという。その報告を聞いてから、俺たちは栗原勇吉軍曹と一緒に、捕らえた10人程をトラックに乗せて間島特設収容所へ連行した。満州国軍憲兵隊の吉興司令官は、またかと呆れた顔をした。俺も呆れた。何故、彼ら赤軍兵士は革命と言って熱心に働いている者たちから、金品や食糧を奪い、破壊を繰り返すのだろう。彼らは革命を間違って解釈をしているのだ。どうすれば良いのだろう。俺たちは捕虜を間島特設収容所の吉興司令官に届け、琿春の兵舎に戻った。それから十里坪の戦いの報告会に出席した。その報告会の席で白鳥健吾が嘆いた。

「何故、赤色革命軍の連中は、強奪破壊を繰り返し、治安を攪乱するのでしょうか。農産物の豊作を願ってひたすら頑張っている人たちを殺害し、物を奪い、それを正義だと連呼して回るのでしょうか。彼らを改心させる方法は無いのでしょうか」

 俺も白鳥と同感だった。何故、血を流して命を捨てるまでして、先人たちが汗水流して育て上げて来たものを強奪破壊する思想が分からなかった。それがロシア王朝を崩壊させた者たちの正義だというのか。白鳥の言葉を聞いた鈴木五郎軍曹が溜息をついて白鳥に言った。

「彼らは、今あるものの総てを破壊すれば、総てが無になり、皆、平等になれると信じているんだ。その盲信はしぶとく、決して屈しないよう、彼らの頭脳に植え込まれている。福沢諭吉先生ではないが、彼らの民意を高めないことには、彼らは悪の妄執から解脱することは出来ない」

 鈴木軍曹の、その言い方は何処か学者的なところがあり、気取っている風に感じられた。それを受けて部下が硬い難解な顔をしたのを見て、石川繁松曹長が、まるで清水次郎長みたいな言い方をした。

「つまり、馬鹿につける薬は無いっていうことだ。馬鹿は死ななければ治らないのさ。だから害虫として駆除しなければならないのだ」

 石川曹長の言葉に、皆がドッと笑った。俺たちの報告会議は、何時も、こんな風だった。しかし、大隊長や中隊長が出席する会議になると、皆、緊張した。

         〇

 7月末、その日がやって来た。突如、朝鮮第75連隊の連隊長、斎藤春三大佐が青木勝利中尉と、琿春の分隊にやって来た。俺たちは緊張し、誰もが真剣な表情になった。異様な空気に俺たちは身震いし、直立不動になり、背筋を伸ばした。斎藤春三大佐は、兵舎前の壇上から、ちょっと怖い顔をして俺たちに言った。

「諸君、お役目、御苦労。本日、自分は病気入院中であった武藤信義大将の訃報を知らせにやって来た。満州国がいよいよ独り立ちするという直前に、これから世界に雄飛する満州国の為に、日々、研鑽尽力を重ね貢献して来られた武藤大将が亡くなり、誠に残念でならない。まさに痛恨の極みである。もと佐賀藩士の次男として生まれ、陸軍士官学校を卒業し、日清、日露の戦争を体験し、参謀本部の仕事を歴任し、関東軍司令官に就任し、本年5月には軍功により、元帥号を賜る程の立派な人であった。我々は、この武藤大将が満州国発展の為に尽くされた功績を忘れてはならない。また、その貫かれた精神を引き継いで行かねばならぬ。その故人のやり残した夢を、確固たるものとして継承することを諸君と共に約束する為に、自分はここにやって来た。では、ここで武藤大将の眠る新京に向かい、満州国の発展の為に皆で尽力することを、お約束申し上げ、皆で武藤大将の御冥福を、お祈り致そう。一分間の黙祷を行う。黙祷!」

 俺たちには信じられ無いことだった。関東軍司令官の武藤元帥が亡くなられたということであるが、余りにも突然すぎた。俺たちは斎藤春三隊長が朝鮮の連隊の戻って行くのを見送ってから、武藤元帥の死について、何となくモヤモヤした気分になった。夕食後、工藤武夫が白鳥健吾に、小さな声で言った。

「武藤将軍は癌で亡くなったというが、本当だろうか。あんなに行動的だった武藤将軍が、癌だとは信じがたい。癌だったら、あんなに動き回ることは出来ない筈だ」

「だったら、何だというのだ?」

「内地にいる軍官僚による陰謀があったんじゃあないだろうか。あるいは板垣執政顧問らによる画策によるものかも?」

「確かに連中は謀り事に長けているからな」

 俺は仲間の昂りをまずいと思った。司令本部の状況を全く分からない俺たちが、口出しすることでは無いと思った。

「止めとけ。つまらんことを考えるな。余分なことを言うと処罰されるぞ。止めとけ。いいな」

 俺は仲間に釘を刺した。その後、武藤元帥の後任の関東軍司令官は、本庄中将の前の司令官、菱刈隆大将が、満州国大使を兼務する形で引継ぐことになった。司令官の再任という事もあって、関東軍は何となく落ち着いた。司令官交替によるソ連や中国の反撃も無く、関東軍は満州国軍と共に満州国内の共産ゲリラ対策と治安維持に務めた。塘沽停戦協定以来、満州国の国内情勢は安定した。8月31日には満州電信電話会社が新京に設立された。その満州の発展の情報を耳にすると、目ざとい日本人、台湾人、朝鮮人などが、満州に積極的に移住し、満州は活況を呈した。満州の都市計画、鉄道計画、工場誘致は景気回復を始めた日本と競うかの如く未来に向かって邁進した。

         〇

 だが相変わらず、共匪は満鉄の鉄道工事の邪魔をした。10月12日、図佳線の鉄道工事の最大の難所、老松嶺隧道工事をしていた『鹿島組』の従業員とトラックを運転していた朝鮮人が、100人程の匪賊に襲われた。この匪賊の襲撃を受け、隧道工事担当者の大隈六三郎が敵に射殺され、作業員、数名が拉致された。事件を知って、独立守備隊が出動したが、賊を捕らえることが出来ず、俺たち琿春駐屯地にも、近く出動依頼が来るかと思われた。だが、その依頼は無かった。多分、独立守備隊の誇りと威信の為に痩せ我慢しているのだろうと、鈴木五郎軍曹が、俺たちに言った。一方、日本をめぐる東アジア情勢は落ち着きを取戻しつつあったが、イギリス、フランス、アメリカなどの列強国は国際連盟を脱退して孤立した筈の日本が、満州国を中国に承認させ、国力を蓄え、軍事力を高めているいることに対し、不満を抱いていた。その為、軍縮会議を行い、日本やドイツに軍縮を迫った。この時のドイツはヒンデンブルク大統領内閣のもと、ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)が躍進し、アドルフ・ヒトラー首相が政権を獲得し、一党独裁体制になっていた。10月14日、ヒトラーはジュネーブ軍縮会議で軍縮政策を拒否し、日本に真似て国際連盟から脱退した。そのニュースを知って、俺たちは、理不尽な国際連盟を脱退したドイツに喝采を送った。その10月末、俺たちの中隊は北朝鮮の会寧駐屯部隊に帰還することになった。満州国内の関東軍の増員と満州国軍の増強により、朝鮮派遣軍の支援が少なくて済むようになったからであった。琿春には、後任の中隊が入って来て、大きな編成替えとなった。後任の部隊の中には、内地から初めてやって来た連中もいた。彼らとの引継ぎを、月末までに完結させ、10月30日、俺たちは琿春を出発。汽車に乗り、延吉経由で、北朝鮮の会寧に戻った。会寧の街には、驚く程、日本人が増えていた。清津港と満州の間島地区との国境の街として、急成長を遂げていた。だが朝鮮第75連隊の兵舎は余り変わっていなかった。それだけに懐かしい感じがして、胸がいっぱいになった。俺たちが帰ると、斎藤春三大佐や青木勝利中尉たちが、連隊の庭に並んで待っていた。俺たちは駐屯地の衛門から庭に入り、永井中隊長の後に従い、庭の中央に進んで、全体止まれの号令で直立不動の姿で並んだ。永井中隊長が、庭中央にいる斎藤春三連隊長に向かって挨拶した。

「第五中隊、永井岩吉以下、250名、間島地区の任務を終え、只今、帰営致しました」

 俺たちは永井中隊長に合わせ、斎藤春三連隊長たちに向かって敬礼した。すると斎藤連隊長は敬礼を受けてから顔をほころばせ、永井中隊長に歩み寄り、中隊長の肩をポンと叩いた。

「長きにわたり御苦労さん」

 その一言を聞いて、俺たちは満足した。それから内務班の指示に従い、それぞれの宿舎に入った。俺や同期の連中は大部屋に隣接する下士官室で起居することになった。満州の吉林省に一年半派遣された俺たちは、予想もつかぬ格上げに大喜びした。敵の銃弾の下をかいくぐり、死ぬかと思う程の恐怖を体験させられた代償かもしれないが、個室を与えられたことは嬉しかった。日本の家族にも、ゆっくり手紙を書くことが出来た。また満州に派遣されなかった連中には羨ましがられる『関東軍記念写真帖』昭和六、七年度版を褒賞金と共にいただいた。俺たちは、その写真帖の白紙のページに自分や仲間たちとの満州での写真を貼り付けて、記念とした。満州から帰った俺たちは、それから、それぞれの任務についた。俺は凱旋した勇士気分で、会寧の周辺の監視所を部下と一緒になって見て回った。慶源や阿吾地や雄基の監視所は俺たちが歩哨や巡回をしていた時より、増改築され、立派になっていた。豆満江の河岸に立ち、この間まで駐屯していた対岸の琿春方面の風景を眺めると、不思議な気分になった。俺たちが駐屯し、共匪や馬賊を追放した間島一帯は、今や戦地とは感じられない風景だった。満州国が確立したことにより、ソ連軍の動きも鎮静化しているようであった。ソ連の監視部隊の女性兵士、イリーナ・シェルバコワは、まだ対岸の監視所にいるのだろうか。会寧に戻って少し落ち着くと、白鳥健吾が遊郭『更科』に行ってみないかと声をかけて来た。俺は待ってましたとばかり、白鳥に賛同し、三階建ての遊郭『更科』に行った。楼主は俺たちのことを覚えていた。俺たちが玉枝と桃代を指名すると、楼主は困った顔をして、手もみしながら答えた。

「いや、それはその、叶わぬことでして・・・」

「先客が来ているのか?」

「いいえ、二人は満州の奉天から来た男に面倒を見てやるからと誘われ、借金を返済して、ここから出て行きました。従って、ここにはおりません」

「そうか」

 俺たちは愕然とした。楼主は深く頭を下げ、女将に俺たちの相手を選ばせた。俺たちは楼主の言葉をにわかに信じられ無かったが、女将について行って、控室にいた女を選んだ。俺の相手は糸子、白鳥の相手は雪絵だった。二人とも岩手の出身で、3月の三陸地震の被害で、生活に困り、海を渡って会寧に働きに来たのだという話だった。菅原糸子は自分の人生を悲観していなかった。もともと口減らしの為、地震災害が無くとも、小学校を終えて、数年経ったら、雪が解ける頃、人買いがやって来て、自分は村から出る運命だったと話した。内地では東京や大阪などの大都市と地方との経済的格差が、一層、広がっているとの話だった。

         〇

 会寧に戻り、浮かれ気分でいると、11月9日、突然、永井岩吉中隊長がやって来て、俺と佐藤大助に飛行部隊の米倉整一少尉の所に行けと命令された。俺と佐藤は言われるままに、部隊の西にある碧城の飛行場に行き、米倉整一少尉に会った。米倉少尉は、まってましたとばかり、俺たちを迎えた。

「御苦労。また吉林で戦闘が始まった。愛国機で待っている西山伍長と野村伍長の飛行機に乗って、戦闘の様子を見て来てくれ」

「えっ、俺たちがですか?」

「そうだ。お前たちは名古屋で飛行機に乗ったことがあろう」

「はい。しかし、ちょっと乗せてもらい、操縦の説明を受けただけで、飛行機の操縦など出来ません」

「それは分かっている。それで良い。飛行機の上から敵が何処にいて、どちら方面に移動しているか偵察してくれれば、良いのだ。そして西山伍長と野村伍長の指示に従い、破裂弾を落下させてくれれば、それで良い。西山伍長や野村伍長も、吉林の地理に詳しいお前たちに同乗して貰えれば喜ぶ。我が航空部隊としても、心強い。さあ、行ってくれ」

「分かりました。では行って参ります」

 俺と佐藤は米倉少尉らに敬礼し、エンジンを動かし、待っている西山岩夫飛行兵と野村光平飛行兵の乗った92式戦闘機に乗り込んだ。俺は乗り込むなり、挨拶した。

「歩兵部隊の吉田です。よろしく」

「西山岩夫です。今から牡丹江方面の春陽へ向かいます。間島方面一帯の警備をなされていた吉田軍曹に、敵の動きを監視していただくことになり、自分は仕合せです」

「おだてるな。三菱の92式戦闘機とは懐かしい」

 そう言っている間に、三菱92式戦闘機は川べりの滑走路を猛スピードで滑走し、あっという間に、空中に浮き上がった。俺は座席にしがみつき、しばらくの間、目をつぶっていた。すると西山伍長が声をかけて来た。

「もう大丈夫ですよ」

 目を開けると、西山伍長が空から地上の景色を見ながら笑っていた。右翼方面に目をやると、野村伍長の操縦する愛国朝鮮号に乗った佐藤大助が嬉しそうに手を振っている。左翼方面を見ると、白頭山が偉そうに後方に聳えていた。向かうは老爺嶺の上空。眼下に豆満江が悠々と流れ、これから向かう嗄牙河の上流から、その流れが続いていた。その嗄牙河は図們から汪清村を経て、はるか䋝芬河の方へ伸びているかのように思われた。その山や谷の起伏のある薄茶色の大地の中を蛇のように曲がりくねった川を見下ろす景色は実に美しかった。駱駝山上空にさしかかると、西山伍長が言った。

「ここら辺が、先月、老松嶺の隧道工事をしていた作業員、数人が匪賊に拉致された場所です」

「敵がいそうな所だな。老松嶺と駱駝山が春陽の村を挟んでいる」

「何処かに匪賊の姿が見えませんか?」

「春陽の村で戦闘でもしているのであれば分かるが、地上にいる独立守備隊の方が、森の中を動き回っているで見付けられるのではないだろうか」

「そうですよね。町や村に食糧を落としたり、敵陣に爆弾を投下するのは、自分たち飛行機乗りには出来ますが、隠れている人探しまでは・・・」

 晩秋の風の中の飛行は身体にきつかった。俺は老爺嶺を越えてみてくれないかと、西山伍長に提言した。すると彼は大声で答えた。

「ちょっとだけですよ。吉林地区圏外の飛行になりますから・・・」

 俺たちの乗った愛国朝鮮号は、越えてはならない老爺嶺を越えて吉林省から黒竜江省の牡丹江の上流の鹿道周辺を上空を飛行し、辺りを偵察した。双眼鏡で、あちこち、キョロキョロ見ながら旋回すると、薄い雪の隙間から湖のようなものが見え、その湖畔に奇妙な赤い旗を立てた5つ程の円形のテントが並んでいるのを発見した。

「あれは何だ!」

 俺が叫ぶと、西山伍長が、俺の指さす場所を見下ろし、歓喜の声を上げた。

「パオです。敵のパオです。やりましたね」

「爆弾を落とすのか」

「いや。このまま引き返し、関東軍に連絡し、出動してもらいます」

 西山伍長は、俺にそう答えてから、俺たちの後に続いて旋回して来た野村伍長に、下を見ろと合図した。それから愛機を左に旋回し、俺に言った。

「では引き返します」

「もう、引き返すんですか」

「はい。吉田軍曹のお陰で、目的を果たすことが出来ましたから。有難う御座います」

 俺は獲物を狙う鷹のように空を飛行する偵察機の良さが、抜群であることを実感した。逸早く敵を発見することが如何に有利であるかは言うまでもない。引き返すのは会寧飛行場。前方遥かに見えるのは日本海だろうか。右手前方には、白頭山が、俺たちの成果を称えるが如く待っていた。西山伍長は愛国朝鮮号の高度を下げた。延吉の飛行場現場が良く見えた。やがて俺たちの乗った飛行機は、ガタンと大きな音を立て、無事、会寧の飛行場に着陸した。俺は西山伍長の操縦に感心した。

「操縦、すごく上手だね」

「なあに総ては、慣れだよ」

 そんな話をしながら降機する俺たちに続き、野村伍長たちも着陸した。俺たちは待っていた米倉少尉に会うと、第75連隊の会議室に連れて行かれ、飛行偵察結果を報告させられた。俺たちは共匪のパオが鏡泊湖の畔にあると報告した。その情報を得て、斎藤春三連隊長は、延吉にいる分隊と独立守備隊に連絡を入れ、鹿道方面から鏡泊湖の畔に攻撃をしかけ、『鹿島組』の拉致された人達の救出に見事、成功した。

         〇

 会寧では敵と銃撃戦をするようなことが無かった。11月中旬になると、あっという間に冬らしくなり、兵舎の部屋に閉じこもることが増えた。監視所の巡察や部下との訓練以外の時は酒保で食べ物を買って来て、同期の連中と雑談した。そんな雑談の中で、磯村喜八がもらした言葉が、いやに気になった。

「俺たちがもらった『関東軍記念写真帖』に石原莞爾参謀長の写真が無いが、どういうことだ?」

 その疑問に角田武士がさらりと答えた。

「去年の8月に石原参謀長は内地の陸軍兵器本廠に移ったからだろう。昭和7年の任務を務めあげていない」

「なら本庄繁司令官だって、同じではないか」

「そういえば板垣征四郎少将の写真も無いぞ。これは陸軍恤兵部に、石原、板垣両参謀の満州での功績を、自分たちの功績にしようとする連中が、二人の写真を載せるなと指示したに違いない」

「それは誰か」

 俺がわざと質問すると、白鳥健吾が答えた。

「決まっているだろう。政党政治を否定する官僚グループの連中だ。奴らは現地の実態を分かっていないで、ものごとの差配をしている。嘘を伝える新聞記者のような連中さ」

 俺は白鳥が、俺と同じような見方をしていることが分かった。その白鳥の考えに、何人かが頷くと、白鳥は興奮し、何時もに無く多弁になった。

「新聞記者たちは、満州国の建国者の思いと満州国の現実を伝えず、新聞記事を通じ、日露戦争で勝利したような中国領土の獲得であると日本国民を煽り立てている。日本軍が、もっと武力行使をすれば、支那大陸を日本の支配下に治められると、不可能なことを考えている。奴らの指示は、内地の机上で将棋をしているようなものだ。多くの戦死者が出ている現実を見ておらず、幻想を追っている。俺たちは奴らの遊びの駒のようなものだ。駒が敵に取られても一向に構わない。敵の駒を奪えば良いのだ。政治家や官僚のやっていることは、満州国を暴力で無く友好をもって独立させ、共和国として発展させようと考えた本庄司令官や石原参謀長の考えとは全く違う。日本人第一主義だ。今まで日本人に改名するのを嫌っていた朝鮮人が、最近では満州で、日本人だと言って、日本名を使い威張っている。俺は戦地に来て、鉄砲の被弾を受けた事の無い、政治家や官僚や天皇側近たちの暴走を恐れている」

 磯村喜八がもらした『関東軍記念写真帖』の言葉から発展した政治批判は、閑院宮載仁親王殿下参謀長にまで及びそうになったので、俺は俺たちに分からぬ政治の話は止めにしようと言った。だが仲間は、俺にそう言われても、大東亜共栄圏思想の拡大と定着に希望を抱いて、尚も喋り続けた。何処から耳にしたのか知らないが、工藤武夫がインドなどの話をした。

「聞いたところによると、英領インド帝国で、アフリカから帰国したガンジーという男が、満州国を見習って、自分たちも独立すべきだと訴え、7月に投獄されたという。また内蒙古でも満州国にあやかり、自治政府を発足させ、独立を模索しているという。今や俺たちが足固めした満州国が、世界の人たちに希望を与え、憧憬される国になっているらしい」

 満州派遣を終えた俺たちは、会寧に戻り、満州での与えられた目的を、ほぼ達成出来たという満足感に心酔していた。いずれにせよ、満州国内に鉄道を蜘蛛の巣状に張り巡らせている日本国の投資力の勢いは偉大であった。またそれに伴い、耳に入って来る日本経済の好転の兆しはどんなものか、詳しく知りたいと思った。帝都、東京には百貨店が増え、繁盛しているというではないか。この大日本帝国の繁栄ぶりは、12月23日の継宮明仁皇子の御誕生で一段と盛り上がった。奉祝歌まで作られ、内地では勿論のこと、俺たちのいる朝鮮でも、御誕生を祝い、その沸き上がり方は桁外れだった。会寧の街では、マイナス20度の極寒の中、日の丸の旗を持って歩く人たちの姿があった。そんな中、奉祝の肉マンを売る商店主もいて、朝鮮人の子供たちまでが、明仁皇子の御誕生を喜んだ。俺は日本人と共に生きる朝鮮人が増えたことに喜びを感じた。民族や民衆や個人の情熱的行為が、歴史を動かすのだと実感した。俺たちの仲間も徐々にではあるが、朝鮮人との一体感を抱き始めていた。

         〇

 昭和9年(1934年)は昨年末の明仁皇子の御誕生で、目出度い雰囲気で始まった。会寧の朝鮮第75連隊の営庭では日本国旗を掲揚し、国家と連隊歌を唄い、斎藤春三連隊長の訓辞を受け、東京に向かって、新年の遥拝をした。快晴の下ではあるが、頬を打つマイナス数十度の風は厳しかった。その式典が済むや、それぞれ宿舎に戻り、正月のお屠蘇と御節料理をいただいた。その後は上官の所へ挨拶に行ったり、部下の挨拶を受けたりして、夜には仲間と談笑して過ごした。二日目は訓練も無く、俺は書初めを楽しんだ。子供の時に教えて貰った永字八法から入り、自分の好きな『五族協和』や『安民楽土』や『以和為貴』や『敬天愛人』などの文字を書き連ねた。ちよっと気に入ったものが書けたところで、書道を止め、白鳥健吾の部屋に行った。白鳥の部屋には角田武士が来ていて、将棋を楽しんでいた。勝負は白鳥が打った角による王手飛車取りで、見る見るうちに決着した。角田は連続負けしていたらしく、俺を見るなり言った。

「良い所に来たな。外に遊びに行こうや」

 そこで俺たちは会寧の街に繰り出した。会寧の街には以前に増して、和服姿の人たちが多く行き交い、活気に満ち溢れていた。住宅は勿論のこと、商店、食堂、事務所、銀行、図書館などの建物が増え、まるで東京の何処かの街にいるようだった。『博文館書店』の前では獅子舞が踊っていて、小池奥吉先生が喜んでいた。俺たちは商店街で買う物が無かったので、『高嶺亭』に行き、焼き肉を食べながら、食事の後、何処に行こうか相談した。寄席に行って見ようかという意見もあったが、結局は遊郭『更科』に行こうということになった。そこで俺は少年時代のことを思い出し、仲間に言った。

「その前に『会寧神社』に行って、武運長久を祈願しておこうや」

「うん、そうだな」

 俺たちは町の小高い丘の上にある『会寧神社』へ行った。鳥居の前の参道には朝鮮人の屋台が出ていて、予想以上に人の往来があった。俺たちは参拝を済ませて、丘の上から会寧の街を見渡した。冬枯れの原野に会寧の住宅街が、以前より大きく広がっていた。家族の健康と来福を願い、自分たちの武運長久を祈り終え、ほっとしたところで、俺たちは『更科』に行った。正月ということで、『更科』は混んでいた。俺たちは待つのがいやなので、『花月』に移動し、相手を選んだ。白鳥は多美、角田は千佳、俺は里子を指名した。俺が選んだ三浦里子は秋田出身で、雪のように白く、『更科』の玉枝に似たところがあった。里子が小学校を卒業した時、母親が病気になって、野良仕事が出来なくなり、養蚕も思うように行かず、父親は農業を止め、湯沢の酒蔵工場で働くことになったという。里子には妹や弟が四人もいて、諏訪の製糸工場に務めたのだが、朝5時から夜の7時までの長時間の過激労働に耐えられず、病気になり、村に戻る途中、新潟の旅館の亭主に、朝鮮に行けば楽な仕事がいっぱいあると言われたという。そこで新潟に留まり、旅館の仕事を手伝いながら病気を治し、朝鮮から田舎に仕送りも出来るということで、旅館の主人の紹介で会寧の『花月』へ来たという。

「そりゃあ、大変だったな。内地から離れて、寂しくないか?」

「寂しくなんかないわ。大人になったら家を出ることは当然だと思っていたから。それに軍人さんのお相手が出来るのだから仕合せよ。綺麗な着物を着て、美味しい物を食べて、寝転んでいれば良いのだから・・・」

 俺は里子の言葉に苦笑した。ものは考えようだ。里子は自分の事を不幸だとは思っていない。

「だが、ある程度、金を稼いだら、適当なところで、内地に帰った方が良いよ。もっと稼いだら、もっと仕合せになれるなんて、考えたら間違いだぞ」

「何よ、それって。私には分からないわ」

「それは自分たちの先祖が暮らして来た土地と違う所で生きるという事は、良い事ばかりとは言えないからさ。日本人は大陸では、どうあがいても異邦人なんだ」

「何よ。難しい学者さんみたいな話して。それより早くしましょうよ」

 里子は、そう言うと布団の上に移動し、妖艶な眼差しで俺を誘った。俺は、里子に従った。里子を抱きながら、中島綾乃のことを思った。里子は俺に抱かれながら、俺が内地の女に思いを馳せていることに気づいている風だった。激しい馬乗りを終えると、里子が羨むような顔をして言った。

「あんた。内地にいる女のことを考えてたんでしょう」

「どうして、そんなことを・・・」

「私も秋田の男の事を考えていたから。だけど内地に残っている女が、何時までも、あんたのことを待っていると思ったら、それは一人よがりよ。その女は、あんたを待ちきれず、他の男とくっいているか、誰かの嫁ごになっているわ」

「そうかなあ」

「そうに決まっているわ。女とはそういうものよ」

 里子は俺をからかった。男は勝手な幻想を抱くが、女は現実的だと言って、俺を寂しい気持ちにさせた。そして寂しくなったら、、また『花月』に来て、自分を指名してくれれば、寄り添ってあげるからと優しく笑った。まんざら悪い気はしなかった。その時、部屋の外から、女将の声がした。

「兵隊さん。時間ですよ」

 俺は慌てて起き上がった。モタモタしている俺を、白鳥と角田が一階で待っていた。

         〇

 俺のいる会寧の連隊の兵舎の部屋は、暖房が行き渡っているが、廊下や玄関は氷点下の寒さだった。俺は凍結した豆満江を渡った2年前のことを思い出し、あの豆満江の川岸に行ってみたいと思った。そこで俺は鈴木五郎曹長に許可を得て、清水卓司と山内邦男たちを連れて、雄基の監視所などを、2,3日、巡回することにした。鈴木曹長は、首を傾げて言った。

「何故、こんな寒い時期に、好き好んで、国境の監視所なんかへ行くのか?」

「守備範囲に縛られず、国境の直前を移動して、この目で、敵情を偵察したいからです。それに同期の片桐や原田が、監視所に常駐しているということなので、会いたいのです」

「そうか、分かった。許可するが、国境での発砲は断じて行ってはならぬぞ。静謐確保の大方針は、守らなければならないからな」

「はい。国境守備隊の制令を遵守致します」

 俺は鈴木五郎曹長を納得させ、懐かしい雄基の監視所へ、トラックに乗って出かけた。勿論、連れて行く、清水卓司と山内邦男には、西水羅港から瓶山、咸林山、長堪山と連なる線より以東の場所での発砲を禁ずると厳しく伝えた。雪の点在するデコボコ道をトラックに揺られ、雄基の監視所に行くと、片桐重吉が、俺たちを出迎えた。監視所は俺たちがいた時より、立派になっていて、周辺に商店街が出来、すっかり様変わりしていた。朝鮮人兵も申益宣、張富夫、崔茂林の他に、数名が採用されていて、活気があった。

「皆、元気そうだな」

「この寒さだ。元気そうに笑っていなければ、身体が凍っちゃうよ」

「ところで、ソ連軍の動きはどうだ」

「何にも無いよ。間島の方は大変だったらしいな」

「うん。知ってる者が、何人も戦闘で命を奪われて、辛かったよ。殺されまいと、必死で戦ったよ。何とか殺されずに戻って来れたよ」

「運が良いな」

「そうだな。運が良かったよ。匪賊を何人殺したか分からないでいる」

「まあ、それは言うな。話さない方が良い」

 片桐の言う通りであった。壮絶な銃撃戦は、相手を殺さなければ、自分が殺される為、相手を殺すことに何ら抵抗の無い、残虐なものであった。俺は一時間程、片桐たちと雑談してから、四会の監視所に行く計画でいると話した。すると片桐が、こう提案した。

「じゃあ、四会へ行って、原田を呼んで来い。今夜、雄基の街で宴会をやろう」

「それは良いな」

 俺は片桐の提案に賛同し、昼食後、その足で、原田弥太郎が守備する四会の監視所に行った。そこから眺める豆満江の対岸の冬景色は、背後に張鼓峰から馬鞍山へと続く山塊によって、ソ連領と仕切られていて、所々が雪で白く覆われ、美しかった。

「やあ、御苦労さん。久しぶり」

 俺たちが監視所に入り敬礼すると、原田弥太郎は直ぐ、俺だと分かった。突然の訪問であるが、彼は驚かなかった。片桐が連絡していたに違いなかった。

「本当に久しぶりだな。どうだ。四会で変わった事はないか?」

「うん。軍隊としての仕事というより、憲兵隊のような仕事をしている。向こう岸と違って、こちらは安全だ」

「今夜、雄基で一杯やろうと片桐が言っていた。都合はどうだ」

「迎えに来られたんじゃあ断る訳にはいくめえ」

 俺たちは温かいワカメスープをいただいてから、原田弥太郎と原田の部下、石井善一をトラックに乗せ、雄基に戻り、駅近くの『大和旅館』に行った。原田は片桐と時々、この旅館で情報交換しているということで、旅館の馴染み客になっていた。

「片桐さんが、お待ちかねです」

 旅館の女将が原田に声をかけ、俺たちを二階の広い和室に案内してくれた。八人程での小宴会となった。酒と料理が仲居によって運ばれて来ると、俺と片桐と原田は三人で杯を交わした。部下たちは部下たちで杯を交わした。普段、緊張しているせいか酒が入ると、皆、言いたいことを言った。

「満州の新京に行きたいが、何か良い方法はないだろうか。この目で夢の都を見てみたい」

「俺はハルピンへ行ってみたい。吉田は行ったことあるか?」

「いや、無い」

「ハルピンは満州国成立により、ロシアの亡命者たちが増え、新京をしのぐ賑やかさだというではないか。俺はロシアの建物やロシア女を見てみたい」

 原田は政治的なことを深く考えていなかった。ソ連軍の侵攻を防衛する為の守備をしているのに、その意識が全く希薄だった。

「ところで、朝鮮人兵は良く働いてくれているか?」

「俺たちに従っていてくれる連中は、目標も無ければ、愛国心も無い。高い給料を貰って喜んでいる」

「中には、連隊の中で偉くなろうと一生懸命に活躍している者もいる」

「大方は、金で動く連中だ」

 皆、勝手に喋った。そして酔いつぶれ、後は旅館の女将の思う壺だった。それぞれ『大和旅館』の女をあてがわれ、一夜を過ごした。俺は国境の町が賑やかになって行くのが、不思議でならなかった。川と川の合流点には、いろんな魚が寄って来るというが、人間社会でも、同じ事のようだ。女は俺の手をギュッと握って、俺を布団の中に引きずり込んだ。酔っぱらっている俺は、白い波に包み込まれ、深い海で溺れて、何が何だか分からぬ気分で深い眠りに落ちた。

         〇

 翌朝、片桐に叩き起こされた。

「もう原田は四会へ帰ったぞ。俺は監視所に行くが、お前はどうする?」

「そうだな。ここにもう一泊し、西水羅方面へ行ってみる。申し訳ないが、申益宣を今日と明日、貸してくれ。ロシア人と会った時、便利だからな」

「分かった。じゃあ、ここへ申を寄越そう」

「有難う。また会おう。会寧で待っている」

「うん。白鳥たちに、よろしくな」

 片桐は俺が雄基の監視所にいた時、俺の監視偵察の相棒であった申益宣を差し向けてくれると約束して、『大和旅館』から出て行った。俺は片桐と別れ、一階の食堂に行った。清水卓司と山内邦男が食事をせずに俺を待っていた。

「お早う御座います」

「おう、済まぬ。いただこうか」

 俺が加わり三人そろったところで、仲良く朝食を口にした。焼き魚、生卵、海藻、納豆といったオカズに御飯と味噌汁。ここは日本ではないかと疑う程の朝食であった。朝食を終え、満足したところで、俺たちは、もう一晩、泊めてもらうと言って、外に出た。朝方の陽光が、白い雪に反射して眩しかった。街の家々の屋根も、電信柱も白っぽく、凍りついているようだった。駐車場では、トラックの傍で申益宣と閔忠成が防寒帽を被って待っていた。

「お早う御座います」

「おう、御苦労さん。お早う」

「今日、明日、付き合わさせていただきます」

「ありがとう。日本語、上手になったな」

「お陰様で。こいつは閔忠成です。車の運転をさせていただきます」

「ワタシ、ミン・チョンソンテス。ヨロシク、オネカイシマス」

「こちらこそ、よろしく頼む。この二人は清水と山内だ。まだ酔っぱらっているかもしれんから、ゆっくり運転してくれ」

「ワカッタテス」

 俺は申と一緒に運転席の隣りに座って海岸線を西水羅方面へ走るよう命じた。海岸べりに吹き寄せる湖の香りのする海風が顔に厳しく当たり、二日酔いの俺たちを奮い立たせた。海岸の道路には雪が無かったが、凍つているので、スピードを出すなと申益宣が閔に言った。堀浦を越え西水羅に行って、車を停め、周囲の様子を監視した。底曳船に乗った漁師が、タラ漁を終え、帰港するのを、女たちが笑顔で迎えている光景が、何ともほほえましく見えた。望海岩に登って、日本海を眺めたが、藍色の海は遠く、空の果てまで続き、波静かだった。ソ連との国境間近だというのに、西水羅の港は、危機感など全く無く、悠長そのもので、平和といえた。俺たちは漁師の女たちから、ホタルイカの素干しとこんぶ茶をいただき、船から上がって来た男衆に、ソ連の状況を訊いた。海の男たちは、互いに平穏だと答えた。漁が楽しくて仕方ないみたいだった。俺には不思議でならなかった。このように寒い海に出て熱心に働いている朝鮮人もいれば、朝鮮から満州に逃亡し、日本人や満州人の人たちに夜襲を仕掛けて来る彼らの同胞もいるのだ。俺たちは漁師たちに近況を教えて貰ってから、敬礼し、感謝の意を表し、トラックに乗って、西水羅港から北に向かった。芦丘山と西藩浦のほとりを走り、雪道を難儀しながら、鮒浦里に辿り着いた。ここは海から20キロ程しか離れていないのに、まるで銀世界に近かった。俺たちは昼時になっていたので、湖の近くにある食堂に行った。店に入って行くと、申益宣たちと顔見知りの店主が笑顔で迎えた。

「オソオセヨ。サア、コチラネ」

 食堂内に居合わせた朝鮮人たちが、軍服姿の俺たちを、一瞬、驚いた顔で見たが、直ぐに憲兵で無いと気付き、再びもとの雑談を始めた。料理は申に任せた。鮒の煮付け、ナマズの天麩羅、イカ焼き、ウニ、キムチ、それに御飯と蟹の味噌汁。キムチを除けば日本的だった。俺たちは、そこでゆっくり休み、ソ連軍の動きを訊いたが、ソ連兵は下流地域でたまに見る程度で、何の問題も無いということだった。それより、満州から逃げて来る無法者が強盗や暴行を繰り返すので、何とかして欲しいと嘆願された。俺たちは、それを聞いてから豆満江分哨所に行った。分哨所には会寧の連隊に入隊した時、一緒だった川端与八郎が所長になって、ソ連との国境警備に当たっていた。そこで俺たちは豆満江の連中と情報交換し、俺と申は豆満江分哨所に残ることにした。そして閔忠成にトラックを運転させ、部下の清水と山内を『大和旅館』に帰した。清水と山内には、明日、昼頃、『大和旅館』に戻るので、旅館で待っていろと命じた。

         〇

 豆満江分哨所に残った俺と申益宣は、川端所長にスキーを貸してもらい、見回りして、明日、分哨所に戻ると約束した。川端所長は、俺に忠告した。

「敵の偵察に熱心なのは分かるが、無理するなよ」

「分かっている。朝飯を用意しておいてくれ。じゃあ行って来る」

 俺と申はスキーに乗って分哨所を跳び出した。俺たちはかって、お世話になった造山里の朝鮮人の家に向かった。朴立柱の家のある屈浦里とは反対方向だった。仲間から解放された俺たちは、意気盛んな野兎のように、白銀の雪上をスキーで目的地に向かった。申益宣の知り合いの造山里の柳在俊は、俺たちが行くと、竹細工作業を止めて、近況を話してくれた。今の時期、時々、凍結した豆満江を渡り、国外脱出する者がいるという。ほとんどが若者で、ソ連領に入る為、東藩浦の方から豆満江伝いに上がって来て、凍結がしっかりしている豆満江洞手前で、渡河して帰らないらしい。俺たちは柳の女房の作ってくれた夕飯をいただいてから、柳の家の川岸の芦小屋にスキーを置いて、凍結している豆満江を渡った。地吹雪のような風の中を、申についてソ連領に進み、申が口笛を吹いた。すると川向うからランプが揺れて、来て良いよという合図があった。薄暗い中、河を渡り切ると、女性兵士、ユリア・セメノビッチが、メタセコイヤの大樹の下で、待っていた。

「申氏。ドーブルイ、ヴィエーチル」

「ドーブライ、ヴィエーチェル、ユリア」

「こちら、前に会った事のあるヤポンスキーよね」

 ユリアはカンテラで俺の顔を確認して言った。

「はい。吉田です」

「イリーナと仲良かった人ね。残念だけど、イリーナは、もうここにはいないわ」

「イリーナは何処に」

「お話し出来ません。別の友だちを紹介するから、ついて来て」

 ユリアは、そう言って、クルッと背を向け、申と歩き出した。二人の後をついて行くと、大きな鬼胡桃の木の下に竪穴小屋があった。ユリアは小屋の中にいる女性兵士に、小さな声で囁くと、ニヤッと笑った。

「こちらナターシャ。私たち別の小屋に行って打合せしますので、ここでゆっくり、お休み下さい」

「分かった。申は何時ごろ、迎えに来るつもりだ?」

「夜明け前に参ります。それまで、どうぞ、ごゆっくり。では・・・」

 申は俺に向かって敬礼した。それからユリアと闇の中に消えた。俺は寒いから早く小屋に入るようナターシャに言われ、小屋に転がり込んだ。小屋の中はかってイリーナがいた小屋とほとんど同様だった。ナターシャは俺を部屋に招き入れると温かいスビテンを俺に差し出しながら、自己紹介した。

「私、ナターシャ・クルコヴァです。吉田さんですよね」

「うん。そうだよ」

「イリーナから沢山、のろけ話をしてもらったわ。『さくら、さくら』や『カチューシャの唄』も教えてもらったわ」

「イリーナは今、何処に?」

「ハンカ湖近くのホロリにいるわ。秘密よ」

「分かった」

 俺が頷くと、ナターシャは『カチューシャの唄』を日本語で唄い出した。

♪ カチューシャ可愛いや 別れの辛さ

 せめて淡雪 解けぬ間に

 神に願いをかけましょか

 俺は二番を替え歌にして唄った。

♪ ナターシャ可愛いや別れの辛さ

 今宵一夜に振る雪の

 明日は野山の道かくせ

 するとナターシャが俺の手を握って来た。そして彼女は俺の目を見詰めて言った。

「日本の歌を真似て、ロシアのカチューシャの唄も出来たのよ。素晴らしい歌よ」

「そうか。唄って聞かせてくれ」

 俺が依頼すると、ナターシアは立ち上がって唄った。

♪ ラースリィダーリィ、

 ヤバリーニグルーシィ

 パプルリート、マニナグリユーィ

 ピハジーラナレベカ、カチューシャ

 ナービソーキベレーグナックルトィ

 それは元気な歌だったが、何処か哀愁があり、俺の胸を打った。

「おおハラショー。良い歌だ」

「ウオコイエ。吉田さん、ロシア語が分かるの?」

「いや、分からない。どんな、歌の内容か分かると良いのだが・・・」

「内容はカチューシャが川岸に立って、いなくなった男を思う、恋の歌よ」

「そうなんだ。ロシア語が話せるようになれば良いのだが・・・」

「話せなくても、愛は伝わるものよ。こうすればね」

 ナターシャはベットに腰掛け歌を聞いていた俺に、突然、覆いかぶさって来た。金髪、青い瞳、白い歯の間から覗いた可愛い舌。俺は冷静さを失った。ロシア女性は貪欲だった。日本人女性のような恥じらいが無かった。喜悦が昂ると、辺りを気にせず、獣のような叫び声を上げ、求めまくった。俺はナターシャに出会えて、満足だった。

         〇

 翌朝、まだ薄暗いうちに申益宣が迎えに来た。俺はナターシャとの別れを惜しみ、申と薄靄がかかり凍結した豆満江を渡り、対岸の芦小屋に辿り着き、ほっとした。そこから造山里の柳在俊の家に行き、温かな朝飯をいただいた。食事をしながら、申が柳夫婦にソ連の話をした。

「ソ連は豆満江を渡り朝鮮や満州から脱出して来る者を捕縛し、ハバロフスクより北のアムール河以北に強制的に連行し、移住させて、帰化させているという。国力を高める為、森林伐採等の重労働者として、こき使っているという。逃げれば銃殺されるらしい。ソ連にとって豆満江を渡って来る者は、おいでおいでだという」

「チャンホクダ」

 柳在俊が言う通り、残酷な話だ。申がユリアから仕入れて来る情報は有益であった。勿論、申も、朝鮮側の情報を漏洩していると思うが、その交流が、国境を平穏にしているように思われた。柳家で温かな朝飯をいただいてから、俺たちはスキーに乗って、豆満江の分哨所に行った。川端所長が、朝飯を用意して待っていた。俺と申は、朝飯を済ませて来たとは言えず、無理して分哨所の朝飯を食べた。それから、時々、朝鮮人の国外脱出者がいるようだと川端所長に伝えた。すると川端所長は俺に言った。

「分かっている。奴らを追いかけて行って乱闘になり、発砲でもしたら、静謐確保令に違反して、罰せられるのは、こちらの方だ。だから見て見ないふりをしている」

「触らぬ神に祟り無しか。賢明な考えだ。じゃあ、これで帰るが、雄基の監視所まで、車を出してくれないか」

「うん、分かった。連隊に戻ったら、国境警備に問題無しと伝えてくれ」

「ああ、酷寒の中、頑張っていると伝えるよ」

 川端所長は、それを聞くと、山田剣士郎と徐光来に俺たち二人を車で雄基まで送るよう命じた。俺たちは、その車に乗って、赤池方面に出て、咸北線沿いの道を雄基に向かった。俺が山田に何処出身かと訊くと、彼は千葉出身だと答えた。山田次郎吉の曾で、剣士郎と名付けられたという。徐光来に出身地を訊くと、元山の生まれで、日本名を元山光来にしているという。

「自分ハ、大日本帝国ノ軍人テアリマス。天皇陛下ニ忠義ヲ尽クシマス」

 徐は、まるで内地兵気分で、張り切っていた。その徐の運転は危なっかしかったが、九龍坪から晩浦の畔りを通り、雄尚を経て、無事、俺と申益宣は雄基に戻った。予定通り、昼に『大和旅館』に戻ると、豆満江分哨所から、俺と申を送って来た山田と徐と『大和旅館』で昼食を一緒に食べて、別れた。俺は、その後、待っていた清水、山内と閔とトラックに乗って、申と一緒に、雄基監視所の片桐重吉に巡回報告をしに行った。俺は、申と一緒に豆満江の畔りや豆満江分哨所を巡察した内容の報告をして、別れを言った。

「じゃあ、またな」

 俺たちは片桐と笑顔で別れ、雄基監視所から会寧駐屯部隊に戻った。巡察に出かけて戻った俺たちに正門兵たちが敬礼した。俺は偉そうに胸を張って正門兵たちに、車の窓から敬礼した。部隊の庭に入り、兵舎の玄関で車から降りると、俺たちは直ぐに、鈴木五郎曹長の部屋に行き、帰着報告をした。すると石川繁松准尉が、報告を待っているというので、鈴木曹長と一緒に、石川准尉のおられる事務室へ行った。石川准尉は温厚だった。

「おう、寒い中、御苦労さん。雄基や豆満江方面の状況がどうだったか、聞かせてくれ。まあ、座ってお茶でも飲んでからで良い」

「では座らせていただきます」

 部屋にいた事務兵に、お茶を出して貰うと、俺はゆっくり、お茶を味わってから、巡察結果を報告した。

「雄基、四会、豆満江を巡回して参りましたが、どの監視所も、雪の多い中、活発に監視を行っておりました。雄基は国境から少し離れておりますので、四会や豆満江への物資供給と西水羅港の密輸に気を配っているようでした」

「そうか。片桐は元気だったか」

「はい、元気でした。分哨所などとの連絡も密に行っていました」

「そうか。四会はどうだった」

「四会の原田所長は間島側のような匪賊の襲撃は無いが、暴力や窃盗を行う無法者が、満州方面から流れ込んで来ていて、その対応の為、憲兵のような仕事をしていると言ってました」

「成程。相変わらずだな」

「豆満江の川端の所は大丈夫か」

「はい。豆満江の分哨所では、川端所長が緊張して、ソ連との国境の守備をしておりました。自分たちも彼らと一緒に、辺りを巡察して回りましたが、今のところ、ソ連軍が攻撃して来るような様子は見受けられません。至って静かです。ソ連軍の国境を守備しているのは、ほとんどが女性兵士で、我々に対する監視強化がされています。女性兵士部隊が朝鮮や満州の国境警備の任務にあたり、男性兵士の部隊は、様々な国家建設事業や反蒋抗日を掲げる中国紅軍を支援する為、西方に動員されているとのことです。従って、現状、満州国が落着けば、ソ連軍の朝鮮への侵攻は無いでしょう」

「そうか。敵は西方に向かっているか」

 石川准尉は頷いた。俺の説明を聞いて、ソ連軍の目が満州国を越えて、その西側の中国にあることを理解したようだった。俺の説明に、部下の清水と山内は目を白黒させた。部下の二人は俺の報告を、出鱈目発言と思っているに違いなかった。彼らは、俺が、ソ連兵士、ナターシャに会って仕入れた情報だとは知らないので、そう思われても仕方無かった。

         〇

 俺の上官への報告は部下からすれば、嘘八百、出鱈目発言かもしれないが、俺が春化の『芙蓉楼』の女たちや満州で捕らえた共匪の兵士や、ロシアの女性兵士から直接、入手した情報の断片を組み合わせて推測する時、俺には大陸での各国の動きが明確に浮かんで来ていた。ソ連のスターリンは、一国主義のもと、反帝国主義、打倒南京政府、紅軍援後の為、中国の瑞金を拠点に活動する中国革命軍にドイツの共産党革命家、リトロフ(中国名、李徳)を送り込み、周恩来と共に国民党軍攻撃の指揮を執るよう指示していた。つまりソ連は中国を手中にしようという魂胆でいると、俺は睨んだ。しかし、関東軍や満州軍や朝鮮軍には、まだ完全に、その陰謀が読めていなかった。目の前の敵との争いの方が重要だった。関東軍は2月16日の夜、黒竜江省の佳木斯に近い第一次満州開拓団の入植地、弥栄村が、匪賊『紅槍会』に襲撃された知らせに、慌てふためいていた。北満州に入植理想郷を建設する為に、日本政府が送り込んだ武装開拓団が、ようやく集落の基礎を築き上げ、その成果を上げつつある中、匪賊の襲撃に遭ったのだ。関東軍だけではない。俺たちの駐屯している朝鮮第75連隊も、その知らせに慌てた。何故なら、その2日後の2月18日、その弥栄村へ行く日本人花嫁たちが、新潟から清津港に到着したのだ。その一行を、会寧の俺たちの部隊が、牡丹江まで、護衛することになってしまったのだ。その為、その日本人花嫁たちと付添人たちを会寧からハルピン経由で、佳木斯まで安全に送り届けなければならず、白鳥健吾、佐藤大助、工藤武夫と俺の四人が、護衛随行することになった。2月20日、俺たちは会寧を出発し、図們から新京経由で、まずハルピンへ向かった。大きな行李やリュックを汽車の棚に上げ、花嫁や付添人、合計30名程度で、ワイワイ、ガヤガヤ、広大な白い雪景色の中を、汽車は新京へと、一目散に走った。俺が見る車窓の景色は、かって新京に行き来した時、何度か見た景色だった。辺り一面、雪に覆われているが、農村育ちの花嫁たちは、その下に立派な耕作地が広がっていることが分かっていた。吉林駅に近づいたところで、会寧の旅館で準備してもらった弁当を食べた。まるで旅行気分だった。吉林を過ぎてから憲兵が二人、客車に入って来た。憲兵は俺たちに敬礼し、質問した。

「どちらまで?」

「開拓団の人たちを佳木斯まで送って行くところです」

「それは御苦労様です。ハルピンから向こうは寒さが厳しいですから、気を付けて下さい」

「お気使い有難う御座います」

 俺たちが、そろって敬礼すると、憲兵二人は、そそくさと別の客車に立ち去った。汽車は尚も走り続け、薄暗くなり始めて行く景色の中をひた走り、やがて次第に町の灯りが点灯し始めて、終点の新京駅に到着した。俺たちは汽車を降り、一旦、出口専用の待合室にて、時間調整した。筒井付添人たち、男衆が、肉まんと焼き芋とリンゴを入手して来て、皆に配り、待合室で夕食を済ませた。腹ごしらえしたところで、何人かが、外は寒いのに駅前の巨大な建物と眩い程の照明を眺めて来て、興奮していた。一時間程して、俺たちは待合室から一行を引き連れ、新京駅の改札口から、再入場し、駅のプラットホームに行き、ハルピン行きの汽車に乗り、車中泊して、翌朝、ハルピンに到着した。俺は、あの四会監視所の原田弥次郎の憧れの街、ハルピンの朝の光を浴びた風景を見て、びっくりした。まさに異国だ。金髪のロシア女性が闊歩していた。ロシア風建物を見て、花嫁たちは、おとぎの国に来たようだと言った。俺たちは、そこで筒井付添人の案内に従い、ハルピン駅近くで、朝食を済ませた。その後、浜綏線の綏芬河行きの汽車に乗った。汽車はハルピンを出発し、尚志、横道河子、梅林を経て、21日の午後、無事、一行の目的地、牡丹江駅に到着した。駅では弥栄村開拓団の人たちが花嫁たちが到着するのを、まだかまだかと待っていた。その人たちの中に局子街の料亭『銀閣』で会った山崎芳雄先生が、団長としておられたので、お互いびっくりした。俺たちは、そこで花嫁たちや付添人たちと別れ、山崎団長や吉川団員に招かれ、『弥栄村開拓団牡丹江事務所』に休息がてら夕食をご馳走になり、2月16日の匪賊との抗戦の有様などを聞いた。そして黒竜江省にはまだ馬賊の残党がはびこっていて油断出来ないと知った。その後、弥栄村に同行しないかと誘われたが、連隊の任務があるので、ここまでと断り、連隊に帰ることにした。俺たちはそれから山崎団長らと別れ、山崎団長が手配してくれた牡丹江の旅館『烏拉旅館』に一泊した。図佳線が開通していれば、一泊せずに帰れるのだが、老松嶺のトンエル工事や多くの鉄橋工事がある上に、匪賊の妨害があり、工事が難渋しており、鉄道の完成にはまだ数年かかりそうであった。また松花江が凍結していなければ、ハルピンと佳木斯間を船で往復することが出来たのに、船旅が出来ず残念でならなかった。宿泊した『烏拉旅館』の主人の話によれば、ここは昔の渤海国の首都で、寧古塔守備隊の本拠地でもあったという。最近、朝鮮人や日本人、ロシア人が入って来て、町の人口が増え、満州国により都市計画が進められているので、旅館業も繁盛しているという話だった。俺たち四人は日本からの花嫁たちを山崎団長らに送り届け、解放されて、長旅の疲れが、ドッと出たが、同期の仲間で、夜の食事は、酒も入り、盛り上がった。工藤武夫が酔いが回ってから、花嫁たちのことを口にした。

「それにしても、あの花嫁さんたちは、相手に会ったことも無く、写真結婚をして、満州に来るなんて、度胸あるよな」

「開拓者は何処でも英雄なのさ」

「そうさ。俺たち兵隊さんも英雄なのさ」

「そうだ、そうだ」

 佐藤大助や白鳥健吾は、俺の返答に同調した。俺たちは酔いに酔って、同部屋で何時の間にか、熟睡していた。

         〇

 牡丹江の『烏拉旅館』に一泊した俺は 明け方、嫌な夢を見た。牡丹江の駅からリンリンと鈴を鳴らし馬橇に乗って開拓村に向かって行った花嫁たちのうちの二人の結婚相手が、数日前の戦闘で、亡くなっていたという夢だった。俺は、極寒の隙間風に目を覚まし、仲間を起こし、身震いして食堂へ行った。『大林組』の鉄道技術者が、朝食を済ませて出て行くところだった。俺たちは急いで朝食を済ませ、牡丹江駅からハルピン行の浜綏線の列車に跳び乗り、西へ向かった。寒冷地を走る東清鉄道の汽車は、雪の山林の中を走ったり、一面坡の平地を走ったりして、ハルピンに昼過ぎに到着した。工藤や佐藤がハルピンに一泊しようと言ったが、俺と白鳥は早く連隊に戻らないと、大目玉を喰らうぞと言って、新京まで行って泊ることにした。ハルピンから別の汽車に乗り換え、新京駅には暗くなってから下車した。改札口を出ると、幸いな事に旅館の客引きが大勢いて、日本の軍人だと分かると、日本語で話しかけて来た。

「お宿はお決まりですか?」

「何処か良い日本人宿があるか?」

 そう訊くと、客引きは、良い所があると言って、俺たちを新京駅の東側の伊通河に近い『富士屋旅館』に案内してくれた。中々、落ち着いた日本旅館だった。部屋に床の間もついていて、畳部屋だった。俺たちは四人で、その部屋に泊った。夕食後、遊び好きの工藤や佐藤が、外に行こうと言ったが、俺は反対した。

「関東軍司令部があるから、夜遊びは止めておけ」

「吉田は真面目過ぎるよ。ハルピンでの一泊に反対し、今夜は外出禁止か」

「そういうなら寒い中、外出するが良い。但し、危険が及ぶ心配もあるということを忘れるな。武器は置いて行け」

「武器を置いて行けとは何故だ?」

「武器を盗まれたら、部隊に戻れぬぞ」

「分かった。じゃあ、行って来る。白鳥はどうする?」

「俺は吉田と部屋にいるよ。外は寒いからな」

 白鳥は俺の事を気遣って居残ると答えた。工藤と佐藤が外出していなくなってから、俺は白鳥と火鉢を近くに置いて、将棋を指した。そこへ仲居がやって来て、誘いを受けたが、断った。深夜近くなって、工藤と佐藤が、ガタガタ震えて、泣きそうな顔をして帰って来た。

「どうした?」

「川べりで、二人の女に安宿に誘われ、俺たちは、そこにしけ込んだのは良かったが、ことが終わって宿から出て来たら、財布の中の金が消えていた。宿に戻って、二人の女を探したが、二人とも、もう遠くへ消えて居なかった。宿屋の主人に交渉したが、言葉が上手く通じない。警察を呼ぶわけにも行かず、川べりをほっつき回り、女たちが現れるのを待ったが、寄って来る女は、総て別の女だった」

 工藤が情けない顔で、外出してからの経緯を話した。佐藤も同様だった。

「吉田の言うように外出しなければ良かったよ。せめての救いは拳銃を持参しなかったことだ。拳銃を盗られていたら、隊に戻れないからな」

「それは災難だったな。金は俺が貸してやるから何とかなるが、殺されなくて良かったよ。軍服を盗まれ、河に流されたら、一巻の終わりだ」

「生き馬の目を抜く都会とは恐ろしい所だと分かったら、早く寝て、急いで会寧に帰ろう」

 工藤と佐藤は俺と白鳥に失敗を告白し、酒を飲んで慰められると、ほっとしたのか、苦笑いして布団に入った。そして俺たちは熟睡し、翌朝、7時の新京発、図們行き、京図線の汽車に乗り、雪景色の中、東へ向かった。老爺嶺にさしかかったところで、『富士屋旅館』で作って貰った、おにぎり2個を食べ、懐かしい銅仏寺、朝暘川、延吉などを車窓で眺めて、夕方、図們に着いた。そこから咸北線に乗り換え、夜8時過ぎ、会寧駅で下車し、朝鮮第75連隊の正門にようやく辿り着いた。宿舎に入り、先ずは石川准尉の所へ帰隊報告に行った。

「石川准尉殿。白鳥他四名、牡丹江への開拓団護衛随伴の役目を終え、つい今しがた帰隊致しました」

「おおっ、帰ったか。心配していたぞ。ご苦労さん。今日は遅い。明日、中隊長殿と報告を聞くので、部屋に帰って寝ろ」

 石川准尉は帰隊した俺たちの顔を見て、笑顔で言った。俺たちは帰りが遅いと叱られるのではないかと覚悟していたが、叱られずに済んだ。

「分かりました。では失礼致します」

 俺たちは石川准尉に挙手敬礼し、自分たちの宿舎へ戻った。宿舎に戻りながら白鳥が俺たちに言った。

「承知していると思うが、明日、めったなことを言うなよ」

 その言葉に、俺たちは頷いた。

         〇

 3月になった。何となく春の気配を感じる3月の朝礼で、4月に、また内地から新人兵が部隊に派遣されて来るので、先輩として恥ずかしくない見本を示し、未経験者を歓迎し、懇切丁寧に指導せよと、斎藤春三連隊長からの訓辞があった。それに続いて、俺たち2年服務兵が内地に帰還することになると話された。この交代帰還については、あらかた分かっていることであったが、それが発表されると、いよいよ大陸での任務が終了するのかという気分になった。ところが翌日、満州国の執政であった清朝の元皇帝、溥儀が3月1日、皇帝に即位し、『満州共和国』が『大満州帝国』になったとの知らせが入った。俺たちはびっくりした。満州国は『満州共和国』として出発したのに何故?それは鄭考胥という初代国務総理と張景恵という国務院軍政部総長の画策だというが、俺たちには全く理解し難い、信じられぬことであった。何だったのか、俺たちの努力は?2年前の正月、天皇陛下が、〈氷雪を衝き、勇戦力闘、もって其の禍根を抜きて、皇軍の威武を中外に宣揚せり。朕深く其の忠烈を嘉す。汝将兵、益々堅忍自重をもって東洋平和の基礎を確立し、朕が信倚に対へむことを期せよ〉と仰せられたことは、別の帝国を誕生させる為のものであったのか。あの石原莞爾大佐が語られていた共和制と民主的議会制の夢は、完全に覆されてしまったことになる。満州国建国時の『順天安民』、『五族協和』の政治思想は何処へ行ってしまったのか。俺は愕然とした。そんな俺を見て、仲間は笑った。

「そう、向きになるな。ここは他国だ。満州人の領土だ。満州人の勝手にさせるが良いさ」

「そうだよ。角田の言う通りだよ。明治維新で出来た政府が、徳川政権に戻るようなものさ。徳川幕府が、御三家や旗本から成っていたように、満州にも旗人と呼ばれる特権階級があって、その最高一族『正黄旗』の頭領、愛新覚羅家の溥儀が、満州人によって三度目の皇帝に選ばれただけのことさ」

 白鳥は角田と似たような考えだった。『大満州国帝国』のことなど、工藤にも余所事だった。

「俺たちは月末には内地に戻るんだ。その前に、もっと朝鮮の知らない所を見ておこうぜ」

 仲間の頭の中は、内地に帰れる喜びでいっぱいだった。そんな雰囲気の中で白鳥が提案した。

「帰国する前に白頭山に登って見たいと思わないか」

「おう。それは良いな」

「だが、まだ雪が残っているぞ。雪中行軍の仕度で行かないと遭難するかも知れんぞ」

「もう三月だ。積雪時期も終わる。それに富士山より千メートル低い山だ。雪崩に気をつければ大丈夫だよ」

 満州で緊張した勤務を終えて、朝鮮に戻っての会寧の連隊での日常訓練や巡察だけののんびりした日常を送っていた俺たちにとって、白鳥の提案は魅力的だった。刺激を求めている俺たちは、直ぐに、その提案に賛成した。早速、石川准尉に話すと、石川准尉は、永井中尉に伝え、青木大尉から了解をいただいた。

「卒業旅行のようなものだ。栗原君も行って来い」

 俺たちの提案を許可して貰えないと思っていた栗原曹長は、石川准尉から、そう声をかけられ、俺たちと共に大喜びした。3月7日、栗原曹長以下15名程で、、朝一番の汽車に乗り、俺たちは古茂山経由で茂山まで行き、そこから白樺林の続く、茂山高原を白頭山目指して進んだ。初め雪はまだらであったが、白頭山方面に向かうにつれ、次第に深まった。何故か関ヶ原での雪中行軍の訓練を思い出した。古城里島を越え、豆満江の上流、紅丹水に沿って行くと、北胞胎山の麓に集落があり、『七星温泉』という看板が掛かっていた。俺たちは歩きに歩き、クタクタになっていたので、そこの民家の小屋で宿泊させてもらうことにした。何故、こんな所に集落があるのか、俺たちは疑問を持った。その疑問は、夜中に酒を持って来た老人の話で明白になった。

「我々の親たちは日清戦争の時、朝鮮までもが戦地になるのではないかと、白頭山の麓に逃げ込んだ一族です。我々は朝鮮王朝の功臣、洪一族の者たちで、世の中が平穏になる時代が到来するのを待って、今、ここにおります。清国の冊封搾取から脱する為、我々は大日本帝国の力を借り、日清戦争に勝利し、大韓帝国が、独立国であることを世界に向かって宣布し、大韓帝国が独立国であることが認められました。それまでは良かったのですが、ロシア、フランス、ドイツなどの内政干渉が始り、清国はロシアと手を組み、再び朝鮮を手に入れようとしたのです。その為、日露戦争が始ってしまい、日露戦争が終わったと思ったら、日韓併合になり、満州や支那での戦争が始り、戦争が終わる気配がありません。我々の一族は戦争が嫌いです。殺し合いは良くありません。ですから、我々一族は、こうして世界が平和になるまで、森の空気を吸って暮らしているのです」

 老人は俺たちにイノシシ鍋を振舞い、酒を飲ませ、普段、胸に詰まっていた思いを、俺たちに吐露した。俺は洪文徳老人の話を、夢中になって聞いた。栗原曹長は、そんな老人の話に興味が無いらしく、『七星温泉』の温泉風呂に行って戻って来た。身体はポカポカだが、タオルは凍って、俎板のようだった。俺も途中から、白鳥と一緒に酒席から抜け出して、温泉風呂に浸かった。5人程で入るのが丁度の石風呂だった。温泉に浸かりながら夜空を見上げれば、満天に沢山の星が輝いていた。

         〇

 翌朝、俺たちは『七星温泉』部落の人たちの作ってくれた朝食の御粥をいただいた。小豆を入れたり、梅干しを入れたり、イカの塩辛を入れたり、玉子やキクラゲを入れたり、各人が、お好みの物を入れる食べ方を勧められた。キムチも食べられない程、出していただき、俺たちは喜んだ。満腹になったところで会計係の島岡誠二が支払いをすると、洪一家は大喜びした。そして、地図を頼りに白頭山に登るという俺たちに、案内人二人を立ててくれた。有難いことだった。俺たちは案内人の洪三昊と洪泰浩を先頭にして、七星部落から出発した。青空に一つの雲も無く、晴れ渡った日だった。向かう雪原の道はキラキラ輝き、空気は冷たく寒いのに、汗をかく程だった。北胞胎山の麓から石乙水の川を越えた天坪という部落に着くと、洪三昊が、休憩を勧めた。俺たちは、そこで革の長靴の上に藁靴を履き、村人からコーン茶を飲ませてもらった。皆、元気になったところで、また防寒帽を被り、重たい外套を着て、背嚢を背にし、銃を抱えて、雪道を白頭山に向かった。紅土水を越え、無頭峰を通過すると、もう目の前に白頭山の頂上があった。手を振る洪案内人たちを追って頂上に辿り着くと、眼下に凍結した天池が見えた。俺は故里に近い、榛名湖の冬景色を思い出した。時刻は正午を過ぎていた。俺たちは、その山頂の岩場で昼食をすることにした。案内人二人は、近くの洞窟で暮らす知人の所へ物を届けると言って姿を消した。連隊から持参した昼食の握り飯を腰弁当から取り出すと、凍っていて食べられなかった。温泉部落からいただいた黒パンと茹で卵を口にすることが出来たので助かった。七星部落に立寄っていなかったら、俺たちは遭難していたかもしれないと、雪山の恐ろしさを知った。20分程して案内人二人が戻って来た。二人の陰に、何故か白いものがうごめいていた。誰かがいる。良く見ると、乞食姿の老婆が、杖をついて、二人の後ろに立っていた。白髪を伸ばしっぱなし、まるで妖怪のようで、髪の長さは尻に届く程だった。洪三昊が、老婆を俺たちに紹介した。

「紹介します。このハルモニは白頭山の巫女、ムータンで俺たち部落の者が世話をしている大切な生き神様です」

 そう聞いて、俺たちは、ゾッとした。そんな俺たちの目を見て、老婆は薄気味悪く笑って言った。

「イルボンサラムよ。よう、ここまで来なさった。儂は七星部落の者に崇められている巫女婆さんじゃ。七十歳の時、この山頂に運ばれてから、この世を眺めている。ここにいると、何でも見えるのじゃ」

 すると栗原曹長が、大袈裟な事をいうと、老婆をからかった。

「婆さん。寝ぼけているのと違うか。こんな所にいて、この世の事が見えるのか?耄碌して、夢の中の戯言を喋りまくっているのだろう。大袈裟な話をして、俺たちを驚かそうたって、無理の話だ」

 すると白髪の老婆は頭に手をやり、髪を風にちょっと泳がせて、栗原曹長を睨んだ後、白頭山の頂上から、遥かに広がる大陸を指差して、ゆっくりと喋った。

「見てみるが良い。この広い大地を。見えぬか。この大地には黒龍と白虎と白熊がふざけ合っている」

 俺たちは老婆に言われるまま、そこから満州と支那の大地を見やった。広大な大陸が遠く霞む程、遥か遠くまで続いている。栗原曹長は、この婆さんは何を言っているのだという、呆れ顔をして笑った。老婆は尚も続けた。身体をくるりと反対方向に向き直って言った。

「振り返って、東を見るが良い。藍色の海が広がって見えるであろう。この広い東海には鯨と鮫を従えた青龍が、偉そうに泳いでいるではないか。あそこが、お前たちの本来の居場所じゃ。船に乗って早く帰るがよい。あそこに、お前たちの仕合せがある」

 俺たちはびっくりした。老婆は人の心を読むことが出来るのであろうか。俺たちが大陸に留まるつもりでいないことを察知しているかのような言い方であった。俺たちは老婆の言葉をかみしめ、もう一度、白頭山の山頂から周囲を見渡し、老婆に挨拶した。

「ムーダンの言われる通りかも知れません。わざわざこの世の事を、お教えいただき有難う御座いました」

 俺が、そう言うと、白鳥も老婆に言った。

「素晴らしい景色を通じ、知らなかった世界を見させていただきました。感謝申し上げます」

「これ、お礼です」

 島岡誠二が、謝礼を渡し、栗原曹長が、これで帰りますと老婆に敬礼した。俺たちもそれぞれに老婆に敬礼し、もと来た道を猟銃を肩に掛けた洪案内人たちと下山した。案内人二人は下山途中、雉一羽と兎二羽を捕まえた。彼らの射撃の上手さに、俺たちはびっくりした。俺たちにとっては滑落せぬよう注意せねばならず、狩猟どころでは無かった。懸命に下山し、夕方には全員、無事に七星部落に辿り着いた。そこでまた洪文徳老人たちと、今日、出会った白頭山の巫女の話などをし、酒を飲んだ。温泉にも、ゆっくり浸かった。温泉風呂の湯に浸かりながら、白鳥が俺に言った。

「よく厳寒の白頭山登山が出来たよな。提案者としてハラハラしてたよ」

「うん。内地での関ヶ原、伊吹山の寒中訓練のお陰かもな」

 俺たちは、そう言って、温泉風呂の中の5人程で笑い合った。今夜も星が降るような美しさだった。

          〇

 白頭山の雪中登山旅行を終えた俺たちの帰隊報告を受けると、青木大尉、永井中尉、野田少尉、石川准尉は、ほっとしたようだった。八甲田遭難事件のようなことになりはしないかと、3日間、心配しっぱなしだったらしい。俺たちは朝鮮での記念旅行を済ませると、内地への帰り仕度を始めた。また今まで、お世話になった部隊の人たちや、会寧の人たちに挨拶回りをした。雄基や四会、豆満江の監視所へ行ったり、飛行部隊の西山伍長の所へ行ったり、朝鮮人の知り合いの所へ行ったり、『博文館書店』へ行ったり、『高嶺亭』に行ったりした。また遊郭に行くことも忘れなかった。『更科』に行くと、菅原糸子が、俺の帰国を残念がったが、あっけらかんとしていた。

「また会寧に来ることがあったら指名してね。私はここで頑張るから」

「分かった。数年したら、また会寧の部隊に派遣されると思うから、元気でいなよ」

「吉田さんこそ元気でね。さよなら」

 糸子との別れは、あっさりしたものだった。しかし『花月』の三浦里子は、そうでは無かった。

「私、ここに来る時、朝鮮は、さぞ寒かろうと、病気の母親に泣かれたけど、四人もいる妹や弟たちの養育費の手助けをして上げなければと、覚悟してやって来たのだから、ちっとも辛いとは思わなかったわ。でもさ、私って馬鹿だよね」

「何んで?」

「秋田に好きな男がいるのにさ、あんたに惚れちゃってさ」

 俺は、キョトンとした。

「私は、あんたのお陰で、ここでの仕事が、ちっとも辛く無くなったんだよ。なのに、あんたが帰ることになっただなんて、辛いわ」

「馬鹿だな。男と女には別れがあると言っていたのは、お前の方じゃあないか」

「分かっているわよ。でも大好きなんだよ。あんたのこと・・・」

 里子は目にいっぱい涙をためて、俺にしがみついて来た。里子は何時もの明るさを、すっかり無くし、白い肌を寄せて来た。そして目を瞑って呟いた。

「この世には神様も仏様も、御不動様も、格好だけでいないのよね」

 俺は、どう答えたら良いのか、何も思いつかなかった。裸のまま里子の白い裸身を抱いて考え、一人の女の話をした。

「不幸なのは、お前だけじゃあないよ。俺は、先月、満州の開拓団に、新潟からの日本人花嫁たちを送って行ったんだ。彼女たちは寒い牡丹江駅に迎えに来た弥栄村の開拓団の馬橇に乗って、雪道をリンリンと鈴音を鳴らし、嬉しそうに手を振って去って行った」

「まあっ、そんな仕合せいっぱいの花嫁さんが何で不幸なの?」

「夫になる本人と会ったことも無く、写真一枚で結婚を決断し、満州にやって来たんだ」

「似たような写真結婚の話、秋田でもあったわよ。美男子と思って嫁さんに行ったら、醜男だったって・・・」

「その程度のことなら、まあ良いのだが・・・」

 俺は次の言葉に窮した。牡丹江の『鳥拉旅館』で見た夢は正夢だったからだ。『花月』の部屋の天井に、馬橇に乗った花嫁たちの笑顔が浮かんだ。あの花嫁たちの中のどの花嫁が不幸になったのか?里子が俺の鼻をつついた。

「じゃあ、何なのよ」

「ある花嫁が開拓団に到着したら、彼女の夫は、5日前の匪賊の夜襲に跳び起き、銃撃戦になり、必死になって戦ったのだが、残念なことに、敵に撃たれ瀕死の重傷を負い、ベットに寝かされていたというんだ。そして数日後に、彼女は喪服の花嫁になっちまったんだ」

「まあっ、可哀想」

 里子は、そう言って小さく震えると、俺にしがみついて来た。俺は里子を抱きしめ、涙顔の彼女の唇に俺の唇を重ねた。俺たちは存分に求め合い、別れを惜しんだ。いろんな人との別れの挨拶が終わると、俺たちは帰り仕度の確認を行った。軍が用意してくれた大きな個人別布袋の中に、内地から持って来た物や大陸で手にした持ち帰って良い物を収納した。スキー、飯盒、双眼鏡、防寒眼鏡、カンテラなど、いっぱい詰め込み、自分の名札を付けた。また街に出て朝鮮の土産物を買った。朝鮮人参、蜂蜜、人形、シルクの小袋、小物箱なども、別袋に詰めた。3月20日、荷物の発送を終え、出発の日を待った。

         〇

 3月22日、木曜日の正午、俺たちは朝鮮会寧歩兵第75連隊の庭に並び、斎藤春三連隊長の送別の言葉をいただいてから、レンガ造りの駐屯地正門を出て、三列縦隊となり、会寧駅へ向かった。多くの見送りの人が、日の丸の小旗を振ってくれた。会寧駅から咸北線の汽車に乗り、清津駅で下車すると、そこでも多くの関係者が見送りに来ていた。俺たちは清津港の船乗り場に行き、午後3時半、『満洲丸』に乗り込み、見送る人たちに手を振った。午後4時に、『満州丸』は清津港を離れた。いよいよ大陸ともおさらばか。二年という月日は、長い時間のような気もしたが、今では短く思えた。遠ざかって行く清津港を見やりながら、俺は小さい声で、さよならを言った。船が清津の山脈から遠くなり、大海の出ると、雪を被った白頭山が眺められた。あの白髪の老婆が、山頂で杖を振っているような気がした。『満州丸』は、そんな北朝鮮の風景に見送られて、日本海の白波をけって、日本の福井県南西部の敦賀港へと向かった。満州国の建国と大東亜共栄圏確立の崇高な目的を遂行する為の足掛かりをつけた俺たちは、何故か凱旋気分だった。『満州丸』を追って来るカモメたちまでもが、俺たちを称えているかに見えた。俺たちは甲板に立って、本土への帰還に胸をはずませた。中島綾乃は待っていてくれるだろうか。群青色の海を『満州丸』は、俺たちを一時も早く本土に送り届けようと波をけった。そんな『満州丸』を夕陽が照り付けた。眩しかった。そして、その夕陽が沈むと、あたりは真っ暗になった。何故か気味悪くなり、俺たちは船室に入り、夕食を済ませて、二等室で毛布を被り、ゴロ寝した。船室での寒さは甚だしく、熟睡することが出来なかった。夜が明けても、まだ海の上だった。だが本土に近づいていることは間違い無かった。日本人の乗る漁船が手を振るのに応えた。俺たちも、他の客たちも船室から出たり入ったりして、昼食を済ませると、遥か前方に島影のようなものが見えて来た。そして俺たちは23日午後3時過ぎ、無事、福井の矢良巣岳と法螺ヶ岳を左右に配した敦賀港に到着した。下船して荷物を受け取った後、俺たちは敦賀の歩兵第19連隊の宿舎に入り、一泊した。明日、名古屋本部に帰れるのかと思うと、胸が躍った。24日の朝、俺たちは軍のトラックに荷物を積んで、敦賀の連隊から、長浜、関ヶ原経由で、正午前に、名古屋本部に無事、到着した。金の鯱鉾を乗せた名古屋城にある連隊は懐かしかった。多くの連隊兵が整列し、俺たちに敬礼し出迎えた。俺たちは四列縦隊になり、名古屋城の連隊の庭に並び、2年間の任務を終え、無事、帰隊したことを第3師団長に報告した。第3師団長、若山善太郎中将は、こう話された。

「2年間という長き任務、誠に御苦労であった。心より感謝申し上げる。かの満州、朝鮮、ソ連国境の凌ぎ難き極寒に堪え、各地で蜂起せる匪賊を掃蕩した諸君の勇敢なる働きは軍人の鑑である。朝鮮を守備し、且つ又、満州に出向き、満州国を成立させた諸君の功績は多大なものであり、今後、永久に語り継がれる事蹟となるであろう。ここに師団一同、心から拍手を送る」

 この大陸出兵任務の労をねぎらう御言葉をいただき、朝鮮派遣兵の帰隊式典が終了した。俺たちは事務班の指示に従い、それぞれの宿舎に行き、夕方、簡単な御苦労さん会をしてもらった。そして、その翌日から、除隊の準備に入り、自分の荷物を群馬の実家に送付した。現役満期除隊にあたり、青木勝利大尉から、お前は実力があり、優秀なので、この後、士官学校に入校してはどうかと勧められた。だが俺は長男なので、親に相談してからと返事した。除隊者の送別会は3月30日、名古屋市内の料亭で行われた。俺たちは大役を終え、別れることになり、大いに飲んだ。男同士なのに別れを惜しみ、泣き出す奴もいる送別会だった。

         〇

 3月31日、俺たち除隊者は駐屯所の正門に敬礼してから、それぞれの郷里へと向かった。俺は大きなリュックを背負い、金星の輝く軍人帽を被り、軍服を着て、軍刀を吊るした姿で、白鳥たちと一緒に、名古屋駅から東京へ向かった。途中、静岡で原田弥次郎、山本孝一たちが降り、小田原で島岡誠二たちが降り、横浜で磯村喜八、山口勇作たちが降りるなどして、再会を約束して別れて行った。東京駅で阿部四郎、片桐重吉たちと別れた。俺たち上信越組は、東京駅から上野まで行き下車して、上野で一泊することにした。東上野の『福住旅館』を訪ね、白鳥、角田、佐藤、工藤。塚田、小島に俺の7人で泊めてもらうことになった。俺はふと、湯島の東京帝国大学附属病院で亡くなった母、喜久寿のことを思い出した。

「生きるのよ。どんなことがあっても生きるのよ」

 俺はここにいる仲間たちと、銃弾の飛び交う中を掻い潜り、生還し、今、ここにいる現実を、改めて実感した。『福住旅館』の大部屋で俺と一緒に酒盛りを始めた仲間たちも、同じ思いでいるのかもしれなかった。俺たちは大いに飲み唄った。酷寒、酷暑の大陸の荒野で、敵に対峙し、命懸けで奔走した日々は、忘れぬ事の出来ぬ仲間との体験であった。不幸にも命を落とした飯野、久保田、宮内、小柴、谷中、伊藤、宮坂といった連中もいたことは、不運という一言では済まされない深い痛みの残る思い出でもあった。俺たちは酔っ払い、普段、陽気な佐藤も歌を唄っていたのに、気づいて見れば、部屋の外の階段の所で泣いていた。そんな仲間たちも、翌朝にはあっけらかんとして、『福住旅館』の朝食を美味しくいただいた。朝食を終えてから、一同、軍服に着替え、上野駅に行き、8時半発の信越線の汽車に乗り込んだ。俺たちは左右の席に4人と3人とに分かれて座った。塚田忠造が大宮で、小島陽一郎と別れてから、窓の外を見ながら呟くように言った。

「日本の田園風景は矢張り、美しいな」

 皆、同感だった。田畑に歴史があった。俺たちを乗せた列車が高崎に着くと、佐藤と工藤が手を振って降りた。俺たちは、駅のホームの売り子からお茶を買い、『福住旅館』で作って貰ったおにぎりを車内で食べた。そうこうしているうちに前方に妙義山が近づき、いよいよ俺が下車する番になった。俺は松井田のスイッチバック駅のホームに降りると、長野出身の白鳥、新潟出身の角田の乗る列車の窓に行き、二人と別れの握手をした。そして二人を乗せた列車が走り去るまで、ホームに佇み、仲間を見送った。

         〇

 故郷の松井田駅の改札口を出ると、駅前の『広栄亭』の女将が、軍服姿の俺を見つけて駆け寄って来た。

「お坊ちゃま。お帰りなさいませ」

 俺は声をかけられ嬉しかった。女将の優しい声に気安く甘えて、お願いした。

「ハイヤーを呼んでくれないか」

 すると女将は微笑して返事した。

「その必要はありませんよ。この次の汽車で、吉田校長先生が、お帰りになられますから」

「うん、分かった」

「では中に入って、お休み下さい」

 俺は遠慮なく店の中に入り、部屋に上がらせてもらった。女将は直ぐに、お茶を運んで来た。それから、店の主人と一緒に、渡満していた俺の軍隊生活について、どうだったか、あれやこれやと訊いて来た。俺は戦闘の話は余りせず、満州や朝鮮での体験を、面白おかしく話してやった。やがて、鉄橋でボーッと汽笛を鳴らし汽車がやって来て、本線からスイッチバックして駅のホームに入って来た。

「吉田校長先生のお帰りです。迎えに行って来ます」

 女将が店を出て行った。駅の改札口から、山高帽を被り、三つ揃えの背広を着て、黒いカバンを手にした、背の高い父が出て来るのが見えた。女将は父のカバンを受取り、俺の帰郷を伝えた。父は目の色を変えて、『広栄亭』に入って来た。

「おう、帰ったか」

「はい。先月末、満期除隊となり、帰郷することになりました」

「おう、そうか。異国での討匪の任務、御苦労だった。皆、喜ぶぞ。では帰ろうか」

 『広栄亭』の前には、既にハイヤーが横づけされていた。父は、毎日、ハイヤーで帰宅しているとのことだった。朝は天神峠を徒歩で越え、松井田駅まで来て、上りの汽車に乗り、磯部駅まで行き、磯部小学校での日課を終えての帰りは、磯部駅から下りの汽車に乗り、松井田駅で下車し、『広栄亭』の前から、ハイヤーに乗って自宅に帰るという日常だという。俺が『広栄亭』の夫婦に見送られ、ハイヤーに乗ると、父は言った。

「今日は日曜日だが、明日から新学期になるので、教師たちと打合せをして来た。お前と一緒に帰れるとは、丁度、良かった」

「帰る日を知らせて、大袈裟になると困るので、あえて帰りの日時を知らせず、申し訳なかったです」

「むしろ良かったよ。凱旋帰国と大騒ぎされては困るからな」

「途中、母さんのお墓参りして行こうと思うのですが」

「そうだな。お前が無事、帰り、喜久寿も喜んでくれるよ」

 ハイヤーは天神峠を越え、川端橋を渡り、新井村から土塩村に入った。そこで父は運転手にハイヤーを止めさせ、親子して降りると、ハイヤーを帰らせた。それから、坊地の母の墓へ向かった。母の墓は土饅頭の上に石を乗せた小さな墓であったが、妹たちによって、綺麗にされていた。俺は父が俺の帰国報告をした後、自分が負傷することも無く、生きて帰れたと、手を合わせて報告した。母の墓参りをして、家に帰ると、妹の喜代乃と利子と手伝いの房江さんが、夕食の仕度をしていたが、軍服姿の俺に気づくと、目を丸くして、玄関先に跳び出して来た。

「うわっ。兄ちゃんだ。兄ちゃんだ。お帰りなさい」

「本当に兄ちゃんだ」

「まあ、御立派になられて。お帰りを、お待ちしておりました。大きな荷物が今日、届きましたので、お帰りになられるのではないかと、皆で、夕食の準備をしていたところです」

 房江さんは、そう俺に言ってから、父のカバンと山高帽を受取り、座敷に上がった。入れ替わるように、奥の六畳間で勉強していた弟の通夫が、玄関の上がり框に走って来て、元気な声で、俺を迎えた。

「うわっ、兄ちゃん。兄ちゃん、お帰り」

「只今」

 俺が朝鮮に派遣される時、まだ子供子供していた弟、通夫は、当たり前だが、小学校の上級生になり、賢そうな少年に成長していた。俺は弟に導かれ、奥の六畳間に行き、軍刀を床の間に置き、リュックを縁側に置いた。喜代乃が丹前と帯を出してくれた。それを見て、父が俺に言った。

「お前が先に風呂に入れ」

 俺は何時も、父の後に風呂に入っていたのであるが、お言葉に甘え、父より先に風呂に入らせてもらった。懐かしい檜風呂に入り、温かなお湯と木の香りに包まれ、無事、戻れたのだと、ホッとした。俺の後に父と弟が風呂から上がると、仏壇に食事を備え、線香を上げ、帰国報告をした。その後、皆で夕食をいただきながら、それぞれの近況を話した。父は、まだ磯部小学校の校長のままで、妹の喜代乃は、安中高等女学校を卒業してから、教員免許を取得し、細野小学校の教師になっていた。利子は小学校を卒業して、房江さんに家事を教えてもらっていた。弟の通夫は小学校の勉強のかたわら、関東軍と馬占山の戦いや爆弾三銃士の物語に夢中になっていた。そんな家族に、俺は朝鮮と満州の日々を簡単に話した。内地の新聞やラジオでは、俺たちがソ連から朝鮮を守り、満州国を成立させたと、大々的に報道していたようで、酷暑、酷寒に堪え、匪賊の夜襲に戦々恐々としていた俺たちの体験して来た現実とは、全く違っていたので驚いた。大陸で沢山の死者を出し、多くの犠牲を払っているという現実が報道されていなかったということは、問題であると感じはしたが、また有難いような気もした。父も妹も弟も房江さんも、それぞれに俺の大陸での軍隊生活を勝手に想像していたに違いなかった。従って、俺が朝鮮の連隊から、満州建国の為に満州に移動し、再び朝鮮の連隊に戻って帰国した話は、まるで英雄譚みたいなもので、、いろいろ質問された。その為、久しぶりに実家の布団に入り、ゆっくりさせてもらおうと思っていたのに、寝るのが遅くなり、深夜にまでなってしまった。

         〇

 翌日、俺の帰郷を知った近所の人や親戚の人や小学校時代の同級生や、村会議員の人たちが、凱旋帰国の祝いだといって、酒や食物を持って我が家にやって来た。俺は予想もしなかった村人たちの歓迎と興奮に接し、晴れがましい気分になった。だが、村の青年団の集まりで、満州事情の解説を依頼された時には困った。村の経済状態は極度に悪化していて、村民の困窮の程は俺が予想していた以上の苦しい状態だった。細野村の若者たちの中には、俺のように軍隊に入り、給料生活をしたい者と満州や朝鮮に移民しようと考えている者がいた。俺は集まっている若者たちに、こう説明した。

「皆さん、ご存知の通り、俺は朝鮮と満州に行って来た。海を渡り、他国に行き、日本が如何に素晴らしい国であるかを知った。日本人は勤勉で良く働く。大陸の連中は怠け者が多く、勉強嫌いだ。かって福沢諭吉先生が、大陸の連中は無知蒙昧であり、人民の独立の気力を養う為の、学問を奨励しなければならない。日本人が行って、人民の智徳を高め、人民を豊かにさせて上げなければならないと論じられたことがあるが、全く、その通りだ。その為に、今、満州政府では日本人が補佐し、国家発展構想などを練っている。日本国経営による満鉄は満州国全土に、鉄道を敷設している。俺はその手助けをして来た。だが、こうして他国から日本に帰り、日本の大地を見て、日本の大地は大陸の大地より、美しく肥沃であると再認識した。今の日本国内の困窮は、欧米をはじめとする列強各国が、日本が国際連盟から脱退したことによる経済封鎖を実施していることに起因している。その為、養蚕の盛んな我が村も、生糸の輸出が無くなり、苦しくなっている。だからと言って、俺のように軍人になろうと思ったりしてはならない。俺は大陸に行き、何度も死にそうになった。夏は猛暑、冬は酷寒の荒野。そこでの武装匪賊との交戦。生きて帰れたのが、不思議なくらいだ。それに大将になるには、16もの階級を昇らなければならないんだ。その上、俺のような陸軍教導学校卒業では、上級には進めない。士官学校を卒業しなければ駄目だ。更に、その中に、まだ薩長土肥の流れがある。そんな軍隊に入り、無駄死にすることはない。それより、養蚕だけに頼らぬ農業を行い、農産物の生産力向上に傾注すべきであると考える。稲や麦だけで無く、キャベツ、白菜、ネギ、コンニャク、果樹など、各人が個別の物を生産すれば農業は発展し、村は豊かになる」

 この説明が、集まっている軍人志望の若者たちに、理解してもらえているか、どうかは分からなかった。俺の勇ましい話を聞きたかった者が、俺のことを臆病風に吹かれて、帰郷したみたいだと推測されても仕方ないと思った。一人の若者が、立上がり質問した。

「吉田先輩は、折角、軍人になられたのに、何故、軍人にならない方が良いと仰有るのですか?」

 俺は、そう質問されて困った。だが答えない訳にはいかない。俺は戦地に派遣された軍隊の兵卒が如何に危険過酷であるかを教えねばならぬと思った。

「軍人になるには、それなりの覚悟が必要だ。先程も言ったように、軍隊という組織は、そう甘ったるいものでは無い。俺の経験した軍隊生活は、戦国時代の足軽だ。歩兵連隊などと、勇ましい名をつけて従軍させられたが、まさに足軽なのだ。足軽が殺されようが片輪者になろうが、お殿様には関係ない。日本軍の司令部は東京にあって、理想主義者の集まりだ。あの領土が自分たちのものになれば良いなどと、机上の地図を広げて想像を重ね、出来ない事、やってはならない事を、海外派遣軍に指示命令を行う。しかし、海外に派遣された部隊は違う。部隊長以下、一兵卒に至るまで、現実主義者でなければ命を失う。風を読み、敵を掃討しなければ、敵の銃弾が、自分の心臓をぶち抜くのだ。軍人になるには、俺のように生きて帰ることを考えぬ覚悟が必要だ」

 俺の答えに質問者は、シュンとなった。俺は尚も付け加えてやった。

「東京の司令部にとって重要なのは、戦争の勝敗だけであり、派遣兵士たちが、何人死のうが、何人負傷しよが問題では無い。勝利すれば良いのだ」

「そうですか。知りませんでした。お教え、有難う御座います」

 質問者は俺にそう言って深く頭を下げた。続いて俺より年上の隣村の男に質問された。

「俺は満州の開拓団に応募しようと思っているが、うまく行くだんべえか?」

「貴方の質問には悩むところであるが、俺の本心は、大陸の猛暑酷寒の地へ行くのはまだ待った方が良いと考える。何故なら、俺はこの目で満州の開拓村を見て来た。そこは電気、水道も整っていない荒れ地だ。俺は満州に行って間もなくの時、開拓移民を進める東宮鉄男少佐や加藤莞治先生や山崎芳雄先生にお会いし、開拓団計画なるものを知った。この計画は満州の荒れ地を開墾して自分たちの土地にすることであるが、その裏には満州の農産物をはじめとする膨大な資源確保の地方に不足している、満州国の守備兵増強の目的を包含している。つまり、この計画は開拓移民計画というより、武装移民計画と言った方が正しいであろう。従って開拓団に加わるには、軍隊経験者であり、困窮欠乏、生活困難に忍耐し、匪賊と戦い、満州に骨を埋める確固不動の精神を持つ者で無ければ、勤まらない。故に俺は細野村民には、そんな厳しい環境の所に行かず、地元の開拓を進めて欲しいと思う。我が村には、草戸谷、小鳥谷、木馬瀬、板ケ沢から鼻曲山の麓まで、まだまだ開墾すべき山地丘陵があるではないか。満州に行くのは、満州国内の政情が落着くまで、しばらく待った方が良いと思う」

 村の青年団との懇談会は、俺の弁舌で終わり、その後、集会場での飲み会となった。その席で、俺は製糸工場の帰りに逢引していた中島綾乃が、東京の会社員のところに嫁いで、遠い所に行ってしまったのを知った。その衝撃に、一時、精神的に落ち込んだが、致し方ない事だった。

         〇

 俺は失恋の心を紛らわそうと考えた。小諸に帰った白鳥健吾に久しぶりに会って、話をしたいと、前もって手紙のやり取りをして、4月16日、松井田駅から直江津行きの汽車に乗った。松井田駅の隣りの横川駅に着くと、顔見知りの鉄道関係者に声をかけられた。アブト式電気機関車が連結されるまで、おにぎり弁当売りの幼馴染と雑談した。電気機関車が連結されると、汽車は大きく汽笛を鳴らし、碓氷峠に向かった。列車は碓氷峠のトンネルや高架橋を通過し、軽井沢に到着した。ほんのわずか山頂に白雪を残し、煙を吐く浅間山を眺めていると、アブト式電気機関車と汽車が切り離され、再出発した。車窓に移ろい行く外の風景は、信州の高原の爽やかな緑を、所々、桜のピンク色で飾って、変化を見せていた。信濃追分、御代田を過ぎると、もう小諸だった。更に進めば横山大観先生に会いに行った信州中野である。俺はふと師範学校に受験し、不合格になった時分のことを思い出した。小諸駅の改札口を出ると、先月、別れたばかりの白鳥健吾が待っていた。お互い軍服を着ての再会だった。その白鳥の後ろに、花柄のワンピース姿の女性がたっているのが目に入った。直ぐに白鳥の妹だと気付いた。

「おうっ。お前も軍服姿か」

「うん。着る物が、これっしか無いのでな」

「俺も同じだ。こいつは俺の妹だ」

 白鳥に、そう紹介されると、白鳥の妹は両手をワンピースの膝あたりに置いて、丁寧に頭を下げた。

「白鳥美雪です。兄が軍隊で、お世話になりました」

「いや、お世話になったのは俺の方です」

 俺は慌てた。白鳥が、自分が嫁に貰いたいくらいの美人だと言ってた通りの清楚な百合の花のような女だった。正直なところ、俺は一目惚れした。

「いい女だろう」

 白鳥は妹の前で、平気で俺に確認した。俺は赤くなって頷いた。そんな俺を見て、白鳥は笑いながら言った。

「丁度良い季節だ。『懐古園』の桜が満開だ。見に行こう」

 俺は白鳥に同意し、小諸駅から、数分の所にある『懐古園』へ行った。三之們から園内に入ると、桜が満開。その美しい桜の下を一緒に歩く美雪の丸みを帯びた身体つきの色香が、俺を酔わせた。白鳥は得意になって園内の説明をした。黒門橋、天守台、藤村歌碑、本丸跡などを二人で案内してくれた。俺に夢中になって、小諸の歴史を語る兄の喜ぶ満面笑みの姿を見て、美雪は俺を時々、ちらっと見て、口許をほころばせた。その美雪が醸し出す愛らしたと色香に、俺は見詰められる度、ハッとした。展望台の桜の花枝の間から、千曲川を眺めながら、白鳥が言った。

「俺たちは、もしかすると、今、散っている桜の花びらのように、散っていたかも知れないよな。無理していたら、きっと死んでいただろう」

「そうかも知れないな。だが死んじゃったら終わりだ。命は一つしかないんだから。俺たちは生きて帰る為に努力したから、今、ここに、こうしていられるんだ」

 俺たちの会話を耳にして、美雪が目にちょっと涙を浮かべたのが分かった。眼下を流れる千曲川は、何故か、あの満州の朝暘川を思い出させた。白鳥は一通り、『懐古園』を案内したところで、俺に言った。

「俺の家に行こうか」

 俺は躊躇した。軍服姿で、訪問するのは、失礼だと思った。

「いや。帰りが遅くなると困るから、小諸の町で一休みしたら、帰るよ」

「そうか。じゃあ、蕎麦でも食べよう」

 白鳥は俺を駅近くの蕎麦屋『草笛』に連れて行き、御馳走してくれた。胡桃蕎麦と山菜天麩羅と蕎麦搔きをいただき、満腹になった。その後、お茶を飲みながら、近況を報告し合った。途中、美雪が席を外した時、白鳥が言った。

「どうだ。気に入ったか?」

「うん」

 俺は、そう答えて、中島雪乃が東京の会社員の所へ嫁いでしまった話をした。美雪が席に戻って来たと同時に、俺たちは会話を止めた。そして『草笛』から出て、駅に移動し、上りの汽車が、小諸駅に入って来たところで、別れた。

         〇

 俺が小諸の揚げ饅頭を土産に持って帰ると、妹や弟たちは喜んだ。だが父は俺が現役から離れ、予備兵として郷里にいなければならないのに、野良仕事を春吉、奈加夫婦に任せっきりで、遠くまで遊びに行っていることが気に喰わぬみたいだった。朝早く天神峠を越える4キロの道のりを、松井田駅まで歩き、上りの汽車に乗って磯部小学校へ通い、子供たちに精神訓話や歴史教育をして、教頭以下の教職員の官吏をして帰って来る親の苦労も知らず、村の若者や軍隊仲間との交流を楽しんでいる俺の姿が、大陸に行き、休む暇無く、軍隊での厳しい規律を遵守し、日本国家繁栄の為に邁進して来た者の態度とは見えなかったらしい。父は晩酌の酒が入ると、俺を叱責した。

「言っておくが、軍隊経験者が、仕事もせず、フラフラ遊び回っているのは良くないぞ。今現在は、お前が帰って来て、それ程、経っていないから、人々は後ろ指をささないが、そのうち陰口を囁かれるようになるから、気を付けろ」

「はい。留意します」

「ところで、今日は何処へ行って来たのだ?」

 父は『広栄亭』の女将から、俺が午前中に松井田駅から、軽井沢方面行きの汽車に乗ったことを聞いていたに違いなかった。俺には特別に隠す必要も無かったので、正直に答えた。

「軍隊仲間の白鳥に会いに、小諸へ行って来ました。桜が満開でした」

「そうか。桜が咲いていたか。呑気なもんだな。そんな風だと、嫁さんの来手もいないぞ」

 その父の言葉に、自分の結婚相手について、父に打ち明けるのは今だと思った。父の晩酌の酒を一杯いただき、一気に飲み干してから言った。

「ご心配無く。嫁さんは、既に決まっておりますから」

 そう答えた俺のニコニコ顔を見て、父は顔色を変えた。いきなり俺に結婚相手がいると、思いもつかないことを言われ、仰天した。俺が、父の反応を確かめようと、父の目を確認した次の瞬間、父は眉根に皺を寄せ怒鳴った。

「何だと。嫁さんが既に決まっているだと。親や親戚の了解も無しに、嫁さんを決めるとは何事だ。相手は何処の女だ?」

「白鳥の妹です」

 俺は正直に答えた。夕食を始めていた妹や弟や房江さんの食事の箸が、ピタッと止まった。皆が、どうなるのかという顔をしていた。父は首を左右に振って、反対した。

「それは駄目だ。長男の嫁さんは近郷から迎えねばならぬ」

「何故です?」

「いざという時、互いに駈けつけ合える親戚であらねばならぬ」

「そんな馬鹿な。それに小諸は、そんなに遠い所ではありません。白鳥の家は小諸の名家です。白鳥の姉は、松本に嫁ぎ、友達に清朝の王女もおられる程です。白鳥の妹と結婚させて下さい」

 俺は父の顔から目を放さず、畳みかけた。だが父は頑固だった。

「お前の嫁さんは、お前が帰国する前に決まっている。お前が帰って来て、仕事が落ち着いた所で、挙式することになっている。お前が別の女を嫁さんにしたら、俺はお前の嫁さんを紹介してくれた仲人や親戚に顔向け出来なくなる。お前は長男だ。お前の嫁さんになることを決心した相手のことも考えろ」

 俺は、その父の言葉に、妹や弟や房江さんがいるので、反論出来なかった。まだ写真も見た事の無い相手だ。どうやったら、父が俺に無断で決めた婚約者に、婚約破棄を、お願いしたら良いのだろう。婚約相手は、あの満州の弥栄村に案内した花嫁のようなものだ。東京の女学校を卒業し、鬼石小学校の子供たちを教えている女教師だという。どうしたら良いのだろう。俺は白鳥の妹を忘れることが出来なかった。

         〇

 現役軍人から満期除隊となり、予備役となった俺は、一応、地元に駐屯する陸軍歩兵15連隊の管轄下に属することになったとの通知を受け取った。これから5年4ヶ月の間、まだ軍人の身分を保証され、実家での農作業に励むことになった。そんな4月29日、天長節の日、俺に歩兵15連隊からの招請があり、俺は高崎の連隊へ軍服姿で出向いた。そこには佐藤大助、工藤武夫、太田久四郎、金沢達雄、矢野大介たちが、先輩軍人に頭を下げながら集まっていた。俺たちはこの日、役山久義連隊長はじめ、地方長官が居並ぶ講堂に案内され、陸軍武官の勲章授与式で、勲章をいただくことになった。俺は上官たちの授与から自分たちの授与の順番が迫って来ると、心臓がドキドキした。司会者から自分の名を呼ばれ、役山少将の前に出て、勲七等、瑞宝章の証書と勲金授与証と勲章を受取った時には、天にも昇る気分になった。俺たちは大感激した。白鳥たちも松本の50連隊で勲章をいただいて、喜んでいるに違いなかった。俺は授与式が終わって、連隊を出てから、佐藤や工藤たちと一緒に柳川町の『宇喜代』に行って、叙勲祝いをした。そこで今後とも長い付き合いをしようと仲間たちと約束し合った。祝いの飲み会は一時間半ほどで終了した。皆、地元に戻って、村人たちから祝ってもらうとのことであった。だが俺の家では、周囲の者に派手に祝ってもらうことをしなかった。何故なら、近郷数ヶ村の小学校の校長を歴任して来た父が、未だ恩賜をいただいておらず、20代の若造の俺が先に恩賞を賜るという不条理が故であった。それでも天長節の日とあって、父は小学校で教育勅語を読み上げ、学童たちに天皇からの恩恵を表す、紅白の菓子を配り、その後、教員たちと一杯やって来たらしく、とてもご機嫌だった。家に帰ると、そんな父と妹や弟たちが、俺が勲章を貰って帰ったことを喜んでくれた。小学校の教員をしている喜代乃が、証書を見たいと言うので、見せてやると、喜代乃は、その文面を読み上げた。

:天祐ヲ保有シ、万世一系ノ帝祚ヲ践タル日本国皇帝ハ、吉田一夫ヲ、明治勲章ノ勲七等に叙し、瑞宝章ヲ授与ス。即チ此ノ位ニ属スル礼遇及ヒ特権ヲ有セシム。

神武天皇即位紀元二千五百九十四年、昭和九年四月二十九日、

東京帝宮ニ於イテ璽ヲ鈐セシム。

 昭和九年四月二十九日

 賞勲局総裁従三位勲一等 下條康麿

 此證ヲ勘査シ、第八十六万三千五百三十二号ヲ以テ勲章簿冊ニ記入ス

 賞勲局書記官正五位勲四等 伊藤 衡:

 それから喜代乃は勲金百円が少なすぎると文句を言った。命懸けで戦ったのに言われてみれば、そうだが、年金がもらえるので、俺には満足な褒賞金だった。父は小さな四角の箱から紅白の綬に吊り下がった銅メタルの勲章を取り出して眺めてから、その勲章を弟、通夫の首に掛けて笑った。通夫は、兄は立派な軍人さんだと、今日、学校で戴いて来た紅白の菓子の一つを俺にくれた。家族5人と房江さんを加えての夕食は賑やかだった。翌日には俺が勲章をもらったことを知って、村の親戚や近所の人が祝いに来てくれた。夕方には村の青年団に祝ってもらった。俺の叙勲にかこつけ、酒を飲みたい連中ばかりが集まった。俺に続いて5月1日、今度は父、今朝次郎が従七位に叙せられ、我が家は、お目出度続きとなった。更に、その1ヶ月後、俺は高崎の連隊からの転役命令により、安中蚕糸学校の教練の教官及び事務員として勤務することになった。そこでの毎日は、陸軍教導学校で学んだことの、おさらいのようなものだった。体力強化の為の体育駆歩、手旗信号、武器説明、精神訓話、地理測図、戦闘体験談、アジアの歴史など、自分が今までやって来たことを教えると、学生たちは夢中になって、俺の指導を受け、軍人になることを志望した。だが俺は一等大事なのは、海外などに行かずに、群馬の農業を発展させることが重要だと力説した。

         〇

 俺の文武両道を志望した青春時代の思い出のページは、ここらへんで幕を閉じることにする。それにしても、君らは何故、俺が老いぼれになり、余命幾許も無くなってから、当時のことを語るのか不思議に思うであろう。今まで満州国成立の時代の事を、質問しても、何故、詳しく話してくれなかったのかと疑問を抱くであろう。その理由の一つは何が正義なのか分からず、正義は必ず勝つと信じ、敵に突撃し、多くの人たちを不幸にして来たのではないかという疑念と悔恨の気持ちか俺にあったからである。もう一つは俺たちが血を流し、友を失い、折角、作り上げたところの世界でも類を見ない民族共和国である『満州国共和国』を板垣征四郎や甘粕正彦らによって、『大満州帝国』にされてしまったが故の無念さの為である。当時、俺たちは小畑敏四郎の『対ソ戦備論=対支不戦論』を支持し、満州国がスタートしてからの日中間の親善関係は実に良好だったことに喜びを感じていた。日本と蒋介石総統が率いる国民党政府とは相対的安定した友好関係にあった。ところが民族の差別を行わず共に生きるという理想国家、満州国が、別の動きを始めてしまったのだ。満州国が共和国として繁栄することが、日本の為にも中華民国をまとめようとしている蒋介石の為にも、好都合であったのだ。しかしながら世界の動きが読めぬ作戦能力の無い日本の愚かな連中によって、満州国は元清国皇帝、溥儀を皇帝とした傀儡国家に変身させられてしまったのだ。その大馬鹿者の代表は憲兵上がりの東条英機と甘粕正彦である。彼らが菱刈隆司令官を持ち上げ、満州国を『大満州帝国』にしてしまったことにより、蒋介石の考えも変わった。蒋介石は溥儀の皇帝就任は清朝の復活、すなわち中華民国の国民党政権打倒を目指すものであると解釈した。また関東軍が満州皇帝を操縦し、満州を植民地扱いに変貌させていることにより、米、英、ソは日本攻略の理由を見出し、中華民国内の国共合作に加担したのだ。更に悪いことには、力を持て余していた日本海軍が、陸軍に格好良さを見せつけられてばかりいられないと、上海周辺に軍艦を集中させ、威嚇作戦を展開した為、流石の蒋介石も激怒し、日中戦争を勃発させてしまったのだ。それが更にアメリカをはじめとする連合国軍を相手とする戦争に発展して、アジア全土を巻き込む太平洋戦争となり、日本国を敗戦国とさせてしまったのだ。結果、俺たちが望んでいた日本国を盟主とする東洋平和確立の夢は消えてしまったのだ。満州国の成長により北東アジア圏の自給自足体制が整い、更なる近代化の着想が進められていたというのに、全く情けないことになってしまった。俺たちが北東アジアの平和の為に、大陸に渡り、多くの犠牲者を出し、満州地方で暮らしている人たちと共に創造した美しい満州国は、日本政府や関東軍が、満州国の共和政治に関与せず、指導的立場となって、国連から認められる五族共和制国家にするべきであったのだ。その民族平等の共和国こそが、世界の国々から称賛され、日本をはじめとする周辺諸国の国益に寄与する筈であった。なのに、その五族共和制国家は一部の人間によって、絶対君主制国家に塗り替えられ、世界地図から消されてしまった。そして、その愚かな連中もまた東京裁判の判決の結果、死刑となり、この世から消されてしまった。俺の信奉していた石原莞爾中将は、『関東軍記念写真帖』に写真が載ってなかったことと蒋介石総統の申し出により、マッカーサー元帥の戦犯認定から、運良く除外され、消されることは無かった。石原中将は山形に戻り、農場生活を始め、静かな後半生を終えたという。俺もまた、終戦となるや、歩兵15連隊から解放され、生まれ故郷で農業に専念することとなった。美しい上州の自然に抱かれ、村人たちの温かい心に元気づけられ、俺は夢と希望を持って命懸けで生き抜いた青春時代を、消し去ろうと思って来たが、70歳という年齢になって、その体験は、負の体験では無く、言い残しておくべきことだと自分に問いかけてみた。すると過去に蓋をしたままではいけない。あの理想を持って誕生させ、実在した美しい満州国を無かった国にしてはならない。時が如何ほど過ぎようとも俺たちが血を流し、満州国に注いだ情熱とエネルギーを無かったことにしてはならない。そんな時代があったのだ。青春時代、俺たちが大陸に行き、とても輝いていたことは確かだ。そういう答えが湧き上がって来た。その結果、俺は俺の青春の思い出のページを公開することを決断した。たとえ満州国は、消されようとも、その歴史は永遠に生き続けると俺は信じてやまない。ああ、満州国よ、永遠なれ。

       《 完 》