人康親王を失った哀しみの小町に、尚も不幸が襲いかかった。同じ月の五月十三日、小町の母、文屋秋津の娘、妙子が死去した。妙子の父、文屋秋津は、大納言、文屋浄三の孫で、参議にまで昇進し、第一回の検非違使別当に任じられた人であった。兄弟にも立派な人が多かった。秋津の兄、文屋錦麻呂は従三位、中納言であったし、秋津の妹は、賢婦人の誉れ高かった前の征夷大将軍、坂上田村麻呂の妻室、尊子であった。小町の母、妙子は、かかる名門の生まれであったからか、その若き日の生活は華やかで優雅なものであったと想像されがちであるが、閨閥を作り上げ、朝廷に於ける勢力を拡大しつつある藤原一門から敵視されていた為、文屋一門の境遇は、それ程、華やかなものでは無かった。だからこそ、彼女の伯母、尊子の養女、玉造小町も、あのような哀れな末路を辿ったのである。しかれど、小町の母は、そんな逆境にもめげず、恋人、小野良実を一途に愛し、肥後の国に赴くなどして、その一生を、良実とその娘、二人の為に尽くした。彼女は藤原良房に横恋慕されながらも、小野良実に貞操を全うし、寵子、小町姉妹の養育に専念した。肥後から都に戻ってからは仕合せな日々が続いたが、それは何時までも続くものでは無かった。出羽に赴いたまま帰らずの夫と死別した。そして父を失った不幸な娘たちが辛い日常を送っているのを見ながら、娘たちの将来を思い悩み、病で亡くなったのであった。そんな母の死に出会い、小町は生きる気力も失いそうだった。四の宮、人康親王死去の涙の袖も乾かないうちに、今また母の死に遭遇しようとは、どうすれば良いのか迷った。突然、尼になろうかなどとも考えたりもした。かって在原業平に、仏門に帰依するようにと言われたことが、脳裏に去来した。しかし小町は宮中に関する日常生活に、まだまだ未練があった。小町の母、文屋秋津の娘、妙子の葬儀は近親の者たちだけで、密やかに行われた。素性法師は、小町の母の死を知ると、小町の家までやって来て、小町の為に、葬儀の手助けをしてくれた。死者の死体を清める沐浴を終えて、新しい衣を着せて、種々の調度と共に死体を棺に納める時、小町は泣いて詠んだ。
夢ならば また見るかひも ありなまし
なに中々の 現なるらむ
そして翌日の午後になり、いよいよ出棺の時が来ると、渤海国の客人、楊成規、李興晟らの接待の為、忙しい毎日を送っていた在原業平や菅原道真も鴻臚館から馳せ参じ、近親の人たちに続いて、焼香をしてくれた。寵子と小町の姉妹は、そういった周囲の人たちの哀悼の行為に深く感謝した。
〇
世の中には、知らなくても良いのに、知ってしまうことがある。六月三十日のことであった。小町は母の四十九日の法要の為に、親戚縁者と一緒に、小野の里にある随心院を訪れた。法要が滞りなく終わり、追善供養が無事に済んだ時の御礼に、方丈に伺うと、蓮恵という僧が現れ、小町と対面した。蓮恵と対話しながら、その蓮恵の衣の護摩木の匂いが鼻につき、小町は堪らなくなり、落ち着くことが出来なかった。小町が大嫌いな護摩木の匂いから一時も早く逃れようとしているのを知り、蓮恵は小町にこう言った。
「護摩木の煙が嫌いなようだが、それは汝の前世からの因縁によるものではない。それは主殿頭、当麻鴨継の仕業により、身を焼かれた時の匂いを思い出すが故である。この苦しみから逃れるには、汝は蛇使いをして、当麻鴨継を殺害し、その怨恨を果たすべきである」
蓮恵は御礼の品を受け取ると、方丈から消えた。小町は、この時になって、自分を拉致し、陰門を焼いた犯人が、当麻鴨継だと知った。
「何故、当麻鴨継が私を?」
小町は、その理由を知りたかった。その理由を知っている摂政太政大臣、藤原良房は九月二日、病死した。行年六十九歳であった。文徳、清和の両時代に君臨した権力者、藤原良房の死は、政界の一大事件であった。政府は非常の変に備え、六衛府の兵力をして、左右兵庫、左右馬寮を監護し、使者を派遣して、伊勢、近江、美濃などの関を警護した。良房の亡骸は京の東郊を流れる水清き白川のほとりに葬られた。良房が死んでしまってから、多くの人々が良房の死を喜んだり悲しんだりした。遍昭の子、素性法師は、その死を、このように歌った。
ちのなみだ 落ちてぞたぎつ 白川は
君が世までの 名にこそありけれ
また在原業平は、今までの敵、藤原良房を失って残念に思った。考えてみれば、太政大臣とは、本当に長い付き合いであった。業平はどんなに力ある者でも、必ず決まって死んで行くものだと哀傷に沈んだ。
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母亡き後の寵子、小町姉妹の小野の里での明け暮れは、それはそれは哀れなものであった。寵子がその心情を歌に詠んだ。
〈定かならず哀れなる身を嘆きて〉
あまの住む 浦こぐ舟の かじをなみ
世をうみ渡る 我ぞ悲しき
小町も姉に合わせて、心の不安を歌にした。
〈定めたることもなくて心細きころ〉
須磨の浦の 浦こぐ舟の かじよりも
よるべなき身ぞ 悲しかりける
吹き結ぶ 風は昔の 秋ながら
ありしにも似ぬ 袖の露かな
美人姉妹は、これから先、どうして暮らして行けば良いのか悩んだ。母が亡くなってしまうと、親戚縁者も全く疎遠になってしまい、浮かれ男の他には、訪ねて来る人も少なくなってしまった。ただ雉丸夫婦だけが、良く仕えてくれた。小野家には後継の男子がいなかったが為に、家運はいよいよ衰えて行くばかりであった。そんな小野家の小町のもとへ正五位上、上野介、安倍貞行から、誘いの便りが送られて来た。今度、陸奥守に任じられて下向するから、小町に一緒に行って欲しいという誘いであった。しかし都に憧れて戻って来た小町にとって、まだ大地震の被害から復興しきれていない陸奥国で暮らすことは、望まぬことであった。小町は母の一周忌も終わらぬのに、陸奥国へは同行出来ないと、この歌を添えて、返事した。
陸奥の 玉造江に こぐ舟の
ほにこそ出でね 君を恋ふれど
それは〈陸奥国の太守になって御出になる貴男様の御伴をすることを、決して嫌がっているのではありませんが、現在、母の喪中ですので、家から出ることが出来ません。どうか、お許し下さい〉という意味合いの歌であった。したたかな小町は、恋を解せぬ女ではなかったので、気に入らぬ相手に対しては、相手を傷つけぬよう、優しく謝絶した。安倍貞行は、喪中が終わったら、小町に任国、陸奥に来てもらえるのだと喜び、陸奥国へ旅立って行った。
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そんな風であるから、小野の里に近づく人たちが少なくなかった。かって貞観九年(八六六年)七月、小町が神泉苑で霊法法楽の和歌を詠んだ頃には、沢山の人たちが、小野家にやって来たりしていたのに、もう、あの頃の小野家の輝きは見る影も無く、小野家の庭には雑草が生えるばかりで、心細く寂しい日々が続いた。
たまゆらの 人の命の 悲しけれ
なき母恋ふる 秋の夕暮れ
そんな時、小町の姉、寵子のもとに、従五位下、三原永益から、枯れた浅茅に結び付けて、こんな手紙が送られて来た。
〈寵子様。近頃、如何、お過ごしでしょうか。まだまだ若く、お美しいのに、母上様を亡くされて、恋の心もお忘れになったとの、お噂を耳にしましたので、お便り差し上げる次第です。貴女と御親戚の文屋巻雄様のお話では、母上様亡き後、出羽国からお帰りになった小町様が、貴女様と御一緒にお暮しになり、貴女様の結婚が気がかりであると申しておりましたが、貴女様、御自身は結婚について、どのように、お考えになっていらっしゃるのでしょうか。私も、この度、常陸国へ赴任致すことになり、かって親しかった貴女様の行く末が、いささか気になり、こんな便りを差し上げております。もし宜しかったら常陸の国へ気晴らしに、お出でになりませんか・・・云々〉
寵子は従兄の文屋巻雄の友人、三原永益からの手紙を手にして、ふと永益を懐かしく思った。そして返歌した。
時過ぎて 枯れ行く小野の 浅茅には
今は思ひぞ 絶えず燃えける
永益は、寵子からの返事をもらい、狂喜した。即日、小野の里に寵子を訪ね、これからのことを相談した。寵子と永益の交際は急激に進んだ。女心とは分からぬものである。寵子は、あんなに馴れ親しんで来た散位、藤原南雄を捨ててしまった。そして、三原永益の誘いに乗って、常陸の国へ下ることになった。寵子は藤原南雄に、歌を送った。
あさなげに 見るべき君とし 頼まねば
思ひ立ちぬる 草枕かな
その歌に対しての南雄からの反歌は、こんなだった。
唐衣 立つ日は聞かじ 朝露の
おきてし行けば 消ゆべきものを
それにしても、女は冷たいものである。出世の見込みの無い遊び人、藤原南雄は、寵子にあっさりと、逃げられてしまった。
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寵子は調子の良い女であった。常陸の国へ下るにあたって、在原業平に別れの手紙を出した。
〈業平様。この度、寵子は三原永益様と一緒に、常陸国へ下ることになりました。小野家と大変、親しくお付き合いして下さいました貴男様とお別れするのは、大層、辛いことでありますが、現在の寵子にとって、このことが一番、良いのではないかと思われます。かっての昔、鏡女王と額田女王の姉妹が、中大兄皇子に思いをかけられたという話がありますが、現在の私たち姉妹には、よもやそのようなことは、あってはならないことです。また同じ小野の里の同じ家の同じ部屋で、同じ月を見たり、同じ風の音を聞いたりして眠った仲良しの二人が、貴女様、一人を求めるということは、全く罪深いことです。有難い三原永益様の御誘いを機会に、私は住み慣れた都を離れ、遠い常陸国へ参ります。小野の家には可愛い妹、小町と雉丸らがおりますので、今まで同様、面倒をお頼みします。このようにして、お目にかかることも無く、文書の上だけでお別れするのは、辛ろう御座いますが、さよならさせていただきます。妹、小町は少女の頃より、貴男様をお慕い申し上げております。愚かな妹では御座いますが、私には、目に入れても痛く無いような可愛い大切な妹です。どうか妹を仕合せにして上げて下さい。寵子〉
業平は、その寵子の手紙を読み、生きる為に、可愛い妹と別れなければならない寵子の身の上を、とても気の毒に思った。そんな寵子の気持ちも知らず、妹、小町は、まだ母親を失った哀しみから抜け出せぬままでいた。
須磨の浦の 浦こぐ 船の梶よりも よるべなき身ぞ 悲しかりける