第三十章「南海道小町」

2021年3月2日
幻の花

仁和二年(八八六年)、小野小町は小町は新年を迎えると直ぐに、寒さが厳しいというのに、讃岐国に向かって出発した。まずは阿蘇山の北嶺に鎮座する阿蘇一宮神社に立ち寄り、初詣をした。そこは孝霊天皇の時代に創建されたという歴史を誇る神社で、楼内の奥に立派な社殿が並んでいた。南国とはいえ阿蘇山の麓の冬であるから、その寒さは都の寒さ以上であった。だが初詣の人の数は驚く程、賑やかで、沢山の老若男女、子供たちで、ごった返していた。小町と鴨丸は、それらの人々と一緒に新年の平安を祈願し、名物の縁起餅を食べ、豊後国へ移動した。竹田を経て、佐賀関という伊予の西端、佐田岬が見える所に一泊し、その翌朝には船に乗って、伊予の三崎へ向かった。ところが乗船して間もなく、海上は大波で荒れ狂い、小町たち乗客は、船酔いして、海に落ちそうになる程であった。船頭が小町に向かって叫んだ。

「しっかり掴まっていな。別嬪を乗せると瀬織津姫様の龍神が、別嬪を振り落とそうとして暴れるのじゃ」

 船頭らは一苦労して、何とか頑張り、その日の午後に伊予の三崎に船を到着させた。小町も鴨丸も船酔いした為であろう、体調を悪くし、その地の漁師の家で三日程、過ごした。小町が苦しみ寝ていると、住吉明神が夢に現れて、小町に告げた。

「そこは美人を苦しめる龍神のいる所。一時も早く小野村に来たれよ。さらば病も癒えむ」

 その住吉明神のお告げを受けるや、二人とも何とか歩けるようになった。小町は世話になった漁師に、住吉明神の告げた小野村に連れて行って欲しいとお願いすると、漁師は長浜という所まで船で送ってくれた。小町と鴨丸は、そこから徒歩で小野村に向かい、村の長者、小野明人の屋敷に泊めさせて貰った。そして慶雲三年(七〇六年)に行基が開山したという梅元寺にお参りした。寺僧に住吉明神のお告げの話をすると、寺僧は二人を薬師堂に案内してくれた。そこには新羅伝来の薬師像が安置されていた。小町は備中国の日間薬師に詠じたと同じ歌を、その尊像に捧げた。

  南無薬師 諸病悉除の 願ひ立て

  身より仏の 名こそ惜しけれ

 すると前回同様、二人の病気は直ぐに回復した。小町は、その歌を書いた布を薬師に献じ、その首中に蔵して、翌日、小野村を去った。それから道後温泉に立ち寄り、そこでゆっくりと休養した。

        〇

 伊予での旅を終えた後、小町たちは讃岐国に入り、観音寺、善通寺を経て、宇多津に到着した。そこには正月十六日、讃岐守に任ぜられた菅原道真が赴任して来ていた。菅原道真は、かって下野權少掾や加賀權守に任ぜられたことがあるが、任国に赴く必要のない権官であったが、今度の讃岐守は正官であって、代理人を起用することは許されなかった。その為、着任早々の忙しい時に、小町が宇多津に訪ねて来たので、びっくりした。久しぶりに会った道真は、小町と鴨丸を大歓迎してくれた。まさか、こんな所まで、小町が訪ねて来るとは思ってもいなかった。歓迎の食事の折、あの冷静な道真が小町にこぼした。

「陽成天皇様の御退位により、我々、清和帝に御世話になった者や高子様と親しかった者は、藤原基経様により、冷遇されることになってしまいました。それで私も、ここに参った次第です」

「全く想像していなかったことに御座います。高子様はじめ、私のお仕えしていた在原文子様も、今は辛い御立場で御座いましょうね」

「その通りです。都では禁句ですが、本来、陽成天皇様の御退位の後は、その弟君の貞保親王様が帝位に御即位なされるべきだったのでしょうが、基経様はそれを御薦めにならず、年長、五十五歳の光孝天皇様を擁立なされました」

「基経様と高子様は真の御兄妹なのに、御二人の不仲の理由が、私には全く理解出来ません」

 小町には、基経の考えが全く理解出来なかった。だが道真には、その原因が何であるか推測することが出来た。故に道真は地方に任官させられたのである。道真は、言ってはならぬ推測を小町に話した。

「多分、基経様は陽成天皇様と同様、貞保親王様も在原業平様の子ではないかと疑ってのことでしょう」

「まあ。陽成天皇様も貞保親王様も、業平様の子だなんて。それにしても基経様は何と疑り深い、狡猾な御方なのでしょう。また高子様も、何と個性の強い御方なのでしょう」

 小町は、もっと早い時期に、このことを知っていたなら、あの清和帝に、より一層、優しく接して上げることが出来ただろうにと後悔したが、それはもう昔の事であって、取り戻すことの出来ない過去であった。そんな小町に道真が言った。

「小町様が高子様のように心の強い御方であったなら、清和天皇様の御子を御授かりになり、今頃、国母となっていたでしょう」

「そんなこと、今更ぼやいても、総てが過ぎ去ったことです。女の輝ける時は花の命と同じで、ほんの短い間のことです。帝をめぐる女の因果に翻弄され、運が良かったり、運が悪かったり、それは紙一重で決まる運命なのです」

 小町は微笑して答えた。道真も同感だった。もし清和天皇が、小町に気をとめていなかったなら、自分は小町を妻にし、二人の間に数人の子供が出来ていたかも知れないと思った。二人は長い間、語り合った。小町は道真の勧めにより、彼の話相手として、当分、この地に滞在することにした。

        〇

 道真は、国庁での職務を終えて屋敷に戻ると、毎夕、小町を相手にいろんな事を話した。

「基経様はぬかり無い人です。私の赴任に際しても、ちゃんと餞けの宴を開いて下さいました。その東閤での宴席で、私の国司就任を出世だと皆の前で誉めてみせました。実に巧みです。私も宮中から遠ざけられる事の不満を隠し、詩を詠じました」

 小町には、その時の道真の悔しい気持が、涙が出る程に分かった。男の権力争いの激しさは、父、良実の生きざまで知っていた。道真は東閤の宴で詠んだ詩を披露した。

〈吏となり儒となり国家に報ず。百身独立す。一恩の涯。東閤を辞せんと欲して、何をか恨みとなす。明春洛下の花を見ざること。〉

 また基経たちのいない文章院の餞別の宴で詠んだ詩も披露した。

〈我まさに南海に風煙に飽きんとす。更に妬む、他人の左遷すと云わんことを。つらつら思ふに分憂は祖業にあらず。徘徊す。孔聖廟門の前。〉

 それは世間の者たちが道真のことを、讃岐へ左遷と噂していることと、道真自身が国司は自分の本業ではないと、転任を喜んでいないことを、学者仲間に吐露する詩であった。小町は道真に同情した。道真は、このようにも言った。

「私は讃岐に来て、先輩、安倍清行様の弟、興行様や在原業平様の娘婿、藤原保則様の努力により、讃岐で善政が行われ、人民が豊かな生活をしていることを知りました。私も先任者二人に負けず、昼夜、その任務に努め、人民の為の福祉を強化したいと考えております」

「道真様らしい、お考えですこと。讃岐の人たちは仕合せですね」

 小町は微笑し、まともに道真を見た。道真はそのもの問いたげな小町の眼差しに戸惑った。この讃岐で、まだ色やかさの残る小町に再会して、何か分からないものが、胸の中にぐんぐん湧き上がって来るのを覚えた。しかし、都に残して来た妻子のことを思うと、小町を口説くことは出来なかった。小町は、讃岐にいる間、道真に漢詩を教えてもらったり、唐の書物を見せてもらった。

        〇

 小町は桜の咲く頃まで、道真の所に居た。小町はこのまま気心の知れた道真と、ここで暮らしたいと思った。しかし小町の幾多の過去を知る謹厳実直な道真が、小町を側女にする筈が無かった。潔癖な道真は単身、国司としての重責を全うしようと仕事に専念する心意気であり、側女のことなど頭に無かった。また道真が小町を側女にすることがあったにしても、その先で待っているのは、道真を不幸にすることだけであった。小町は真面目に任務に励む道真の仕事の邪魔を何時までも続けていてはいけないと考えた。一日も早く巡礼の旅を終え、都に戻り、遍昭に会い、仏門に入るべきだと思った。小町は道真に都に戻ることを告げた。すると道真が小町に言った。

「ここでは何も心配なさらなくても良いのです。もっとゆっくりしていって下さい」

 言葉では、そう言われても、道真の任務の邪魔をすることは、道真の都への帰還を遅らせることになりかねない。小町は決心が変わらないことを道真に伝えた。道真は小町との別れを悲しんだ。

 〈浮生を以って、後会を期せんとすれば、還って石火の風に向かいて、敲つことを悲しぶ〉

 それは(人の命は明日も知れぬ身の上なので、果たして再会出来るのか出来ないのか分かりません。まるで風に向かい火打石をうつような頼り無いものです〉という心細さを詠った詩であった。小町も詠った。

  春霞 たなびく山の 桜花

  咲くと見し間に 今 別れゆく

 こうして、また小町と道真の恋は結ばれぬままに終わった。桜の季節は長くは続かない。かって絢爛に咲き誇った花は、またしても突然のように目の前から去って行く。道真は風に舞う花吹雪の華麗さに心奪われ、春の終わりを、ただ黙って、茫然と愛惜し、見送るしか方法は無いのだろうかと嘆いた。

        〇

 その翌日、小町と鴨丸は道真の家来、二人に案内してもらい、讃岐の宇多津から大川を経て、阿波国の土佐泊りに向かった。その土佐泊りに到着すると、小町は道真の家来と別れ、淡路行きの船に乗った。乗船した小町は親切にしてくれた道真のことを思い、潮風を受けながら歌を詠んだ。

  花咲きて 実らぬものは わたつみの

  かざしにさせる 沖の白浪

 小町を乗せた船は鳴戸の海を渡り、淡路国の福良に到着した。福良では伴貞宗の歓迎を受けた。彼は今は亡き伴中庸の幼馴染みで、小町の来訪を喜んだ。貞宗は小町が讃岐に滞在している情報を得ていて、福良に何時、来るのか心待ちしていたという。小町は旅をしていて、こんなにも多くの人たちが、何らかの形で繋がっていることに有難さを感じた。見目麗しい、垢ぬけた中年の尼僧の来訪に、伴貞宗の家来たちはびっくりした。主人の美人の客人が、誰であるか知りたがった。ある者が言った。

「あれは小野小町様じゃ」

「ええっ。あの小町様が淡路まで」

 小町は、この都から離れた淡路島でも、都の有名数奇な女流歌人として知られていた。雨乞い小町、歌合せ小町、みちのく小町、深草小町、四の宮小町など、今や彼女は伝説の人になりつつあった。噂は噂を呼び、彼女の美しさや才媛さを褒めちぎる者もあれば、妖艶さを武器に男を翻弄する悪女であると悪態を並べる者もいた。特に年老いて都を去り、何処かへ消えてしまった小町のことを、良く言う者は少なかった。多分、玉造小町と重ねての想像によるものに違いなかった。小町はそんな視線を感じながら、福良で数日を過ごした。或る日、小町は貞宗の家来の蔭口を耳にした。

「貞宗様は何をお考えなのだろう。あんな化け猫のような女を何時まで館に留め置かれるのだろうか?」

「恐ろしいことじゃ。あんな女に関わり合ったら、中庸様のように大変なことになってしまう」

 小町は、その蔭口を耳にして、早く都に戻るべきだと思った。小町は明朝、福良を去ると宗貞に伝えた。そして翌日、福良から由良まで、貞宗に案内してもらい、そこで貞宗と別れた。

        〇

 貞宗と別れた小町と鴨丸は、由良から船に乗り、淡路の水門を渡った。幸い天気に恵まれ、船は風雨に遭うことも無く順調に目的港、和泉国の灘に到着した。そこで一泊してから、海岸伝いに和泉国から河内国に入った。そこは安倍康行の弟、安倍宗行が国司をしているということで、安心して移動することが出来た。河内国を抜けると、摂津国の住之江に辿り着いた。都が真近いことが感じられた。小町は今日までの巡礼の旅が無事に終わったことを感謝する為、住吉明神にお参りした。ここの大神は航海の安全と和歌の神ということで、沢山の人たちが参詣していた。小町は祖父、小野篁が遣唐使に任ぜられた時、ここに詣で、安全を祈願したが、途中、台風に遭い、計画を断念し、都に戻った話を父母から聞いていた。その祖父、篁の命拾いも、この神の助けによるものであると、小町は思った。伊予の三崎での病の危険から救ってくれたのも、この神のお告げによるものであった。小町と鴨丸は、神前に立つと、住吉明神に感謝し、幣を奉納した。そして小町が歌を捧げた。

  住の江の ちぶりの神に 手向けする

  歌ながらせよ 千代の秋まで

 都が近づくにつれ、小町の心も鴨丸の心も躍った。小町は難波の海を眺めながら詠った。

  難波江の 釣りする海人に めかれけむ

  人も我が如 袖のぬるらむ

 その人とは誰のことであろう。二人は都が近づくのを喜び喜びしながら山城国へと向かった。

        〇

 長い巡礼の旅を終え、小町と鴨丸は山城国綴喜郡井手の里に戻って来た。小町は若い時、恋人、伴中庸に馬に乗せてもらい、交野へ来る途中、この里に立ち寄った時のことを追懐した。

  色も香も なつかしきかな 蛙なく

  井手の渡りの 山吹の花

 井手の井堤寺は金堂四面の回廊の周囲に山吹の花がいっぱい咲いて、庭内の池の水を廊下から見下ろすと、そこに自分の影が映るようになっていた。ふと、その池をのぞくと、長い巡礼を終え、ここに辿り着いたばかりの自分の痩せ衰えた容姿が水面に映っていた。小町は疲れ果てた自分の容姿に気づき、愕然とした。美しかった自分の容姿が年々、落ちて行くことは分かっていたが、目の当たりにした自分の哀れな容姿に耐え切れず、早く小野の里に帰りたいと思った。二人は最後の力をふりしぼり、小野の里に戻った。主人のいない小野の屋敷は訪れる人も無くなり、家は傾き、庭に草が生い茂っていたが、鴨丸の父、雉丸夫婦が留守をしていてくれたので、何とか体裁を保っていた。雉丸夫婦は、二人の帰りを涙をこぼして喜んだ。小町も鴨丸も、雉丸夫婦と抱き合って涙を流した。実に二年にも及ぶ長い巡礼の旅であった。

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花咲きて 実らぬものは わたつみの かざしにさせる 沖の白浪