貞観十年(八六八年)十月末、小野小町は出羽の国から帰京し、雉丸を連れて再び母のいる山城の国山科郡小野の里に戻った。小町の帰京を知った都の人々は、宮廷生活が忘れられずに小町が戻って来たのであろうと噂し合った。当然ながら清和天皇を始め、多くの男たちが、絶世の美女、小町の帰京を喜んだ。小町をめぐる艶書恋歌のたぐいは、さながら雨の降る如くであった。小町は無事、帰京した御礼をしようと業平に会いたいと願ったが、業平は、そんな小町を相手にしようとしなかった。男という男が皆、小町を口説き、皆、振られた。世の男たちは時代きっての色好み、在原業平の登場を期待したが、業平は依然として、小町を口説こうとしなかった。そんなであるから、小町の方がじれったくなり、つれない業平に、こんな歌を詠んで送った。
かたみこそ 今はあだなれ これなくば
忘るる時も あらましものを
それは、あの陸奥の国の桔梗の名所、沖の井都島にて別れた時、在原業平が、また会う日までの形見だと言って渡した鏡を見て、小町が詠んだ歌であった。だが業平は、そんな小町を全く相手にしなかった。このことは、綺麗な女さえ見れば直ぐに肉体関係を結びたくなる業平には考えられないことであったが、実際、何があったのか、業平は小町を遠ざけた。陸奥から帰って来た業平は、清和天皇の女御、高子から小町が片輪者にされて陸奥に行ったのだという話を、秘かに聞かされていたし、自分でも出羽に行く前に、小町からそれらしき事を打ち明けられていたから、からかいはしたものの本気ではなかった。業平にとって、伴中庸を恋死にさせた残酷な小町のような女より、清和天皇の女御、高子のような情熱的で一途な女の方が、ずっと魅力的に思えた。
〇
業平に相手にされぬ小町は、ふと出羽の国でまとめ上げた仮名文『竹取物語』を原作者、源融に届けなければならないと気付いた。思い立ったら、これ吉日。小町は早速、雉丸を連れて、六条の中納言、源融の屋敷を訪ねた。源融は小町の来訪を知り上機嫌で小町のいる部屋に現れた。小町はご無沙汰していたことの詫びを申し上げ、出羽の桐木田館で仮名文に清書した『竹取物語』の草紙を融に渡した。それを受け取った融は、うきうきして、その草紙に目をやった。
「これは読みやすい。まさに男女が手軽に読める草紙じゃ」
「左様で御座いましようか?」
「良くやったぞ、小町。この草紙の完成により、仮名文が更に普及するであろう」
中納言、源融は目をきらきらさせて喜んだ。そして屋敷に来ていた文屋康秀を呼び、小町が『竹取物語』を仮名本にしてくれたことを伝えた。文屋康秀と小町は母方の従兄の関係であり、昨年の『御歌合せ』でも同席しているので、昵懇の間柄ではありはしたが、この出会いにびっくりした。康秀は仮名本『竹取物語』の完成を融同様、ほめ称えた。
「あの長い漢文を仮名文に翻訳するとは、それは、それは、素晴らしいことです。中納言様が読み終えましたら、私もゆっくりと読まさせていただきます」
「有難う御座います」
「ところで、出羽は如何であったか?」
「小野や文屋の皆様に大切にしていただきました。でも今頃は深い雪でしょう」
小町は厳寒の雪世界を想像して答えた。すると陸奥に行ったことのある源融が自慢して、康秀に言った。
「康秀。陸奥はその名の通り、奥深く、良い所だぞ。今、造成しているこの庭も、陸奥の国の塩釜の風景を模して造らせているのじゃ。お前は地方を嫌っているようじゃが、地方も馬鹿にしたものでは無いぞ」
「三河の国もそうでしょうか」
「三河の国?」
小町は首を傾げた。何なの。三河は、あの在原業平の有名な燕子花の歌の地である。美しい地であることは、歌人なら分かっている筈。なのに何故。
「康秀は来春、三河の大目として三河に行くことになっているのじゃ」
源融が笑って説明した。康秀は聞くべき事では無かったと顔を赤らめた。小町は納得し、三河の話をしてやった。
〇
小町が、つれない業平からの手紙を手にしたのは、晩秋のうら寂しい日であった。手紙の内容は、陸奥からの帰りに業平が遭遇した思わぬ出来事についての報告であった。
〈小町様。私が貴女にお手紙するのは、恋心からでは御座いません。貴女と沖の井都島にて、お別れしてから、思わぬ人にお会いしたからです。貴女とお別れして、岩城の八馬という所に着いた時のことです。夕日は既に西山に傾き、肌寒い秋風がひょうひょうと一面の薄の穂を揺すって野面を流れていました。私たちは風の泣くような音に薄気味悪くなり、何処か泊る所は無いかと、人家を捜しました。しかし人家は見当たりません。そうこうしているうちに、日がとっぷりと暮れて、私だけ家来とはぐれ、道に迷ってしまいました。どのくらい歩いたのでしょうか。足がくたくたになり、動けなくなりそうになった時、私は暗い森の中に、ちらっと人家の灯りを発見しました。喜んで人家に辿り着くと、それはそれは、今にも屋根ごと崩れ落ちそうなあばら家で、一人の老婆が住んでいました。庭先で声をかけて中に入りますと、百歳にも近い老婆が、私を囲炉裏端に座らせてくれました。御存じの通り、陸奥の夜の寒さは耐えられるものではありません。私が寒さにがたがた震えていると、老婆は冷え冷えとした夜を過ごす為に、何処からか板を三、四枚持って来て、それを斧で打ち壊しては、囲炉裏にくべてくれました。私は、その板が墓地の卒塔婆であると気付き、びっくりしました。そして恐る恐る、尊い御仏を刻んである卒塔婆を何故、燃やすのかと訊きました。すると老婆は、私にこう答えました。
「諸仏はもともと一切衆生を済度して、抜苦与楽をもって本願とする。この卒塔婆を薪として一夜の苦寒をしのぐことは、決して御仏の心に背くことではありません」
私はその法論を聞き、この老婆は名のある比丘尼に相違ないと思い、老婆に、その名を訊ねました。
「私は平城天皇の孫、阿保親王の子、在原業平と申します。御仏の教えにお詳しい貴女様は一体、どなた様でしょうか?」
すると老婆は蒼白い顔に微笑みを浮かべ、こう答えました。
「良くぞ、お聞き下された。私は征夷大将軍、従二位大納言、坂上田村麻呂の娘、玉造小町に御座います」
私は驚きました。彼女こそは、あの藤原大滝のもとから消息を絶って、行方不明となっていた玉造小町の成れの果てだったのです。私は伝え聞いていた、あの有名な玉造小町の昔を想像しながら、今、自分の前にいる見る影もない白髪の老婆の姿に、唖然としました。と、突然、薄の生い茂る野末から、一陣の風が吹いて来たかと思うと、老婆が急に、あばら家と一緒に強風に乗って、暗い夜空に舞い上がりながら、こんな言葉を口走りました。
秋風の 吹くにつけても あなめあなめ
老婆は悲しい声を上げて、風と共に消え去って行きました。私は恐ろしさの余り、腰を抜かし、そこにすくんでしまいました。気を取り直して周囲を良く見ますと、もう、そこにあったあばら家も消え失せてしまって。辺りは何時の間にか夜明けになっていました。そして私の座る傍らに、灰白色の髑髏が一つ、転がっているのを見つけました。私は荒涼とした見渡す限りの薄の原の中で、一つの髑髏を相手にして、一晩中、過ごしていたのです。薄の原に転がった髑髏の空しく見開いた二つの眼孔に、薄の穂が左右一本づつ、真直ぐにに突き抜けて揺れているのを見て、私は、その髑髏を可哀想に思いました。そして、その髑髏の目の穴から薄を取り除き、彼女の悲しい歌の後に、下の句を詠んで上げました。
小町とはならず すすき生ひけり
それから、私の家来がやって来たので、彼らと一緒にその髑髏を丁寧に葬ってやりました。果たして私が目にしたあの髑髏が、玉造小町の流離荒廃の果ての姿かは定かではありませんが、私は貴女とお別れして、兎に角、玉造小町に出会ったのです。この玉造小町との出会いは、私にものの哀れを教えてくれました。多くの人たちに物語られて来た玉造小町が、美しければ美しい程、私が見た零落した玉造小町の姿は、とても哀れでなりませんでした。凋落の美。それは恋よりもずっと幽玄はるかなるものですが、途方もなく残酷なものです。私が貴女にお手紙したのは、現在の貴女が、あの玉造小町の美しい時と余りにも境遇が似ていて、心配でならないからです。その美貌を武器に濃密な恋を求めたりすることは、貴女にとって鮮烈で快感でしょうが、その後に待っている男に翻弄され転落して行く陰惨な貴女の姿を私は見たくありません。またとない機会です。私は貴女が仏門に入ることを、お勧めします。貴女の今後のことを思ってのことです。悪く思わないで下さい。 業平 〉
小町は以上の業平からの手紙を読んで、涙を流した。都での生活を忘れられずに、都に戻って来た自分は、宮廷生活に憧れて、奔放に生きてはならないのか。もう一度、激しい恋をしてはいけないのか。父を失い、中庸を失った自分は、業平が言うように、仏門に入ってしまうことが、一等、良いのだろうか。小町は何が最良の生き方なのか苦悶した。
〇
そんな小町も都に戻って、姉、寵子と母の看病をしながら、日々が過ぎて行くと、落ち着きを取り戻し、周囲の事が観察出来るようになった。小町は自分の恋もさることながら、夫を持たぬ姉、寵子のことを心配していた。小町の姉、寵子は以前、藤原有陰と情を通じていたのであるが、在原業平との浮気が有陰に発覚してしまい、二人の関係は余り旨くいっていないようであった。寵子は有陰の薄情になったのを、こんな風に歌ったりした。
独り寝の 時はまたるる 鳥の音も
まれに逢ふ夜は わびしかりけり
吾宿の ひとむらすすき 刈りからむ
君が手馴れの 駒も来ぬかな
そこには偕老の契り深かったかっての二人の燃え盛るような情熱は全く見られなかった。小町は姉を可哀想に思った。しかし姉の寵子は少しも寂しい素振りなど見せなかった。彼女は在原業平などから時折、恋文などを受け取っているようであったが、妹、小町のことを気にして、業平を避け、もっぱら藤原南雄という男に夢中の様子であった。業平には、そんな寵子の態度が信じられなかった。業平は寵子に相手にされず、もう自分は高齢になり、魅力を失ったのだろうかと思った。そして多くの女たちが盛りを過ぎた花びらのように、自分の前からはらはらと消え去って行くのを歌に詠んだ。
咲き匂ふ 花も散りけり 秋の苑
悲しきものは 蝶ののゆくへか
しかし十二月になると、業平の寂しさは吹き飛んだ。清和天皇の女御、高子が可愛い赤子を産んだからであった。このことを清和天皇はじめ、藤原良房、藤原基経、藤原明子、藤原国恒、藤原長良など、藤原一門の者たちが、大喜びした。業平には、それが滑稽だった。高子の産んだ赤子は自分の子供だ。そう思うと業平は、世界をひっくり返したような快感を覚えた。自分と高子以外、誰も知らない一大事。それは人に気づかれぬ事なればこそ、承和の政変、応天門事件などよりもより重大な一大事であった。なのに誰も真実を知らない。高子が妊娠している間、業平は東国や出羽の旅に出ていたのであるから、高子が産んだ赤子が、業平の子供だなどと疑念を持つ者は一人もいなかった。業平は藤原権勢への報復を果たした喜びに心臓が破裂する思いだった。五体が吹き飛ぶ感じだった。業平は一面の雪の中を、跳び回って喜んだ。そんなこととは知らず、宮中では親王御誕生を祝う宴が催され、それはそれは賑やかなものであった。数日後、その生まれたばかりの親王は、貞明親王と命名された。貞明親王。彼は事実、在原業平と清和天皇の女御、高子の子供であった。
秋風の 吹くにつけても あなめあなめ 小町とはならず すすき生ひけり