波濤を越えて「応神天皇の巻」③

2022年1月9日
その他

■高句麗との拮抗

 応神十二年(407年)二月、任那の五百城大王が薨御した。応神天皇は、その知らせを、仲津姫から聞いた。応神天皇が武内宿禰らと、最近、異国から様々な技術を身に着けた工匠などが倭国に帰化し、その縁者の渡来が増えた為、王族や倭人や帰化人が入り混り、先祖累代の系譜が乱れはじめていたので、『姓氏録』などを作成し、その素性を明確にしようと話し合っている最中だった。羽田矢代が仲津姫のやって来たことを伝えた。

「陛下。仲津姫様が、お見えになりました」

「おう、仲津姫。どうかしたか。菟道若はどうした?」

 応神天皇は、何時も、昨年、生まれた菟道若皇子を手放さないでいる仲津姫が、菟道若皇子を抱いていない姿を見て、何事かと訊ねた。仲津姫は、真剣な面持ちで言った。

「菟道若は乳母に預けて参りました。実は、先程、任那からの使者が私のところに参りまして、祖父、五百城大王様が、お亡くなりになられたとの報告です。出来得れば、任那での大喪の儀式に私に参列して欲しいとの父、誉田真若王からの書信です。どうしたらよろしいでしょうか?」

 それを聞いて、会議していた一同が驚いた。

「何。任那の五百城大王が亡くなられたと。それは大変じゃ。相談するまでも無い。朕とそなたと二人して任那に行き、大喪の儀式に参列しよう」

 応神天皇の決断は早かった。武内宿禰を始めとして、中臣烏賊津ら、五百城大王を知る者は五百城大王の逝去を惜しんだ。五百城大王の訃報に接した応神天皇は直ちに渡海の準備をさせ、仲津姫と揃って任那に訪問することを決めた。そして自らの目で、任那を見聞することにした。武内宿禰は応神天皇が自ら渡海することに危惧したが、かって応神天皇の母、神功皇太后の渡海を許可した自分であるので、反対する理由が無かった。武内宿禰は応神天皇と仲津姫の渡海の為に、小部隊を編成させ、贈り物などを準備し、二人を任那へと送り出すことにした。

          〇

 応神天皇と仲津姫の一行は、難波津から出航し、筑紫で、安曇軍団と合流し、伽耶津、一支、対馬を経て、沙都島脇を通り、任那の主浦に到着した。応神天皇が初めて見る異国、任那は、木蓮の白い花や連翹の黄色い花が咲いて、赤土が目立つ異質の地だった。仲津姫は幼い菟道若皇子を乳母と一緒に抱きあやしながら、任那の景色を懐かしんだ。一行は主浦で一泊すると、翌日、金官城に訪問した。応神天皇と娘、仲津姫と孫の菟道若皇子の来訪に、誉田真若王は両手を広げて喜んだ。真若王の妃、貴芳姫や任那の重臣たちは倭人には珍しく、背がすらりと高く、顔立ちも良く、凛とした応神天皇に拝眉して、その輝くばかりの神々しさに圧倒された。

「五百城大王様の御薨御の報に接し、仲津姫と息子、菟道若皇子と共に、お悔やみにやって参りました。この度は誠に御愁傷さまです。心より、お悔やみ申し上げます」

「船に乗って遠路、遥々、仲津姫と若君を連れての倭国王、応神天皇様のお越し、亡き父王も喜んでおられるに違いありません。初めての任那、ゆっくりしていって下さい」

「有難う御座います」

 二人とも、顔見知りだったので、直ぐに溶け合い、最近の国際情勢などを交換し合った。仲津姫も、母、貴芳姫たちとの久しぶりの再会に、いろんな事を語り合った。そして、五日後、五百城大王の大葬の礼が行われた。その儀式には、百済の直支王、新羅の舒弗邯を務める未斯品も参列し、盛大だった。儀式の終わりになると、五百城大王の柩は既に造られている皇后、善奈姫と同じ陵墓の石室に運び込まれた。応神天皇は菟道若皇子を抱く仲津姫と共に、石室に続く陵墓の入り口の大きな石の扉が、埋葬師によって閉じられて行くのを見詰め、人の命の無限でない事を哀しく思った。仲津姫は目にいっぱい涙をためていた。応神天皇は倭国の景行天皇の皇子として生まれ、成人して、任那の国王に就任し、倭国に帰ること無く、任那の地で死んで行った五百城大王は、果たして仕合せだったのだろうかと思った。陵墓への納棺の儀が終了すると、応神天皇は、金官城の会議室を借用し、百済の直支王や新羅の未斯品と会談した。応神天皇は、二人に、亡き五百城大王が、何時も仲津姫に〈相争わないことが、互いの平和と繁栄をもたらすものだ〉と語っていたという話をした。かくして応神天皇の任那での訪問の主目的は終了した。応神天皇はこの際であるから、百済王都に訪問しませんかと直支王に要請されたが、こういう不幸の時なので、この次の機会に訪問したいと、お断りした。それから三日程して、応神天皇は仲津姫と共に、金官城を離れ、帰国の途についた。

          〇

 その頃、高句麗の広開土王は倭国の応神天皇が任那に来て、百済の直支王や新羅の未斯品と会って会談したことを聞き、倭国の更なる大陸進出を危惧した。広開土王は息子の高璉と大臣の再曽を呼んで、任那の五百城大王が亡くなり、任那が大人しくしている隙を狙って、再び半島の南下の提案をした。ところが大臣の再曽は、その半島南下策に、おいそれと賛成しようとしなかった。

「広開土王様。今や三韓は完全に倭国の支配下に置かれております。これ以上、彼らと戦い、南下することは、高句麗にとって、得策とは思われません」

「何を言うか。高句麗は三韓の上に立つものであり、その領土を南海まで広げるのが、余の使命と思っている。大臣でありながら、そんな自信の無いことでどうする」

 広開土王は、半島南下に反対する再曽を叱責するかのように言った。再曽は、それでも反対した。

「しかしながら、倭国の力は強大です。百済も新羅も任那も、倭国の駐留兵でいっぱいです」

「とはいえ、高句麗の力が強ければ、倭国の兵といえども、海の彼方に逃亡する。所詮、倭国の兵は、援軍でしかない。倭国の兵にとって、死しても三韓を守る理由は無い。危なくなれば後退する」

父、広開土王の発言を聞いて、まだ少年の面影を残している息子、高璉の瞳が輝いた。

「では、高句麗の攻撃方法によっては、高句麗が倭国に代わって、三韓の全部を手中にし、支配することが出来るというのですね」

「その通りじゃ」

 広開土王は、息子、高璉に向かって頷いた。それを見て、再曽が言った。

「でも、これ以上、無理を押しては、国民がついて参りません」

「そうかも知れません」

 大臣、再曽の言葉と高璉の同調が、再び広開土王を怒らせた。広開土王は反対され、その興奮を抑えきることが出来なかった。

「お前たちは、余の祖父、故国原王が、百済の近肖古に討たれたことを忘れたのか?」

「忘れは致しません。この仇は必ず取らねばなりません」

 高璉は唇を噛み締めた。広開土王は、息子を睨みつけた。

「その時が今なのじゃ」

 親子の会話にまた再曽が口をはさんだ。

「広開土王様のお考えは最もだと思います。しかし、今は燕との争いを無くすことが先決です。燕に使者を派遣し、和睦することが先決です」

 再曽はあくまでも戦争に反対だった。彼は戦争が平和をもたらすものとは思っていなかった。各国が互いを尊重し、人的交流を深め、信じ合い、話し合うことが、平和を招来するものであると考えていた。広開土王は、再曽に目を向けた。

「燕との争いを無くし、和睦する。ということは、余に燕の平洲牧として仕えよということか?」

「お辛いこととは思いますが、それが一番です。遼東城を奪われ、木底城攻められ、燕には歯が立ちません」

 再曽はどこまでも防衛的で弱気だった。それに較べ、広開土王は、攻撃的で強気だった。広開土王は、恐るべきことを、二人に提言した。

「燕王、慕容煕を殺す方法はないだろうか?」

 再曽は唖然とした。何と恐ろしいことを。

「そんなことが可能なら、もうとっくに慕容煕は死んでいたでしょう」

「何か良い方法がある筈じゃ」

 広開土王は、考え込んだ。しかし、良い方法は思い浮かばなかった。名案を思いついたのは、若い高璉だった。

「父上。私にお任せ下さい。私に名案があります」

「どのような名案か?」

「燕王、慕容煕の臣下に馮跋という者がおります。一度、彼と面談したことがあります。彼は漢族の流れであり、鮮卑族に仕えていることを、不服としております。彼は罪を犯したとして、高句麗に近い所に潜んでおります。彼を利用し、慕容煕を殺させるのが良いと思います」

「成程。しかし、どのような説得で、彼を動かすというのか?」

 父王の問いに高璉は答えた。

「彼を燕王にするという約束をするのです」

「馮跋を燕王にする?」

「はい。一気に馮跋を燕王にすることは、国を治める上では、まずいので、一時、慕容宝の養子、雲を燕王にすることを馮跋に納得させ、慕容煕を馮跋に殺させるのです」

「それは名案。そして、それから馮跋を燕王にするのか?」

 すると高璉は怪しく笑った。

「いいえ、慕容宝の養子、雲は父上も御存知の通り、我ら高句麗王家の血を引く者。彼に王位を継がせ、高句麗から援軍を送り、役目の終わった馮跋を反逆者として処刑するという案に御座います」

 その高璉の計略を聞いて、広開土王は、自分の息子ながら、高璉のことを恐ろしい男だと思った。広開土王は、頷いた。

「成程。さすれば燕の国民も、高句麗の応援を不思議には思わぬということだな」

「その通りです。それから燕国を高句麗に併呑するかどうかは、父上の考え一つに御座います」

「お前はなら、どうする?」

 広開土王は、高璉に尋ねた。

「勿論、高句麗に併呑してしまいます」

 広開土王は、呆れ果てた。

「余の息子ながら、恐ろしい男じゃ。燕国が余の支配下に治められれば、向かうところ敵無しじゃ」

「矢張り広開土王様と高璉様は親子。意見が一致しております。この親子の絆をもって事に当たれば、計画は必ず成功致します」

 側で親子の会話を聞いていた再曽が、二人の決意に賛同した。広開土王は満足だった。広開土王は再曽に笑いを投げた。

「再曽も、やっと賛成してくれたか。では高璉、早速、燕に赴き、馮跋と密会し、燕王にすると約束せよ。もし、馮跋が断ったなら、その場で馮跋を殺せ」

「分かりました。雲には、あらかじめ知らせるべきでしょうか?」

 広開土王の顔が曇った。成長したとはいえ、まだ高璉は甘かった。広開土王は高璉を叱責した。

「愚か者。雲に計画を知らせる必要は無い。陰謀というものは、それを知る者が、少なければ少ない程、成功する確率が高いのじゃ。一人でも多くが知るということは、その分、秘密が漏洩するということじゃ」

 広開土王の言葉に再曽も同感だった。

「広開土王様の申される通りです。この秘密は、私達、三人だけのものと致しましょう。馮跋は必ず、高璉様の思うがままに動く筈です」

 叱られたり励まされたりして高璉の胸は高鳴った。

「これは面白くなりそうだぞ。燕王、慕容煕がいなくなれば、気になるのは北魏、道武帝だけじゃ。新羅と百済は、こちらが攻撃せぬ限り、大人しい羊じゃ。何時でも攻め込むことが出来よう」

「百済や新羅を軽く見てはなりません。百済、新羅の後ろには任那が控えております。そして、その背後には、倭国王、伊狭沙大王、讃が、じっと世界を見据えております。高句麗が一等、注意せねばならんのは、伊狭沙大王の動きです」

「再曽の言う通りである。高璉よ。倭国王、讃のことを忘れるでないぞ」

 広開土王は宿敵、倭国王、伊狭沙大王、讃、応神天皇のことを思った。

           〇

 四月、燕王、慕容煕の熱愛する皇后、符訓英が死亡した。慕容煕は気が狂わんばかりに慟哭した。宮廷内に混乱が生じた。慕容煕は自分が泣いているのに泣いていない者を見ると怒鳴り飛ばした。宮廷に仕える百官に皇后の位牌を立て、哀哭するよう強要した。群臣たちは、口に唐辛子を含んで、涙を零した。また街に密偵を放ち、泣いていない者がいると罰した。かと思うと、訓英皇后が眠る棺の中へ入り込み、訓英の死体と交合したりした。そして六月、訓英皇后の陵墓、徽平陵が完成すると、慕容煕は、訓英皇后の埋葬の為に大勢の臣下と兵を引き連れ龍城を出た。それを慕容煕から罪を受けて高句麗に亡命していた燕の武将、馮跋と馮素弗兄弟が、従兄の馮万泥や高句麗の高璉の兵と共に襲撃した。更に燕国内で反乱を企てていた連中が加わり、慕容雲を君主に推して、王城を占拠した。慕容煕は部下を引き連れ慌てて龍城に戻ったが、そこには禁衛兵が逃げ去っておらず、敵兵が守備を固めていた。将軍、慕容跋が怒って、龍城を攻撃したが、慕容煕が逃げるのを見て、慕容跋の部下も動揺し逃げ去った。将軍、慕容跋は、高句麗の計画通り、馮跋に殺された。燕王、慕容煕は庶民に変装し、林の中に隠れて様子を窺った。ところが直ぐに見つけられ、龍城に届けられた。そして今までの国家に対する悪業を並べ立てられ、諸子と共に殺された。在位六年。その屍は慕容煕が熱愛した、訓英皇后と同じ墓に葬られた。若さ故の暴君ぶりが、彼の寿命を短くさせたのであった。二十三歳の慕容煕の死は、高句麗の王子、高璉にとっては、衝撃的であった。父、広開土王との計略によって、ことを進めたが、残酷な気がした。自分よりちょっと年上の慕容煕の死は余りにも早過ぎた。慕容煕が殺され、燕国の政権交代の知らせを聞いた広開土王は息子、高璉に言った。

「慕容煕は燕王という立場でありながら、若さ故に、女に溺れ、世界の動きも分からず、数年前、倭国と百済からの朝貢を受け、我が国への攻撃を依頼され、国民を犠牲にして来た。その結果が招いた不幸じゃ。国王たるもの、国の中心である。国民の事を一番に思い、最も国民から尊崇される王者らしくあらねばならぬ。慕容煕はそれを分かっていなかった」

 こうして高句麗、広開土王は、息子、高璉と重臣、再曽との陰謀を果たし、久しぶりに枕を高くして眠ることが出来るようになった。

          〇

 応神十四年(409年)七月、百済から弓月君がやって来た。弓月君は旧知の中臣烏賊津に案内され、接見室に入り、応神天皇に謁見した。

「応神天皇様。はじめてお目にかかります。私は百済の月支の首長、弓月に御座います。百済の直支王様の御指示により、海を渡り、倭国にやって参りました」

 鄭重に挨拶する弓月君を見て、応神天皇は喜びを隠さず、歓迎した。

「遠路の船旅、御苦労であった。この春、二月にも、百済王の命により、縫衣工女、真毛津が、朕のもとに参った。全くもって百済王に感謝するばかりである」

「直支王様は私達の一族が持っている総ての技能を、倭国に伝えるようにと、私達を派遣されました。私達は、倭国に移住させていただき、持てる技術の総てを、倭国に伝授したいと思っております。どうか我ら一族を、よろしくお願い申し上げます」

「話は烏賊津臣から聞いている。そちたちは、烏賊津臣と同族だというが、本当か?」

 応神天皇の問いに、弓月君は答えた。

「確かに私達は中臣烏賊津様と同じ流れを汲む者です。私達は秦の始皇帝の後裔として、月支国に長年、住んでおりましたが、百済王様の計らいにより、同族の中臣烏賊津様が活躍している倭国に移住することを許されました」

「嫌々、倭国に来たのではあるまいな?」

「いいえ。私達は希望して倭国に参ったのです」

 弓月君は何か疑っていそうな応神天皇の発言に戸惑った。武内宿禰もまた応神天皇同様、戸惑っている弓月君の顔色が優れないのを見て、不審を抱いた。

「それは真実であろうな?」

 武内宿禰の威嚇するような言葉に、弓月君は緊張して、自分たちが如何に海洋国である倭国の自然に魅力を感じ、平和な倭国の暮らしに憧憬して来たかを説明した。

「虚偽は申しません。私達一族は、遠い昔より、蓬莱国の不死山に憧れて参りました。私達の先祖、秦の始皇帝は、その昔、不老不死の仙薬を得んが為に、徐福という者を東海の蓬莱国に送ったと聞いております。ところが、その徐福、不死山に至り、不老不死の仙薬を手に入れたのに、その蓬莱国が素晴らしい国なので、帰国しなかったとのことです。そのことを恨み、秦の始皇帝は薨じられたと伝えられております。その徐福が帰国したくない程、素晴らしい国、蓬莱国に私達一族は、いつの日にか、辿り着きたいと、長い長い間、願って、参ったのです」

「何と秦の始皇帝からはじまる長き夢か?」

 応神天皇は弓月君たちの倭国への夢を抱いての来訪に感動した。

「秦国滅亡後、我ら扶蘇の子孫は、遼東に逃れ、子嬰、昭隆、安嬰と王位を引き継ぎながら、月支国に定住するようになったのです。そして、たまたま我らが先祖、天押雲将軍が、倭国を統治する為、渡海する辰国の邪馬幸王様のお側に従軍なされ、憧れの不死山に至ったと聞き、私達一族は、倭国こそが、蓬莱国であると知ったのです。それ故、応神天皇様が御統治なされている倭国は、私達の憧れの国です」

「そうであったか」

「その倭国から或る日、我ら一族出身の押雲将軍の後裔、中臣烏賊津様が、突然、月支国に現れたのです。私達は烏賊津様が押雲将軍の後裔と聞き、びっくり仰天しました。烏賊津様は五百城大王様と共に百済を救い、私達の窮状も救ってくれました。そして近い日に私達を倭国に迎えたいと仰有られました。そして今回、私達は百済の直支王様の命を受けて、やって参った次第です」

「それは実に両国にとって喜ばしいことである」

「しかしながら、私の率いて来た月支国の百二十軒の民は、途中、任那に入る寸前、加羅の地で、新羅の兵に捕まり、加羅の地に拘留されております。私達、数名、何とかして脱出し、渡海することが出来た訳ですが、是非とも残りの民を倭国へ迎えたいと思います。どうか応神天皇様のお力で、私達一族を御助け下さい」

 弓月君は涙ながらに、倭国へ渡海する前に起きた不幸を、応神天皇に訴えた。応神天皇と武内宿禰は、希望した我が国にやって来たというのに、弓月君の顔色が優れなかった理由を理解することが出来た。

「何と百二十軒もの民が加羅の地に留まっているというのか。任那は如何している?」

「任那の真若王様は病から回復したばかりで、新羅の動静を窺がっているところです。近く応神天皇様に、何らかの援助をお求めになって来られるものと思われます」

「義父、真若王様が病であったとは?何故、知らせて来なかったのであろう。景真王子は何をしているのか?」

 応神天皇は皇后、仲津姫の父、真若王が、病気であったことを知り、驚いた。武内宿禰は、一旦、安定化した半島の変化を知り、心配した。

「陛下。弓月君の報告が事実なら、それは大変なことです。任那のことが心配です。用心には用心を重ねた方が良かろうかと思います。早急に任那に使者を送り、現実を確かめましょう。使者は誰にしましょうか?」

「そのことは後にして、弓月君の来訪、心より歓迎する。倭国の習慣に慣れるまで大変だと思うが、何かあれば、中臣烏賊津に相談せよ」

「有難う御座います。今後ともよろしくお願い申し上げます」

 応神天皇との謁見が終わると、弓月君は、深く頭を下げ、中臣烏賊津と退室した。それを見送ってから、応神天皇は話を元に戻した。武内宿禰を見詰めて言った。

「任那に襲津彦を遣わせ。襲津彦であれば、任那の木羅斤資とも兄弟であるし、加羅の地にも行ったこともある筈。適任と思うが・・・」

 応神天皇は武内宿禰の六男、葛城襲津彦を任那の使者に任命した。

「しかし、襲津彦は・・・」

 武内宿禰は口籠った。襲津彦のことを適任とは思わなかったのである。応神天皇は不審に思った。

「しかしとは、どういうことか。襲津彦派遣は、嫌だというのか。何故じゃ。宿禰の後継者として考えているからか?」

「いいえ」

「ならば良いではないか。朕の命令じゃ。襲津彦を任那、加羅に遣わせ。真若王を見舞うと共に、景真王子とも良く打合せさせ、月支の民を倭国に連れて来させよ。良いな、宿禰」

「畏まりました。襲津彦を任那、加羅に遣わすことを御約束致します」

 武内宿禰は胸に一物があったが、息子、襲津彦を、任那、加羅に派遣させることを、応神天皇に約束した。その葛城襲津彦は、七日後、難波津から軍船に乗って任那へと向かった。

          〇

 応神十五年(410年)春、加羅国王の妹、既殿至姫が倭国にやって来た。中臣烏賊津が、既殿至姫を応神天皇の謁見を希望している事を応神天皇に伝えた。

「陛下。加羅国王の妹、既殿至姫様が、陛下に直接、お会いしたいと、お見えになりました」

「何と。また異国より、人が参ったか。倭国には、そんなに魅力があるのだろうか?」

「今、三韓にとって平和で戦さの無い倭国が、憧れの楽園のような国と思えているのです。その為、沢山の貴族や難民が、倭国にやって来るのです」

 中臣烏賊津のその言葉に異論があるように、紀角鳥足が言った。

「しかし、加羅国王の妹、既殿至姫様がお見えとは、余程の要件があって来られたのでありましょう」

「襲津彦の奴が、また何か愚かな事をしでかしたのではあるまいな?」

 武内宿禰は息子、襲津彦のことを心配した。襲津彦を加羅国に遣わせたが、未だに戻って来ていない。息子が帰らず、加羅の既殿至姫が渡海して来るとは、一体、どういうことか?そこへ皇后、仲津姫が綺麗に化粧した既殿至姫を伴い、現れた。

「陛下。既殿至姫様をお連れしました」

 薄水色の表着を羽織った既殿至姫は応神天皇の前に跪き、拝眉の挨拶を申し上げた。

「加羅国王、己本旱岐の妹、既殿至に御座います。応神天皇様におかれましては、益々、御壮健、御隆昌のよし、既殿至、心よりお慶び申し上げます。この度、故、あって、幼馴染みの仲津姫様のおられる倭国に訪問させていただきました」

「左様であるか。女の身でありながら、海を渡り、よくぞ倭国に参られた。倭国は今、百済や新羅や任那からの移民が増え、他国との文化が花開き、繁栄している。しかしながら女の移住者は、まだ少ない。貴女のような方が、仲津姫や高木入姫らと共に、女性文化の中心になって、我が国で活躍してくれれば、朕としても、この上なき喜びである。どうか、これを機会に倭国に長く留まって欲しいと願う」

 応神天皇は既殿至に優しく話しかけた。既殿至は真剣な面持ちで、それに答えた。

「有難きお言葉。もし私の願いが叶うなら、倭国に留まることも可能でしょう」

「その願いとは何か?」

 すると既殿至の表情が俄かに引き締まった。

「そ、それは・・・」

 既殿至姫が言いにくい様子なので、仲津姫が尋ねた。

「その願いとは、どんな事なの。気にしないで話して」

 仲津姫が聞いても既殿至姫は口を開かなかった。

「遠慮なく申せ」

 応神天皇は、その答えを求めた。

「でも・・・」

「大勢いては申せないというのか。恥ずかし事なのか?」

「いいえ」

 既殿至姫は声にならない程、低くささやいた。

「では申せ」

 すると更にその声は更に低くなった。

「それは・・・」

 その様子を見て傍らにいた武内宿禰が既殿至姫に言った。

「既殿至姫様。私のことなら気になさらずに、ありのままを仰有って下さい。私には予想が出来ております。襲津彦が問題を起こしたのでしょう」

 武内宿禰のその言葉に既殿至姫は安堵した。既殿至姫は、武内宿禰の息子の葛城襲津彦の問題を訴えに渡来したのであった。

「では遠慮なく申し上げます。武内宿禰様の御推察の通り、葛城襲津彦様のことに御座います」

「襲津彦が、どうかしたか?」

 襲津彦の名を聞き、応神天皇は驚いた。襲津彦の加羅派遣を決めた時、武内宿禰がためらったことを思い出した。既殿至姫は、胸に仕舞っていた葛城襲津彦の悪行を包み隠さず、応神天皇に報告した。

「応神天皇様は新羅を討つ為に、襲津彦様を遣わしましたが、襲津彦様は、新羅の美女に夢中になり、新羅を討つこともせず、反対に加羅を滅ぼしました」

「何と。それは真実か?」

「襲津彦様は、新羅王に騙されたのです。新羅の実聖王は、美女二人を飾り、襲津彦様を達句城に招待し、襲津彦様を欺いたのです」

「どのように欺いたのか?」

 応神天皇は高座から身を乗り出して既殿至姫に訊いた。

「実聖王は襲津彦様に、こう申されました。〈月支の民が加羅に拘留されているのは、新羅が行っていることではありません。加羅国王、己本旱岐が、任那から分離独立せんが為に勝手にやっている事です。加羅国王は悪者です。貴奴は新羅に任那を攻撃する為の援軍を要請して来ました。しかし新羅は倭国に、弟、微叱許智王を人質として送っており、倭国と不可侵条約を結んでいます。かつまた任那とも同時に不可侵条約を締結していますので、援軍を提供することは出来ないと断りました。すると加羅国王、己本旱岐は我々に任那からの独立計画を吐露してしまったことで、窮地に立ち、任那に行こうとしていた月支の民を拘留し、我ら新羅兵に殺させようとしています。月支の民を新羅に送り、間諜という理由をもって、我ら新羅兵に殺害させることにより、加羅国王は任那や百済からの信用を得ようと狙っているのです。それが現状です。今、月支の民は加羅国に拘留されております。新羅は月支の民を一人も殺しておりません。濡れ衣です。討つべきは新羅では無く、加羅国です。襲津彦将軍様が討伐すべきは加羅国です〉と」

「それで襲津彦が加羅国を攻めたというのか」

「はい。襲津彦様は新羅兵と一緒に高霊城に侵入して、加羅国を滅ぼしました」

 加羅の滅亡を語る既殿至姫の瞳から、涙が溢れ出た。話を聞いて武内宿禰は怒りと恥辱に赤面して呟いた。

「襲津彦の奴。何と愚かなことを。鳥足、お前を派遣しておけば良かった・・・」

「父上。私が派遣されても同じことです。新羅の実聖王が巧妙で上手だったのです」

 紀角鳥足は父、武内宿禰を宥めた。

「襲津彦は女に甘すぎる。神功皇太后様と新羅遠征に出かけた時も、女に騙されたという。儂の心配が、そのまま現実となってしまった。襲津彦を派遣したのは誤りであった」

 愕然とする武内宿禰を見かねて、応神天皇は仰せられた。

「襲津彦を任命したのは、朕である。総ては朕の責任である。直ちに新羅に使者を派遣し、襲津彦を呼び戻せ」

 応神天皇は、即刻、襲津彦を帰国させるよう指示した。それを武内宿禰の息子であり、襲津彦の兄である紀角鳥足が承った。

「分かりました。直ちに任那の木羅斤資殿に連絡をとり、襲津彦を帰還させます」

 鳥足の言葉に頷くと、応神天皇は、再び既殿至姫に向かい、加羅国王の安否を尋ねた。

「して、既殿至姫、加羅国王、己本旱岐殿は如何している?」

「はい。兄、己本旱岐は子供の百久至、阿首至、国沙利、伊羅麻酒、爾汶至をはじめ、従者をを連れて、百済に亡命しました」

「百済は彼らを受け入れてくれたのか?」

「百済の直支王様は、実情を良く理解し、兄をはじめ私達を大切に迎え入れてくれました。また私の願いを聞き入れ、倭国への船と付き人を準備して下さいました。直支王様の御配慮に深く感謝しております」

「流石、直支王である」

 応神天皇は、百済の直支王の計らいに感心すると共に、幼い時、遊んでくれた彼を、懐かしく思い出した。既殿至姫は尚も続けた。

「百済、直支王様は立派な国王様です。それに引き換え、襲津彦様は余りにも理不尽過ぎました。兄弟や加羅の民は皆、涙を流しました。女の身で失礼とは思いましたが、憂え悲しみに堪えきれず参上し、加羅の窮状を申し上げた次第です」

 既殿至姫の訴えは執拗だった。その真剣な眼差しに応神天皇は納得した。

「良く分かった。襲津彦に人を送り、彼が犯した過誤を注意すると共に、即刻、帰国するよう命じる。朕の臣下の犯した過失を、深くお詫びする」

「畏れ多いことに御座います」

 応神天皇に頭を下げられ、既殿至姫は慌てて平伏した。伝えたかったことを総て訴え、既殿至姫は、すっきりした。直ぐに対策は取られそうだ。かくも素直に加羅国の窮状を理解していただき、応神天皇と、その皇后、仲津姫に既殿至姫は衷心より感謝した。

          〇

 同じ年の八月六日、百済から直支王の使者がやって来た。使者の阿直岐は応神天皇に直支王からの贈り物として、良馬二頭を奉った。その阿直岐は大和の軽の坂上の厩で、応神天皇の馬飼いとして定住して励んだ。そした或る日、応神天皇は仲津姫から阿直岐が百済の学者であると聞き、びっくりした。仲津姫が既殿至姫との雑談の折、それを知ったという。秋の終わり、応神天皇は、その阿直岐を豊明の宮に呼んだ。応神天皇から声がかかって参上した阿直岐は、中臣烏賊津について謁見室に行った。

「陛下。厩坂の阿直岐を、お連れしました」

 烏賊津に導かれ謁見室に入った馬飼い阿直岐は、応神天皇の前に跪いて挨拶した。

「厩坂の阿直岐です。お久しぶりに御座います」

 阿直岐の黒光りのする元気な顔を見て、応神天皇は微笑した。

「阿直岐よ。そちの勤勉の程、皆から聞いておるぞ」

「お褒めにあずかり有難う御座います。百済の直支王様より、良馬二頭と共に遣わされてから早や半年。大和の軽の坂上の厩にて、只ひたすら馬の飼育に専念して参りました。その馬飼いの阿直岐をお召しとは一体、何事で御座いましょうか?」

「噂によれば、そちは経書を読むとのこと。経書を何処で学んだか?」

「百済にて学びました」

「それは分かっている。何処の何という者に経書を習ったかを訊いている」

 阿直岐は、ようやく願っていた時が来たと思った。応神天皇のお召しの理由は、仏教にあるらしかった。阿直岐は恩師、摩羅難陀のことを思い出しながら、応神天皇に答えた。

「西域から来た摩羅難陀という僧侶に学びました。僧は百済の枕流王様の時代に西域から晋国を経て、百済にやって来ました。彼は枕流王様に仏教を説き、枕流王様に漢山に寺院を建立していただきました。私は、その寺で、摩羅難陀様から、直接、経書の指導をしていただいた者です」

「摩羅難陀の仏教の教えとは如何なるものであるか?」

 そう質問され、阿直岐は待ってましたとばかり説明した。

「その教えは国家の隆盛と人民救済に寄与する尊い教えで御座います。摩羅難陀様の説法を聞けば、誰もがこの世に生きる喜びと死後の世界の幸福を信じることが出来ます。私も仏法を信じたからこそ、倭国に遣わされ、倭国の平和を満喫しておられるのです」

 阿直岐の堂々とした自信溢れる説明に、応神天皇は感心した。このような者に馬飼いをさせておったとは。

「阿直岐よ。その仏教とやらを朕に教えよ。また朕が皇子たちに経書の学習の指導をしてくれ」

「私のような馬飼いが、そのような役目を仰せつかってよろしいのでしょうか?」

 阿直岐の問いに対し、側で二人の話を聞いていた中臣烏賊津が応神天皇に奏上した。

「陛下。阿直岐は馬飼いです。それに仏教は天竺西域の教えです。何もここにおいて異端の宗教を採り入れることは、あってはならない事です。陛下には先祖代々受け継がれて来た天神、日神、大日霊尊、天照大神様の教えを守り、天皇家の祭祀を絶やさぬことが、第一です。ゆめゆめ他の宗教を採り入れるようなことがあってはなりません」

 すると応神天皇はムッとした。

「何を言うか。朕は遠い他国の教えを学び、幅広い国王になろうと考えているのじゃ。聖王になる為には、世界のことを学び、世界の書物を習得し、世界の哲人の教えを解析する必要がある」

 応神天皇は漢山に寺院を建立させる程の力のある仏教というものに強い興味を示した。

「とは言いましても、邪宗に迷い、道を失っては、国家の安寧が危ぶまれます」

 中臣烏賊津は応神天皇が仏教に心酔することを恐れた。その烏賊津の発言に、阿直岐が弁明を加えた。

「仏教とは、そのような危険なものでは御座いません。安穏な日々を送る為の尊い仏陀様の教えです。この教えに従えば、倭国は必ず、興隆致します」

「烏賊津よ。朕は天皇家に伝わる神道を捨てる訳では無い。神道を失っては天皇家の存在意義が無くなってしまう。しかし、他国の王道も勉強せねばならぬ。特に我が皇子、大中彦、大雀、大山守、菟道若らには、このことを理解してもらわねばならぬ。明日より、阿直岐を大中彦らの師として、迎え入れよ」

「畏まりました」

 中臣烏賊津には、不服に思えてもこれ以上、反対する理由が無かった。応神天皇は阿直岐に質問した。

「して阿直岐よ。その西域の僧侶、摩羅難陀を倭国に招聘することは出来ないだろうか?」

「摩羅難陀様は年老いており、倭国への招聘は無理です。船に乗って倭国に来てもらうことは、師を殺すようなものです」

 阿直岐は応神天皇の要請を難しいことだと説明した。

「朕は倭国の将来を思い、大中彦、大雀、大山守、菟道若らに、他国のことを沢山、学んでもらいたのじゃ。その為の学者や僧侶を知っていたら、是非、紹介して欲しい」

 応神天皇の阿直岐に対する要望は執拗であった。阿直岐は考えに考え、一人の男を選出した。

「私の知人に王仁という秀才がいます。彼は経書は勿論のこと、天文地理、薬学、歴史等に詳しく、応神天皇様の要請とあらば、遠い倭国であっても、渡海して参りましょう」

「それは嬉しい話じゃ。王仁を倭国に招こう。烏賊津よ。早速、迎えの使者を百済に派遣し、王仁を迎え入れよ」

「では百済への使者として、上野毛の荒田別を派遣致しましょう」

「ついでに平群木菟と砥田盾人を新羅に送れ。葛城襲津彦に早く帰国するよう、朕の意思を伝えよ。もし襲津彦が拒むようであったら、その場で殺すよう命ぜよ」

 武内宿禰が同席していないこともあってか、応神天皇の言葉には、何時もに無い厳しいところがあった。しかし、中臣烏賊津は、平群木菟に向かって、襲津彦が言う事を聞かなかったなら、弟、襲津彦を殺せなどと伝える事は出来なかった。

          〇

 応神十六年(411年)二月、応神天皇の命を受け、平群木菟の率いる砥田盾人と鹿我別の軍勢は任那にて、百済に行く荒田別と別れ、加羅の地に向かった。任那の将軍、木羅斤資も加羅に同行してくれた。木羅斤資は隠密、白都利を達句城に送り、葛城襲津彦が何をしているのか調べさせた。ところが葛城襲津彦は、達句城にはおらず、加羅の高霊城を守備しているとのことであった。そこで倭国の軍隊と任那の兵は加羅の高霊城へ行った。弟、襲津彦がいるので、簡単に高霊城に入れると思い、木羅斤資が城門に近づくと、おびただしい兵が、こちらに向かって見ているのを目にした。よく見ると城門の上には新羅の飛竜旗が掲げられていて、もともと掲げられていた黄色い三日月旗が掲げられていなかった。任那、木羅斤資の部下の安往平が入城することを門兵に交渉すると、門兵は許可しなかった。入れろ入れないですったもんだしていると、城門の上に新羅の居多智将軍が現れ、笑いながら大声で言った。

「木羅斤資殿。そんな大軍を率いて、何しに参られたられたか?」

 居多智将軍の問いに木羅斤資も、これまた大声で答えた。

「倭国将軍、葛城襲津彦殿と面談する為にやって来た。速やかに城門を開け、我らと面談するよう、襲津彦殿に伝えてくれ」

 すると居多智将軍は寒風に髪をなびかせ、呵々と笑った。

「今、倭国の襲津彦は、加羅国王、己本旱岐と新羅を滅ぼそうとしたした罪で、この城に幽閉されている。それ故、木羅斤資殿の要請とあっても、おいそれと会わす訳にはいかぬ」

「ならば、どうすれば良い」

「我らが過ちであったと、倭国王及び任那王の詫状を我が国の実聖王様宛に書いて、ここに持って来い。さすれば、襲津彦を解放してやる」

 それを聞いて、木羅斤資は退却を拒否する平群木菟、砥田盾人、鹿我別を説得し、一時、退去することにした。ここで無理やり攻撃して、敢えて多くの味方の犠牲を払うことはない。一行は葛城襲津彦の所在を確かめると、一旦、金官城に戻り、真若大王と相談した。真若大王は、木羅斤資から居多智将軍の話を聞いて大笑いした。

「何と愚かな将軍であることか。貴奴は余の詫状と倭国王の詫状を受け取って自分の手柄にしようと思っているのじゃ。詫状など、何枚でも書いてやるわ。倭国王の詫状も金明由に書かせろ。何ら、慌てることは無い。半月後に、それを持って再び高霊城に行って、襲津彦殿と詫状を交換すれば良い」

 真若大王のその言葉に感心はしたものの、弟が捕らえられている実情を知ると、木羅斤資も平群木菟も気が気でなかった。それから半月後、木羅斤資と平群木菟の連合軍は再び加羅に向かい、兵を三方に分けて布陣した。そして木羅斤資と平群木菟は、高霊城に赴き、居多智将軍と会った。

「居多智将軍殿。先般は我らの願いをお聞き下だされ有難う御座いました。本日、御約束の両国王の詫状をお持ちしました。倭国王の詫状が届くまでに時を要した為、訪問するのが遅くなってしまい、誠に申し訳ありませんでした。こちらが、その詫状と貢物に御座います。お確かめ下さい」

 居多智将軍は、木羅斤資の差し出した詫状を受け取ると、部下の朴異夫とその内容を確かめた。二人は書状を見て納得し、頷き合った。

「うん。これで良ろしい。有難や、有難や」

「では襲津彦殿を我らに解放して下さい」

「それはならぬ。実聖王様の御許可無くして、襲津彦を解き放つことは出来ない。儂が実聖王様の所に直ちに参り、詫状をお渡しし、実聖王様の御許可を得て、急いで戻って来よう。昼夜を通して急げば五日程で戻って来られよう」

「そこを何とか、行かれる前に」

「ならぬ。儂が御許可を得て戻って来るまで待たれよ」

「分かりました。よろしく、よろしくお願い申し上げます」

 木羅斤資は、手を合わせ、居多智将軍に実聖王への取り成しを依頼した。平群木菟も仕方なく、木羅斤資に従い、居多智将軍に頭を下げた。そして五日後に再会することを約束し、木羅斤資たちは高霊城から辞去した。

           〇

 翌日、居多智将軍は実聖王のいる金城へ馬を走らせた。その日の午後、木羅斤資は居多智将軍が不在になった高霊城を襲撃した。それを知った留守居の将軍、朴異夫は慌てた。倭国と任那の連合軍はむちゃくちゃに矢を射かけて、たちまち城内に突入した。朴異夫は、直ぐに迎え打ったが、何しろ城内にいる衛兵の何十倍もの敵兵が襲い掛かってきたのであるから、どうにも防ぎようが無かった。倭国の将軍、砥田盾人は向かって来る敵の首を打落とし、襲津彦が閉じ込められている牢屋を捜した。平群木菟も鹿我別も襲津彦を捜して勇ましく戦った。木羅斤資は朴異夫に向かって怒鳴った。

「朴異夫。大人しく降参せよ。我ら連合軍に如何に防戦しても、お前らは台風の前の土塀のようなものだ。襲津彦のいる牢を開け放てば、お前の命だけは助けてやる」

 朴異夫は、ぶるぶると身を震わせ頷いた。そして一人の部下に襲津彦のいる牢を案内するよう指示して、城内から逃げ去った。木羅斤資が朴異夫の部下に案内され、地下牢に降りて行くと、砥田盾人に救出された襲津彦がよろよろと無様な格好をして上がって来るところであった。

「木羅斤資様・・」

 襲津彦は目に涙を浮かべていた。木羅斤資はこんなに打ちしおれている襲津彦を見たことが無かった。

「襲津彦。あれほど言ったではないか、女には気をつけろと」

「申し訳ありません」

「若い時より少し成長したかと思っていたが、相変わらずだな」

「面目御座いません」

「まあ良い。無事で良かった。仔細は金官城に戻って聞こう」

 朴異夫が逃げたのを知ると、新羅兵は一斉に、高霊城から逃亡した。それを見て鹿我別らが、勝利の気勢を上げた。平群木菟は、木羅斤資と相談し、鹿我別と安往平らに高霊城を守備するよう言い渡し、葛城襲津彦を連れて、新羅の達句城を攻めた。新羅の実聖王は倭国の力を恐れて、達句城で働かせていた月支の民を解放し、詫状を返却した。そして、居多智将軍の首を斬って、倭国への忠誠を誓った。襲津彦は、その居多智将軍の首を槍の先に高々と掲げ、まるで失敗が無かったかのように、木羅斤資軍の先頭に立って、真若大王のいる金官城に帰還した。

          〇

 同年の秋、平群木菟と砥田盾人は、葛城襲津彦と月支の民を連れて帰国した。葛城襲津彦は帰国するなり、父、武内宿禰から大目玉を食らった。その後、応神天皇に拝謁した。応神天皇は平伏する襲津彦を見るなり笑った。

「襲津彦。良く帰った。顔を上げよ。一体、長い間、どうして過ごしていたのか?」

 数年ぶりに拝顔する立派になった応神天皇に見詰められ、襲津彦は赤面した。

「お恥ずかしい話で御座います。新羅、実聖王の罠にはまり、部下たちを失い、月支の民と共に、新羅に拘留されていました」

「加羅国王、己本旱岐の妹、既殿至姫の話によれば、そち自ら加羅国を攻撃したというではないか。それは本当か?」

「仰せの通り、私は加羅国を攻撃しました。加羅国王、己本旱岐は新羅、実聖王に月支の民を預けられ、百済、新羅、任那三国の板挟みになり、どうしたら良いのか迷っていました。私は自分が派遣された目的である月支の民の救出が進展しないので、新羅人を使い、加羅国を攻撃しました」

 襲津彦は加羅国に派遣された後の状況を在りのままに話した。応神天皇は襲津彦が加羅国を攻撃した事実を知り、怒った。

「そちは加羅国が任那の中の一国であることを忘れたのか?」

「忘れてはいません。私は何故、任那の中の一国である加羅が、月支の民を拘留し、倭国の要請を聞き入れないでいるのか、その原因を知る為に、新羅側より、加羅を攻撃したのです。陛下の仰せられる通り、加羅が任那の中の一国であるなら、たとえ新羅の圧力があろうとも、月支の民の希望を聞き、素直に月支の民を任那に送り、倭国に届けてくれた筈です。それが出来なかったということは、加羅国王に何かの思惑があったからではないでしょうか?」

「任那からの分離独立か?」

「その通りです。真若大王様が御病気をなされ、弱体化しつつある任那から独立せんが為に、任那を困らせようとしたのです。それを木羅斤資の弟である私が、何故、黙っていられましょう」

 襲津彦は加羅国攻撃の正当性を主張した。

「とはいえ、攻撃する前に話し合いは出来なかったのか?」

「木羅斤資の話によれば己本旱岐は真若大王様の命令を聞かず、高句麗、広開土王や新羅、実聖王の命令に従い、月支の民を捕え、任那を攻撃したとのことです。それで私は新羅、実聖王を口説き、加羅国に進軍したのです。新羅、実聖王は加羅国を攻撃し、己本旱岐を加羅の地から追放し、私や月支の民を安心させました。そして私を罠にはめたのです」

「私は月支の民を取り戻した勝利の祝宴の後、深い眠りに陥り、目が覚めてみると、捕らわれの身となっていました。そして加羅の地は新羅のものとなり、加羅の民や月支の民は新羅人の奴婢にされて、私を恨みました。私は高霊城の牢獄にぶち込まれ、耐えに耐え、囚われている月支の主長たちと機会を待ちました。そして木羅斤資、平群木菟兄弟や砥田盾人らの決死の救出の手により、ようやく脱出することが出来ました。陛下のご指示により派遣された鹿我別軍の救援もあり、失った加羅の地を回復することが出来、月支の民をお連れすることが出来ました。本当に申し訳ありませんでした」

 襲津彦はそう報告すると、床に頭を付け、応神天皇に詫びた。応神天皇は襲津彦の苦しかった日々を理解した。

「複雑な話であるが、そちの話を信じよう」

 応神天皇は優しく申された。しかし、襲津彦は加羅国を滅ぼした罪は重いと覚悟した。

「私の話を聞いていただき、有難う御座います。しかし加羅国を滅ぼしたことは、私の過ちです。この襲津彦、潔くその罰を受けましょう。切り殺すなり、自害させるなり、御命じ下さい」

「確かに加羅国を滅ぼしたことは大罪である。しかしまた月支の民を救ったことも大功である。故に襲津彦の処罰については、賞罰、咎め無しとしよう」

「勿体無い御言葉。痛み入ります」

 応神天皇の慈悲ある言葉に葛城襲津彦は涙を流した。

「これに懲りず、倭国の為、国民の為、今後とも活躍して欲しい。朕はそちのことを、武内一族の頭領として、心から期待しているのじゃ。頑張ってくれ」

「御期待に副うよう、この襲津彦、心を入れ替え頑張ります。愚か者ではありますが、今後ともよろしくお願い申し上げます」

「何を卑下するか。そちのやったことは愚かな事では無い。正しかったのだ。もっと胸を張って、正々堂々と自分の功績を自慢するが良い」

 葛城襲津彦は応神天皇に処罰されることを恐れて、一瞬、帰国するべきかどうか迷ったが、木羅斤資や平群木菟に励まされ、帰国して良かったと、兄たちに心から感謝した。応神天皇の喜びの顔が襲津彦には何とも嬉しかった。

          〇

 応神十八年(413年)十月、高句麗の暴れん坊、広開土王が逝去した。広開土王の子、高璉は父王の後を継いで高句麗王となった。彼もまた父王に似て、領土拡大に積極的だった。長寿王と称し、近隣諸国に恐怖を与えた。彼は新羅、実聖王に使者を遣わし、両国和合の為と言って、人質を求めた。実聖王は自分も高句麗の人質であった経験から、先王、奈勿王の次男、卜好王を人質として、高句麗に送った。高句麗に送られた卜好王は高句麗の国内城にて長寿王に謁見し、挨拶した。

「長寿王様。新羅、奈勿王の次男、卜好に御座います。叔父、実聖王の命により、丸都にやって参りました。長らくお世話になりますが、よろしくお頼み申し上げます」

「卜好王よ。そう緊張されなくて良い。余とそなたとの付き合いは、これからも長く続く。余り緊張ばかりしていると早死にするぞ。そなたは余よりずっと年長である。だから無理をしなくて良い。余は年長者を敬い、自分も長生きしたいと思っている」

 長寿王は緊張する卜好王に優しく話しかけた。しかし、人質の立場である卜好王にとって、緊張しないではいられなかった。

「私は人質の身です。何で緊張しないでいられましょうや」

「そう卑屈になられては困る。私がそなたを要求したのは、実聖王が高句麗に対して甘えているからである。彼は我が父、広開土王に私の弟のように可愛がられ、新羅国王となり、国民からも国王として信頼されるようになった。しかし、それは我が父、広開土王がいたからのことであって、本人の力で国王になれた訳ではない。そなたも存じておろうが、実聖王は奈勿王の子では無い。伊滄大臣、金大西知の子だ。我が父、広開土王と伊滄大臣によって王位に就くことが出来たのだ。実聖王は、そのことを忘れている。余は実聖王に、そのことを思い出させる為に、そなたを要求した」

 それを聞いて卜好王は質問した。

「何故に私を差し出せと?私の兄、訥祇王がいるではありませんか」

 卜好王は自分が自分より年下の長寿王に何故、選択されたのか、その理由が分からなかった。そこで長寿王は自分の帝王学の一旦を実名を使って説明した。

「国内を治めるには常に対抗する者が必要である。左と右。対抗者は時によっては殺されることもある。新羅において言えば、実聖王の対抗者はそなたの兄、訥祇王である。かって倭国の香坂王や忍熊王は応神天皇の母、神功皇太后によって、殺されたと聞く。百済の辰斯王は阿花王によって殺された。後燕の慕容煕は、その臣下の馮跋に殺された。我が高句麗においても似たような事件もあった。歴史を振り返れば、誰の周囲にも常に対抗者が存在するという事が明確である。当然ながら、余にも対抗者がいる。そこで我が高句麗が、新羅の次期国王を決定する力を温存させる為には、実聖王の直接の対抗者では無い、第三の男を獲得しておくことが賢明であると考えた。その第三の男が、そなた、卜好王なのだ」

 長寿王の説明を聞き、卜好王は今まで用無しと思っていた自分の存在が重要であることを知った。十五歳も年下の長寿王に自分の命の尊さを教えられるとは情け無かった。

「そういう意味からすると、倭国にいる弟、微叱許智王も、その機会を狙う第三の男と言えるのでしょうか?」

「倭国の応神天皇は、それを考えているかも知れない。実聖王が訥祇王を殺した時、微叱許智王が新羅国王の位を狙う。その時、そなたと微叱許智王との兄弟による王位争いとなる。それは言い換えれば高句麗と倭国との争いである。高句麗は倭国に負けてはならない。倭国王は我らが騎馬民族の流れを汲む者であり、常に高句麗の下位にあらねばならぬ。それ故、そなたは微叱許智王に勝たねばならぬ運命にある。このことを考え、御身を大切に、ここにて日々、自信を蓄えお過ごし下さい」

 若き長寿王は卜好王を上手に誘引した。そして己を惚れさせた。

「良く分かりました。この卜好、長寿王様のお考えを肝深く刻み、下僕となって頑張ります。新羅の平和が私の存在により保証されるというのでれば、私の生きがいもあるというものです。長寿王様。この卜好を末永くよろしくお頼み申し上げます」

 卜好王は長寿王の前に深く頭を垂れた。長寿王は更に優しく仰せられた。

「そなたは私の宝です。何で大事にしないことがありましょうや。この高句麗は東に沃沮、北に扶余、そして北魏、西に馮跋の治める燕、南に直支王の治める新羅等、沢山の国々に囲まれています。このような環境の中にあって、自国を守って行くには、どの国とも争うことなく、仲良くやって行くことが肝要です。その為には、今、挙げた国々の更にその外側にある倭国や晋、それにそなたの母国、新羅とも交流を深めねばなりません。私は上手な外交を通じ、父、広開土王が拡大した高句麗を確固不動のものにする使命にあるのです。卜好王に頼まねばならるのは、この私の方です」

「畏れ多い話に御座います。この卜好、長寿王様の広い心を知り、心洗われた気持ちです。人質としての自分のことを、暗く暗く考えていましたが、それが誤りであることを悟り、心が晴れました。私の事は心配しないで下さい。高句麗の民になったつもりで、長寿王様にお仕えしますので、末永くよろしくお願い致します」

 長寿王も卜好王の素直な言葉に感激した。

「良く言ってくれた。そなたと私は友人です。私がそなたに気づいたことがあれば、そなたに注意しよう。そなたもまた私に気づいたことがあれば、進んで私に忠告して下さい。共に手を取り合って、平和な国造りに励みましょう」

 かくして高句麗と新羅は固く結ばれることとなった。

          〇

 応神十九年(414年)春、応神天皇は昨年、荒田別が百済から連れて来た王仁博士と軽の坂上の阿直岐とを朝廷に召して、中臣烏賊津、羽田八代らと倭国の教育と外交について語り合った。応神天皇が先ず、王室での教育状況について王仁に尋ねた。

「王仁先生。我が皇子、大中彦、大山守、菟道若らの勉学ぶりは如何ですか?」

「はい。どの皇子様も勉学に熱心で、この王仁も驚く程です。百済の学校で教鞭を執って参った私も、これ程までに熱心な学徒を見たことがありません」

 王仁が応神天皇の質問に答えると阿直岐も、自分の感想を伝えた。

「大中彦様、大山守様、菟道若様、いずれも皆、御聡明であり、経書の解説を担当するこの阿直岐も教えるのにたじたじです」

「お世辞ではあるまいの?」

 応神天皇が二人の報告に疑いをもって聞き返したので、阿直岐が言い返した。

「何故、お世辞でありましょう。事実、どの皇子様も勉学熱心で、その学識を相争っているようです。このような皇子様たちが成人され、国政を執られるようになるかと思うと、この阿直岐、胸の躍る思いです」

「阿直岐殿の申される通りです。優秀な皇子様たちに支えられ、倭国は更に繁栄されることでありましょう」

 阿直岐、王仁博士に続いて中臣烏賊津が奏上した。

「皇子様たちだけではありません。重臣たちの子弟も、両名の教導を受けて、立派に成長しつつあります。これからは増々、両名の講義を聞きたいという人たちが増えることでありましょう」

「烏賊津よ。そなたらの意見を採り入れ、百済より学問の師を招いたことは大成功じゃ。朕としても国民の能力向上は願ってもないことである。更にこれらの学問を広める為には如何すべきか?」

 応神天皇の問いに烏賊津は自分の考えを具申した。

「先程の王仁先生のお話にもありましたが、百済には学校というものがあります」

「学校?」

「はい。学校とは国費で建てた学問をする為の講堂のことです。学問をしたい者は、ここに集まり、王仁先生や阿直岐先生のような博士から、尊い講義をしていただくのです」

「うむ。それは良い提案である。烏賊津よ。早速、その学校の建設に着手すべく、そこの羽田八代ら各大臣と相談し、実行に移せ」

 応神天皇は教育の重要さを感じ、中臣烏賊津と羽田八代に学校建設を指示した。それを聞いて、王仁博士と阿直岐は学校建設の具申が受け入れられ喜んだ。羽田八代が指名を受けて申し上げた。

「畏まりました。我ら大臣、学校建設は勿論のこと、王仁先生に御紹介願い、更に沢山の博士を迎えたいと思います。よろしいでしょうか」

「良きに計らえ」

 この時とばかり王仁博士も自分の意見を奏上した。

「学問の師のみでは御座いません。百済には倭国に無い、高度な技術を備えた者が沢山おります。これらの者を迎え、医薬、織布、鋳造、鍍金、彫刻、染色、楽器等の技術を導入することも大切かと・・」

「王仁先生の申される事に私も賛成です。百済の秦氏は機織りや酒造りが得意の一族です。彼らを招き、衣服や酒造りの生産に励み、国民を寒さから守ることも、考えては如何でしょうか?」

 阿直岐は百済の秦氏の召喚を申請した。それを聞き、烏賊津は二人の意見を採り入れるよう、応神天皇に勧めた。

「二人の提案を採用しては如何でしょうか」

「それも良かろう」

 それから話題は外交へと発展した。

「ところで、広開土王亡き後の高句麗の状況は如何している?」

「広開土王の後継、長寿王は、目下のところ、大人しくしております。彼も積極的な男だということですが、利発な若者で、今のところ様子見をしているようです」

「卜好王を人質にしたと聞いているが」

「はい。我が国に対抗してのことでありましょう」

「いずれにせよ。任那や百済に人を送り、用心を重ねよ」

「はい。百済に学問の師や技術者を求めに行く者と一緒に密偵を送り込みます」

 中臣烏賊津や羽田八代たちは応神天皇の質問に、それぞれの考えを伝えていたが、王仁博士は、それだけでは情報不足だと思った。王仁博士は、応神天皇に面談出来たこの機会に、日頃、感じている自分の考えを申し上げた。

「陛下。学問指導に倭国にやって来た王仁が、口出しすることでは無いかも知れませんが、倭国は海外から知識人を迎えると共に、倭国から海外への使者を、もっと派遣すべきだと思います」

「王仁先生。それはどういうことかな。我が国は絶えず三韓の地に使者や兵を派遣していると思うが」

 大陸で暮らしていた王仁博士にとって、応神天皇は、余りにも世界の広大さを知らな過ぎた。王仁博士は外交について、応神天皇に提案した。

「世界にある国は三韓のみでありません。北魏、燕、晋など沢山の国々があります。その各国がそれぞれに優れた文化文明を持っております。その昔、倭国の卑弥呼女王は魏に朝貢の使者を派遣し、倭国を繁栄させ、更には晋の国に渡られたとのことですが、陛下に於かれましても、これらの国々に朝貢の使者を送られることが、これから広く世界を治めて行く為に必要かと思われます」

「我が国に朝貢の使者を派遣せよというのか?」

「はい、そうです。高句麗、長寿王は即位するや、晋の安帝様に朝貢の使者を送り、安帝様より、使持節、都督営州諸軍事、征東将軍、高句麗王、楽浪公の称号をいただいております。百済の直支王様もまた安帝様より、使持節、都督百済諸軍事、鎮東将軍、百済王の称号をいただいております。陛下に於かれましても、これらのことをお考えになり、三韓以外の国々と交流されますことを、お勧め致します」

 すると応神天皇の顔つきが変わった。

「朕に安帝の下に付けと申すか。朕は世界を掌握する伊狭沙大王なるぞ。朝貢の使者を送って来るべきは安帝ではないか」

 応神天皇の怒りの発言に対して、王仁博士は怯まなかった。自分の意見を強く提言した。

「倭国は島国です。世界は広う御座います。伊狭沙大王様が世界に雄飛される為には、先ずは朝貢の使者を安帝様のもとに送り、世界を知ることです。朝貢の使者を晋国に送れば、三韓以外の国が必ず見えて参ります」

 王仁博士の言葉に中臣烏賊津が助言した。

「陛下。そういえば羽田八代殿の弟、平群木菟殿が燕の都、幽州の薊城に訪問し、燕王、慕容煕に朝貢し、高句麗を攻撃してもらったことがあります。彼の話によれば、その繁栄ぶりは驚く程であったとか・・」

「そういえば、弟、木菟は燕国の薊城に行った時のことを何時も自慢してます」

「王仁先生の申される通りかもしれません。この烏賊津も、百済、新羅、任那については知っていますが、それ以外の国々には足を踏み入れてはおらず、それらの国々が、どんな風俗習慣を持っており、どんな王制のもとに組織されており、どれだけの軍事力を有しているか知りません。陛下。我が国は邪馬幸王と麗英皇后及び卑弥呼女王の時代に魏に朝貢の使者を派遣した過去があります。その交流も何時の間にか途絶えてしまいましたが、今、再び王仁先生の意見を採り入れ、晋の安帝に朝貢の使者を送るべきかと思います」

 応神天皇はしばし沈黙した。一旦、瞑目してから、再び目を開け、王仁博士に言った。

「王仁先生。朕の怒ることをも恐れずに、よくぞ正しき意見を具申してくれた。心から感謝する。朕は先生の意見を採り入れ、即刻、安帝のもとに使者を送ろう。そして広く世界を俯瞰し、誰からも尊敬される聖王になろう」

「私の意見をお聞きいただき、有難う御座います。王仁も倭国に来た甲斐がありました」

 応神天皇の聖断に中臣烏賊津ら重臣は感激した。王仁博士も阿直岐も、その目に涙をにじませた。

          〇

 応神十九年(414年)九月二十九日、高句麗、長寿王は父、広開土王陵の陵碑を建立した。その式典が終わって、丸都に戻った長寿王は、新羅の王子、卜好王を王宮殿の部屋に招き、会話した。

「卜好王よ。我が父、広開土王の眠る大王陵は如何でしたか?」

「威厳ある広開土大王様の御陵墓に参拝させていただき、その素晴らしさに、ただただ感嘆させられるばかりでした。流石、高句麗国を隆盛させた広開土大王、談徳様にお相応しい御陵墓そのものと感心しました。また陵碑の建立は、歴史を後世に伝える為に大切であるものであると知りました」

 卜好王の返答に長寿王は満足した。自分の為したことは正しかったと頷いた。そして、父と共に戦場で過ごした日々のことを回想した。

「父、広開土王の努力は並々ならぬものであった。命を賭けての領土拡大は、建国者、朱蒙に次ぐ偉大な功績である。私は、その父を尊敬し、国民にその功績を納得してもらう為、大王陵を築いた・・・」

「広開土大王、談徳様も、さぞ、お喜びのことでありましょう。特に大王様の功績を記録された石柱碑は、異国の私をも感動させるものでありました。後代の者も、あの石柱碑を見て、広開土大王、談徳様の偉大さを、千年も万年も後へと語り継がれることでありましょう」

「私もまた、父のようになりたいものである」

 長寿王は、口元にかすかな微笑を浮かべ、卜好王を見た。卜好王は答えた。

「長寿王様なら、きっと広開土大王様のような功績を残すことが出来ます」

 卜好王は長寿王を煽てた。

「石柱碑には、高句麗の建国者、朱蒙に関すること、父、広開土王が四方に領土を拡大したこと、王の死後、広開土王の陵墓を広開土王が侵略した韓人や濊人たちによって万年にわたって守護させること、この三項目を重点に記した。これから私が成さねばならぬことは、この記録以上の業績を残すことである。晋をはじめ、北魏や秦、倭といった国々との交流を深め、世界の大王になることが、私の描いている夢である」

「長寿王様なら、きっと世界の大王になれます。この卜好、新羅の国民と共に、その手助けをさせていただきます」

 卜好王の言葉に長寿王は感激した。

「そなたの協力と意見には、長寿王、心から感謝する。特に倭国との一戦が生じた時、そなたに活躍してもらわねばならぬ。ある時は、弟、微叱許智王と手を結び、ある時は微叱許智王と敵対関係にならねばならぬこともあるでしょう。しかし、それは新羅王家に生まれた者の宿命と思い、割り切って、我が高句麗の為に協力願いたい。長い年月、一つ屋根の下で、共に寝食をする卜好王は、私にとって、家族同然である。私の事を兄弟と思い、協力願いたい」

「勿論です。私は、その為に新羅からやって来たのです」

「その新羅は今、秘かに動き始めている」

 長寿王のその言葉に卜好王の顔色が変わった。

「どのようにですか?」

「語るまでもない。実聖王が、そなたの兄、訥祇王を亡き者にしようとしている」

 卜好王は衝撃に胸を押さえた。予想されていたこととはいえ、余りにも早すぎる。卜好王は顔を曇らせ、長寿王に言った。

「兄の人気が高まり始めたからでありましょう。兄は昔から国民の人気者です。父、奈勿王や実聖王と異なり、人を愛し、国を愛し、勤勉を愛する素晴らしい人です」

 卜好王は幼い時から兄、訥祇王を敬愛して来た。そんな兄を敬慕する卜好王を見て、長寿王は意地悪く笑った。

「しかしながら、優秀な人物が国を立派に治められるとは限らない。国とは不思議な生き物で、人の計算通りには動かないものだ」

 言い終えてから長寿王は、自分の発言を反省した。自分には卜好王のように心から信頼出来る兄弟がいない。自分は信頼する兄を持つ卜好王に嫉妬しているのであろうか。長寿王が、そんな考えをしていると、突然、卜好王が、長寿王の前に平伏した。

「長寿王様。私に長寿王様の兵士をお貸し下さい。二名、お貸しいただければ充分です。お願いします」

「我が兵を貸すのは容易い御用である。しかし、たった二名だけでよろしいのか?実聖王と戦うには、もっと沢山の兵士が必要と思われるが・・・」

 長寿王の発言に卜好王は首を傾げた。

「何を申されます。私が実聖王と戦うことを、お望みですか?私はただ新羅の実情を探る為の間諜が欲しいと考えただけのことです」

「そうであったか。私はそなたが兄、訥祇王を助ける為、兵を起こすのかと思った」

「兵を起こして如何なされるのです。私が兵を起こすのは、長寿王様が兵を起こされた時、それに従軍する場合だけです。実聖王を殺すのに兵は不要です」

「では間諜に、実聖王を殺させるのか?」

「分かりません。でも長寿王様が、それを御希望なら、そうさせましょう。兄、訥祇王を殺したいなら、兄を殺させましょう。総ては長寿王様の御希望通りです」

 卜好王の言葉に長寿王は身の毛がよだった。先程の兄弟愛は何処へ行ってしまったのか。長寿王は卜好王の顔を覗き込み、質問した。

「凄まじい自信じゃあないか。それは何ゆえの自信か?」

 その質問に卜好王は冷たい目をして答えた。

「私は孤独です。天下に只一人です。一人程、強いものはありません。世界の総てが己の望むままです。その上、高句麗王様がついているとなれば、天下無敵です」

「して卜好王よ。そなたは新羅王として実聖王と訥祇王のいずれを採るか?」

「私には決められません」

「ならば、そなた自身が新羅王になるか?」

 長寿王は卜好王の王位への願望の有無を確認した。卜好王はそれに関して、至って冷淡だった。

「私は国王に成りたいとは思いません。強力な長寿王様にお仕えすることが自由であり、安全であり、最高です。いずれを採るかと問われるならば、お貸しいただく間諜に選択させたいと思います」

「何故じゃ?」

「私には恩讐があります。白紙の間諜に、いずれの人物が新羅王に相応しいか、選択させます。その者たちが新羅王に相応しいと思った人物が、新羅王であるべきです」

 長寿王は卜好王の弁論を分析し、新羅は新羅国として存在しているが、揺れ動いている国であり、自分の考えで、どのようにでもなる国であると理解した。そして卜好王との会談において、自分が高句麗は言うに及ばず、新羅、沃沮、扶余、燕、百済、任那の国々を統べる大王に成り得ると自覚した。

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