波濤を越えて『神功皇后の巻』②

2021年9月5日
歴史小説

■ 王位継承

 神功元年(391年)十一月末、神功皇后は新羅遠征を終え、無事、任那から倭国に帰国し、筑紫、香椎の宮に凱旋し、侍女、但馬由良媛を連れ、宇美野での産休に入った。そして十二月十四日、目出たく太子を出産した。それから数日後、津守住吉と物部胆昨が神功皇后の出産祝いに香椎の宮からやって来た。津守住吉は神功皇后を見舞い、皇后の元気な姿を見て安心した。

「皇后様。皇子様の御誕生、誠におめでとう御座います。生まれながらにして気品ある皇子様の御誕生を、誰もが喜んでおられます」

「有難う。総てが計画通りに進んでいます。これも、新羅征討に同行してくれた、住吉や、筑紫で留守をしてくれていた胆昨のお陰です」

 神功皇后の言葉に、津守住吉は赤面した。

「いいえ、私の力など、ほんの微々たるもので、お役に立つことが出来ませんでした。総ては皇后様の念力にて引き寄せられたものです」

「それにしても、新羅との交渉といい、皇子の誕生といい、まるで夢のようです。これもみな、住吉が傍にいてくれたお陰です」

「勿体無いお言葉です」

 住吉が深く頭を下げている間、神功皇后は物部胆炸に指示した。

「私は今回の新羅征討の功労者の先祖を敬い、神として祀ってやろうと思っております。穴門践立や田裳見宿禰らと相談し、それぞれに社殿を建ててやって下さい。大三輪神社、葛城神社、穴門神社、住吉神社、安曇神社、出雲神社、岡湊神社、宗方神社など、それぞれの神様が居りたいと思う地を定めてやって下さい。また、私と中臣烏賊津については、宇佐の社殿に祀って下さい。

「承知しました。早速、関係者と相談し、このことを功労者に伝え手配致します」

 津守住吉は、神功皇后の言葉の中に自分の名も上がったので、驚いた。

「皇后様。有難う御座います。かって日向の地より神武天皇様の東征に従い、天皇家に仕えて来た我が一族にとって、只今いただきました皇后様の御言葉は最高の栄誉です。早速、一族の者に伝えます」

 津守住吉は新羅の国のみでなく、倭国に於いても自分の先祖の神を祀ることを許され、狂喜した。何と幸せなことであろうか。そんな喜びに溢れた住吉に神功皇后は相談した。

「ところで私は皇子の名を付けなければなりません。武内宿禰に名付け親になってもらおうと思っているのですが、何があってか、武内宿禰からの便りが未だに届かず、放っておけないので、自分で皇子の名前を付けたいと思っています。既に考えてみたのですが、如何でしょう?」

「何時までも、お名前が無いのは良くないことです。我が子の名前をご自分で付けるのも良い事です。して、お考えの皇子様の御名前は?」

「誉田皇子です」

「誉田皇子。何処かで聞いたような?」

「この可愛い皇子は、私の体内にあった時に、何かにぶつかったのか、左腕に瘤があります。その形は弓を引く時、手に着ける皮の鞆に似ています。それで誉田と考えました。また任那でお会いした誉田真若殿の如く、雄々しい若者に成長して欲しいと願い、その文字をいただこうかと」

 神功皇后は自分が考えた名前に酔っている風であった。物部胆炸にも津守住吉にも反対する理由は何処にも無かった。神功皇后の考えに物部胆炸が答えた。

「素晴らしいお名前です。皇后様が男装をして、鞆を着けた御姿のように、凛々しく聡明で、物事を遠くまで見通せる立派な皇子様に相応しい、御名前です」

「私は、この誉田皇子を次の天皇にと考えております。この子はきっと聖王になられます。その為に私は大和に帰らなければなりません」

 神功皇后は自分の子の将来を明確に意識すると共に、大和の都に帰還せねばならぬことを、二人に語った。それにしても大和の武内宿禰との連絡が取れていないということは、住吉にとっても大変、気がかりであった。

「胆昨殿。大和の都は、あの武内宿禰様がお守りしているのに、武内宿禰様からの便りが全く無いのですか?」

「はい。一ヶ月程前から、便りが無くて困っております」

 物部胆炸が、そう答えると、神功皇后は大きく息を吸い込み、顔を曇らせて言った。

「先日、葛城襲津彦と紀角の兄弟を様子見に大和に派遣しました。その原因が何なのか、調べさせています。仲哀天皇と共に大和から離れ、熊襲討伐、新羅遠征にかかわっている間、大和朝廷で、何かが起こっているのかも知れません。その様子を私は早く知りたいと思っています。その調査結果によっては、都への帰還の仕方が変わってしまいます」

 神功皇后は自分の胸に抱いている不安を二人に話した。その神功皇后の沈鬱な不安の吐露に、津守住吉は、神功皇后の次なる苦悩を知った。

          〇

 数日後の晴れて暖かな日、神功皇后は生まれて間もない皇子を連れて香椎の宮に戻った。そして侍女、但馬由良媛らと、可愛い皇子をあやして、楽しい日々を送っていた。そんな所へ、大三輪鴨積が緊張した面持ちで姿を見せた。

「鴨積。突然、こんな所まで、何事です?」

「皇后様。武内宿禰様の使者がやって参りました」

「ま、それは良かった」

「緊急の知らせのようです」

「ならば、広間で聞きましよう」

 神功皇后は由良媛に皇子を頼み、大広間の高御座に座った。重臣を集めたところで、神功皇后が鴨積に言った。

「ここに通せ」

 すると鹿我別に連れられ、体格の良い男が現れた。神功皇后は待っていたぞとばかし、その使者を迎えた。その使者は神功皇后の前に進み出て武内宿禰の伝言を話した。

「神功皇后様に申し上げます。私は武内宿禰様の使者、難波の建振熊です。武内宿禰様、御老体の為、筑紫まで来られず、その使者として建振熊、やって参りました」

「遠い筑紫まで御苦労様。武内宿禰は元気ですか?」

「はい。お元気です。自ら、大和での事の次第を伝えるべく、筑紫まで出向くと仰せられたのですが、一刻も猶予の無い状況が差し迫っている為、武内宿禰様を吉備に残し、私のみ急いで、筑紫にやって参りました。今、大和や近江では悪辣な豪族たちが、神功皇后様が留守であるのを良い事に、自分の権勢を拡大しようと兵を強化し、武内宿禰様の意見もないがしろにし、勝手気侭な行動をしている状況です。武内宿禰様も、彼らと周辺の異様さを恐れ、急遽、私と一緒に大和を脱出しました」

「すると武内宿禰は今、大和にはいないのですね」

「はい」 

 神功皇后は建振熊の報告を聞いて、自分の顔からさっと血の気が退くのを覚えた。

「して私に、どんな連絡を・・・」

 建振熊は神功皇后の顔を見詰め、最後の力をふりしぼるみたいに申し上げた。

「兵の準備をして凱旋されたいとのことです」

「兵の準備を?」

 神功皇后には理解し難い要請であった。その場にいた物部胆炸、大伴武持、大三輪鴨積、津守住吉、吉備御友別や筑紫の県主たちにとっても同じことであった。大三輪鴨積が建振熊に言った。

「兵なら、我々一族の兵が畿内に残っているではないか?それに動員した兵も新羅から戻り、大和や近江に返したではないか?」

 その鴨積の不満に対し、建振熊も黙っていなかった。

「長旅の戦さを終えて疲れ切って戻って来た兵では、当てに出来ません。これから戦さを始める勇猛な兵を準備し、大和に帰還して欲しいとの武内宿禰様の御言葉です」

 その建振熊の要請に神功皇后も重臣たちも、事が尋常でないと知った。大三輪鴨積は苛立った。

「我らが大三輪一族はどうしている?」

「豪族たちの動きを静観している様子です。鴨積様の、早い帰りを待たれているようです」

「何たることじゃ。都をお守り出来ないとは・・・」

 建振熊は更に続けた。

「それは鴨積様の一族だけではありません。今までが余りにも長すぎたのです。主人が不在となれば、誰かが次の主人になろうとします。新しい主人を求めて、悪辣な連中が暗躍します。仲哀天皇様が御隠れになったと知り、次に天皇に御即位されるのは、香坂皇子様か忍熊皇子様かと、豪族たちが右往左往しています。武内宿禰様が、神功皇后様が戻られるまで、次の天皇様や日嗣皇子様を決める訳にはいかぬと説得しても、彼らは言う事を聞きません。中には密かに武内宿禰様を抹殺しようと企んだ者もいます。そんな状況ですので、一時も早く、兵を準備し、大和に戻って下さい。神功皇后様が大和に戻って、仲哀天皇様の後を継いで、女王様になるのは、今が絶好の機会です。沢山の軍兵を従え、大和の日代の宮に凱旋すれば、神功皇后様は必ず女王様になれるとの武内宿禰様からの御伝言です」

 武内宿禰の使者、建振熊の言葉は熱を帯び、大きな衝撃となって神功皇后の胸に迫った。自分が新羅の女王になる。それは遊びの夢物語であったが、今、聞いた武内宿禰からの伝言は、自分が倭国の次期天皇に正式に即位するという話であった。それは今まで考えてもみなかったことであった。しかし、大和朝廷の重鎮、武内宿禰の言葉となれば、それは実現不可能なことではないかも知れなかった。神功皇后は瞑目し考えた。熊襲討伐や新羅征伐の功績を国民に報告し、朝廷や民衆の支持を得て、夫、仲哀天皇の後を継ぐ。その実績と王権相続の正当性を演説し、国民に納得いただき、皆に祝福され、堂々と天皇に即位する。そして我が子、誉田皇子に皇位を引き継がせる・・・。さまざまな思いが神功皇后の脳裏を駆け巡った。何という夢のような話か。されど、その為には自分が猛女とならねばならぬ。神功皇后は、建振熊に伝えた。

「状況、良く分かりました。今年中は無理ですが、来年一月中に兵を整え、二月、大和に凱旋すると、武内宿禰に伝えて下さい。それまで、御苦労なことですが、持ちこたえて下さい。取敢えず、武内宿禰を護衛する兵を連れて行って下さい」

「有難きお言葉、早速、この事、武内宿禰様にお伝え致します」

 建振熊は、神功皇后に深く頭を下げ、礼を述べた。神功皇后は、その場で、吉備御友別に指示した。

「吉備御友別。汝は吉備の兵を引き連れ、建振熊と共に大和に向かい、武内宿禰と合流し、武内宿禰を護衛して下さい。良いですね」

「ははーっ」

 吉備御友別は指名を受け、その任務を誇りに思った。そして翌日には建振熊と共に吉備軍の先頭に立って、大和へ向かった。

          〇

 神功二年(392年)正月、近江で暮らす仲哀天皇の皇子、香坂皇子と忍熊皇子の兄弟は、神功皇后が新羅から戻り、大和に帰って来る噂を耳にし、どうしたものかと話し合った。二人は仲哀天皇が、叔父、彦人大兄の娘、大中姫に産ませた真の兄弟であった。周囲の豪族たちは、どちらを次期天皇に据えようかと、勢力争いをしていたが、本人たちは至って仲良く、兄、弟の順に皇位を継承しようと考えていた。兄弟は仲哀天皇の陵墓を先ず築き、その後、即位することを相談しあった。

「忍熊よ。父上、仲哀天皇様は去年の二月六日に亡くなったと聞く。神功皇后は熊襲や新羅が、父上の死亡を知り、強気になり、侵略して来ることを恐れて、父上の死を秘密にし、豊浦宮で、灯火も焚かず、密葬したそうだ。そして熊襲を滅亡させ、海を渡って新羅をも降伏させたという。今や女王気取りだという」

「神功皇后は女だてらに恐ろしき人です。あの鋭い目には、私も身震いしました。そんな皇后に連れ回され亡くなったのですから、父上も、可哀想な人です。そして、その陵墓も築いてもらえていないなんて・・・」

 忍熊皇子の言う通り、仲哀天皇の陵墓は未だ築かれていなかった。香坂皇子は、仲哀天皇の後継者として、陵墓築造の使命を感じていた。

「そこで私は、父上の陵墓を造ろうと思っている。私たち兄弟が父上とお別れしたのは、明石の港であった。それ故、父上の陵墓は明石に築こうと思う。お前は私の意見に賛成してくれるか?」

 弟、忍熊皇子には同じ思い出があり、異論は無かった。

「勿論、兄上の意見に賛成です。淡路島より石を運び、大きな陵墓を造って上げましょう」

「早速、犬上、𠮷師といった豪族たちを母の故郷、播磨に送ろう」

 兄、香坂皇子は自分を支援する犬上一族や吉師一族の名を上げた。弟、忍熊皇子も負けていなかった。

「私も巨勢、平群らの一族を従え、明石に参ります。そして力を合わせ、立派な父上の陵墓を築いて上げましょう」

 二人は真の兄弟とは言え、親密であるが、取り巻く豪族たちの影響もあり、決して仲良しだけでなく、相手を牽制しあうところがあった。香坂皇子は弟に訊ねた。

「ところで忍熊。神功皇后は新羅から戻って皇子を産んだというが、お前は、そのことを知っているか?」

「はい。知っております。その皇子の名は誉田皇子というそうです。私たちの弟になる訳ですが、会っていないので、弟が出来たという実感がありません」

「それはそうじゃ。突然、近江にやって来て、弟だと言われても、納得出来ない」

 香坂皇子は神功皇后のことを良く思っていなかった。母の大仲津姫から妖しい美しさで、父を奪い、皇后の座に就いたと聞かされていたからであった。しかし忍熊皇子の方は、それ程でも無かった。

「神功皇后は何故、父上の陵墓のことを忘れ、誉田皇子の誕生の喜びに浮かれているのでしょうか」

「決まっているではないか。私たち兄弟を押しやって、自分の産んだ誉田皇子を天皇にと考えておられるからだ」

「兄上はそれを黙って見ているのですか?」

 忍熊皇子の質問に香坂皇子の眼が輝いた。神功皇后は今、誉田皇子を次の天皇にしようと考えている。恐るべき敵であり、何としてもそれを阻止せねばならない。香坂皇子は弟に答えた。

「何故、黙っていよう。私たちは兄であるのに、どうして血の通わない弟に従うことが出来ようか」

「血の通わない弟。それはどういうことですか?」

「父上、仲哀天皇様がお亡くなりになられたのは、昨年の二月。誉田皇子が産まれたのは昨年の暮れ、十二月。余りにも話が出来過ぎていると思わないか。父上の死と同時に皇后が懐妊されたなどということは考えにくい」

 香坂皇子は、誉田皇子の父親が仲哀天皇でないと疑っていた。

「でも神功皇后は、お産の日を延ばす為、腹に神石を巻き付け、新羅征討に向かわれたというではありませんか」

「何と愚かな。お前は、そんな話を信じているのか。腹に石を巻き付けた程度で、お産が延びると思うか。流産することはあっても、お産を引き延ばすことは出来ない。子供だましも良いとこだ。私たちは父上、仲哀天皇様の血を継承する為にも、誉田皇子を天皇にさせる訳には行かぬのだ」

 香坂皇子は父、仲哀天皇のことを思えば思う程、神功皇后の不義が許せなかった。激しい憤怒が嵐のように心中で吹き荒れた。それに較べ、弟の忍熊皇子は冷静だった。

「もし、それが事実であるとしたなら、私たちはどうしたら良いのでしょう」

「神功皇后の帰還を阻止し、神功皇后と誉田皇子を亡き者にする。天皇家の正しき血を絶やしてはならぬ」

「そうとなれば、陵墓造りより、神功皇后打倒の方が先決です。神功皇后は何時、戻って来るのでしょう」

 忍熊皇子は神功皇后殺害に乗る気になった。神功皇后が何時、大和に来るのか気になった。兄の香坂皇子はその時期を来月二月と読んだ。

「二月六日の父上の一周忌が終わり、神功皇后の体調が回復し次第、誉田皇子を連れて、大三輪鴨積や葛城襲津彦、中臣烏賊津らと帰ってくるであろう。従って私たちは秘密裏に兵を招集し、その時の為に備えねばならぬ」

「兄上。ならば父上の陵墓を造るということで、墓造りの人足の他に播磨に兵を集めては如何でしょう。播磨の国に砦を築き、沢山の武器を内密に調達するのです。筑紫に密偵を送り込み、何時、移動して来るか敵の動静をさぐりましょう。彼らは戦さ戦さに明け暮れて、相当に疲弊している筈です。それ故、播磨で戦えば勝利は私たちの上に輝くこと間違いありません。播磨に兵を集めましょう」

「忍熊よ。ことを軽く考えてはならぬ。神功皇后は百戦錬磨の武将を従え、凱旋して来るのだ。新羅を討ち破ったという勇猛な軍隊を引き連れて来るのだぞ。そう簡単に勝てると思ったら、大間違いするぞ」

「では、どうすれば良いのです?」

 忍熊皇子の問いに香坂皇子は不気味に笑った。

「大軍を相手にするのでは無く、誉田皇子、一人を狙うことだ。彼は生まれたばかりで、何も出来ない。誰かが守っていなければ、生きて行けない。逃走することも出来なければ、声を潜めることも出来ない。従って彼の動きは分かりやすく、また狙いやすい筈じゃ」

「ならば刺客を差し向けましょう。男より女の方が良いと思います」

 何という恐ろしい弟の考えであることか。香坂皇子は忍熊皇子の狡猾な悪知恵に感心した。

「お前は大人しそうであるが、考えることは大胆で悪賢い。私より、お前の方が悪人かも知れぬ。お前は私を出し抜いて、天皇の位を狙っているのではあるまいな」

「滅相もありません。私は兄上と血を分けた真の弟です。兄上の命令に従い、就いて行くだけです」

 この日の兄弟の話し合いにより、香坂皇子と忍熊皇子は大和に戻ろうとする神功皇后と誉田皇子の命を狙うことの密約をした。

          〇

 神功二年(392年)二月、筑紫の香椎の宮で産後の体力を回復された神功皇后は、筑紫の重臣たちを引き連れ、穴門の豊浦宮に移動し、仲哀天皇の一周忌を済ませた。それから群臣百寮に詔した。

「群臣に告げる。我が夫、仲哀天皇様は既に身罷られて、この世にはいません。我はこの天皇薨御を、熊襲を退治し、新羅を討伐するまでの一年間、国民に秘密にして参りました。本日、ここに国民に秘密にして来た事を解除し、その公表を許可します。一年前、仲哀天皇様の不運の亡骸を、この穴門に密かに運び、豊浦に殯の宮を建て、灯火を焚かずに弔いました。今、ようやく一同と共に厳粛な一周忌を済ませることが出来、安堵しております。我はこれを機に、仲哀天皇様の遺品を持って大和に帰り、仲哀天皇様の遺族と、皇位継承について相談します。仲哀天皇様が大和の纏向の日代の宮から去って九年。地方の豪族たちが今、仲哀天皇様不在の為、その皇位の継承者の選定をめぐって分裂していると聞いております。我は、その分裂状態を一つに鎮める為、大和に戻ります。故をもって、筑紫の香椎の宮に関係勤務する者以外の者は我と一緒に大和の都に同行せられよ」

 それを聞いた群臣百寮は神功皇后の決意に固唾を飲んだ。大三輪鴨積が臣下の代表として神功皇后に誓った。

「神功皇后様の大和への凱旋に、私たち新羅に出かけた者、熊襲退治で活躍した者、喜んで同行致します。また新羅遠征時の動員兵たちも、こぞって参加するでしょう。我々は、その凱旋の道々で多くの民草から喝采を受けることを誇りに思い、神功皇后様に随行することを誓います」

 続いて吉備から神功皇后を再び迎えに来た大男、建振熊将軍が一同に伝えた。

「私は武内宿禰様の命により、穴門にやって来た難波の建振熊です。今、皆さんが留守にしていた大和や近江では、皇位継承の座を巡って香坂皇子様派と忍熊皇子様派が分裂して争っています。このままにしておくと倭国は内乱となり、再び新羅や高句麗や燕からの攻撃を受けかねません。香坂皇子様は十七歳、忍熊皇子様は十五歳。二人はまだ何も分からぬ少年です。いずれが皇位につかれても倭国を治められるものではありません。只今、現在、倭国を治められる力量があるのは、神功皇后様の他に誰もいません。神功皇后様におかれましては一時も早く大和に戻り、朝議を執られますようにとの武内宿禰様からの申し出が御座いました。このことを私から皆さんにお伝えしておきます」

 建振熊の伝えた内容は、神功皇后が、正式に天皇に即位すべきであるという主旨であった。神功皇后は建振熊の言葉に頷くと、堂々と群臣に告げた。

「いずれにせよ我は大和に戻り、仲哀天皇様の大和での葬儀を行い、仲哀天皇の御遺族と皇位継承の相談をし、次の天皇を決めねばなりません。建振熊の申す通り、皇位継承候補の二人、香坂皇子と忍熊皇子は、まだ年齢が若く、国政を執ることは不可能です。それ故、この神功皇后が当分の間、摂政を務めるか、あるいは天皇を名乗ろうかと思っております。この考えを大和に戻り、提案するにしても、皆さんの参道と協力なくしては、神功皇后、自信をもって皇位継承の提案が出来ません。その為、皆さんには、この神功皇后と共に大和に凱旋していただきます。新羅遠征を終え、再び大和まで出かけねばならない筑紫や穴門の人たちにも苦労をおかけしますが、倭国内乱を防止する為と思って、是非、協力願い度い」

 この神功皇后の言葉に穴門践立が奏上した。

「私たちが今、ここにあるのは神功皇后様のお陰です。もし神功皇后様がおられなかったならば、私たちは熊襲の田油津媛と羽白熊鷲に全滅にされていたに違いありません。それ故、私たち穴門や筑紫の連中も喜んで大和凱旋の御伴を致します。そして神功皇后様が倭国王になられますことを切に希望致してやみません。私たちは喜んで大和へ向かいます」

 こうして仲哀天皇の一周忌と大和凱旋の報告は終わった。大和凱旋が決定すると、群臣たちは、それぞれの役目に応じて、その準備を開始しすることとなった。

          〇

 その後、神功皇后は大三輪鴨積、物部胆炸、大伴武持、津守住吉、穴門践立、安曇磯良、建振熊と振熊が連れて来た皇后の弟、息長日照彦の九人で、凱旋の順路等についての打ち合わせに入った。その席でも神功皇后は群臣に伝えたと同じようなことを喋った。

「穴門から大和への道は遠い。敵が私たちの行動を阻止しようと策謀しているからには、途中、どんな苦難が待ち構えているか分かりません。しかし、どんな事があっても私は大和に凱旋します。仲哀天皇様の遺品を持って、私たち夫婦が熊襲を退治し、新羅を討伐したことを報告に、大和に戻ります」

 神功皇后の固い決意を聞いたところで、建振熊が大和への帰還の順路についての意見を述べた。

「大和帰還の注意点について、建振熊から皇后様に進言致します」

「はい。お願いします」

「大和への帰還の順路は、皇后様を狙う、香坂皇子様や忍熊皇子様を支援する豪族たちの兵が潜伏しているかも知れませんので、陸路ではなく、海路で帰還されることをお勧め致します」

「陸路では駄目なのですか?」

「陸路では、どう考えても危険です。何時、敵に襲われるか分かりません。敵の潜伏兵だけでなく、山賊もおります。それに徒歩兵が、くたびれてしまいます。船での移動が安心かと・・・」

 建振熊の意見に津守住吉が同調した。

「皇后様。建振熊殿の考えに、私も賛成です。海上ならば、襲って来る敵を直ぐに発見することが出来ます。それに我々が保有する船団は、新羅が戦慄した世界最強の船団です。どんな敵に遭遇しても、決して負けることはありません」

「そうです。何処の誰も、皇后様の船を攻め立てることは出来ません。ただ陸路を進む皇軍がいないのも問題です。民草に凱旋を知らせる為の軍隊を並行して、陸路で大和へ行進させて下さい。そうすれば敵への牽制にもなります」

 建振熊の進言は理に適っていた。神功皇后は建振熊の意見に従い行動することにした。

「分かりました。私は海路で凱旋しましょう。船の舳に菊の紋章旗と八幡を飾り、仲哀天皇の殯船を設けて、大船団で帰還しましょう。船旅は私の得意とするところです」

「まるで新羅征討の再現のようで、胸が躍ります」

 穴門践立は海路での凱旋と聞いて喜んだ。再び活躍の場が広がったと、ニコニコした。大三輪鴨積や物部胆昨らは、建振熊の意見をただ聞くだけであった。

「でも油断は禁物です。特に誉田皇子様の護衛は厳重にせねばなりません」

 武内宿禰からの細々とした指図でもあったのか、建振熊は何処までも慎重だった。愛する誉田皇子の話が出て神功皇后は懸念し、咄嗟に津守住吉に命じた。

「誉田皇子の護衛は住吉に任せます。住吉は誉田皇子誕生の時から、私たちの側にあり、誉田皇子からも慕われております。その責任は重大ですが、護衛を頼みます」

 神功皇后から誉田皇子の護衛を突然、命じられ、津守住吉は緊張した。

「このような私に、皇太子、誉田皇子様の護衛役を仰せつかり、津守住吉、実に光栄であります。皇后様の期待にたがわぬよう、この住吉、身命を賭けて頑張ります」

 その津守住吉の返事する姿を見届けてから、神功皇后は更に突っ込んだ質問をした。

「して振熊よ。海路はどのような順路で進行しようと考えているのですか?」

「穴門を出て、周防灘から火打ち灘に入り、播磨灘から明石海峡を越え、茅淳の海へと入って参ります。武内宿禰様とは、淡路島の岩屋にて合流する予定です。後は、武内宿禰様の御指示に従うことになります」

「分かりました。陸路はどうするのです?」

「どなたかに総大将になっていただきたいと思います。どなたか、我はと思う人はおりませんか?」

「そのお役目、私、物部胆昨がお引き受け致しましょう」

「ならば私、大伴武持も日向の時と同様、陸路の副将として、物部殿のお伴をしましょう」

 建振熊の要請に、熊襲退治で活躍した物部胆昨と大伴武持が直ぐに、その役目を引き受けて、神功皇后も同意した。そこで、また建振熊が陸路軍についての順路計画を説明した。

「では陸路についてですが、陸路は、周防の美祢から佐波を経て安芸の弥栄に入り、安芸津から海沿いに穴海、笠岡と進み、吉備の真備で、吉備御友別軍と合流します。その後、和気から敵の待ち構えているであろう播磨へ入って参ります。須磨あたりで戦さになるかも分かりません。それを突破し、摂津に入り、門真を通過すれば、凱旋する皆さんを大和の人たちが迎えてくれます」

 建振熊は明確にその順路を説明した。だが用心深い神功皇后は建振熊の計画のみで納得しなかった。念には念を入れた。

「それは分かった。では息長、但馬、葛城の連中は、安曇磯良と出雲襲櫛の船団を使い、石見、出雲を経て、北の海から若狭に入り、そこで待機していて下さい」

 流石、神功皇后。かって北の海から穴門に入って来た時、用心した事を忘れていなかった。

「畏まりました。我ら一統、北の海から若狭に入り、近江の様子を偵察し、大和からの指示を待ちます」

 神功皇后の弟、息長日照彦が敦賀の一統を代表して答えた。かくて、神功皇后の大和凱旋は具体的になった。

          〇

 二月半ばの晴れ渡った日、神功皇后凱旋の船団は穴門践立の軍船を先頭に、穴門を出発し、周防灘の笠戸に立ち寄り、そこから伊予灘の興居島を経て、火打灘の多度津に入った。神功皇后は任那に行くのより、日数がかかりそうなので驚いた。多度津から小豆島を経て播磨灘を渡って、ようやく淡路島に到着した。淡路島岩屋の村長、大仲子は、大型船が何隻も現れたので、慌てて海岸に駈けつけ、一行を出迎えた。

「神功皇后様。ようこそ岩屋の港にお越し下さいました。村長の大仲子と申します。我ら一同、神功皇后様のお越しを、首長くしてお待ちしておりました。どうか我々の準備した苫屋にて御休息下さい」

 神功皇后は、村長の言葉に疑問を感じた。村長みずから首長くお待ちしていたとはどういう事か。皇后軍が来ると分かっていたのか?神功皇后は大仲子に言った。

「村長の心遣い、有難く思います。我々は風雨の為、途中、船が進まず、今日、ここに下船したが、ここは播磨灘と茅淳の海の海峡として、実に重要な地点と思う。ここには大和からの巡吏はいないのですか?」

「去年から巡吏がいなくなり、この間まで大和の兵が、仮屋を建て、穀物などを運んで来たりしていました。ところが数日前、大和より、浪速の御津崎へ急行せよとの命令があったとかで、彼らは、あっという間に居なくなりました」

 大仲子の言葉を聞いて、建振熊が神功皇后に耳打ちした。

「多分、香坂皇子様の兵だと思います。私たちの来船の多さを知り、驚いて逃げたのでしょう」

 神功皇后は頷き、大仲子に質問した。

「仮屋を建てた兵は、どこから来た兵か分かりますか?」

「はい。近江からの兵です。対岸の明石では、忍熊皇子様の家来が指揮して、我らの島から人足に石を運び出させています。仲哀天皇様の陵墓を築くのだと言っておられました。しかし、これも数日前から中断しております」

 大仲子は岩屋と対岸の近況を説明した。神功皇后は、仲哀天皇の陵墓を築こうとしていた連中が、何故、突然、引き上げたのか、その理由を知りたかった。

「何故、中断したのか分かりますか?」

 神功皇后に、その理由を質問され、大仲子は、どう答えたら良いのか分からなかった。戸惑っていると、大仲子に代わって近くに現れた老人が答えた。

「兄弟が二分していては皇后様に勝てないと判断し、彼らは浪速に戻ったのです」

 その声は、神功皇后の聞いたことのある老人の声であった。その老人の顔を見て、神功皇后は思わず叫んだ。

「おお、何と、武内宿禰ではありませんか」

 すると武内宿禰は跪き挨拶した。

「皇后様。お久しゅう御座います。皇后様に於かれましては御壮健でなによりです。この武内宿禰、またお会い出来るとは思っておりませんでした。留守中の大和の王朝を守りきれず、慚愧でいっぱいです。誠に申し訳ありません」

 大和王朝の重鎮、武内宿禰は、顔を皺くちゃにして王朝内の混乱を詫びた。神功皇后は、そんな老臣に優しく声をかけた。

「貴男が悪いのではありません。悪いのは私たちに逆心を持つ豪族たちです」

 すると早くも目に涙を浮かべ武内宿禰は自分の現況を話した。

「流石の私も播磨に忍熊皇子様の兵に捕らえられた時は、もう終わりかと思いましたが、皇后様の命により、派遣された我が息子、葛城襲津彦と紀角に救出され、事なきを得ました。そして吉備の御友別の所で待機し、筑紫から戻った建振熊の知らせにより、この淡路島に移動し、この岩屋にて敵の様子を探りながら、皇后様をお待ちしておりました」

「何と危険な目に遭われたことか。して襲津彦たちはどうしているのです?」

 神功皇后は戦い疲れた老臣、武内宿禰をねぎらうと共に、熊襲討伐、新羅遠征に活躍してくれた葛城襲津彦兄弟の安否を気遣った。

「襲津彦は香坂皇子様の動静をさぐる為、浪速に潜んでおります。角は近江の様子を見に行っております」

「深追いして大丈夫ですか?」

「心配無用です。浪速や近江に詳しい私の従者を、それぞれに付けてやりました。彼らの情報をもとに、彼らの指示に従い、進軍すれば安全です。無事、大和に着けます」

「でも余りにも容易に敵が進路を開けていると思いませんか。何か罠があるのではないかと心配です」

 何時もの事であるが、神功皇后は用心深かった。武内宿禰もまた用心深い男であった。武内宿禰は浪速への進行について神功皇后に提案をした。

「敵の罠が仕掛けられていると判断するのは当然の事です。それ故、茅淳の海に入る時は、皇后様と誉田皇子様は別々の船に乗っていただきます」

「私と誉田皇子が別々の船に乗るですって?」

「そうです。特に誉田皇子様には殯船に乗っていただきます」

「何と不吉な!」

 神功皇后は顔色を変えた。

「何で不吉でありましょう。日嗣の皇子が仲哀天皇様の殯船に乗るのは当然のことです。勿論、住吉も但馬由良媛も私も、誉田皇子様を、お守りして、同じ船に乗ります。敵は皇后様が誉田皇子様を抱いていないのを見て、誉田皇子様がお亡くなりになられたと誤解するかも知れません。さすれば敵の軍隊は、再び香坂方と忍熊方とに分裂するでしょう。皇后様を素直にお迎えし、どちらの皇子が天皇になるかを争おうとするでしょう」

「武内宿禰の申す通り、そんな風になるでしょうか?」

「私も未熟な兄弟が争うなんて思っておりませんでした。ところが、彼らを取り囲む連中は、二人が争うように仕向けるのです。結果、最終的に争うのは兄弟になるのです。香坂皇子も忍熊皇子も、自分たちを支援する連中たちに唆され、別行動をしたがっております。二分割された彼らの力は、皇后様の力をもってすれば、簡単に押し潰すことが出来ます」

 武内宿禰の説明を聞いて、神功皇后は微笑した。

「そんな弱い力を何故、武内宿禰ともあろう男が抑えきれなかったのです?」

「面目ありません。犬上、平群、𠮷師らの意見が強い上に、息子、石川を熊襲との戦いで失い、私も気弱になってしまっていたのです。大和の王朝を守り切れなかったことを誠に申し訳なく思っております」

「お歳ですね」

 神功皇后が、からかうと武内宿禰は、すこぶる不愉快そうな顔をして見せて、反論した。

「何の、何の。私は、まだ老いぼれてはおりません。こうなっては武内宿禰、香坂皇子様と忍熊皇子様を捕え、二人を改心させます。そして皇后様に王朝をお返しすることが、私の名誉挽回と考えております。息子、襲津彦や角にも、父の無念を理解し、奮起するよう命じてあります。私の最後の頑張りを見ていて下さい」

 武内宿禰は神功皇后に対する忠誠の程を熱く語った。

「武内宿禰の天皇家を思う心、有難く感謝する。私たちはいずれにせよ大和に戻る。しかしながら、王都は別の所に移そうと思う」

「都を別の所にですか?」

 二人の会話を傍で聞いていた大三輪鴨積や建振熊は驚いた。

「どうしてですか。異国の都に倣おうというのですか?」

 将軍たちが質問するのに武内宿禰は、ただ黙っていた。神功皇后は、何故、武内宿禰が無言なのか気になった。

「宿禰は反対か?」

「賛成も反対もありません。皇后様のお考えを聞いてから、お答えしようと思います」

 すると神功皇后は遷都の理由について、こう述べた。

「私は新羅遠征の時、卓淳や任那の城を、この目で見て、世界の事を知りました。また異国に行って、異国から倭国を見る事によって、倭国の力量というものを知りました。倭国は今、もっと広く、世界に目を向けるべきだと思います。海外に絶えず目を向け、沢山の技術や知識を、他国から摂取すべきであると思います。その為には、倭国の王都は、近江のような山間地で無く、海辺から少し奥まった纏向に近い所が良いと思います。また田蓑の港を整備し、もっと多くの船が往来出来る様にしようかと考えています。有能な若者たちを、もっと積極的に異国に派遣すべきだとお思うからです。また港を整備しておけば、何か異国との事があれば、直ぐに対応出来ます。私は今回の新羅遠征で、王都や港湾の重要さを知り、中臣烏賊津ら数名を、新羅、百済、任那に残して帰国しました。彼らは数年後、必ず倭国に素晴らしいものを、持ち帰って来るでしょう。こんな理由で、私は王都を新しく別の所に据える考えです」

 神功皇后の考えを聞いて武内宿禰は感激し、賛成した。

「皇后様の異国を見て来た柔軟なお考えに、この武内宿禰、納得致しました。近江と大和に分かれていた昨今の王都の曖昧さは決して良いものではありません。武内宿禰、新都のこと賛成致します。これからは皇后様の仰せの通り倭国はもっと国際性を持たねばなりません。親交国、任那や新羅、百済をもっと利用し、世界にもっと大きく雄飛せねばなりません」

 計画通り、淡路の岩屋で再会した神功皇后と武内宿禰の話は弾んだ。神功皇后は筑紫に赴き、熊襲と戦い、夫、仲哀天皇を失い、その死を隠し、熊襲と対戦し、その際、武内宿禰の息子、蘇我石川を戦死させてしまった罪を武内宿禰に詫びた。また中臣烏賊津に仲哀天皇の仮装をさせ熊襲の田油津媛を退治し、熊襲を討伐したと話した。更に神のお告げにより、仲哀天皇の御子を身籠っているというのに甲冑に身を固め、海を渡り、任那王、五百城入彦や武内宿禰の息子、木羅斤資の力を借り、新羅を服従させたと、今までの苦労を語った。武内宿禰は、仲哀天皇が神功皇后と共に筑紫に移られてから、大和の纏向の日代の宮で、仲哀天皇の母、両道入姫を皇太后として朝政を行って来たが、犬上、𠮷師、巨勢、平郡といった豪族が香坂皇子と忍熊皇子を煽り、武内、大三輪、葛城に対抗し、反逆の動きを始め、危機に至ったことを語った。二人は、それから今後の対策について、大仲子が提供してくれた苫屋で、将軍たちを集め、密談した。

          〇

 神功皇后の凱旋を知った香坂皇子と忍熊皇子は、海路と陸路からやって来る皇后軍を明石で迎え討つのは不利と考え、大和に近い浪速に移動することにした。仲哀天皇の陵墓を造ると言って明石に集めた各地からの兵や人足も一緒に浪速に移動させ、武器を取らせ、菟餓野に布陣して、皇后軍が来るのを待った。先に菟餓野に布陣した香坂皇子が、今か今かと将軍、犬上倉見別に訊ねた。

「犬上よ。神功皇后と誉田皇子の軍隊は、まだ見えぬか?」

「はい。次田に潜んでいる我が軍からの敵軍情報はまだです。そろそろ播磨から摂津に入る頃ではないでしょうか」

「海の方はどうだ。敵の船は、まだ見えぬか?」

「海辺で監視している忍熊軍から、まだ敵発見の合図が来ておりません」

「まさか上陸してはいないだろうな?」

「この丘の上から、茅淳の海は丸見えです。沢山の見張り番が陸地と共に、海の来船を監視しております。神功皇后が率いるという大船団を誰が見落としたりするでしょうか」

 犬上倉見別は自信満々であった。蟻一匹も見逃さぬ体制で、明石から浪速までの守備を固めていた。しかし香坂皇子は強気であるのに、内心、不安でいっぱいだった。

「ならば良いが。それにしても、隠密の話と違って、余りにも遅いとは思わぬか?」

 香坂皇子はイライラした。そんな所へ、忍熊皇子が吉師伊佐比将軍と共に明石の海からやって来た。

「香坂皇子様。吉師伊佐比、只今、忍熊皇子様をお連れしました」

「おう、忍熊か。良く来てくれた。お前の来援を心待ちにしていたぞ」

「こちらこ会いとう御座いました」

 忍熊皇子は、そう言って、兄に駆け寄った。香坂皇子は駆け寄る弟を強く抱きしめた。周囲の臣下たちは、その兄弟の姿を見て、涙を拭いた。忍熊皇子は敵の情報を兄に伝えた。

「兄上。敵は淡路島を発ったとのことです。赤子に船旅は無理だったのでしょう。突然、誉田皇子が病死し、神功皇后は大きな衝撃を受け、慟哭と悲嘆の日々を送り、最早、神功皇后には、戦さの意思が無いとの情報です」

 その知らせを聞いても香坂皇子は、何時もと変わらず厳しい顔をして、弟に言った。

「女の言う事が信じられるか。新羅に攻め入った女だぞ。戦意喪失などとは嘘っぱちじゃ。いずれにせよ、神功皇后を討つ為の兵は東国から続々と集まって来ている。敵に戦意があろうが無かろうが、私は皇后を討ち倒し、倭国王となる。そして私が倭国を平定し、安定させた後は、忍熊、お前に天皇の位を譲ろうと思う」

 兄が自分に王位を譲るという発言に驚いた忍熊皇子は、兄に質問した。

「私に天皇の位を譲って、兄上はどうなされようというのですか?」

「新羅王となる」

「新羅王?」

「そうじゃ。新羅王じゃ。神功皇后は新羅王に朝貢を誓わせた程度で、新羅を配下に治めたと思っているようだが、それは大間違いじゃ。王が自らその地に住み、統治してこそ、その国を配下に治めたといえるのじゃ。私は新羅王となる為にも、神功皇后を倒す」

 香坂皇子は豪族たちに煽動され、神功皇后打倒に燃え上がっていた。そんな兄に忍熊皇子が提案した。

「では兄上。我ら連合軍の戦勝と、兄上が新羅王になられることを願っての誓約狩を致しましょう」

 今か今かと何日も緊張し続けて来た香坂皇子は、その弟の提案を喜んだ。気晴らしに原野を走り回ってみたかった。

「それは面白い。この兎我野での狩は、醍醐味があろう。早速、兵を裏山に送り出し、獲物を追い出させよう。もし、ことが成功するなら、きっと大きな丸々太った獲物が獲れるであろう」

「その通り、きっと大きな獲物が現れるでしょう。そして、それを討ち取ったなら、兄上は倭国王、更には新羅王になられる事でありましょう」

 二人は、そう語り合い、誓約狩を部下に指示し、陣屋を離れ、裏山に向かった。香坂皇子の命を受け、沢山の兵が山林の藪の中に潜んでいる獲物の追い出しにかかった。突然、長閑だった山の中に沢山の兵が繰り出したものであるから、人間の声と鳥や動物の声が入交り、裏山は大騒ぎになった。大きな櫟の木の下に莚を敷いて桟敷にして坐っていた香坂皇子は逃げて来る兎や飛び立つ雉を見て興奮した。

「獲物が集まって来るのが楽しみじゃ。私は櫟の木に登って、それを見物する。忍熊、私の尻を下から押してくれ」

「兄上。木に登るのは危険です。桟敷に座っていて下さい」

 止める弟の意見も聞かず、香坂皇子は側にいた従者に尻を押させ、櫟の木に登り、菟餓野を一眺した。そして晴れ晴れとした声で言った。

「良い眺めじゃ。凄いぞ忍熊。鹿や兎や狸が逃げ回っている。お前も上がって来い。面白いぞ」

「私は高い所は苦手です。下で見ています」

「そうか。それは残念だな。おい、忍熊。獲物じゃ。大きな獲物がまっしぐらに桟敷目掛けてやって来るぞ。捕えよ。捕えよ!」

 突然、香坂皇子が櫟の木の上で大声を上げ、騒ぎ出した。その声に忍熊皇子も従者たちも狼狽えた。

「どちらから、やって来るのですか?どちらから・・」

「こっちじゃ。こっちじゃ。お前たちの斜め後ろじゃ。怒り狂った赤い猪じゃ。大きいぞ!」

 香坂皇子は木の上で、猪を指し示した。その赤い猪は櫟の木の下にいた忍熊皇子に襲いかかった。

「ウワオーッ!」

 忍熊皇子は、咄嗟に身をかわし、鉄剣を抜き払い、逃げながら木の上にいる兄に向って叫んだ。

「兄上、危のう御座います。逃げて下さい!」

 赤い猪は忍熊皇子たちが逃げ去ると、木の上にいる香坂皇子を発見し、櫟の木に突進した。櫟の木は突進された振動で大きく揺れた。

「伊佐比。助けてくれ。櫟の木が倒れる!」

 香坂皇子は、あっという間に、櫟の木から落下した。忍熊皇子に言われて、助けに来た兵士は、荒れ狂う猪を見て、誰もが戦慄し、その場から逃げ去った。

「香坂皇子。お命頂戴つかまつります」

 猪の皮を着て、猪に扮した葛城襲津彦が、香坂皇子を短刀で突き刺した。

「うわっ!」

 香坂皇子の絶叫に、兵士たちは震え上がった。忍熊皇子も兄が猪に喰い殺される声を耳にして、怖気づいた。

「兄上が猪に喰い殺されたかも。これは大変じゃ。ここにいることは不吉じゃ。こんな所で敵を待つことは出来ぬ。私は下の陣に引き返す。誰か、誰か兄上を救いに行け!」

 忍熊皇子は血相を変え、裏山を駈け下りた。そこへ犬上倉見別が、これまた血相を変え駈け込んで来た。

「忍熊皇子様。敵の軍船が浪速津に押し寄せ、淀川の沿岸に敵兵が上陸して来たとの知らせです」

 犬上倉見別が皇后軍の上陸を報告すると、忍熊皇子の脳中は、どうすべきか混乱した。

「何じゃと。仕方ない。全員を集結させよ。戦闘じゃ」

「お待ち下さい。忍熊皇子様、落ち着いて下さい。戦さは何時でも出来ます。香坂皇子様が、お倒れになった今、忍熊皇子様が私たちの頭領です。ここは一時、退却されるのが賢明かと・・・」

「とは言っても、兄上の容態を確認もせずに、兄上を置き去りにして、ここから逃亡せよと言うのか?」

 忍熊皇子は、今やこの兎我野で、兄と共に皇后軍と生死を決める一戦に臨む気迫に燃えていた。犬上倉見別が、その燃え滾る忍熊皇子を制した。

「忍熊皇子様。命あっての物種。ここで兄弟二人、命落としたとあっては、仲哀天皇様に申し訳が立ちません。一時、退却致しましょう」

「ならぬ。私は皇后軍と戦う。敵は筑紫からの長旅で疲労している筈。そう簡単に私たちを攻めきれるものでは無い。ましてや、生まれて間もない誉田皇子を失っての戦さ。何処かに弱いところがある筈。目前にあるこの勝利を見逃してはならぬ」

 犬上倉見別が困った顔をしていると、𠮷師伊佐比が現れ、忍熊皇子に報告した。

「忍熊皇子様。香坂皇子様は、猪に喰い殺されました。亡骸は近江へ運ぶよう手配しました」

「そうか、兄上は亡くなられたか。ならば尚の事、ここで皇后軍を討たねばならぬ」

 その忍熊皇子の言葉に𠮷師伊佐比が賛同した。

「その通りです。敵の船の中に、誉田皇子の殯船が見えます。神功皇后も相当に精神を滅入らせているのではないかと推測されます。その弱気になっている皇后軍と戦うのは、今をおいてありません。大和の豪族の多くが忍熊皇子様の味方です」

 忍熊皇子は勇気づけられた。

「伊佐比の申す通りじゃ。私はたった今、兄上、香坂皇子を失い、指揮者不在となった。これからの指揮の総ては、この忍熊自身で決めなければならない。今、私の前にある進む道は、倭国王になるか、それとも逃亡するか、二つにひとつ。ならば、この忍熊は倭国王の道を選ぶ。全員を集め、全軍、皇后軍に向かって進むよう号令せよ」

 忍熊皇子は凶兆も恐れず、かんかんになって戦意を露わにし、神功皇后軍打倒の雄叫びを上げた。

          〇

 神功皇后軍と忍熊軍は菟餓野にて、相戦った。海上から上陸して来た皇后軍と、陸路から来た物部、大伴軍に挟まれ、忍熊皇子は慌てて軍を退去させ、浪速住之江に布陣した。菟餓野での激戦の結果、勝利した神功皇后は、我が子、誉田皇子を老臣、武内宿禰に命じ、洲本から南海に迂回させ、紀伊水門に移動させた。そして自らは忍熊皇子を追って、浪速に向かった。ところが、どうしたことか軍船は海中でぐるぐる回って前に進まなかった。神功皇后軍は致し方無く、武庫の港に戻り、占った。すると神功皇后の前に多くの神々が現れ、託宣した。天照大神は〈わが荒魂を近くに置くのは良くない。摂津国広田の地に置くが良い〉と告げたので、神功皇后は山背根子の娘、葉山媛を、その地に派遣させ、天照大神を祀らせた。また天照大神の妹、稚日女尊が〈自分は摂津国生田に居りたい〉と申されたので、海上五十狭茅を派遣し、その地に祀らせた。また事代主命が〈自分を摂津国長田に祀るように〉と言われたので、葉山媛の妹、長媛に祀らせた。また筒男三神が現れ、〈わが和魂を大津の渟名倉の長峡に居させよ。さすれば、たちまち往来する船を見守ることが出来る〉と託宣したので、津守住吉を派遣し、その神を祀らせた。すると神功皇后の船は平穏に茅淳の海を渡ることが出来た。神功皇后軍の船団部隊と先鋒隊が合流すると、皇后軍は更に力を増した。忍熊軍は、兵士の乗っていないと思われる殯船を襲ったが、その中から沢山の兵士が躍り出て来て、斬りかかって来たので驚いた。その皇后軍の猛攻を受け、忍熊軍は更に退き、宇治に陣取った。その間、神功皇后は和泉のほとりを紀伊に向かい、日高で誉田皇子や武内宿禰と再会した。そして忍熊皇子追討の協議をした。まずは神功皇后が切り出した。

「葛城襲津彦の活躍により、香坂皇子を誅することが出来たが、その弟、忍熊皇子は少年ながら、中々の強者であり、知恵者である。兎我野での戦さで、香坂皇子を消すことが出来たものの、私たちも沢山の兵を失い、沢山の負傷者を出した。忍熊皇子を捕えようと、浪速に追撃したが、彼らは反逆して、降伏を促す国造を惨殺し、宇治に退却した。この手強い忍熊軍に勝つ為の何か良い方法はないでしょうか?」

 そう言って悩む神功皇后に向かって、経験豊富な武内宿禰が、次の方法を提案した。

「彼らを全滅させるには包囲作戦しか方法がありません。彼らに従う兵力は、大和や近江周辺の豪族と東国からの兵力です。この二つの敵軍を分断させることにより、我が軍が有利になります」

「どのようにして、二つの兵力を分断するのですか?」

「こうなったら、皇后様の弟君、息長日照彦様に御出馬願うしか御座いません。日照彦様率いる葛城の軍隊と安曇磯良、出雲襲櫛の軍隊を敦賀より美野、尾張に派遣し、東国兵を追い返すのです。そうすれば、我々は安心して忍熊軍と対峙出来ます」

 武内宿禰の言葉に、神功皇后は穴門で別れた弟、日照彦のことを思い出した。

「そういえば、日照彦は北の海から若狭に入り、敦賀で待機している筈。確かに弟の力を借りれば美野を抑えられます。武内宿禰よ。直ちに日照彦に使者を出し、東国からの兵を食い止めるよう指示して下さい」

「既に我が息子、襲津彦を、その使者として敦賀に向かわせております」

「何時もながら目先の問題だけでなく、先の先の先を読んだ武内宿禰の采配に感謝します。しかし二つの兵力を分断するだけで、私たちは勝利出来るでしょうか?」

 神功皇后の問いに、武内宿禰は更に付け加えた。

「作戦は、それだけではありません。私と住吉は誉田皇子様をお連れし、再度、乗船致します」

「皇子をどうしようと言うのです」

「敵の目につかぬよう、お守り申し上げるのです。紀伊を離れ、鵜殿から熊野灘を渡り、伊勢に向かいます。伊勢神宮に詣で、誉田皇子様の立太子の式を挙げ、その地で皇軍を増強し、鈴鹿を越え、背後より、近江に突入します」

「私、不在のまま立太子の式を挙げるというのですか?」

 神功皇后は声を荒げて武内宿禰に訊ねた。武内宿禰は、その理由を述べた。

「皇后さま。地方豪族を味方につけるには、皇室の未来の中心となる力が必要です。その為の誉田皇子様の立太式です。申し訳ありませんが、神功皇后様お立合いの立太子の礼は後日に行うこととして、まずは誉田皇子様に皇太子となっていただきます」

「ならば伊勢に向かう前に、立太子の礼を執行するよう考えて下さい。誉田皇子の立太子は早ければ早い方が良い。宿禰、何とかならないですか?」

 神功皇后は、誉田皇子の母親として、我が子の立太子の礼に、是が非でも参加したかった。親として当然、考えることであった。武内宿禰は、伊勢神宮にて立太子の礼の挙行を計画していた津守住吉に訊ねた。

「住吉。皇后様のお望みを適えられるか?」

「分かりました。やってみましょう。私たちの乗って来た軍船の舟木を使って、早急に小竹宮を造り、式場を準備しましょう。七日もあれば何とかなりましょう」

 津守住吉は神功皇后の母親としての気持ちを理解し、計画を変更し、やる気満々の発言をした。

「このような戦場の中で、立太子会場を設営し、立太子の式典を挙行することは、準備する者にとって、苦しく辛いことであろう。しかし、この式典をもって皇軍の士気を鼓舞することが出来ると考えれば、張り合いとなりましょう。やって下さい。住吉」

「この住吉、皇后様のご指示を、有難くお受け致します。立派な立太子の礼が出来ますよう、我が配下と共に頑張ります」

 武内宿禰や津守住吉の了解を得て、紀伊の日高で、神功皇后は再度、やる気になった。

「私は新羅より帰国して淡路島を離れるまで、仲哀天皇の遺族に会い、仲哀天皇の薨御を伝え、皇位継承の相談をし、天皇や皇太子を正式に決めようと考えて来ました。しかしながら香坂皇子と忍熊皇子の兄弟は、弓矢を持って、父親の殯船を運ぶ私たちを迎撃しました。この時、私の考えは大きく変わりました。彼ら二人は、いとも簡単に私たち皇軍に弓を引くことを命じましたが、それは大きな過誤であり、大罪です。彼らは倭国を奪おうとした新羅を討伐し、大和に戻って来た父、仲哀天皇の凱旋の兵に、攻撃をして来たのです。たとえ仲哀天皇が、身罷られたとしても、その后、神功皇后の率いる兵は、仲哀天皇の兵、そのものなのです。そんなことも分からぬ罰当たりの彼らの攻撃により、我ら仲哀天皇の兵は皇都に凱旋不可能となりました」

 神功皇后は無念さを訴えるかのように瞑目した。それは自分の正当性を醸成する為の行為でもあった。

「その通りで御座います」

 武内宿禰が相槌を打った。神功皇后は、続けた。

「よって私は、父に弓を引く皇子を天皇には勿論のこと、皇太子にも推挙することが出来ません。もっとも香坂皇子は、その前に天罰を受けて死んでしまいましたが、そのことに気づかず忍熊皇子は、尚も反抗を続けて、倭国の平和を乱しています。忍熊皇子は自ら皇軍に反抗し、自ら天皇になることを辞退してしまったのです」

「その通りです」

 また武内宿禰が相槌を打った。

「忍熊皇子の執拗な反逆により、倭国は乱されています。この乱れを治めることが出来るのは、私たち皇軍しかありません。そこで私は再度、勇気を奮い立たせ、自ら天皇になります。そして誉田皇子を日嗣の御子に推挙します。それで良いか、大臣諸氏の意見を、聞かせて下さい」

 すると神功皇后の側の席に座っている宰相、武内宿禰が皇后に向かって答えた。

「誰も反対する者はおりません。またする理由もありません。皇后様に皇位を引き継いでいただき、倭国女王として、国家を治めていただくことが、万民の希望するところです」

 老臣、大三輪大友主も進み出て、神功皇后に申し上げた。

「武内宿禰様の言う通りです。私たちは国内は勿論のこと、新羅や百済にまで、その名を轟かせる神功皇后様を倭国王として、全身全霊、御信奉申し上げます」

 津守住吉が、それに続いた。

「更に私たちは皇后様が苦難の末、御出産なされました誉田皇子様を、将来の天皇、日嗣の御子にと考えております」

 津守住吉は誉田皇子が神功皇后の後継者であることを強調した。建振熊も、他の大臣同様、皇后の前に進み出て申し上げた。

「これらのことは、国民誰もが願っていることです。皇后様におかれましては誰に憚ること無く、天皇としての采配を御振るい下さい」

 神功皇后は大臣たちの言葉に頷き、ほっとしたような顔をして微笑みながら言った。

「有難う。武内宿禰を始めとする大臣たちや将軍の賛同を得て、私は大変、嬉しい。私は皆さんの期待に違わぬよう、天皇としての正しい政治を行います。皆さんの協力を、よろしくお願い致します」

 神功皇后は集まっている大臣たちや将軍に感謝の意を表した。それに対し、武内宿禰が、皆を代表して答えた。

「国民一同、神功女王様の為に頑張ります」

 それに合わせ他の者たちも神功天皇への忠誠を誓った。

「神功女王様の為に頑張ります」

 その誓いは神功皇后を勇気づけさせてくれた。神功皇后は、改めて自分の心に言い聞かせた。愛する夫を亡くした皇后である自分に求められていることは、日嗣皇子の誉田皇子が成長し、天皇に即位するまで、つつがなく倭国を治めることであると・・・。こうして忍熊皇子攻略の会議は終了した。そして、その翌日から津守住吉の指揮のもと、小竹宮の建設が始まった。

          〇

 十日後、誉田皇子の立太子の礼は紀伊の日高の小竹宮で挙行された。しかし、この日より紀伊の空が真っ暗になり、太陽の見えない夜のような暗い日が、何日も続いた。皇軍が二手に分かれて行動を開始しようとしても、開始することが出来なかった。その為、皇軍は日高川のほとり、御防の小竹宮に釘付けになり、身動き出来ず、行詰まった。周囲の村人たちは『常闇行き』の不吉なことの前兆だと噂し合った。それを耳にした神功皇后は土地の首長、紀豊耳の屋敷に訪問して、ことの次第を尋ねた。

「紀直よ。私たちがここに来てから、天が曇り、夜のように暗い日々が続いているが、これは毎年、この時期に起こる現象なのですか?」

 部下を引き連れての神功皇后の問いに、紀豊耳は恐る恐る答えた。

「このようなことは、未だかってありません」

「この変事は何の所為であろうか?」

 神功皇后はその原因を知りたかった。自分たちが、ここに来た所為で、土地神が怒っているのではあるまいか。紀豊耳が心配する神功皇后に言った。

「この村に日高天師という翁がおります。この翁に尋ねれば、この変事が何の所為か分かりましょう」

「そうですか」

 神功皇后は頷いた。すかさず武内宿禰が言った。

「その翁を、ここに呼んでくれぬか」

 武内宿禰が、その翁、日高天師を召し出すよう、紀豊耳に依頼すると、紀豊耳が笑って答えた。

「そんな事になろうかと、我が屋敷に日高天師を連れて来ております。只今、ここにお呼び致します」

 そう答えると紀豊耳は屋敷の奥から一人の老人を連れて来た。老人は、神功皇后を見るなり神功皇后の前に平伏した。

「神功皇后様。日高天師に御座います。このように年老いた醜い私めに、お目通りいただき、身に余る光栄に御座います。この翁で、お役に立てることが御座いましたら、何なりと、お申し付け下さい」

「翁よ。汝のことは豊耳から聞いた。何故、このような暗闇に近い日々が続くのか、汝に尋ねれば分かると、豊耳が教えてくれたが、この変事が、何の所為で起きているのか、その理由を私に教えて下さい」

 神功皇后は白髪の老人に優しく訊ねた。老人はしばし考えてから答えた。

「多分、このような変事が起こるのは、あってはならない事をしている阿豆那比の罪の所為だと思われます」

「阿豆那比の罪?それはどういう罪ですか」

「それは夜と昼の世界を夜と夜にしてしまった罪です。男と男を一つの墓に合葬した罪です。このような場合、天変地異が起こり、太陽が出ず、雨が何日も降り、寒冷の暗い日が続き、五穀が凶作となると、昔から言い伝えられております。この地のいずこかに、男と男を一緒に葬った場所があるのでしょう」

 老人は不気味な目をして、辺りの村人たちを見回した。神功皇后は紀豊耳に糺した。

「紀直よ。この地に、そのような場所があるのですか?」

「さてさて、そのような場所が、この地にありましょうか」

 土地の首長、紀豊耳は首を傾げた。武内宿禰は紀豊耳の屋敷の周りに集まって来た村人たちに尋ねた。

「誰か、この村の者で一つの墓に男が二人眠っているのを知っている者はいないか?」

 神功皇后も尋ねた。

「誰か、一つの墓に、男二人を合葬した者はいないか。知っている者がいたなら、私に教えて下さい。教えてくれた者には褒美を差し上げましょう」

 その神功皇后の言葉に一人の村人が、大三輪大友主に、その墓なら知っていると、ぽつりと呟いた。それを聞いて、大三輪大友主が神功皇后に申し出た。

「皇后様。ここにいる村人の一人が、思い当たる墓があると言っております」

 それを聞いて、神功皇后の目が輝いた。

「村人よ。それは本当ですか?その墓は誰の墓ですか?」

 大三輪大友主に付き添われた村人は恐る恐る震えながら喋った。

「それは小竹祝と天野祝の墓です。二人は仲の良い友人でした。小竹祝が病気で死ぬと、親友の天野祝は泣き叫びました。〈俺たちは、この世にあって、愛し合う良き友であった。どうして死後に暮らす場所を同じ墓穴にしないでいられようか〉と号泣慟哭し、転がり回り、天野祝は、小竹祝の屍の側に伏し、後を追って死にました。私たち部落の者は、二人を哀れに思い、一つの墓に合葬してやりました。思うに、お尋ねの墓は、この二人の墓ではないかと思います」

 その話を聞いて、その場にいた神功皇后はじめ、紀豊耳もびっくりした。日高天師はこくりと頷いた。

「皇后様。この村人のいう墓こそ、日高天師翁の言う阿豆那比の墓に相違ありません」

 武内宿禰は、その村人の告白を耳にし、阿豆那比の墓の存在を確信した。神功皇后も、その墓だと思った。

「村人よ。良く話してくれました。私も、その墓であると思います。褒美は後で渡しますので、小竹宮に受け取りに来て下さい」

 神功皇后は、それから紀豊耳に命じた。

「紀直よ。御苦労だが、直ちに、その墓を尋ね、死者の柩を検め、それぞれの柩を造り、別々の場所に埋めて下さい。そうすれば私たちは晴れた青空を見る事が出来るでしょう」

「畏まりました。このような不始末な事が、あったことも知らず、この豊耳、監督不行き届きであったことを、神功皇后様に深くお詫び申し上げます。即刻、二人の柩を作り、別々の場所に埋葬致しますので、我ら一同の過失をお許し下さい」

「分かれば良いことです。昼と夜が明確になれば、私たちも忍熊皇子を捕えることが出来ます。この地にも平和がやって来るでしょう」

 神功皇后の指示に従い、紀豊耳が日高天師のいう阿豆那比の墓を突き止め、それぞれの死体を離し、別々の墓に埋葬すると、神功皇后の希望通りに陽の光が輝き、あたりは昼と夜の区別の出来る世界に戻った。神功皇后軍は、ここで、紀豊耳らの協力を得て、数日間、軍備を整えた。

          〇

 神功二年(392年)三月五日、神功皇后は大三輪大友主と建振熊に命じ、数万の兵を率いて、忍熊軍を攻撃する為、紀伊の日高から紀の川を上り、大和を経由して宇治に向かう陸路軍と、和泉経由で摂津に入る海路軍とを編成し、紀伊を出発した。神功皇后は大和に入る陸路軍については、武内宿禰に任せ、自らは海路軍の軍船に乗り、大三輪大友主、建振熊らと共に精兵を率いて、摂津に進出した。一方、忍熊皇子は吉師伊佐比らと、宇治や近江の兵を集め、寝屋川に布陣し、対抗策を練った。そこへ兎道三室の部下が駆け込んで来た。

「忍熊皇子様。磯城の兵が神功皇后の兵に攻撃され、後退しているとの報告です。如何、致しましょう?」

 その慌てた姿を見て忍熊皇子は激怒した。

「何を慌てふためいている。倉見別軍を派遣し、押し返せ!」

 それに対し、冷静な伊佐比が答えた。

「倉見別殿は現在、美野垂井で敦賀の息長日照彦と対峙しております。従って、宇治に戻れるような状況ではありません。東国からの援軍を近江に迎え入れる為には、どうしても息長日照彦を倒さねばならぬのです。ですから倉見別殿の軍勢を後退させる訳には行かないのです」

「ならば、どうせよというのか?」

 忍熊皇子は地団駄を踏んだ。伊佐比は、そんな忍熊皇子を励ました。

「まずは近江に戻り、倉見別殿と共に敦賀の息長日照彦を攻め、美野、那古の街道を開放し、東国の伊那、阿夫利、毛野、阿部の援軍を迎え入れることです。そうすれば、如何に強力な神功皇后軍でも、私たちに勝てる筈がありません」

「そんなに東国の兵は強いのか?」

「毛野一族をはじめとする彼ら豊城入彦様の後裔は、絶えず蝦夷に出兵し、その鍛えられた攻撃力は抜群です。騎馬の民である彼らは馬を愛し、行動的で且つ直情的です。彼らの族長、荒田別は神功皇后と新羅に遠征して帰ってから、その恩賞も頂けず、鹿我別と共に不満を抱いているようです。荒田別は恐るべき男です。彼は天皇家など恐れはしません。自分の思うがままに行動します。武蔵国の千熊長彦を従え、名古まで進軍しているとの話です」

 𠮷師伊佐比の説明に、忍熊皇子は再び元気を取り戻した。

「では近江に戻ろう。近江に戻り、敦賀の日照彦を攻めよう。神功皇后の弟、日照彦を倒せば、勝利は私たちのものだ」

「その通りです。しかし神功皇后軍に、後退を悟られてはなりません。その為、私はこの地に留まり、敵と戦います。この地に留まり、一人でも多く、敵兵を倒します」

 吉師伊佐比は寝屋川にて敵を食い止めるべく、残留することを、忍熊皇子に申し出た。伊佐比は、寝屋川で死ぬ覚悟だった。

「伊佐比はついて来ないのか?」

「私は、ここで忍熊皇子様とお別れ致します。忍熊皇子様の御幼少の時から、この吉師伊佐比、その御側に仕えて参りましたが、これが今生のお別れとなるかも知れません。忍熊皇子様におかれましては、ここをうまく退去なされて、近江の都に戻り、犬上倉見別殿と合流し、毛野一族をはじめとする東国兵の力を借り、勝利の栄光を掴んで下さい」

 伊佐比の別れの言葉を聞いて、忍熊皇子は涙が溢れそうになった。

「今生の別れなどと、哀しいことを言うな。神功皇后軍を打倒し、無事、近江に戻ってくれ」

「私も、それを願っています。しかし相手は神功皇后。容赦なく殺戮を繰り返し攻め込んで来るでしょう。忍熊皇子様、こう、お話しているうちにも、敵は迫って来ています。早く近江に移動して下さい」

「分かった。私は近江に行く。伊佐比、達者でな」

「忍熊皇子様・・・」

 勇猛な将軍、吉師伊佐比が肩を揺すって泣いた。忍熊皇子も涙を見せた。

「さらばじゃ、伊佐比」

「ご無事で・・・」

 吉師伊佐比は護衛兵に守られながら立ち去って行く忍熊皇子を見送りながら、涙をぬぐった。何と辛い別れであることか。そんな感傷にふける将軍のもとに、巨人、熊之凝という先鋒が戻って来て、戦さの現況を伊佐比に伝えた。

「伊佐比様。磯城の兵は全滅しました。もう残っているのは、私たち軍兵だけです。最後の作戦を御指示下さい」

 熊之凝の報告を聞いて、将軍、伊佐比は全身、血も逆流する程の憤激に襲われた。傍に立っている柳の枝を引き裂き、それを力いっぱい地面に叩きつけた。

「こうなっては作戦も何も無い。敵軍と正面衝突して、敵将、神功皇后の御首を頂戴するだけじゃ」

「それは無茶です。犬死です」

「私はたった今、忍熊皇子様とお別れをした。もう、この世に思い残すことは無い。熊之凝よ、馬を取れ!」

 将軍、吉師伊佐比は恐ろしい形相で敵軍のいる方向を睨みつけた。熊之凝は止めても無駄であると思った。熊之凝は直ぐに鹿之角と駿馬を用意した。

「伊佐比様。この馬を、お使い下さい。東国の荒田別様からの贈り物の名馬です。千里を走ると言う名馬です」

 伊佐比は、用意された名馬にひらりと飛び乗ると、その馬の背中を撫でながら、熊之凝に尋ねた。

「して熊之凝よ、神功皇后の陣屋はいずくにあるや」

「この谷の向こうの森の中です。谷を降り、川を渡り、岩場を越えれば森に出ます。その森の中央に、神功皇后の陣屋があるとのことです。それ故、攻め込むには中々、難しい場所です」

「ようし、分かった。やって出来ないことは無い。行くぞ、熊之凝!」

 そう叫ぶと伊佐比は、熊之凝に同道するよう命じた。

「そ、それは乱暴すぎます」

「乱暴ではない。森の中を馬で駆け抜けるのじゃ。駆け抜けながら、神功皇后を弓で射るのじゃ。敵に勝つには奇襲しかない。ついて参れ」

「は、はいっ」

 熊之凝と鹿之角は伊佐比将軍の命令に従い、馬に飛び乗ると愛馬に鞭を入れた。伊佐比将軍と熊之凝と鹿之角を乗せた三頭の駿馬は競うように谷を降り、川を渡り、森の中を走り、乱暴にも敵陣を奇襲した。大三輪大友主や建振熊の防戦を受けながらも、伊佐比将軍は、神功皇后に弓を射った。

「あ、あっ」

 流石、伊佐比将軍。馬上から狙い定めて彼が放った矢は、狙い違わず神功皇后の赤鎧に当たった。しかし、その命を奪うことは出来なかった。三人は神功皇后の護衛兵の反撃に合い、そのまま馬に乗って宇治へと逃走した。

          〇

 神功皇后は、敵将、吉師伊佐比の放った不意の矢を左腕に受けて負傷したが、大事に至らなかった。怒りに燃えた神功皇后軍は忍熊軍を追って、宇治川の南に布陣し、武内宿禰は誉田皇子を総大将として、伊賀から笠置に入り、宇治川の東に布陣した。一方、近江に向かった忍熊皇子は、宇治まで出迎えに来た犬上倉見別と面会し、追いかけて来た吉師伊佐比とも再会出来た。忍熊皇子は倉見別将軍に、東国からの援軍の状況を尋ねた。

「倉見別よ。東国からの援軍は、まだ近江に到着出来ないでいると聞いているが、どうなっている?」

「はい、東国勢力は荒田別を中心にした伊那、毛野、阿夫利軍が、敦賀の息長日照彦軍を美野垂井から伊吹に追いやりました。更に我が軍が、そこに駈けつけましたので、敦賀兵は、今、余呉に退いております。従いまして、東国兵は数日後、近江に入って参りましょう。それまでの辛抱です」

 その倉見別の吉報と競うかの如く、吉師伊佐比が発言した。

「忍熊皇子様。東国の兵を待つまでもありません。神功皇后は、この伊佐比の弓矢に射られ、瀕死の重傷との噂です。最早、戦う意思も無く、皇后軍は壊滅寸前とのことです。皇后軍の兵は、間もなく白旗を上げて投降して来るで、ありましょう」

「あの鬼神のような猛女、神功皇后が、真実、弓矢に当たって瀕死の状態なのだろうか。もし、それが真実だとすれば、天が私に味方してくれているということだ。果たして、それは本当だろうか?」

 忍熊皇子は神功皇后重傷の噂を信じていなかった。あくまでも慎重だった。伊佐比には、それが不満だった。

「噂が嘘か真実かは直ぐに分かることです」

 忍熊皇子が犬上倉見別や吉師伊佐比、熊之凝らと陣屋でそんな話をしていると、兎道三室が駆け込んで来た。

「忍熊皇子様、大変です。川の向こうに敵将、建振熊が現れました。忍熊皇子様に、お会いしたいとのことです」

 すると倉見別は、三室の報告を受け、忍熊皇子に説明した。

「何とふてぶてしい男だ。彼は葛城襲津彦と共謀し、赤い猪を装い、香坂皇子様を殺害したという極悪非道の男です」

 倉見別の言葉に忍熊皇子は立ち上がった。陣屋から跳び出し、川辺に走った。激情が身体中を駆け巡った。川辺に着くと、忍熊皇子は身震いして叫んだ。

「あやつが建振熊か。憎んでも憎んでも、憎みきれぬ兄の仇じゃ。振熊を生きて帰すな。熊之凝よ、会談は無用じゃ。振熊に戦いを伝えよ」

 すると忍熊皇子の命令を受けて、熊之凝が川向うの岸に立つ猛将、建振熊に怒号した。

「古き友、建振熊よ。我々は、お前たちと話し合う余地は無い。そこの松原で鏑矢をつがえよ。貴人は貴人同志、正々堂々、命果つるまで、戦おうではないか」

 その熊之凝の激しい叫び声に反し、建振熊の返答は意外であり、非常に落ち着いていた。

「友よ。最早、我々は戦わねばならぬ理由が無くなった。神功皇后様が、身罷られた。我々は天下を奪うつもりはない。幼い誉田皇子様を抱いて、忍熊皇子様に従う。これ以上、戦うつもりは毛頭も無い。どうか共に弓弦を断ち切り、武器を捨て、和睦しよう。我々は、そこにおわす忍熊皇子様が安心して皇位につき、徳のある政治を行われることを希望する。我々は今ここに、武器を捨てる。あなた方も、平和の証に武器をお捨て願いたい」

 建振熊の言葉に共に武術を習ったことのある熊之凝は闘志を委縮させた。だが吉師伊佐比は用心深かった。

「忍熊皇子様。建振熊の言っていることは出鱈目です。油断は禁物です。何か謀略かも知れません」

 それに対し、神功皇后重傷説を耳にしていた忍熊皇子は、建振熊の言葉を信じた。

「いや、建振熊と熊之凝は親友。信じても良かろう。神功皇后が死んだと知り、兵力も減少し、降伏するしか無く、彼らは全く戦う意思も無くなったに違いない」

 忍熊皇子は建振熊の言葉を対岸から直接、耳にして、神功皇后が死去したと信じて疑わなかった。犬上倉見別は忍熊皇子に申し上げた。

「信じて良いのでしょうか。もし、そうであれば、この辺で和睦するのが潮時かも知れません」

 倉見別の忠告もあり、忍熊皇子は、自分たちの勝利を確信し、自分に従う兵に布告した。

「我が兵に告ぐ。神功皇后が身罷られた。皇后に従っていた敵兵は、恭順の意を表し、武器を捨てた。彼らが降伏を約束し、武器を捨てた以上、私たちも、それに応えるべきである。私たちも彼らと同じように、直ちに弓弦を断ち切り、武器を捨てよう。そして彼らと和睦しよう」

 今まで命懸けで忍熊皇子に従って来た将軍や兵卒は、顔を見合わせて、忍熊皇子の言葉を疑った。そんな兵卒たちに熊之凝が命じた。

「皆の者よ。忍熊皇子様は天皇らしく、寛大な御心で、自ら弓弦を断ち切り、武器をお捨てになられた。敵もまた弓弦を断ち切った。私たちも手にしている弓弦を断ち切ろう」

「おうっ!」

 熊之凝の命令に従い、一同、弓弦を断ち切った。それを対岸で見ていた建振熊が、熊之凝に言った。

「有難う、友よ。柔順な貴男方の心根の優しさに、建振熊、涙が出る思いである。今日のことは、建振熊、一生、忘れまい」

 建振熊は涙をぬぐって見せた。そんな振熊に忍熊皇子が質問した。

「ところで建振熊よ。神功皇后の亡骸は如何、致した?」

「田上山に葬りました」

「誉田皇子は何処にいる?」

 忍熊皇子の続いての質問に、建振熊は困惑した。相手の注目する目が、自分に向かって集中しているで、慌てた。すると建振熊の背後から、白髪の老人が姿を見せた。

「ここに、おられます。この輝くばかりの皇子様が、誉田皇子様です」

 老人の腕の中で、可愛い赤子が笑っていた。忍熊皇子は驚愕した。

「なんと武内宿禰。そやつが我が弟、誉田皇子か。近くで見たい。こっちへよこせ!」

「そうは参りません。誉田皇子様は皇位を継承される大事なお方です。忍熊皇子様にお渡しする訳には参りません」

 武内宿禰の厳しい顔つきを見て、忍熊皇子は青ざめた。

「何じゃと。誉田皇子が皇位を継ぐ。すると先程の和睦の話は嘘、偽りか?弓弦を断ち切ったのは嘘であったか」

 武内宿禰は笑った。それを見て、伊佐比が叫んだ。

「忍熊皇子様。計られましたぞ。彼らは予備の弓弦を頭の髪の中から取り出し、弓弦を張り直して、攻撃しようとしています。急いでお逃げ下さい。危険です」

 吉師伊佐比の言う通り、皇后軍の反撃の準備は充分で、もう弓に矢をつがえていた。建振熊は逃げ去る旧友に告げた。

「熊之凝よ。友を恨むな。それより愚かな、お前の主人を恨んでくれ」

「騙したな、振熊。この石でもくらえ!」

 熊之凝は激昂して、傍にあった石を拾い、振熊めがけて投げつけた。

「そんな事をしても無駄である。大人しく我らに降参せよ」

 友に裏切られ、悲憤慷慨の熊之凝に忍熊皇子は優しく言った。

「熊之凝よ。逆らっても無駄だ。騙された私たちが、悪いのだ。私たちには今、控えの武器も無い。戦うことも出来ぬ。無念であるが退散じゃ」

 忍熊皇子は武内宿禰らを睨みつけ、宇治川から兵を引いて、近江の逢坂まで逃亡した。

          〇

 神功皇后軍は容赦無かった。葛城襲津彦、建振熊、物部胆炸、大伴武持、大三輪鴨積らの精鋭兵を出して、忍熊皇子を追撃した。淡海のほとり、逢坂で、双方、相向かい、退くことなく戦った。沢山の兵が、そこで死んだ。寄せ来る皇后軍に堪え切れず、忍熊皇子の兵は後退した。逃げた忍熊軍の兵は、楽浪の栗林に至って、ことごとく斬られた。血は栗林の丘を真紅に染めた。忍熊皇子と吉師伊佐比は、瀬田のほとりに逃げ、藪の中に隠れた。

「忍熊皇子様。お怪我は御座いませんか?」

「大丈夫だ。足を擦りむいた程度だ。熊之凝はどうした?」

「逢坂山の戦闘で死にました」

「倉見別はどうした?」

「倉見別殿は敦賀の日照彦との決着がつかず、忍熊皇子様の身を案じ、近江の栗林に戻って来たところを、建振熊に斬られました」

 吉師伊佐比の口から出て来る返答は哀しい話ばかりであった。二人に付き添う、兎道三室たち三人の兵は、伊佐比の話を聞いて泣いた。忍熊皇子は涙を見せず、天を仰いで、伊佐比に尋ねた。

「東国の毛野の族長、荒田別はどうした?」

「彼は新羅に行った時の仲間、葛城襲津彦にまるめられ、神功皇后軍に寝返りました。今や東国からの援軍は期待出来ません。人の心は信じられぬもので御座います」

 何もかもが思いとは違った状況になっても、忍熊皇子は冷静だった。忍熊皇子は伊佐比に言った。

「確かに私は、彼らに騙され続けた。父、仲哀天皇の死。誉田皇子の死。神功皇后の死。総て彼らによって欺かれた。これが人の世かも知れぬ。しかし伊佐比よ。お前は私を裏切らなかった。長い間、私の側にあって、命を張って、戦ってくれた。私は、お前に深く感謝する」

「忍熊皇子様。勿体無いお言葉。有難う御座います。これ以上、ここに留まっていることは危険です。さあ、舟で対岸に脱げましょう」

 忍熊皇子は吉師伊佐比に案内され、瀬田の渡りから舟に乗った。何処へ行けば良いのか。それを建振熊の兵士、長彦が発見した。

「振熊様。湖畔に誰かがいます。舟に乗って逃げようとしているところです」

 振熊は透かさず舟に乗った二人に声をかけた。

「待たれよ。そこにいるのは忍熊皇子様と吉師伊佐比殿と、お見受け致した。逃げても無駄です。大人しく舟から、降りて下さい」

 振熊の声を聞きつけ、振熊の兵士が湖畔に集まって来た。沢山の敵兵に追い詰められ、二人は万事休す、湖上の舟の上で話し合った。

「忍熊皇子様。最早、これまでに御座います。如何、致しましょう」

「こうなったら、死ぬより他に無かろう」

 忍熊皇子の言葉に吉師伊佐比は涙を流した。伊佐比は何と申したら良いのか、言葉に窮した。忍熊皇子は舟の上で歌を詠んだ。

  いざ吾君 伊佐比宿禰

  魂きはる 内の朝臣が振熊の

  痛手負はずは 鳰鳥の

  淡海の海に 潜きせわな

 その歌を聞いて、振熊は二人が共に死のうとしているのを知った。

「伊佐比殿。早まってはならぬ!」

 吉師伊佐比は建振熊が止めるのも聞かず、忍熊皇子を舟の上で抱き寄せた。

「忍熊皇子様。御免!」

 忍熊皇子は伊佐比に逆らわず、伊佐比と共に湖に沈んだ。

「二人が湖水に身を投げたぞ!」

 湖畔にいた兵士たちは吃驚した。建振熊が叫んだ。

「誰か、二人を助けよ。死なせてはならぬ。死なせてはならぬ!」

 現場に駈けつけた武内宿禰も、建振熊と共に、周りの兵に命じたが、湖底深くに沈んだ二人を、誰も助けることは出来なかった。二人が浮いて来るのを待ったが、何時間、経っても二人の死体は見つからなかった。数日後、二人の死体は湖の下流の宇治川で発見された。神功皇后は誉田皇子の異母兄である忍熊皇子の反乱が終息したことを確認すると、淡海のほとりにある坂田まで足を延ばし、父、息長宿禰の屋敷に訪問した。そこで弟、息長日照彦とも再会し、犬上倉見別とこの地で戦ったことや、東国勢の引き上げ状況を確認した。そして可愛い誉田皇子を両親に見せることが出来た。また生まれ故郷の伊吹山や天野川などの景色を眺めた。長い歳月が過ぎても、故郷の山河の佇まいは変わっていなかった。神功皇后は、故郷で休養し、その年の夏、大和に凱旋した。武内宿禰が守ってくれていた纏向の日代の宮に入ると、神功皇后に天下を安定させていただいたということで、方々から豪族がやって来た。十月二日、神功皇后は河内国長江に仮り宮を築き、そこで国を治めることにした。群臣たちは神功皇后の事を神功女王とは呼ばず、武内宿禰に倣い神功皇太后と呼んで、その名を尊んだ。かくて乱れていた倭国に平和が訪れた。また年末、武内宿禰の息子、羽田矢代、紀角らが新羅微叱許智王子を人質として連れ帰った。

          〇

 神功三年(393年)五月、任那に駐留させていた中臣烏賊津が倭国に戻って来た。彼は父、臣狭山と一緒にやって来た。彼は二十五歳の溌溂とした声で挨拶した。

「皇太后様。中臣烏賊津、本日、任那より帰還致しました。皇太后様におかれましては、御機嫌麗しく、烏賊津、この上ない喜びに御座います」

「烏賊津臣よ。長い間、異国の地にあって、良くぞ倭国の威信を守ってくれました。新羅の朝貢の使者たちから、その活躍ぶりを聞かされていました。深く感謝してます」

 皇太后は懐かしい烏賊津の手を取り、烏賊津の帰国を喜ぶと共に、その成果を褒め称えた。

「私は倭国から派遣された将軍として当然の仕事をしたまでです」

「して百済のその後の状況は如何ですか?」

 神功皇太后は、新羅の使者から百済の乱れを知らされていたので、烏賊津に百済の状況を尋ねた。烏賊津は自信をもって現在の百済の状況を説明した。

「百済は今、辰斯王の時代から阿花王の時代となり、落ち着きを取り戻しました。任那大王も百済からの危険が終息し、安心しておられます。そこで倭国の状況を心配し、私に早く帰国するよう促されましたので、お言葉に従い帰国して参りました」

「辰斯王を処刑するとは、そなたも大胆なことをされましたね」

「私たちは辰斯王に騙されていたのです。彼は兄、枕流王が薨じるや、年若い甥の阿花王から王位を奪い取ったのです。そして任那や倭国に媚を売って来たのです。そんな悪質な男ですから仲哀天皇様の御逝去と、香坂皇子の皇位継承の噂を耳にするや、人が変わり、神功皇太后様と誓った約束の総てを反故にし、燕国の帯方王慕容佐と任那侵攻の計画を進めていたのです。約束を守らない不道徳極まりない男だと思いませんか。だから処刑したのです」

 中臣烏賊津は任那にいた時のことを思い出し興奮して喋った。

「分かっています」

 神功皇太后は微笑した。

「私は、約束を反故にする百済の辰斯王に立腹したのです。私は木羅斤資、羽田矢代、紀角、玉田窪屋らと共に百済に出向き、辰斯王が、国と国の約束を守らず、その礼に背いたことと、帯方王と何を結託していたのかを責めました。百済の重臣たちは、任那と倭国の連合軍の怒りに震え上がり、辰斯王を殺して陳謝しました」

「誠に御苦労様でした。そのことは先に帰った羽田矢代、紀角や新羅の使者から聞いております。そなたの任那での行動と功績の総てを任那大王からも書面で教えていただいております。よく若い阿花王を立ててくれましたね」

 神功皇太后は中臣烏賊津の二年間の任那での努力に感謝の意を述べた。

「あのまま黙っていたら、辰斯王は増長し、燕国軍と共に任那、倭国にまで襲来したかも知れません。耆老の後裔という白都利が隠密となり、活躍してくれましたので助かりました」

「その通りかも知れません。そなたが任那で大陸の動きを監視していてくれなかったなら、私は今頃、香坂忍熊と軍異国軍の攻撃を受け、亡くなっていたかも知れません」

 神功皇太后は、倭国に戻って来てからの緊迫の日々のことを回想した。

「そんなことはありません。正義は必ず勝つのです。今回の二分されようとしていた倭国の戦さの統一は、正義がもたらしたものです。総てが正しき者の上にあるのです」

「でも本当に良く帰って来てくれました。烏賊津臣が帰国し、 私は安心しました。後は遅れていた御陵の完成を待つだけです」

「御陵?」

「仲哀天皇の御陵です。穴門で葬送の儀は済ませておりますが、河内国長野に正式に葬り申し上げようと御陵の築造を進めています」

 神功皇后は夫、仲哀天皇の陵墓造りの夢を烏賊津に語った。

「完成の時期は何時頃になるので御座いますか」

「十月に完成する予定です。大葬の礼には、そなたにも参列してもらいます」

「仲哀天皇様の大葬の礼に立ち会えるとは、烏賊津、涙の出る思いです」

「そなたに、そう言われると私も嬉しくなります」

 烏賊津の言葉に、神功皇太后は涙ぐんだ。烏賊津は、暫くぶりに神功皇太后に会い、皇太后が涙もろくなったと感じた。烏賊津は、そんな皇太后に助言した。

「ところで皇太后様。大陸の状況は今のところ安泰ですが、何時また変化かするか分かりません。諸外国との対応を考え、誉田皇子様を正式に皇太子として、公表する時期がやって来たように思われます。皇太后様が倭国王となり、誉田皇子様が皇太子となり、新体制を発足し、倭国が隆盛していることを、国内はもとより、世界に発信すべきだと思います」

 その烏賊津の言葉に頷きながら、神功皇后は少し考えた。

「帰国して早々の烏賊津から、このような意見をされるとは思ってもみませんでした。私も、その時期を考え悩んでいたところです」

 そうは答えたものの、神功皇太后には躊躇があった。香坂、忍熊の両王子を滅ぼした罪の意識が、神功皇后を消極的にしていた。しかし中臣烏賊津は積極的だった。二年間の任那での経験が彼を成長させていた。

「誰にはばかることもありません。一時も早く誉田皇子様を正式に立太子させるべきです。そして数年後、倭国王として御即位させるべきです」

 烏賊津の助言は、武内宿禰の忠告に似ていた。神功皇后は烏賊津の言葉を耳にして、その気になった。

「烏賊津の言葉に私は勇気づけられました。早速、武内宿禰に相談してみましょう」

「仲哀天皇様は死の床で仰せられました。〈もし、男子が産まれて来たなら、朕と異なり、神様を崇め、神様の命に応じる素敵な皇子に育てよ。そして名を応神と呼べ〉と・・」

「そうでしたね。誉田皇子が天皇になられた暁には、仲哀天皇の遺言従い、誉田皇子のことを、応神天皇と呼ぶことに致しましょう」

 神功皇后は烏賊津の言葉に仲哀天皇の臨終の床での姿を思い出した。そして一時も早く、国民に祝福される誉田皇子の立太子の式を挙げ、続いて天皇即位の式を挙行すべきだと思った。また彼女は天皇になるのは男性であるのが理想であると考えていた。中臣烏賊津の帰国報告は、思わぬ会話で終わった。それから半年後の十一月八日、神功皇太后は仲哀天皇の亡骸を河内国の長野陵に群臣百官と共に葬られた。

          〇

 明けて神功四年(394年)一月三日、神功皇太后は大和国磐余に都を造り、若桜宮にて誉田皇子を正式に皇太子とし、自らは摂政として政治を司った。神功皇太后は、倭国の国々の首長たちの間で、争いを起こすことなく平和が続くよう武内宿禰ら重臣に目を行き届かせ平穏無事の日々を過ごした。その翌々年(396年)二月、武内宿禰は皇太子、誉田皇子を神功皇后の故郷、敦賀にて元服させるべく、誉田皇子を淡海のほとり坂田及び若狭を巡歴して、その地にお連れした。誉田皇子の一行は、葛城宿禰の屋敷に宿泊した。二月八日の夜、皇太子、誉田皇子はその屋敷で夢を見た。夢に大神が現れ、誉田皇子に尋ねた。

「そこに眠っている誰であるか?」

 誉田皇子は、その声を聞いて、慌てて起き上がり、大神に返事をした。

「私は仲哀天皇の皇子、誉田皇子である」

「何故、敦賀に参った?」

「私は七歳になった。母、神功皇太后の故郷、笥飯神社にて、元服の式を挙げるべく、近江の坂田および若狭を巡歴し、ここ角鹿に参った。そう言うお前は誰じゃ?」

 幼いが堂々として答え、また質問して来る利発そうな誉田皇子の問いに、大神は笑って答えた。

「私は笥飯神社の祭神、伊狭沙和気大神である。そなたの先祖、天日矛によって、この地に祀られてより七十年、ここに住んでいる。良くぞ来てくれた。礼を言う」

 誉田皇子は母から聞いていた伊狭沙和気大神の名を聞いて驚愕した。

「畏れ多いことに御座います。私の御先祖様が崇拝されて来られた伊狭沙和気大神様とは知らず、無礼な問答をしてしまったことを、お許し下さい」

「気にすることは無い。そなたはこの地で元服の式を挙げ、都に戻り、天皇になるに相応しい器量を持っている。私の前で遠慮するな」

「私は明日、正午、貴方様の御前にて元服の式を挙げます。見ての通り歳も若く、未熟者であり、至らぬ点も多々あろうかと思いますが、よろしくお願い申し上げます」

「心配は要らぬ。総てはそなたの世話役である武内宿禰とやらが、取り仕切ってくれる」

 緊張する誉田皇子に伊狭沙和気大神は優しく語った。誉田皇子は大神に尋ねた。

「倭国は今、再び海の向こうの新羅国と戦っております。伝えによれば、貴方様は、もともと新羅国の大神とか。私がこの国の天皇となり、新羅国とうまくやって行くには、如何したらよろしいでしょうか?」

 すると伊狭沙和気大神はこう答えた。

「我が名をそなたの名として使用すれば良い。伊狭沙大王じゃ。新羅にて、この名を使えば天下無敵じゃ。新羅の民草は新羅王として、そなたを尊び平伏するであろう」

 伊狭沙大神の言葉に誉田皇子は歓喜した。

「有難う御座います。仰せの通りに従い、御名をいただき、伊狭沙大王を名乗りましょう。尊崇する伊狭沙和気大神様の御名をいただけるとは、誉田皇子、この上なき仕合せに御座います。御礼として何か奉納したいと思いますが、伊狭沙和気大神様には、何かお望みのものが、お有りでしょうか?」

 伊狭沙大神は、待っていたかのように答えた。

「天日矛が新羅より倭国に渡来した時、持参した八つの宝があるが、そのうちの一つ、伊狭沙の太刀が行方不明である。私は眠っているそなたの枕辺に置いてあるその太刀を眺め、それを伊狭沙の太刀と見た。私は、その太刀が欲しい」

「この太刀は母、神功皇太后様より戴いた太刀です。もともと、この太刀、伊狭沙の太刀は、その名が示す通り、笥飯神社の伊狭沙和気大神様の所持品かも知れません。御名を戴いた御礼として、喜んでこの太刀を献上致します」

 誉田皇子は、その場で伊狭沙大神に枕元に置いてあった太刀を奉献した。伊狭沙大神は嬉しそうに誉田皇子が差し出した太刀を右手で受け取った。

「これは有難い。そなたの先祖を大事に敬う心がけ、気に入ったぞ。そなたは明日、我が前で立派に元服の式を挙げ、やがて素晴らしい聖王になるであろう」

「有難う御座います」

 誉田皇子は伊狭沙大神の言葉を受け、感謝した。伊狭沙大神は少し小声で言った。

「明朝、浜に出かけるが良い。この太刀をいただいた御礼として、私からの贈り物を差し上げよう」

「畏れ多いことです」

「眠っているところを起こして申し訳なかった。明日、笥飯神社で会おう。ゆっくりと休むが良い」

「伊狭沙大神様、伊狭沙大神様・・・」

 誉田皇子は夢の中で立ち去って行く伊狭沙大神の名を呼んだ。誉田皇子の側で添い寝していた武内宿禰は、誉田皇子が伊狭沙大神の名を呼ぶ声を聞いて跳び起きた。

「如何なされました?誉田皇子様!」

「何でもない。ちょっと雨戸が風に揺れて声を上げただけのことだ」

「でも、誉田皇子様が何か話していたような」

 誉田皇子は直ぐに答えられなかったが、眠そうな顔をして言った。

「気のせいだろう。明日は忙しい。眠るぞ」

 武内宿禰は寝床に入った誉田皇子を見て、首を傾げた。ともあれ深夜だ。武内宿禰は明日の行事のことを考えながら、誉田皇子の隣で再び眠りについた。

          〇

 翌朝、起床するや誉田皇子は武内宿禰に質問された。

「昨夜は、ちゃんと眠れましたか?」

 そう訊かれて、誉田皇子は昨夜の夢を武内宿禰に話しておくべきだと思った。誉田皇子は武内宿禰の顔を真剣な目で見詰めて言った。

「笑わないでくれ。昨夜、伊狭沙大神様が夢に現れた。私は大神様から伊狭沙大王の御名を戴いた。その代わりに私の太刀を献上した。実に不思議な夢じゃ」

 誉田皇子は夢の中での出来事を武内宿禰に語った。それを聞いて武内宿禰はびっくりした。

「本当ですか、それは・・・」

 誉田皇子の言う通り、誉田皇子の枕元に置いてあった筈の、伊狭沙の太刀は、その場から消えていた。本当に、伊狭沙大神が現れたのだろうか。武内宿禰は、その夢に感動した。

「それは良い事を成されました。きっと吉兆となって返って来るでしょう」

 すると誉田皇子は嬉しそうに頷き、武内宿禰に言った。

「これから浜に出る。宿禰も同行してくれ」

 誉田皇子が突然、浜に出ると言うので、武内宿禰が絶句していると、誉田皇子が何時もの懇願の顔を武内宿禰に向けた。

「昨夜、伊狭沙大神様が、明朝、浜で贈り物を差し上げると申されたのです。ですから行ってみたいのです」

「畏まりました。武内宿禰、お伴をさせて頂きます」

 武内宿禰は誉田皇子の話を聞いて、従者を数人引き連れ、誉田皇子と浜に向かった。早朝の浜に出て見ると、鼻に傷をつけた海豚が、角鹿の入江に沢山、寄り集まって来ていた。

「見たか宿禰。これが伊狭沙大神様が差し上げると申された贈り物に違いない。伊狭沙大神様に礼を申してくれ」

 誉田皇子も武内宿禰も、その従者たちも、この見たことも無い出来事に感動した。武内宿禰はこれを見て、伊狭沙大神に感謝の礼拝をした。

「伊狭沙大神様、誠に有難う御座います。誉田皇子様及び私たちの食事の為の魚を沢山いただき心より感謝申し上げます。我々は、この日のことを忘れず、大神様を御食津大神様として今後、末永く尊称して参ります。深く深く御礼申し上げます」

 武内宿禰の心の籠もった礼拝だった。そして浜で伊狭沙大神の贈り物をいただいた誉田皇子は一旦、葛城宿禰の屋敷に戻り、正午、葛城宿禰に案内され、武内宿禰らと共に笥飯神社に詣でた。そこで禊を行い厳粛のうちに元服の式を挙げた。先ず笥飯神社の神官が伊狭沙大神に元服式を行う祝詞を奏上した。その後、髪上げの儀を理髪師に行わせ、葛城宿禰が一つに結われた髪の上に、冠を理髪師と一緒になってかぶせる戴冠の儀を行った。続いて武内宿禰が誉田皇子の腰に草薙剣を付ける帯剣の儀を行った。それから神酒拝載を行い、伊狭沙大神に沢山の宝物を献上した。白衣装に身を固めた元服した誉田皇子の姿を見て、誰もが、その凛々しさに敬礼した。こうして誉田皇子の名前替えと成人元服の式は無事、完了した。

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