波濤を越えて『仲哀天皇の巻』②

2021年9月1日
歴史小説

■ 敦賀から筑紫へ

 仲哀二年(383年)正月から仲哀天皇は忌まわしいことを忘れる為、一時、帯姫の母方の里、敦賀で休養し、帯姫との蜜月の日々を過ごした。帯姫の母、高額姫の兄、葛城宿禰が二人と付き人の面倒を見た。葛城宿禰は、二人が何時、大和纏向の日代の宮に戻られるのか気になっていた。もしこの敦賀が気に入ったのなら、ここに王宮を建てる必要があるとも思った。

「陛下。敦賀にお越しになられて、何日か経ちましたが、敦賀の暮らしは如何でしょうか?」

「帯姫の幼い時の故郷とあって、中々、快適な所じゃ。笥飯の宮からの風光も素晴らしい。朕は敦賀に来て良かった」

「陛下の仰せの通り、敦賀は素晴らしい所です。我が祖、新羅の王子、天日矛は垂仁天皇様の御世に、倭国に聖王がおられると聞いて、自分の国を弟の知古に授けて、この国へやって参りました。そして巡り廻って、この地に住まわれたのです。この敦賀が、如何に美しい安住の地であるか、その経緯からも推察出来ます」

 葛城宿禰は、自分の治める敦賀を誉めちぎった。その葛城宿禰に仲哀天皇は自分の正直な疑問をぶつけてみた。

「それにしても天日矛は何故、倭国に来られたのであろう。ただ聖王がいると聞いただけで、危険な渡海をして来るとは思われぬのだが。多分、他に理由があったのではないのか?」

 その問いに葛城宿禰はちょっと暗い顔をして、先程と違うことを言った。

「多分、新羅国王の座をめぐっての兄弟喧嘩か、高句麗からの攻撃を恐れての渡海でありましょう。明確な理由は伝わっておりません」

 そんな二人の会話を聞いて、帯姫が会話に割り込んで来た。

「それは兄弟喧嘩に決まっているではありませんか。もし高句麗との戦さであったなら、私たちの祖は兄弟力合わせて、堂々と高句麗に対抗した筈です。そういう意味からすると、現在の新羅は、私たちの祖を追放した憎き敵国です」

 葛城宿禰は姪、帯姫の過激な発言に顔をしかめた。

「帯姫。そんなに過激なことを仰有られないで下さい。我ら一族の故国を敵国などと・・・」

「敵国と呼ぶのが何故、悪いのです。私たちの祖は新羅から追放され、亡命して来たのです。私は何時の日にか新羅に戻り、ことの真実を追求します」

 帯姫のちょっと怒った顔を見て、仲哀天皇が帯姫に確認した。

「帯姫。そなたは新羅を憎んでいるのか?」

「私は私たちの祖を追放した者を憎んでいるのであって、新羅を憎んでいるのではありません。私は新羅で産まれた訳ではありませんし、父方は生粋の倭人の王族ですから、新羅を憎む理由など何処にもありません。ただ悪人が善良な民を支配するのが許せないのです。新羅は私にとって未知の国です。新羅の話は幼少の頃より耳にしております。新羅は倭国より優れた国と伺っております。それ故、新羅に行きたいと思っています」

 帯姫は新羅を憎んでいるのでは無く、愛しい夢の国だと思い描いている事を、仲哀天皇に語った。帯姫の思いを聞いて、仲哀天皇も新羅という異国に興味を抱いた。

「倭国より、新羅が優れているとは、如何なる理由か?」

「葛城一族の神宝を見れば、一目瞭然です。倭国では見る事も、造る事も出来ない、綺麗なものばかりです」

「それらの神宝は何処に?」

 その質問に帯姫は答えようとしなかった。訝る仲哀天皇の顔を見て、葛城宿禰が答えた。

「それらの品々は、五十鈴川のほとり、磯宮に納められている筈です。我が祖、天日矛が垂仁天皇様に献上したものを、天照大神様をお祀りされておられる大和姫様が譲り受け、五十鈴川の磯宮に納められて守り崇められ、現在も引き継がれていると聞いております」

「是非、見たいものじゃ」

 帯姫は頷いた。それから、ゆっくりと申し上げた。

「大君様。この際、伊勢国へ巡行なされては如何でしょうか。私は身体が弱いので遠慮させていただきますが、この敦賀のみに留まらず、伊勢国をはじめ、諸国を巡幸するのも、天皇としての御役目というものです」

 帯姫は仲哀天皇に諸国巡礼を勧めた。

「それより朕は纏向の日代の宮に戻らねばならぬ。武内宿禰らが、イライラしている事であろう。天皇は成務を怠っていると、他の百官たちも怒っているであろう」

「とはいえ、一度、大和に戻ってしまえば、中々、伊勢国に訪問する機会は御座いません。伊勢国を巡幸されてから、大和に戻れば良いでは御座いませんか。大君様には、石川が付いております。武内宿禰殿も安心しておられる筈です」

「大丈夫だろうか。もしかして彼らは、成務を怠り、日代の宮に戻らぬ朕を、廃帝にしようなどと考えたりしてはいないだろうか」

 仲哀天皇は急に王都のことが心配になった。

「そんなことを心配する天皇が何処におられるでしょうか。大君様は天皇なのです。天皇は敦賀巡幸を終え、皇祖、天照大神様が祀られている磯宮に詣で、それから王都に帰還なされれば良いのです。もっと堂々となさって下さい」

 帯姫は夫、仲哀天皇を叱咤激励した。仲哀天皇は帯姫の言葉に勇気づけられた。

「帯姫の申す通りじゃ。朕は皇祖、天照大神様を詣で、心を引き締めて、大和の宮に戻る。決めたからには、明後日、伊勢に向かって出立しよう。葛城殿、長い間、お世話になった。この旨、配下の者に通達してくれ」

「かしこまりました。早速、蘇我石川様や下臣の者たちに伝えます。また早馬にて武内宿禰殿や息長宿禰殿に本件、お伝え致しましょう」

 かくて仲哀天皇は、帯姫との蜜月を過ごした敦賀を去ることとなった。その折、仲哀天皇は、妻、帯姫に神功皇后の称号をお与えになられた。

          〇

 仲哀三年(384年)三月、仲哀天皇は蘇我石川、大三輪大友主以下、官人、数百人を連れ、伊勢の磯宮をお参りし、斎宮、布忍入姫と会い、神宝を見せてもらい、伊勢国の巡幸を終えた。その後、紀伊国の巡幸に入り、徳勒津の宮に泊った。そして眠りに入ろうとした時、突然、曽我石川に起こされた。

「陛下。お休み中、誠に申し訳ありません。父、武内宿禰からの使者がやって参りました」

「こんな夜中に何の報告じゃ。そんなに急ぐ事か?」

「あの熊襲が再び朝貢を怠り、朝廷に反旗を翻したとの報告です」

 仲哀天皇は閉じかけていた目を開き、顔色を変えて言った。

「朕が大和の王宮にいないことをあなどり、愚かな事を。朕を誰の子と思っているのか。朕は、熊襲を平定させた倭武尊の息子であるぞ。熊襲など、一気に叩き潰してみせるわ」

 仲哀天皇は激昂した。その仲哀天皇の怒りを鎮めるべく、蘇我石川が忠告した。

「陛下。熊襲を甘く見てはなりません。彼らは誰よりも詳しく、大和の実力の程を熟知している筈です。それなのに再び反攻に及ぶということは、相当に自信があってのことと思われます」

「何故、熊襲は自信を得たのであろうか?」

「兎に角、急いで大和に帰り、皆で対策を考えましょう」

 仲哀天皇には父、倭武尊の前に平伏した熊襲が、再び反攻する理由が理解出来なかった。動揺している仲哀天皇を見て、大三輪大友主が推論を語った。

「多分、誰かの後ろ楯があってのことだと思います。もしかすると、夷守にいる伽耶の渡来人が、熊襲の首長たちを、そそのかせているのかも知れません」

「伽耶の渡来人が、熊襲の後ろ楯だというのか。熊襲を取り巻く連中は、朕が父、倭武尊が総て成敗した筈。たとえ残っていたとしても、雑魚ばかしじゃ。何の恐れることがあろうか。この徳勒津の宮から直行し、あっという間に退治してやる」

「それは無茶です。兵を整え、武器を準備し、兵糧を蓄えねば、、熊襲征伐は不可能です。一旦、大和に戻り、兵を集めてから出発しましょう」

 大三輪大友主は一旦、大和の日代の宮に帰ることを勧めた。老臣らしい判断であったが、仲哀天皇は納得しなかった。

「ことは急を要しているのじゃ。何故、大和に戻る必要があろう。急ぐからこそ、武内宿禰は、徳勒津に使者を送って来たのだ。そうと違うか、石川?」

「その通りかも知れません。熊襲が我が朝廷に逆らう豪族たちを、仲間に入れて勢力を拡大せぬうちに、熊襲を退治せよとの、父の命令かと・・・」

 すると大三輪大友主は首を横に振った。

「陛下は大臣に命令を下す最高位のお人です。その陛下が何も都にいる大臣たちの言う事を聞くことはありません。正しい道を自ら御決断下さい」

「中々、難しい問題じゃ。直行すべきか否か、決断に窮する・・・」

 迷う仲哀天皇に蘇我石川は早期出発を勧めた。

「大和の朝廷のことは父、武内宿禰らにお任せ下さい。陛下が不在であっても、立派に留守をお守りしてくれます。このまま何日も放っておくことは、陛下の威信を放ることになります。大三輪殿に、この旨を朝廷に伝えに戻っていただき、我ら若き武人は直ちに筑紫へ向かいましょう」

 仲哀天皇は少し思案したが、直ぐに結論を出した。

「良かろう。急遽、筑紫に向かう。大三輪は大和に戻り、援軍の兵と武器と兵糧を送ってくれ」

「ははーっ」

 仲哀天皇の決断に蘇我石川ら若者は歓喜した。

「この蘇我石川、ここにいる兵の他、我が一族の大半を、この派兵に差し向けますので、ご安心下さい」

「それは心強い」

「陛下の為となれば、父、武内宿禰の命により、我が一族の豪傑、建振熊をはじめ、沢山の精鋭が馳せ参じましょう。お任せ下さい。心配は御無用に御座います」

「我が大三輪からも援軍を出しましょう」

 蘇我石川だけでなく、大三輪大友主の同意を得て、仲哀天皇は喜んだ。

「して、筑紫への順路は?」

「まずは、ここから名草の港に行き、船を集め、その船に乗り、武庫にて、更に船と兵と兵糧を集めます。それから瀬戸海を西に向かいます。途中、吉備御友別らを参画させ、安芸に至り、陛下の軍兵は益々大きく膨れ上がり、強大となります。次いで周防の佐波を経て、穴門、長峡、宇佐、速水まで行き、そこで上陸します。その強大な陛下の軍隊を見れば、それだけで熊襲は退散するかも知れません」

「石川の案だけで安心して良いものか?」

 仲哀天皇は躊躇した。強気になったり、弱気になったり、戸惑った。蘇我石川は迷う仲哀天皇の後押しをした。

「この案は私の立案したものでは御座いません。父、武内宿禰から教えていただいた倭武尊様の実行計画であり、成功例です。どうか心強い号令を我々に下知願います」

 蘇我石川の言葉に勇気づけられ、仲哀天皇は徳勒津の宮にいる従者に向かい、熊襲征伐の下知を告げた。

「皆に告ぐ。朕は明後日、この徳勒津の宮を出発し、筑紫へ向かう。父、倭武尊と同じく、熊襲征伐に向かう。その昔、我が父、倭武尊は景行天皇の命に従い、十六歳という若さで、熊襲を討伐された。父は身丈高く、聡明な面輪で、武勇に優れ、天意に沿いて人に順い、逆賊を打ち払い、正しきを示された。徳は民をおおい、その道は自然に適っていた。この為、向かうところ敵なく、熊襲の首領、川上の武も父を尊敬し、死の間際に倭武尊の尊号を父に差し上げて許しを願った。なのに、その熊襲の子孫は愚かにも何を誤ったのか、過去を忘れ、先祖の遺言にも従わず、朕に背いた。故に朕は怒り、大軍をもって熊襲征伐を決心した。これからは朕の片腕、蘇我石川の指示に従い、皆、それぞれに努力すべし」

 この下知に対し、大三輪大友主が、皆を代表して答えた。

「御意。我ら一同、陛下のお言葉に従い行動致します」

 忠誠を誓う文武百官を見て、仲哀天皇は勇気百倍となった。下臣たちも燃え上がった。

          〇

 徳勒津の宮での従者への下知を終えた後、仲哀天皇は大三輪大友主や蘇我石川と打ち合わせをした。下知したものの、仲哀天皇は、まだ不安のようであった。

「石川は武勇に優れた兵が大勢いるのであれば、熊襲を討伐するのは簡単だと言うが、本当だろうか。敵とて我らの大軍が押寄せて来るであろう危機感を抱き、綿密な対抗策を考えているに違いない。もし伽耶の渡来人が熊襲の背後にいるとするなら、伽耶の援軍が海を渡って筑紫に入らぬよう用心せねばならぬと思うが」

「何故、伽耶の連中が、熊襲の反抗を支援するのですか?」

 若い蘇我石川は、伽耶と熊襲の関係を知っていなかった。そこで大三輪大友主が説明した。

「確かでは無いが、熊襲には邪馬台国時代の伽耶人が大勢いて、辰国滅亡後の伽耶国を強大にする為、海を跨いで相互交流を行っている。彼らは魏国から来た邪馬台国の漢人と倭人の王族たちから差別され、熊襲と共に女王国となった邪馬台国を滅ぼした為、倭武尊様に退治されたのじゃ。退治された連中は、熊襲の土蜘蛛族だけでなく、厚鹿屋とか迮鹿屋とか名乗る伽耶の首長だったと聞く。それの恨み今も続いているに違いない」

 渡来人の話が出て、仲哀天皇は敦賀にいる帯姫のことを思い出した。

「ところで、息長宿禰は、熊襲の反逆のことを知っているのだろうか?」

「多分、話されていると思います」

「葛城宿禰には伝わっているのだろうか?」

 そう訊かれても、蘇我石川には答えようが無かった。大三輪大友主がそれに答えた。

「私が大和に戻り次第、葛城宿禰殿に使者を派遣致します」

「そうしてくれ。葛城宿禰は朕の妻、帯姫の伯父である。即刻、敦賀の葛城宿禰に使者を走らせ、帯姫に伝えよ。直ちに敦賀より出発して、穴門で、出会おうと・・・」

「承知しました。即刻、敦賀に使者を送ります。そして葛城、息長一族の兵を、帯姫さまに随伴させましょう」

 大三輪大友主ははっきりと答えた。その翌日、仲哀天皇、熊襲征討軍出発の知らせは電撃的な速さで大和、敦賀に報告された。そして数日後、仲哀天皇は紀伊国名草の港から征討軍を引き連れ、直接、筑紫へと向かった。

          〇

 仲哀三年(384年)六月、仲哀天皇の皇后、神功皇后帯姫は仲哀天皇より、穴門に直行するようにとの使者を受け、笥飯神社に詣で、若狭、淳田の港から軍船に乗って穴門に向かった。皇后には津守住吉らが同道した。皇后は初めての船旅に不安だった。

「住吉。私たちは順調に穴門まで行けるでしょうか?」

「心配はご無用に御座います。総てが順調に進んでおります。我ら息長、葛城の連合軍の行くところ、誰が邪馬立て出来ましょうや」

「とはいえ、私たちの進路は、大君様の順路とは異なります。何時、海賊が襲来するか分かりません」

「北の海は静かです。何ら悩むことは御座いません。皇后様には、御健康だけ御注意いただければ、それでよろしゅう御座います」

「私の体内には、大君様のお子がおわします。どんな事があっても、私は穴門まで、行かねばなりません」

 穴門に向かう神功皇后の決意は確固たるものであった。息長宿禰から帯姫の安全警護に万全を期するよう頼まれた津守住吉は話し相手としても気を使った。

「問題は出雲の海だけです。出雲襲櫛が、よこしまな心を起こさなければ、穴門に着くことは簡単です」

「出雲は、その昔、我が母方の祖、天日矛が新羅から漂着した場所。知人もあろうかと思います。こちらが前もって理由を説明し、進行すれば、何ら危害を及ぼすことはしないでしょう」

「それに、あの安曇軍団が途中まで出迎えに来てくれる手筈になっております。筑紫の安曇一族は、天日矛様の御代から昵懇の間柄であり、出雲一族ともうまくいっている連中です。きっと我々を穴門まで上手に導いてくれるでしょう」

「そうだと良いのですが、私には夫と異なった海路を進行せねばならぬことが気がかりでなりません」

 神功皇后には夫と一緒でないという不安が心の底にあったが、それを周囲には見せなかった。何としても夫の待つ穴門に行かねばならぬという使命感でいっぱいだった。それに気づかない津守住吉では無かった。

「この住吉にお任せ下さい。私は少年の時から、ずっと帯姫様の御側にお仕えして来たではありませんか。どんなに苦しい時、辛い時、悲しい時でも、私は帯姫様にお仕えし、帯姫様を助けて来たつもりです。安心していて下さい」

「分かっております。貴男は何時、どんな時でも私の側にいてくれました。花を摘んだ幼い時の野山での午睡。小川での水遊び。祭の夜の星を見ての散歩。狼退治。いじめられている私を貴男がかばってくれたこと。そうそう、馬から二人で落ちたこと。思い出は限りありません。大君様の皇后になった今でも、私は貴男を頼りにしています」

 神功皇后の言葉に津守住吉は感激した。

「畏れ多い事に御座います。この住吉、身命を賭して、帯姫様をお守り致します。どんな事でも御相談下さい。どんな無理でも仰せつけて下さい」

「嬉しいわ、住吉。私の夢は貴男の励ましにより、いや増しに大きくなりました。そして、その夢の実現も夢でないような気がしてなりません」

「相変わらず、昔からの夢をお考えですか?」

 津守住吉は昔から帯姫に聞かされて来た彼女の夢を思い出していた。それは何と遠く果てしない、実現不可能な夢であることか。

「そうです。私は執拗な女。母方の故国、新羅に戻り、新羅の女王になる夢をまだ描いているの」

 何と無謀なことを。

「帯姫様は倭国王、仲哀天皇様の皇后様に御座います。それは倭国の女王様ということです。何も異国、新羅の女王にならなくても、充分ではありませんか」

「私は新羅の女王になりたいのです」

「新羅は海の向こうの遠い国。辿り着くにもやっとの所です」

 すると神功皇后は笑った。

「貴男の親しい安曇軍団がいるではありませんか。彼らは広い海原を大船に乗って、自由自在に往来しているというではありませんか。彼らの力を借りれば、大陸への渡海など簡単なことです。我が祖、天日矛も彼らに導かれ、倭国にやって来たのです」

 話させておけばおく程、神功皇后の夢は広がるばかりだった。他国の女王になりたいなどと、無茶な話だ。

「そうは言っても新羅の奈勿王は国を治めて二十七年。その実力も相当なものと聞いております。何を好んで新羅に行こうとなされるのですか?」

「母たちの故国。それは一生に一度、行ってみたい所です。それに新羅は、北の高句麗に絶えず攻撃されているというではありませんか。私は、そんな新羅を助けて上げたいのです」

「新羅を助けただけで、新羅の女王になれるとでも、お思いなのですか?」

 津守住吉は神功皇后の突飛な考えに疑問を投げかけた。

「それは簡単なことでは無いでしょう。夫、仲哀天皇様が大陸に進出し、新羅王の座に就くか、あるいは私が大君様と離別して海を渡り、天日矛の後裔としての力を発揮し、新羅の女王になるかでしょう」

 神功皇后は、どうすれば自分が新羅の女王になれるのか、ちゃんと考えていた。そんなことを夢想する神功皇后のことを津守住吉は恐ろしく思った。

「そのような夢はお捨て下さい。今はただひたすら陛下の健やかな皇子様を、御産みになることです。穴門に行かれ、陛下のお力になるだけです」

 神功皇后は微笑んだ。

「私は新羅の女王になりたい。もし私の夢を実現させてくれるなら、海の鯛よ、我が船べりに集まっておくれ。お前たちに、お酒を差し上げましょう」

 神功皇后は自分の夢を海に祈願した。周りの者たちは神功皇后の奇妙な振舞いに首を傾げた。すると船べりが急に賑やかになった。

「帯姫様。見て下さい。鯛がこんなに船べりに集まって来ました」

 津守住吉は驚きの声を上げた。その驚きは息が止まる程だった。神功皇后が酒を注いだ為か、祈願したが故にか分からぬが、沢山の鯛が船べりに集まり、船団を先へ先へと急がせた。

          〇

 神功皇后を乗せた船の集団は、一路、穴門に向かった。その途中、隠岐の島と美保の間の出雲の海を抜ける時、神功皇后の一行は眼前に大船団いるのを見た。船べりで休息していた神功皇后は、皆が騒がしいので、近くにいる中臣烏賊津に尋ねた。

「皆が騒々しいが何事です?」

「海戦のようです」

「海戦?」

「出雲の連中と新羅船団との争いのようです」

 神功皇后は眠い目をこすり、船上に立って前方の海を見やった。そこには波にもまれ沢山の船と船とがぶつかり合い戦闘を繰り返していた。

「何故、新羅と出雲の船が戦っているのですか。新羅と出雲は仲良しではなかったのですか?」

「確かに新羅と出雲は遠い昔からの仲間です。でも、仲間というものは時々、つまらぬことで喧嘩をするものです。きっと相手の贈答品が多いとか少ないとかの愚かな原因による争いでしょう」

 神功皇后と烏賊津が、そんな話をしているところへ、隣の船から津守住吉が顔を覗かせた。

「皇后様。只今、海に溺れていた新羅の者を引き上げて参りました。如何、致しましょう?」

 新羅の者と聞いて、神功皇后は目を輝かせた。夢に描いていた新羅の空気が自分に触れようとしているのを感じた。それが前よりも、もっと大きく、もっと近くに・・。

「その新羅の者に会いたい。その者に、目の前の海戦の理由を訊きたい。ここに連れて来て下さい」

「分かりました。直ちに連れて参ります」

 住吉は神功皇后の言葉を受け、隣の船の部下に、救い上げた新羅人を、神功皇后の船に連れて行くよう指示した。その新羅人は直ぐに神功皇后の前に引っ張って来られた。

「皇后様。新羅の者を連れて参りました」

 連れて来られた新羅の男は、海に溺れて、九死に一生を得たばかりで、蒼白の顔をして、神功皇后の前に崩れ伏した。まるで死にそうな蛸ようなその姿を見て、神功皇后は哀れに思った。

「新羅の者よ。名は何と申す?」

「私は阿智と申します。新羅国梁山の出身です」

 新羅の男は倭国語が堪能だった。

「私は新羅王、儒礼、天日矛、五代の女王です。この倭国の女王として君臨していますが、本来なら、あなたの国、新羅の女王です」

「ははーっ」

 阿智は新羅の女王と聞いて、甲板の船板に額をすりつけ、女王に礼を尽くした。

「そこで訊きます。今回の出雲とあなたたちとの海戦は、如何なる理由で始まったのですか?」

「それは奈勿王様の命令に御座います。私は奈勿王様の命令に従い、船に乗せられて来ただけです」

「隣国とはいえ、危険な船旅。国王の命令といっても、目的も知らず、命を賭して渡海して来る筈は無いでしょう。まして出雲と海戦に及ぶとは。理由は何ですか?」

「そ、それは・・・」

 新羅人は直ぐに答えようとはしなかった。それを見て、烏賊津が新羅人を威嚇した。

「何を惑っている。正直に喋るが良い。さもないと命を落とすことになるぞ。つまらぬことで、命を落とすこともあるまい。正直に、在りのままを言うが良い。何故、出雲の船を攻めているのじゃ?」

 烏賊津の威嚇に阿智は観念した。

「新羅王、奈勿王様は筑紫の羽白熊鷲と共謀し、倭国を手中に収めようと、出雲攻撃に踏み切ったのです。つまり出雲方面から丹波を越え、大和に向かう軍と、筑紫から瀬戸内を通り、大和に向かう軍との両面攻撃により、倭国王朝を壊滅させようという計画です」

それを聞いて、神功皇后は、今回の熊襲の反乱の原因が、新羅の奈勿王と筑紫の羽白熊鷲及び、熊襲の首長たちとの共謀である事に気づいた。

「何と愚かなことを。倭国王朝が如何に強烈勇武であるか、羽白熊鷲も充分、分っている筈。新羅王も新羅王じゃ。この神功が、倭国女王であることを知らぬとは」

 新羅人の前で、神功皇后は完全に新羅女王に成りきっていた。さながら新羅の神が憑依したかのようであった。それを中臣烏賊津が盛り上げた。

「神功皇后さまは新羅王家の女王として祭祀を絶やさず、気高く倭国を統治されておられます。倭国の民は皆、女王様を尊敬し、女王様の慈愛に満ちた御政道に従っております。万一、新羅軍が女王様を攻めて来たと知ったなら、倭国の民は女王蜂を守る蜂の大軍となって新羅を総攻撃するでしょう。死しても帰らず。これが倭国人魂です。もし倭国に侵攻しようなどと本気で考えているのなら、新羅は天下最強の倭国軍の総攻撃を受け、必ずや滅び去るでしょう」

 中臣烏賊津の言葉に新羅人、阿智は震え上がった。そこへ若狭鳥浜が、またまた新しい知らせを持って来た。

「神功皇后様。安曇軍団長、安曇磯良殿と武宗方殿から、問い合わせが入りました。磯良船長は、出雲に味方すべきか、新羅に味方すべきか、神功皇后様の御指示を、お待ちしているとのことで御座います。如何、致しましょう?」

 神功皇后の決断は早かった。

「勿論、出雲を守るべきである。天日矛、助賁は、その昔、出雲一族に助けられ、今日に至った。私たち但馬の血を引く者は、その恩義を忘れてはならぬ。新羅の船は侵略軍の船であると伝え、安曇磯良に新羅船を撃破するよう命ぜよ」

「ははーっ」

「私は戦さを好まぬ。ましてや母方の故国、新羅とは争いたくない。出来る事なら手を組んで、一大事業を行い、沢山の人たちの安寧を実現させたい。なのに新羅王は何故、倭国を攻めようなどと・・・」

 神功皇后の疑問に、新羅人、阿智が答えた。

「奈’勿王様は、倭国を富める国と思っているのです。富める倭国を占領し、勢力を拡大し、高句麗に対抗しようとしているのです。新羅は高句麗に絶えず脅かされていて、強い倭国の兵が欲しいのです」

「ならば阿智よ。貴男は国に戻り、新羅王に伝えよ。倭国女王は新羅王と縁戚の者。高句麗との戦さに加勢すると。数万の兵を船で任那に送り届け、優秀な将軍たちに戦さの指揮を取らせると・・・」

 神功皇后の予想外の言葉に阿智は感激した。

「分かりました、女王様。直ぐに海戦を止めさせて下さい。私が新羅の隊長に、女王様の気持ちをお伝えします。そして即刻、帰国し、新羅王に倭国攻撃は誤りであると説得致します」

 喜ぶ阿智の顔を見て、神功皇后は微笑した。

「烏賊津よ。住吉に戦さを止めるよう指示せよ」

「直ちに住吉、安曇の両軍に連絡をとります。阿智は私が新羅の隊長の所へ戻します。そして帰国させ、新羅王の所へ行かせるよう命じます」

 中臣烏賊津は、そう答えると阿智を連れ別船に去った。それから暫くして神功皇后の船に、津守住吉が現れた。

「安曇軍団の加勢により、新羅軍が投降しました。敵将、阿珍隊長は、阿智と共に帰国し、新羅王に倭国が味方であることを報告すると約束しました」

 続いて若狭鳥浜がやって来た。

「只今、出雲襲櫛殿から、神功皇后様への使者が参りました。今宵、新羅軍勢鎮圧のお礼に出雲の夜の宴に、皇后様他、従臣をご招待したいとのことで御座います。如何、返事しましょうか?」

 神功皇后は慎重だった。身重であったので、酒宴を嫌っただけで無く、暗い陸地への移動を避けた。

「では津守住吉、安曇磯良、武宗方ら将軍が従者十人程でお伺いすると伝えなさい」

「皇后様は?」

「私は遠慮し、海上におります。大君様にお会いするまでは、余計な行動は慎まねばなりません。私は大事な倭国女王なのです」

 神功皇后は遠く海の彼方、筑紫方面を見やった。そこに夫、仲哀天皇の待つ姿が浮かんだ。

          〇

 仲哀三年(384年)七月五日、神功皇后の一行は、安曇軍団に案内され、無事、穴門の豊浦に着岸した。神功皇后を始め一同は豊浦の美しさに感動した。その一行を安曇磯良が案内した。

「さあ着きました。神功皇后様。ここが豊浦で御座います。下船致しましょう」

「到頭、穴門に辿り着いたのですね」

「そうです。陛下のお待ちしておられる豊浦の宮は目と鼻の先です。烏賊津様と武宗方が御到着を伝えに先に出ました。烏賊津様と宗方は、まもなく陛下の軍隊に巡り合って、私たちを迎えに戻って来るでしょう」

「何もかも有難う」

 下船した神功皇后は港から少し離れた砂浜に移動し、深呼吸した。

「美しい浜辺ですね。少し散歩しても良いかしら?」

「はい。遠くへは行かないで下さい。岩場は滑りますので、注意して下さい」

「心配なら、住吉が案内して下さい」

「ははっ」

 津守住吉は神功皇后に付き添って歩いた。すると夢がまた始まった。

「この海の向こうには新羅国があるのですね」

「はい、そうです。羽白熊鷲と共謀して、倭国を手中に収めようとしている奈勿王の国、新羅国があります。いや、それだけではありません。我が倭国の親戚、倭人の国、任那卓淳国をはじめ、扶余一族の建てた百済国、さらに、その北方に高句麗があります」

「世界は広いのですね。住吉。貴男は新羅王の考えをどう思います」

「と言いますと?」

「倭国をどうしようと考えているかということです」

「新羅王は倭国を誤解しているのです。倭国に帯姫様のような新羅と血縁のある女王様のいることを知らないのです。倭国を征服し、自国が強大にならない限り、高句麗に勝てないと思っているのです。伽耶国を征服し、次は倭国だと考えているのです。この誤解は、阿珍と阿智が帰国して報告することにより、解消されることでしょう」

「そうだと良いのですが・・・」

 神功皇后は熊襲より、海の向こうの新羅国のことが気になって仕方なかった。

「一応、出雲の海戦で倭国が勝利し、新羅からの攻撃は無くなる筈です。我らが目指すは羽白熊鷲と熊襲征伐だけです」

 津守住吉も白い波がしらを立てる海の向こうを眺めた。すると突然、神功皇后が砂浜にしゃがみ込んだ。

「あらっ、円い石。まるで白い鶏の卵みたい」

 神功皇后は円い石を拾って住吉に見せた。それを見て住吉が言った。

「本当に円い卵のような石ですね。布で磨いてみましょう」

 住吉は懐中から布を取り出し、神功皇后が拾った円い石を磨いた。円い石は見る見るうちに本性を現し、光輝を露出させた。

「まあっ、素晴らしい輝き」

「不思議な事もあるものです」

「これは海神の宝、白真珠かも知れません」

「その通りです。それは海神が皇后様に下さった如意珠に御座います」

 何時の間にか、中臣烏賊津が二人の側に来ていた。神功皇后は烏賊津に、再確認した。

「これが如意珠?」

「総ての願いが思い通りに叶うという光る珠です。皇后様の願い通り、陛下の軍隊は既に穴門の宮に到着しております。皇后軍が馳せ参じるのを首長くして、待っておられます」

「何故、私たちが到着するまで、待っているの。その前に、羽白熊鷲を退治し、新羅と熊襲の連携を遮断させるべきでしょうに・・・」

 神功皇后は仲哀天皇軍の行動の緩慢さに少し腹を立てた。仲哀天皇が安閑として、穴門に留まっている理由が理解出来なかった。

「新羅と手を組んだ羽白熊鷲は、我々が安曇軍団を出雲に迎えに来させた隙を狙って、筑紫の海辺にまで侵攻し、暴れ回っているとのことです。その為、安曇軍団と息長、葛城連合軍の加勢無くして、熊襲を討つことは出来ないようです」

「何と弱気な。石川はどうしたのです。蘇我一族はどうしたのです。大三輪一族はどうしたのです。それに吉備一族も応援に加わった筈。何ともだらしない。あの蒲見別皇子を成敗した大君様の勇気は何処へ行ったのでしょう」

 神功皇后は消極的な仲哀天皇に不満を覚えた。烏賊津は女王の不満に困惑したが仲哀天皇の弁護をした。

「熊襲の羽白熊鷲は新羅国から沢山の武器を提供してもらい、力をつけております。さらに熊鷲は夏羽や土蜘蛛の一族を配下に従え、その力は、今や筑紫一帯にまで及ぶ、強大なものになっております。陛下の従軍兵だけで簡単に征伐出来るものではありません」

「かっての昔、天皇家に従った和邇一族や穴門一族は如何しているのです。彼らは私たち倭国王朝に味方しないというのですか?」

「心配しないで下さい。この烏賊津、豊浦の宮に行って、既に彼らに使者を派遣するよう手筈しております。彼らは我々が周防灘を越え、玄界灘に入り次第、筑紫に駈けつけて来る筈です。総てが順調に進行しております。如意珠を拾われたことが、何よりの証明です」

 少し気を静めた神功皇后に代わって、津守住吉が質問した。

「陛下の一行は如何でしたか?」

「穴門の豊浦の宮にて皆、戦さに備え、元気に動き回っておられました」

 中臣烏賊津は自分の目で確かめて来た、豊浦の宮の様子を二人に語った。

          〇

 その日の夕刻、神功皇后は豊浦の宮に行き、仲哀天皇の館に訪問した。蘇我石川ら重臣たちと共に仲哀天皇は神功皇后と面会した。しばらくぶりに再会した仲哀天皇は、何故か覇気が無いように見受けられた。仲哀天皇は弱弱しく笑って皇后に言った。

「帯姫、御苦労であった。北の海は如何であったか?」

「海はとても静かでした。しかし途中、新羅兵との海戦がありました」

「何、新羅兵との海戦だと?」

 新羅兵との海戦があったと聞いて、仲哀天皇は驚愕した。目を円くしている仲哀天皇に神功皇后は詳しく状況を説明した。

「新羅の軍兵が沢山の船で出雲を攻撃している最中に私たちの船団が通りがかり、大事に至らず済みました。丁度、安曇軍団の救援もあり、新羅軍は退散しました」

「新羅軍はなぜ、出雲に攻めて来たのか?」

「大君様から倭国を奪う為です」

「何じゃと!」

 仲哀天皇も蘇我石川ら重臣も蒼白になった。

「捕らえた新羅の将、阿智の話によれば、新羅の奈勿王は熊襲の羽白熊鷲と共謀し、倭国を自分のものにしようと、北から出雲に侵攻したとのことです。南は熊襲に任せ、北から一気に大和に攻め込もうと計画したようです。ことを訊き、私たち皇后軍は出雲の兵と共に、出雲の海で敵軍と戦闘し、勝利しました。新羅軍は甲冑に身を固めた船団の出現に驚愕し、かつまた安曇軍団の背後からの攻撃を受け、四散しました」

「出雲一族は如何致たした?」

「出雲一族は突然の新羅軍の攻撃に、全く無防備であった為、手も足も出ず、漁民が防戦一方の状態でした。私たちの援軍により、九死に一生を得、多くの負傷者を出したものの、死者は少なく、一族の首領、出雲襲櫛は私たち一行に平伏して感謝し、大君様への忠誠を誓いました。またこれを機に軍備防衛に力を入れると約束しました」

 神功皇后の説明に仲哀天皇は安堵した。しかし再び新羅軍が侵攻して来ないとも限らないと思った。

「新羅軍は再び侵攻して来るのではなかろうか?」

「来ないとは断言出来ません。いや、多分、再度、再軍備してやって来るでありましょう。その前に私たちは、新羅国に使者を派遣し、倭国への侵攻を止めさせなければなりません。あるいは、こちらから新羅国を攻め、新羅国を倭国の支配下に収めるかです」

「そんな大それたことが出来るか?」

「何故、そんなこと出来ないと、やらずに諦めてしまうのです?」

 神功皇后は仲哀天皇を煽った。しかし仲哀天皇は神功皇后の言葉に耳を貸さなかった。

「朕は今、熊襲と戦うことで、精いっぱいじゃ。新羅国など相手にしていられない。お前は何故、新羅に拘るのか?但馬の母の出が、新羅だからか?個人的感傷で新羅に目を奪われていると、我が国家、倭国を滅ぼすことになる。帯姫よ、目を覚ませ!」

 皆の前で夫に注意された神功皇后の性格は、その程度で後退するものでは無かった。

「目を覚まさなければならないのは、どちら様でしょうか。大君様は倭国の危機が目に見えないのですか?倭国を自分の領土にしようとしている者が誰であるか分からないのですか?帯姫は個人的感傷で言っているのではありません。真実を申し上げているのです。大君様は大八州を治める倭国の王です。大陸の国にも目を向けて下さい。そうでないと、倭国は、高句麗や新羅に滅ぼされることになります。滅ぼされてからでは遅いのです」

「何を言うか。倭国が滅びる筈が無い」

「何と愚かなことを。何故、倭国が滅びないと言えましょう。確かに熊襲を鎮圧することは大事です。しかし、その熊襲を操っているのは新羅です。新羅が今回の反乱の主犯であることに気づいて下さい。禍の根は元から絶たなければ断ち切ることが出来ません。それとも大君様は新羅が怖いのですか?」

 神功皇后の仲哀天皇に対する言葉はきつかった。妻が夫に言う言葉では無かった。流石の仲哀天皇も皇后の暴言に我慢しきれなかった。

「帯姫。お前は朕を侮辱するのか。朕は倭国王なるぞ。何処に恐れる者があろうか。何処に朕に従わぬ者があろうか?」

「ならば、熊襲と戦わず、私たちを待っていることは無いでしょう。筑紫に攻め込んだ熊襲など、遠の疾っくに退治して、今や大和への帰還しようと、待っている筈でしょう」

 神功皇后の言葉に、重臣たちはオロオロした。

「皇后様、お言葉が過ぎます」

 神功皇后の余りにも厳しい棘のある言葉にたまりかね、蘇我石川が皇后に慎むよう、注意した。しかし皇后は石川の注意に耳を傾けなかった。

「良いのです。弱虫は弱虫。愚者は愚者。言ってやらなければ分からないのです」

 神功皇后の侮蔑の言葉に仲哀天皇は激怒した。

「言ったな、帯姫。もう我慢ならぬ。それが夫に仕える妻の言葉か。もうお前の顔など見たくない。ここを出て行け。とっとと敦賀に消え失せろ」

「何という無様な。それが倭国王の発言とは・・・」

 食い下がる神功皇后の言葉に仲哀天皇の顔が真っ赤に燃え上がった。

「出て行けと言ったら、出て行け。出て行かないなら、蹴り出してやる。えいっ!」

 仲哀天皇は多弁の皇后を怒りの余り、蹴りつけた。

「あっ」

「お止め下さい。皇后様は身籠っておられるのです」

 津守住吉が二人の間に割り込み、喧嘩を止めに入った。しかし、仲哀天皇の怒りが治まる筈が無かった。

「構わぬ。えいっ、これでもか」

「ああっ」

 仲哀天皇の蹴りを受けて、神功皇后が倒れ伏した。

「皇后様。大丈夫ですか?」

 住吉が皇后を庇った。

「住吉。そこを退け。止め立てするでないぞ。えいっ。これでもか?これでもか?」

 仲哀天皇は容赦なく神功皇后を蹴りつけた。

「ああっ、苦しい」

「高梁。陛下をお止め申せ!皇后様、皇后様。大丈夫ですか?大丈夫ですか?」

 津守住吉が倒れ伏した皇后を助け上げた。

「お腹が痛い・・・」

 神功皇后は住吉の手の中で、ぐんなりとなった。蘇我石川たち重臣は慌てた。

「何をしているのだ。烏賊津、皇后様を住吉と共に別の部屋へ・・・」

 中臣烏賊津は蘇我石川の指示に従い、苦しむ神功皇后を津守住吉と一緒に別の部屋に案内した。

          〇

 七月半ば、神功皇后は流産した。仲哀天皇の望み空しく、赤子はこの世に誕生しなかった。男の子か女の子か確かめることも出来ないまま、赤子を失ってしまった神功皇后の悲しみは尋常で無かった。神功皇后の侍女から、その報告を受けた蘇我石川は直ちに事の次第を仲哀天皇に伝えた。

「陛下。誠に申し訳御座いません。万事、手を尽くしましたが皇后様が御産みになられる御子様を、お救いすることが出来ませんでした。誠に残念でなりません」

 蘇我石川は神功皇后の出産に関する看護が至らなかったことを仲哀天皇に詫びた。

「言うな。お前たちが悪いのでは無い。悪いのは朕じゃ」

「いいえ、私たち下臣の努力が足らずに・・・・」

 仲哀天皇は報告を聞いて、胸が痛んだ。悲鳴を上げて悲しむ神功皇后の姿が目に浮かんだ。

「帯姫は大丈夫か?」

「相当に衰弱されておられます。しかし、時間が経過すれば元気になられると聞いております。御心配は御無用とのことです」

「そうか、帯姫は助かったのだな。良かった。良かった」

 仲哀天皇は胸を撫で下ろした。

「きっと長旅が災いしたのでしょう。この穴門の豊浦の宮で休養されれば、直、回復されるでありましょう」

「あの時、朕も大人気なかった。口論の末、興奮の余り孕んでいる帯姫に、暴力を振るってしまった。自分で自分の赤子を殺してしまったようなものだ。帯姫に悪い事をしてしまったと、深く後悔している」

「皇后様とて、後悔されていることと思われます。こういった御不幸は、早くお忘れになる事がお二人の為かと思います」

 そうは言われても、そう簡単に心の傷が治まるものでは無かった。神功皇后の体調は以前の輝きを失い、見る影も無くやつれて行った。そんなであるから仲哀天皇は熊襲征伐を延期せざるを得なかった。豊浦の宮を拡大し、庭園を造り、そこでゆっくりと時を過ごした。一方、熊襲は大和朝廷軍が穴門や筑紫、宇佐にまで進駐しているので、流石の羽白熊鷲も用心して、派手な動きを見せなかった。穴門から遠く離れた松浦から伽耶人を使い、新羅と交流させ、武器を入手して、二年、三年と時を待った。

          〇

 蘇我石川は仲哀天皇の悲しみと後悔を思いやり、三年間、じっと我慢していたが、到頭、我慢しきれず、仲哀天皇に頭の切り替えをすべきだと詰め寄った。

「陛下。時が経つ程に我ら朝廷軍の色鮮やかな旗印が色あせて来ています。皇后様の体調も復帰されましたようなので、そろそろ、熊襲を討伐し、大和に帰らないと、とんでもない事になります。このまま穴門にて、何もしないでいたら、無能な天皇だと大和の連中に笑われます。本当に倭武尊様の後継なのかと疑われます。大和に帰るか。熊襲を攻めるか、御決断下さい」

 その蘇我石川の言葉を聞いて、仲哀天皇は希望を失った神功皇や蘇我石川の意を汲み、行動を開始しなければならないと思った。

「石川の申す通りじゃ。朕は帯姫の体調が回復したので、筑紫に入り、熊襲を攻めようと思っている。大和王朝に従わぬ羽白熊鷲や伽耶人や土蜘蛛一族を倒し、朕が真実の倭国王であることを証明し、任那、百済は勿論のこと、新羅、高句麗までも、その名を轟かせたい」

 仲哀天皇はやる気を見せた。蘇我石川は、そんな仲哀天皇に、将来に対する注意を促した。

「ならばこそ、陛下が、長期間、この地に留まっていることは得策でありません。不利なことで、いっぱいになります。一時も早く大和纏向の日代の宮に戻られ、倭国の王として堂々と政治を行い、天皇家の権威を保ち、四方に目を配り、国家を発展させるべきです」

「一時も早く日代の宮に戻れじゃと。何故じゃ?」

「年寄たちは、陛下が長期間、大和に帰って来なければ、別の天皇を立てる必要があるなどと、良からぬことを考えたりするものです。年寄たちにとって、自分のいる所から出て行った者は、しばしば余所者にしてしまうのです」

「朕が天皇であってもか?」

 仲哀天皇は、蘇我石川の言う事が信じられないという顔をした。その問いに石川は落ち着いて答えた。

「左様に御座います。それ故、早急に熊襲を退治し、大和に戻らねばなりません」

「お前の父、武内宿禰も同じ考えか?」

「父の力でどうなるものでも御座いません。天皇は豪族たちの総意の上に天皇として成立している国王なのです。従って朝廷に天皇が不在となると、いずれの豪族も自分の縁者を天皇にと望むものです」

 若き蘇我石川の言葉に仲哀天皇は衝撃を受けた。

「そんな馬鹿な話が」

「これは事実です。ましてや即位して、三、四年も朝廷に不在で、都に戻らぬとなると、月日が経てば立つ程、陛下に対する記憶は重臣たちの頭の中から消えてしまうものです。そして天皇であるのに天皇と思われなくなってしまうのです」

 仲哀天皇の顔が曇った。

「すると朕は最早、天皇ではないということか?」

「その可能性は充分にあります。その為、我々は皇后様が御回復なされたので、即刻、熊襲を攻めるべきです。また敵も時間が経てば立つ程、強力になります。時間を置けば、彼らを攻め落とすことも不可能になって参ります。何に躊躇する必要がありましょう。皇后様には、この豊浦の宮に待機願い、我々は明日にでも筑紫に向かって出立すべきです」

「良く言ってくれた。お前の意見は最もなことだ。早速、筑紫へ向かおう」

 蘇我石川は自分の意見が採用され、狂喜した。

「筑紫には、安曇一族はじめ、かって天皇家にお仕えした多くの豪族たちがおります。速やかに使者を派遣し、陛下の下向の下知を致しましょう」

「それは名案じゃ。出来得れば彼らを通じて、流血を見ずに熊襲を平定したい」

「無血平定は希望ですが、多分、難しいと思います。いずれ戦わねばなりません。敵は天皇家を恨んでいる連中です。そうでなくして何故、彼らが天皇家に反抗する理由がありましょう」

「かっての昔、朕の父、倭武尊は熊襲を征伐し、その首領、川上武から『武』の名をいただいた。そして、その川上武の後裔は、以後、天皇家に服従すると誓った。それ故、朕は彼らとの話し合いにより、流血を見ずに、反乱を治めたい」

 仲哀天皇は、あくまでも無血平定を希望した。蘇我石川は、それに反対だった。

「陛下。それは甘い考えです。川上武は川上武。羽白熊鷲は羽白熊鷲。別人です。それぞれに考えが違います。否、それ以上の大和王朝への復讐心から、天皇家に反抗して来ているのかも知れません。となると彼らは完全に天皇家壊滅を狙っているのです。陛下。甘い考えはお捨てになり、即刻、熊襲を攻めるべきです」

「よう、分かった。即刻、熊襲を攻めることにしよう。そして大和に早く戻ろう」

 蘇我石川の助言により、仲哀天皇の筑紫移動の心は決まった。

          〇

 仲哀七年(388年)正月四日、仲哀天皇の軍団は、豊浦の宮の神功皇后の護衛軍と共に、穴門を出発、筑紫に向かって船出した。その日の海峡は晴れ渡り、浪静かであった。安曇一族に先導させ、船団を進めて行くと、前方から大きな船が近づいて来た。その船の使いが小舟に乗ってやって来て、安曇磯良に用件を伝えた。それを伺った磯良が、そのことを蘇我石川に転送し、用件が仲哀天皇に口伝された。

「陛下。岡県主熊鰐という者が、大きな船の舳先に榊を根こそぎのまま仕立てて、その上枝に白銅鏡を飾り、中枝には十握の剣を掛け、その下枝に八尺珥の勾玉を垂らし、やって参りました。陛下にお目通り願いたいと申しております。如何致しましょう」

 蘇我石川が仲哀天皇に、その船主の申し出を伝えると、仲哀天皇は、その船を見やった。そしてちょっと考えてから石川に答えた。

「会見しよう。ここに通せ」

「烏賊津殿。岡県主殿をここへ案内してくれ」

 蘇我石川の依頼を受け、中臣烏賊津は渡り板を準備し、船から船へ岡県主を案内し、仲哀天皇の御前に連れて来た。

「陛下。岡県主殿をお連れしました」

 その岡県主は仲哀天皇の前に平伏し、挨拶した。

「岡県主熊鰐です。仲哀天皇様が筑紫にお出ましになられたことをお伺いし、お出迎えに参りました」

「そなたが熊鰐か。良く出迎えに来てくれた。朕は、そなたと会えて嬉しく思う。その昔、我が天皇家の祖、邪馬幸王が奴国と任那を往来する時、そなたの一族に世話になったと聞いている。互いの子孫がここで会えたのも、御先祖様の導きであろう。聞き及んでいると思うが、朕はこれから熊襲討伐を行う。昔の誼で、是非、我らの力になって欲しい」

 仲哀天皇が自分の先祖に感謝している言葉を聞いて、岡県主は感激した。

「仲哀天皇様。この岡県主熊鰐、仲哀天皇様の力になる為に、馳せ参じたのです。私は穴門より、向津野までを東の港とし、穴門から名籠屋崎までを西の港とし、没利島、阿閉島、柴島を漁場とし、逆見の海を塩採り場として、これらを仲哀天皇様に献上致します。これらはもともと我が一族が、天皇家の祖、奴国王様から、お預かりしていたもので御座います」

「有難い。朕はそなたの気遣いに、心より感謝致す」

「勿体のう御座います」

 岡県主は仲哀天皇の感謝の言葉に涙ぐんだ。そんな岡県主に蘇我石川が質問した。

「ところで岡県主。我ら穴門より出発し、筑紫へ向かっているが、中々、船の進み具合が遅い。何に手間取り、船が思うように進まないのだろうか。お前のような清らかな心の持ち主が案内役を買って出てくれているというのに・・・」

 すると岡県主は顔を曇らせた。

「船が進まないのは、私の所為ではありません。この先の遠賀の河口に、男女の二神がおられます。男神は大倉主、女神は菟夫羅媛と言います。きっと、この二神の御心によるものと思われます」

 どういう事か。蘇我石川は、理解に苦しんだ。

「見ての通り、左側を進行して来た皇后様の船は、潮が引いて、砂地に停泊してしまったようだ。取敢えず、従者たちが、船から降り、魚池や鳥池を作り、それを皇后様に御覧になっていただき、御休息していただいているようであるが、我らは何とかして、潮に乗り、早く前進したい。何とかならぬか」

 蘇我石川と岡県主の問答を聞き、仲哀天皇は石川に命じた。

「熊鰐がいう二神がいて、前進出来ぬのなら、ことは簡単。遠賀の浦に使者を派遣し、直ちに二神を鎮めよ」

「誰を差し向けましょうか?」

 蘇我石川が仲哀天皇に御指示いただこうとすると、中臣烏賊津が進み出て言った。

「問うまでもありません。この中臣烏賊津が参りましょう。遠賀の浦に参り、二神を祈祷して参りましょう」

 岡県主は驚いた。進み出た若者の雄々しさに岡県主は、昔、会った事のある烏賊津の父、中臣狭山のことを思い浮かべた。

「祭神、中臣様が参られるのなら、何ら心配ありません。中臣様の御祈祷に大倉主と菟夫羅媛の二神も、きっと遠賀の浦の水道を開放してくれるでしょう」

「烏賊津。熊鰐も、お前が適任者だと言っている。直ちに遠賀の浦に出向いて、二神を祭れ」

「はい。烏賊津、行って参ります」

「頼んだぞ」

 仲哀天皇や蘇我石川に見送られ、中臣烏賊津は船を降り、岡県主の家来と遠賀の河口に向かった。家来と一緒に二神の鎮座する河口へ向かう烏賊津を見送りながら、岡県主が、ぽつりと言った。

「烏賊津殿も立派に成られたものだ。臣狭山様に似て、威風堂々としておられる」

 それを聞いて、仲哀天皇が岡県主に訊いた。

「熊鰐。そなたは臣狭山を知っているのか?」

「はい。景行天皇様の御世、私は臣狭山様を任那に案内致しました」

「そうであったか。臣狭山と、そんな関係があったのか」

「臣狭山様は語学にも秀で、新羅語は勿論のこと、燕国の言葉も得意で、異国の風習を、こと細かに勉学されていました」

 仲哀天皇は岡県主の昔話に耳を傾けた。岡県主は中臣狭山と任那や伽耶に行った時のことを得意になって懐かしく語った。そんな所へ、また別の船が近づいて来た。大三輪鴨積が仲哀天皇に進言した。

「お話の途中、申し訳ありません。また陛下に、お目にかかりたいという者がやって参りました」

「誰じゃ?」

「伊都県主、五十迹手という者です。これまた船の舳先に大きな榊の木を立て、上枝に勾玉を垂らし、中央に白銅鏡を飾り、下枝に十握の剣を立てかけ、この彦島までやって来たとのことです。如何致しましょう」

 仲哀天皇は岡県主の顔を見て思案した。すると岡県主が仲哀天皇に申し上げた。

「伊都県主、五十迹手は私と親しくしている男です。是非、会ってやって下さい」

「良かろう。ここへ通せ」

 仲哀天皇の了解を得て、大三輪鴨積が別の船から伊都県主を連れて来た。

「五十迹手殿、こちらへ・・」

 岡県主が、そう言って、伊都県主に席を譲った。仲哀天皇の前に平伏した伊都県主は、岡県主熊鰐同様、いかつい体格の黒光りする海の男であった。

「仲哀天皇様。私はここにおられる岡県主熊鰐殿と交友のある伊都県主五十迹手に御座います。仲哀天皇様には八尺珥の勾玉のように天下を円く治めていただきますよう、また真澄の鏡のように澄んだ御心で、山河や海原を御覧いただきますよう、また十握の剣を振るい、天下を平定していただきますよう、これらの御神宝を船に飾り立て、やって参りました。どうかこの私を仲哀天皇様の御配下に加えて下さい」

 その伊都県主の言葉に、仲哀天皇は笑って答えた。

「五十迹手、良くぞ来てくれた。朕は嬉しいぞ。喜んでそなたを我が大和王朝軍の仲間に加えよう。熊鰐と共に倭国安泰の為、朕に協力してくれ」

「ははーっ」

 仲哀天皇の言葉に伊都県主五十迹手と岡県主熊鰐は手を取り合って涙した。今まで熊襲の羽白熊鷲らに余程、不当残虐な攻撃をされ、苦しみ抜いていたらしい。そうこうしているうちに、中臣烏賊津が大倉主と菟夫羅媛を祭って帰って来た。すると潮が満ち、神功皇后の船が浮上し、仲哀天皇一行は海路を進み、玄海を経て、無事、筑紫の那津港に到着することが出来た。安曇磯良や岡県主、伊都県主ら筑紫の豪族たちは、仲哀天皇と神功皇后両陛下が降臨することを予想し、あらかじめ準備しておいた香椎の宮に両陛下をお連れした。かくて仲哀天皇は、そこで天下を治めることとなった。

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