倭国の正体『愛しき人よ』⑦

2021年5月15日
倭国の正体
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■第7章 辰国軍の襲来 

  建安二十三年(218年)十月、卑弥呼の予言は的中した。邪馬幸王の率いる倭人の島の西国、邪馬台国と大穴持王の率いる東国、瑞穂国との戦乱の状況は大陸へ伝播された。楽浪からの情報で、ことを知った辰王、烏弥幸は、この倭人の島の東西対決こそ、辰国の南方に邪馬台国の租界、任那を設置し、倭人を増やしている弟、邪馬幸を滅ぼす、絶好の機会と考えた。彼はまず任那に気づかれぬよう、扶安の港から二百隻の軍船で船出し、珍島から耽羅を経て壱岐の島に押し寄せた。島を守っていた首長をはじめ、漁民が多く殺された。辰王、烏弥幸は、十月十日、壱岐をねじろに奴国の港に総攻撃を開始しすることにした。翌朝、竜宮城の窓から外を眺めていた玉依姫が、寝床から起きようとしていた綿津見の所へけたたましい声を上げ、駆け込んで来た。

「お父上様。大変です。海に沢山の船が、船が・・・」

「何、沢山の船じゃと」

 その声に穂高見らが外を眺めると、朝もやの海上に突然、異国の船が姿を現した。穂高見は、早速、家来を連れて海岸へ駆けつけた。異国の船から、その穂高見たちに向かって、むちゃくちゃに矢が射られた。たちまち十人程が矢に射られ倒れた。敵は船から小舟を出し、千人程が上陸して来た。綿津見王は直ぐに奴国兵を出動させ、迎え討ったが、何しろ敵は次から次へと上陸して来るものであるから、どうにも防ぎようがなかった。そこへ知らせを聞いた卑弥国の多模が駈けつけ、上陸して来た敵兵に挑みかかり、たちまち数人の首を打ち落とした。

「父上、敵は辰国の軍隊です」

「何じゃと。これは一大事じゃ。直ぐに邪馬台国の邪馬幸様に知らせろ」

 びっくりした綿津見は穂高見に命令した。穂高見は即刻、邪馬台国に辰国軍襲来の伝令を送ると共に緊急の狼煙を上げ、同盟国に危険を知らせた。そして父、綿津見に玉依姫らを連れて、卑弥城に避難するよう伝えた。綿津見は敵と戦いたがったが、息子、穂高見の意見に従い、卑弥国に移動した。敵は末盧国、伊都国にも上陸して暴れ回った。それに対し倭人諸国兵は勇ましく敵と戦い、防戦した。その戦いは数日、続いた。そして三日目、敵はついに奴国の竜宮城を取り囲んだ。護衛兵に守られた総大将が城に向かって叫んだ。

「邪馬幸王よ、出て来い。お前の命まで奪おうとは思わぬ。話し合おうではないか。この奴国から阿蘇、高千穂に続く邪馬台国の地を我が辰国に割譲せよ。お前は既に倭人の島の長門国から巴利国までの中国を手中に治めたというではないか。何処にいる、邪馬幸。出て来い、邪馬幸王!」

 この緊急事態に奴国の竜宮城内の兵は慌てふためいた。そこへ邪馬台国王、邪馬幸がやって来た。邪馬幸は直ぐに竜宮高楼に登り、押雲将軍、穂高見大将らを横に並べて、返答した。

「遠路はるばる海を渡って、よくぞ参られた。ここは邪馬台国の水軍の城、海龍の棲む城とも呼ばれ、異国人の入国を審査する場となっている。その城に向かって邪馬台国の地を割譲せよとは、何たる不埒極まりない暴言。お前たちと話し合う余地など全く無い。とっとと船に乗り、自国に戻られよ」

「そうは行かぬ。ここまでやって来たのだ」

「分からぬ奴だな。ここは倭人の土地じゃ。邪馬台国倭人の国じゃ。異国に割譲する理由など何処にも有りはしない」

「言う事を聞かぬなら攻めるまでだ」

「攻めるなら攻めてみよ。こちらとて容赦はせぬ」

「言ったな。皆の者、攻撃せよ。攻撃開始じゃ!」」

 敵の総大将が部下に攻撃を命じた。檄が下され、敵の軍勢が竜宮城に向かって一斉に攻撃して来た。矢が射られ、鬨の声が上がり、剣や槍が煌めいた。それに対し、奴国兵をはじめとする邪馬台国兵が討って出た。更に阿蘇で育てた騎馬隊を送り込んだ。倭人の国に騎馬はいないと教えられていたのに、どういうことか。敵は死に物狂いで戦い続けたが、余りにも邪馬台国兵が多いので、一旦、船に引き上げた。そして翌日、再び押し寄せて来た。けれども邪馬台国兵は奮戦、また奮戦、勇敢に戦った。激しい戦いは何時になっても決着しなかった。その様子を見ようと、豊玉姫卑弥呼までもが邪馬台国から物見遊山にやって来た。

「女、子供の来る所では無い!」

 邪馬幸は、女たちを叱り飛ばした。戦いは何時、果てるとも分からない状態が続いていて、邪馬幸は苛立っていた。

         〇

 そした或る夜、辰国の烏弥幸は、夜陰にまぎれて上陸し、竜宮城内に密かに潜り込ませていた間諜に手引きさせ、烏弥幸自ら、弟、邪馬幸の寝所を襲った。人の気配に邪馬幸は跳び起きた。

「誰だ。お前は一体、何者だ。名を名乗れ」

「ふふふふ・・・・」

「名乗れぬ程、賎しい者か?」

「忘れたか、邪馬幸」

 覆面の賊は、そう言って答えた。

「その声は兄者!」

「父上、天津彦は三年前の冬、お前が大穴持王と戦っている時に死んだ。そして儂が辰王を継いだ。今回はお前を退治に来た。辰国は勿論のこと、任那国は儂が支配する。そして、この邪馬台国も」

「兄者。気が狂われたのか?」

「狂いはせぬ。父、辰王が身罷った今、王は一人で良いのだ。この世に太陽は二つ要らぬ」

 烏弥幸は大剣を邪馬幸に突き付けた。

「お止め下さい。我が邪馬台国には沢山の軍兵がおります。本格的戦さになれば、兄者の一隊など簡単に全滅させる力を持っています。倭人の国、邪馬台国は、今までの小国の集まりではありません。兄者とは今まで、あんなに辰国再興の為に仲良く力を合わせ、北敵、遼東と戦って来た兄弟ではありませんか。戦さは止めましょう」

「戦さを止める訳にはいかぬ。種々、思案の上、大軍を率いて渡海して来たのだ。儂は辰王として引き下がる訳には行かんのだ」

「話し合えば分かることです。良く説明すれば、引率して来た軍兵も戦さの中止を喜んでくれる筈です。血を流すことを喜ぶ人間は、何処にもいない筈です。何とか兄者の力をして、戦さを中止させて下さい」

 邪馬幸は額に汗して兄、烏弥幸を説得した。

「ならぬ。儂はお前が憎いのだ。父、天津彦はお前を後継と願い、かって、お前をこの奴国に逃亡させた。自らは公孫度との戦さに敗死しても、一族の系譜と祭祀を絶やさぬ為に、お前を渡海させた。即ち、お前を生かし、この烏弥幸に対しては、自分と共に死ねということだったのだ。しかし、父が身罷った今、総てが逆転した。辰王になった儂が生きて、お前が死ぬのだ。これが儂ら兄弟の宿命なのだ」

「兄者。私たち兄弟は何故、そんなに憎み合わねばならんのか。憎み合う理由など、何処にも無いではないか」

 必死になって説得しようとする邪馬幸を見て、烏弥幸は笑った。

「お前には無いだろうが、こちらには沢山ある。父、辰王の儂とお前との差別。赤女の遭難、楽浪への朝貢時の失敗、海外への逃亡、遼東との戦さへの扇動、任那租界の設置など、総ての事に於いて儂が愚か者になって来た。そして父、辰王が身罷った時、何が起こったと思う。お前に父、天津彦の逝去を知らせ、辰国に帰国してもらおうという重臣たちの声が上がった。百済をはじめとする、新羅伽耶、夫餘、濊貊、高句麗の連中は儂にこう言った。〈邪馬幸様を次の辰王に!〉と。儂は宣言した。〈儂が辰王だ。邪馬幸を倒し、辰王を継ぐ!〉と」

「愚かな。そんなことを宣言せずとも、兄者が辰王ではありませんか」

「ところが国民は、お前を殺さない限り、俺を辰王として認めてくれないのだ。残酷な話ではないか・・・」

 烏弥幸は涙をボロボロ流した。

「兄者!」

「許せ、邪馬幸!」

 その瞬間、烏弥幸の大剣が、邪馬幸の下腹から胸にかけて下からすくい上げるように走った。胸を斬られ噴き出した邪馬幸の血漿が烏弥幸にも降りかかった。

「兄者・・・」

 邪馬幸は兄の名を呼んで転倒した。烏弥幸は弟を斬り倒すや、その場から逃げ去った。一旦、城から出てしまえば船に戻れる。やるべきことはやった。悔いは無い。その賊が逃亡する音を聞いて、押雲たちが邪馬幸の部屋に駈けつけると。邪馬幸は血まみれになって床に俯伏していた。一同が顔色を変え、邪馬幸に駆け寄り声をかけた。押雲は駈けつけて来た豊玉姫卑弥呼に傷の手当てを頼み賊を追った。しかし賊の逃げ足は速く、賊の姿は何処にも見当たらなかった。押雲は部下に命じ、徹底的に賊が民家に潜んでいないか夜を徹して調べさせた。だが夜が白みかけても賊を発見することが出来なかった。

         〇

 巳の刻、伊都の平原で休息している軍隊がいるとの知らせが入った。押雲将軍は騎馬隊の先頭を走り、現場に急行した。父、押雲と急行した種子は敵を発見するなり、部下に向かって叫んだ。

「おうっ、敵の一隊だ。かかれっ!」

 そう合図するのを見て、休息していた軍隊の中から、一人の若い兵が駆けて来た。彼は攻撃しようとしている押雲軍の前に平伏した。

「待って下さい!」

「何奴?何故に止める?」

 種子が問うと、その凛々しい若い兵は、こう答えた。

「私は辰国の将軍、于老である。我らはお前たちの敵では無い。我らはお前たちの主人、辰王、烏弥幸様の親衛隊である。辰王様の弟君、邪馬幸様に会いに来た」

「何?辰国、烏弥幸様の親衛隊であると?」

「左様。我らは辰王、烏弥幸様の親衛隊である」

 于老は若者ながら堂々としていた。邪馬台国の大将を務める種子は、この若者に負けじと、疑問を投げかけた。

「それはおかしい。烏弥幸様が何故、この邪馬台国に、予告無しに来る必要が生じたのか伺いたい。わざわざ渡海して来るには何か理由があってのことであろう。理由をお教えいただきたい」

 すると于老は落ち着き払って答えた。

「辰王に即位された烏弥幸様は倭人国の大乱を知って、弟君、邪馬幸様の治める邪馬台国の救援に駈けつけた。昨日、伊都の港に船で着いたばかりなので、この地に陣営を敷き、今、邪馬台国の邪馬幸様のもとへ使者を送ったばかりじゃ」

「それは真実か?」

 于老の言葉が落ち着いていたので、種子は、その言葉を信じようとした。しかし押雲は信じなかった。数百隻もの軍船が海上にいるのに、そこを潜り抜け、辰国からの烏弥幸の船だけが着岸出来る筈が無かった。また押雲は、邪馬幸から秘かに、自分を襲ったのは烏弥幸であると教えてもらっていたので、種子を制した。

「騙されぬな種子。邪馬幸様を襲ったのは、こ奴らだ。邪馬幸様は意識を回復され、兄者に襲われたと仰せられた。こ奴らは邪馬台国を占領しようとやって来た辰国の悪人たちだ。こ奴らを一人残らず誅伐せよ」

「何を言うか。我らは倭人国の大乱を鎮圧する為に、わざわざ渡海してやって来ているのだぞ。それなのに、お前たちは我らの恩を仇で返そうというのか?」

「嘘を言っても無駄じゃ。お前らの間諜、金保臨が自白した。今朝、潜んでいた彼を捕え、その首を刎ねた。お前らも首を刎ねられたくなかったら、潔く武器を捨て、縛につけ!」

「武器を捨てる訳には行かぬ。武器を捨てるのは、お前たちの方だ!」

金保臨のように死にたいというのか?」

 押雲は、強気の于老に激怒し、腰の大剣の鞘を左手で抑え、右手で大剣を引き抜こうとした。その時である。その押雲に声がかかった。

「押雲よ。相変わらずの武者ぶりだな」

 突然の聞き覚えのある声に、押雲は抜こうとしていた大剣を元に戻した。

「貴男は烏弥幸様。お久しゆう御座います」

 押雲にとって、烏弥幸に会うのは十三年ぶりであった。成長した烏弥幸は、あの卑屈っぽく険を帯びた態度が無くなり、統率者らしい風格を湛えていた。

「押雲よ。お前の言う通りだ。儂が邪馬幸を襲った。邪馬幸の命はもう終わりじゃ。大人しく儂の配下になるが良い。何の咎めも無く、辰国の臣智にしてやるぞ」

 邪馬幸は自ら弟を襲った秘密を白状した。その肉親を殺害しようとしたことを公言する烏弥幸の態度は、押雲にとって断じて容認出来るものでは無かった。押雲の胸は怒りで高鳴った。

「そんな汚れた位階など、押雲は欲しいなどと思いません。今、押雲が頂戴したいのは、烏弥幸様、貴男のお命です」

「何じゃと。それが、お前の主人である辰王、烏弥幸に向かって言う言葉か!」

 押雲の言葉に烏弥幸は激高した。押雲も激昂した。

「私は邪馬台国の将軍、押雲です。辰国の将軍ではありません。私の主君は邪馬幸様です。その邪馬幸様の御命を奪おうとした貴男は、主君の仇。押雲、その御命、只今、頂戴致します」

 押雲が大剣に手をかけた。それを見て烏弥幸が叫んだ。

「小癪な。返り討ちにしてくれるわ。于老、こ奴らを殺せ!」

 烏弥幸の命令を受けて于老が押雲に襲い掛かった。

「くたばれ、押雲!」

 押雲は斬りかかって来た于老の剣を、ひょいと躱した。父の危険を目前にした種子が咄嗟に長槍を于老に突き出した。

「そうはさせぬ。この槍を受けてみよ」

「ちょこざいな」

 于老と種子の一騎打ちとなった。押雲は于老を種子に任せ、烏弥幸を追撃した。烏弥幸は逃げ回りながら親衛隊の一人に指示した。

「虎丘。後ろから押雲をやれ!」

 すると虎丘が背後から雄叫びをあげて押雲に跳び掛かった。

「ウワーッ!死ねっ」

 虎丘が腕を上げて振り下ろした大剣が押雲の肩に食い込んだ。押雲がのけぞるように倒れた。

「何の、これしき」

 そう言って烏弥幸を睨む押雲に、烏弥幸が尚も一撃、浴びせようとした。とその時である。二人の間に閃光が走った。押雲は瞑目し、大剣を横に薙ぎ払った。

「うわっ!」

 余りもの強烈な光に烏弥幸がよろめいた。

「どうなされました、辰王様?」

 于老が辰王、烏弥幸に駆け寄った。

「眼が、眼が・・・」

「しっかりして下さい。虎丘、毛準。辰王様をお救い致せ!」

 于老は部下に烏弥幸の救出を命じると、倒れている押雲に襲いかかろうとした。ところが烏弥幸が于老に助けを求めた。

「于老、于老。まぶしい。まぶしい。あの光を何とかせよ!」

 烏弥幸が向かって来る光源を指差して叫んだ。その光源を見ると八咫の鏡を持った背の高い女と少女が、岩山の上に立っていた。少女は、驚いて見上げる辰国軍に呼びかけた。

「辰王とそれに従う者、我らに逆らうで無い。その負傷した姿で我ら邪馬台国軍に勝てると思うか。この神の光輝に逆らって生きて帰った者はいない。大人しく退散するが良い」

「お、お前は誰じゃ?」

 烏弥幸の問いに少女は答えた。

「我は邪馬台国の守護神、卑弥呼である」

 烏弥幸はおぼつかない声で少女の名を口にした。

卑弥呼?」

 そう口にして烏弥幸は少女の光輝の威力に恐怖して後ずさりした。たじろぐ烏弥幸に押雲が言った。

卑弥呼様は魏王、曹操様も崇拝する東海の女神であり、邪馬台国最高神である。邪馬幸様を襲っただけで、我ら邪馬台国に勝利したと思うのは間違いである。これ以上、女神の怒りに触れぬ前に、即刻、ここから退去せよ。さもないと全滅するぞ」

 卑弥呼と押雲の言葉に辰国兵は弱気になった。このままでは祖国に戻れぬかも知れぬ。虎丘が烏弥幸に進言した。

「辰王様。この負傷で邪馬台国の女神に敵対することは不可能です。ここは私が防戦します。于老様とお逃げ下さい」

 于老も虎丘と同じ考えだった。

「辰王様。既に我が軍の兵士たちは退去し始めています。これ以上、ここにいることは危険です。ここは虎丘に任せ、退散するのが賢明です」

 烏弥幸は無念さに唇を噛んだ。ここまで来て、はらわたが煮えくりかえる思いだった。

「邪馬幸を斬ったのに邪馬台国を手中に出来ず、退去するのは残念でならない。恐ろしい光を受け、負傷しなければ、まだ戦うのだが・・・・」

「辰王様。再度、攻めて来れば良いのです。先ずはこの場から逃げ去ることです。私の馬にお乗り下さい」

「仕方あるまい」

 于老は自分の馬に負傷した烏弥幸を乗せ、鞭を打った。于老の愛馬は一途、辰国の船団の停泊する野北の浜に向かった。種子は虎丘と戦いながら叫んだ。

「追えっ!逃げる敵を生きて返すな!」

 辰国兵は命からがら逃げ返る烏弥幸と于老を見て、今まで倭人兵と必死に対峙し戦っていたのに、我も我もと先を争って、船に逃げ返った。それを見送り、押雲は種子に命じ、麗英皇后と卑弥呼を竜宮城に急行させた。

         〇

 博多湾と野北の浜から辰国軍の船が沖のはるかに消え去ったのを確認すると、押雲将軍は傷を抑えながら竜宮城に戻った。邪馬幸王の部屋に入ると、どの顔も暗かった。邪馬幸王の傷は深く、麗英皇后を始め、豊玉姫、陳栄らが手当てをしたが、その命は最早、幾許も無い状態であった。押雲はうつろな邪馬幸王を見て呼びかけた。

「邪馬幸様。しっかりして下さい」

 邪馬幸は押雲の声を聞いて、薄目を開け、微笑した。

「おう、押雲、来てくれたか。世話になったな。私の命はもう終わりじゃ」

「何を仰せられます。邪馬台国王の貴男様がいなくなったら我々天孫はもとより、倭人たちも困ります」

 押雲には、こんなに弱気になった邪馬幸の姿を見るのは初めてだった。その姿を見て思わず涙が、どっと溢れ出た。押雲の涙を見て、邪馬幸も涙を浮かべた。

「押雲。私はもっと生きたい。だが天命に逆らうことは出来ぬ。後は皇后とお前と綿津見殿に任せる。後のことをよろしく頼む」

「後の事は御心配なさらず、まずはお休み下さい」

 押雲は涙を拭き拭き、麗英皇后に席を譲った。麗英皇后は卑弥呼を枕辺に寄せて、夫、邪馬幸王に声をかけた。

「邪馬幸様。卑弥呼ですよ」

「おおっ、卑弥呼か。母君と来られたのか」

「はいっ」

卑弥呼。お前の言った通りだったな。本当に海の向こうから兵隊がやって来た。お前の言う事を信じなかった父が愚かであった」

「お父様、心配なさらないで下さい。敵は既に海の向こうに退散しました。二度と再び、攻めては来ないでしょう」

「烏弥幸が退散したと?」

 邪馬幸には卑弥呼の言葉が信じられなかった。自分を斬った烏弥幸が退散する筈が無い。不思議がる邪馬幸に麗英皇后が答えた。

「そうです。卑弥呼が貴男に代わって、敵の軍隊を退散させたのです」

「どうして卑弥呼が?」

「お父様。卑弥呼はお母様の八咫の鏡を、お借りして、敵の指揮を執っていた烏弥幸に太陽の光を照射しました。余りものまぶしさに烏弥幸がよろけ、そこを一気に押雲が攻撃したのです。烏弥幸は目と足に負傷して、指揮することが出来なくなりました。指揮者を失った敵は戦意を失い、命からがら、海岸の方へ逃げて行きました。負傷しながらも烏弥幸は何とか船に乗って逃亡したようです。安心して下さい。お父様」

卑弥呼、良くやった。流石、私の娘じゃ。しかし、お前は女だ。女であることを忘れてはならぬぞ」

 すると卑弥呼は可笑しなことを言った。

「お父様。卑弥呼は女ではありません。姿、形は女であっても、心は男なのです。お父様とお母様が建国した邪馬台国を強国にし、何時の日にか、お母様の故国、魏と連合し、瑞穂国を従属させてみせます。それが卑弥呼の夢です」

「魏と連合するだと。ならぬ。それはならぬ」

 邪馬幸は、そう言って身体を起こそうとした。邪馬幸は魏と邪馬台国が連合することに反対だった。

「お父様。魏は立派な国です。魏の文物を学んで、邪馬台国は、もっともっと成長すべきです。お父様の気持ちは分かります。倭人の国の統一は倭人で行うべきだと。しかし、統一を急ぐには魏と手を組むのが得策だと卑弥呼は思います」

卑弥呼うっ」

「貴男、大丈夫ですか?」

「お父様」

「邪馬幸様。綿津見です。しっかりして下さい。敵は退散したのです」

「貴男っ!」

 麗英皇后の叫び声を聞いて豊玉姫が駆け込んで来た。

「邪馬幸様。台与と葺不合を連れて参りました。しっかりして下さい」

 豊玉姫の声を聞いて、重態の邪馬幸王が幼い葺不合に手を差し伸べた。

「良く来てくれた。豊玉。葺不合。台与」

「お父様、苦しいのですか」

 子供たちの声を耳にし、邪馬幸王は言った。

「葺不合よ。そなたに命じる。それは父が出来なかった夢。倭人の国統一を卑弥呼と共に実現せよという事だ。そなたは瑞穂の国の大穴持王を服従させ、東海の王となり、卑弥呼を西海の女王として、倭人を一致団結させよ。さすれば、今回の様な異国からの侵攻があっても、何の恐れも無く、万民が平和に暮らせる大帝国を築くことが出来る。頼んだぞ、葺不合。これがそなたに残す最後の言葉じゃ」

「はい」

 葺不合はあどけない子供であるのに頷いた。それを見て豊玉姫が涙ぐんだ。卑弥呼は再び父に近寄り、こう答えた。

「お父様。卑弥呼は葺不合と一緒に只今、大帝国構築の御命令をお受け致しました。安らかにお休み下さい。卑弥呼は弟、葺不合と共に邪馬台国を立派な国にしてみせます。お父様とお母様と綿津見のお祖父様が建国された邪馬台国を永遠不滅の超大国にしてみせます」

 それに対し、父、邪馬幸王からの返しの言葉は無かった。

「お父様・・・」

「あなたっ!」

 邪馬幸王は瞑目したまま、二度と言葉を発することは無かった。永遠の眠りに就いたのだ。その姿を見て、誰もが泣いた。悲しみが一気に溢れ出て、台与と葺不合の姉弟はしゃくり上げるようにして泣いたが、年長の姉、卑弥呼は泣かなかった。天孫の血を引き継ぎ、邪馬台国を建国した邪馬幸王莫流が世を去ったのは、建安二十三年(218年)十月二十二日のことであった。三十八歳を一期としての短い生涯であった。

         〇

 愛しき人よ。私は『幻想邪馬台国』を書き終えた今、私の幻想が、幻想で無く、事実実在のことであったと思えてならない。私は大学生活中であるのに、この作品を完成させる為に、沢山の時間を費やしてしまった。しかし後悔はしていない。むしろ、この作品に出合えたことに極上の喜びを感じている。私は、これからも日本の古代史の研究をして行こうと思う。これからも応援してくれ。私の愛しき人よ 

                    《完》