第一章「幻小町」

2020年7月31日
幻の花

己が身を この世のものに たとふれば 暮れなばなげの 白き花かな

 『古今和歌集』を飾る美しい花の一つに小野小町がいる。その小野小町の生涯は謎に満ちている。その謎の花、小野小町について知り得る限り語ってみよう。

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 小野小町は幻の花である。王朝に咲いた幻の花である。在原業平を胡蝶に譬えるならば、小町はまさに花である。しかし、その花は時には桜であったり、時には菊であったり、時には女郎花であったり、時には悪の花であったりもする。また鮮明に見ようとすると、その花は薄ぼんやりと暮れなばなげの花のように幻となってしまうのである。小野小町は、あの花、この花に譬えられはするが、畢竟、幻の花というべきである。

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  梅原猛先生は著書『法隆寺論』にこんなことを書いている。

 「藤原氏の氏神である春日大社へゆくと、藤が植えてある。一本の藤は楓の木と並び、その木にまきついているし、他の一本の藤は他の木に寄生し、またその木にはさまざまな木が生えている。この藤を己の氏族のシンボルとして選んだ藤原氏は、いかなる氏族であろうか。藤は一言にしていうならば、雑草の生命力を持っている木である。それは、むしろ、それ自身の性を持たず、他の木にまきついて、その他の木を枯らしつつ、自己を成長させていく木である。寄生がこの木の本性である。この木を自己の姓に選んだ藤原氏は、大した氏族であると思う。それは鎌足の意思かもしれな いが、その意思通りに藤原氏は繁栄したのである。藤は自性を持たない木であると私はいった。松や梅や桜は、いい意味にも悪い意味にも、松であり、梅であり、桜である。松の性、梅の性、桜の性を失っては、もはや松でも、梅でも、桜でもない。しかし藤は違う。それは他者によって生きている。それは固有の自性を持たない、自性を持つとしても変幻自在な自性というべきであろう・・・」

  この文章を読んで、私はこんなにも巧みに藤原氏を語った文章は無いと思った。藤の紫の色を王朝の象徴とし、絶えず皇室の陰に咲き誇って来た藤原氏のことを思う時、私は、こういった権勢の陰に、儚くも散って行った美しい花を思わずにいられない。これから記す小野小町も、そんな儚くも散って行った花の一つといえよう。小野小町は『古今和歌集』を初め、『後撰集』、『玉葉集』、『新勅撰集』、『千載集』などに、その歌を撰入されていることから、その存在は確かであるが、その生没の年はもとより、その出自さえ不明であるとされている。しかし私はここに古き時代を想像し、小野小町なる女性の存在した時代を追求し、あえて多くの人々に小野小町を紹介する。

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  鎌倉時代の信実筆と伝えられる佐竹本三十六歌仙絵に小野小町像があるが、ここで小野小町は後ろ向きで美しい色目の装束と長い黒髪姿で描かれている。信実が、この絵の鑑賞者に、小野小町の美しい面輪を想像させる為に、わざと小町を後ろ向きに描いたのか、あるいはその美しい小町の面輪を描き難かったので、彼女を後ろ向きにしてしまったのか、その理由は分からないが、小野小町は兎に角、絶世の美女であったと思う。その小野小町が淫乱な女であったかどうかは定かでないが、王朝の華やかな時代に、彼女も現代の女たちのように、セックスを満喫していたようである。平安時代の彼女らにとって、セックスは決して罪悪的なものでは無かったようだ。そればかりか、この時代には坊主さえもがセックスを楽しんでいたのだ。

  思うどち 春の山辺に うちむれて

  そことも云わぬ 旅寝してしが 

  これは大和にピクニックに出かけた時、小野小町の恋人、素性法師が詠んだ歌である。要するに何処でも良いから、早くセックスをしようという歌である。彼女は直ぐにOKしたらしい。そのピクニックの途中に小野小町が詠んだ歌を紹介しよう。

  世の中は 飛鳥川にも ならばなれ

  君と我とが 仲し絶えずば

 小野小町が固く純潔を守り、一生、男を撥ね付け通したという伝説があるが、私は決して小町を、そんな風には思わない。それは、こんな歌があるからだ。

  心から 浮きたる舟に乗りそめて

  ひとひも波に 濡れぬ日ぞなき

  以上の歌は親しかった男が心変わりした時に、小町が詠んだ歌であり、いってみれば、あなたに捨てられたので、私は毎日、他の男と濡れまわしていますよという意味なのだ。この時代に男に捨てられた女の気持ちが良く分かるような気がする。

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  初回からエッチなことを書いてしまったが、お許し願いたい。要するに作者としては、これから絶世の美女、小野小町をズタズタに解剖して、読者と共に、その美女を凌辱するのを楽しみにして行きたいのである。