■ 新羅遠征
神功元年(391年)十月二日、即位式を完了させた神功皇后は、倭国軍の動員もすっかり整い、いよいよ願いを決行することに至った。香椎の宮に物部胆昨、大伴武持、紀角らを残し、神功皇后を乗せた新羅遠征軍は筑紫の港から船出して、先ずは松浦に向かった。ところが途中、糸島深江の海岸を通りがかった時、神功皇后は緊張して出発した所為か、腹痛を起こした。余りにも苦しそうな御様子なので、津守住吉が、皇后に訊ねた。
「神功皇后様。如何、なされましたか?大丈夫ですか?」
「お腹が痛い。どうも産気が出て来たようだ。しかし私は、ここで、お産する訳にはいかない。海を渡って新羅を討伐せねばならない。夫の命を奪うよう熊襲に命じた新羅を何としても討伐しなければ・・・」
「新羅討伐を延期されては如何ですか?皇子様がお生まれになってからでも、遅くはないと思いますが・・・」
津守住吉が、そう言うと、神功皇后は険しい顔をして、住吉を睨んだ。
「この機会を逃がしては、新羅討伐は不可能となる。何としても海を渡らねばならない」
「でも御身体を壊してからでは、総てが水泡となります。他の者に渡海させ、皇后様は香椎の宮にお戻り下さい」
神功皇后と津守住吉のやりとりに気づいた大三輪鴨積や葛城襲津彦、中臣烏賊津らが何事かと、近寄って来た。心配する武官たちを見て神功皇后は宣言した。
「私は臨月の身体から産気を除去するため、自ら祭主となり、呪法を行います。それにより自らの渡海の是非を判断しようと思います。何時ものように烏賊津に審神者になってもらいましょう」
「それは良い考えです。早速、祈祷場所の設置を致します」
大三輪鴨積は、そう答えると部下に、祈祷の場所を準備させた。神功皇后は津守住吉に案内され、一旦、船から降りて、深江の浜で祈祷を行った。中臣烏賊津が審神者を務めた。まずは神功皇后が天照大神にお祈りした。
「皇祖、日神、大日霊尊、天照大神様。私は天皇家存続の為、海を渡らなければなりません。それ故、私が新羅征討を完了させるまで、私の産気を鎮めておいて下さい。また産気を鎮める為の術を、お教え下さい。伏して伏して、お願い申し上げます」
その神功皇后の祈りを受け、審神者となった中臣烏賊津が神託を告げた。
「神功皇后よ。そこの砂浜に二つの神石がある。それを取って腹に巻き付けよ。そして、ことが成就して帰る日、ここで産まれよと祈れ。さすれば、汝の産気も安らぎ、お産の日も延滞するであろう」
神託を聞いて、神功皇后は審神者の指し示した白い石を拾い、侍女、但馬由良媛の助けを借り、腹に押し当てた。
「成程。この白い石を腹に押し当てると、産気が安らぎます。痛みが止まりました」
「それは有難いことです」
神功皇后は由良媛に二つの神石を腹に巻き付けてもらいながら言った。
「私は新羅征討を終えたら、必ずここに戻って参ります。そして、ここに帰って来た日、ここの地で、仲哀天皇様の皇子を産みます」
神功皇后は、この地で皇子を産むことを誓った。その神功皇后に皇后船の船長を務める穴門践立が、皇后を励ました。
「流石、神功皇后様。その勇気と情熱に私たちは感動しました。その勇気と情熱をもってすれば、渡海など簡単です」
「そんなに簡単に渡海出来るでしょうか?」
「心配は無用です。神功皇后様の船団には、私をはじめとする沢山の海人が同道しております。安曇磯良殿、武宗方殿、岡県主熊鰐殿、出雲襲櫛殿、それに最もお近くにおられる津守住吉殿。まさに異国も驚く程の見たことも無い大船団です。この大船団で新羅に上陸すれば、新羅の奈勿王も、たちまち降参するものと思われます。新羅上陸が楽しみです」
穴門践立の発言に、神功皇后は、ちょっと修正を加えた。
「私たちは闇雲に新羅に上陸する訳には参りません。もし、そんなことをしたら、海戦で沢山の兵を失うことになります。まず私たちが向かうのは任那であう。任那には成務天皇様の弟君、五百城大王様が国を治められおられる。その任那は時々、新羅に領土を侵されており、私たちの応援を期待しているに違いありません。私たちは先ず、新羅の情勢に詳しい自分たちの兄弟国、任那へ上陸しましょう」
神功皇后の意見に中臣烏賊津が直ぐに賛成の声を上げた。
「任那への上陸。それは賢明なことです。我々が訪問することを知れば、五百城大王様はじめ、任那の連中は、大変、喜ばれることでしょう」
中臣烏賊津の賛同の言葉を得て、神功皇后は任那国の五百城大王との会見を想像した。
「烏賊津の言う通り、五百城大王様は新羅や百済、あるいは高句麗の状況を、こと細かに私たちに教えてくれるでしょう。そして如何にしたら私たちが力を合わせ、新羅に勝てるか、相談に加わってくれるでしょう」
「いずれにせよ、新羅との戦いは、より素早く、より短く済まさねばなりません。長期戦になればなる程、敵地に乗り込んだ我々が不利になります」
「私も短期決戦を願っています。たちまちのうちに新羅を従属国にし、倭国に帰らなければなりません。そして私は、この地に戻り、仲哀天皇様の皇子を産まねばなりません」
神功皇后の新羅遠征の決意は固かった。任那上陸方針が決まると、葛城襲津彦は直ちに任那にいる兄、木羅斤資に、その旨を伝える使者を送った。
〇
十月十日、神功皇后は伽耶津の鏡山の山頂で戦勝を祈願し、伽耶津の港に船団を集め、出発の時を待った。神功皇后はいざ出航となると心配でならなかった。
「烏賊津よ。私はここから見えるあの山頂で、宝鏡を天照大神様に捧げ、戦勝を祈願した。天照大神様は私たちの出征を正しきとされた。更に念の為と思い、吾瓮海人烏麿を西海に出し、西方に国があるか調べさせた。ところが烏麿は国が見えませんと言って帰って来た。彼は私の夫と同じく何も見えなかったでしょうか。海の向こうに、本当に国は無いのでしょうか?」
烏賊津は、その言葉を聞いて、世の中には愚かな奴がいると思った。この伽耶津は大陸の伽耶と交流があるから伽耶津というのであって、何故、国が見えませんなどと答えるのか、吾瓮海人の頭を疑った。
「皇后様。烏麿の眼が悪いのです。我らが兄弟国、任那より、毎年、朝貢の使者が来るというのに、何故、国が無いなどと言えましょう」
中臣烏賊津は、国が見えないなどと発言した吾瓮海人烏麿に腹が立った。そんなところへ、大三輪鴨積が、もう一人の海人を捜して来た。
「皇后様。岡県主熊鰐殿の治める志鹿島の海人、草と言う者が、只今、西海から戻ったとのことです。彼にお会いし、烏麿と同じことをお聞きしますか?」
「おお、そうですか。その者に是非、私は会いたい。会って訊きたい」
「では、早速、ここに呼びましょう」
神功皇后の要請を受け、大三輪鴨積は側近に志鹿島の海人、草を連れて来るよう指示した。その草を岡県主熊鰐が連れて現れた。
「皇后様。この者が志鹿島の草です」
岡県主熊鰐に神功皇后の前に連れ出された草は、船床に手をついて身震いした。余程、緊張しているらしい。その草に神功皇后は優しく訊ねた。
「草よ。海のお仕事ご苦労さま。ところで、貴男は西方の海から戻ったそうですが、西方の海の向こうに国が見えましたか?」
「・・・・」
草は無言。何も答えなかった。熊鰐は、緊張して言葉も出せない草に、神功皇后同様、優しく話しかけた。
「草よ。何も恐れることは無い。お前が海で見たこと、知っていることを、ありのままに申し上げなさい」
顔を良く知る熊鰐の言葉に促され、草が口を開いた。
「はい。ありのままを申し上げます。西方の海の向こうの国は、余程、目が良くないと見えません。そこにあるのは耽羅国です」
「新羅国では無いのですか?」
「新羅国は西方で無く、北方の海の向こうにあります。今、北西の海の向こうに山があり、雲が横たわっているでしょう。あれが一支島です。そのずっと向こうに任那の沙都島があり、新羅は、その奥にあります」
志鹿島の草は、烏麿と違って、広い海を自由に駆け回っているらしく、実に明確に答えた。神功皇后は感心し、伽耶津の港から見える島を見つけて草に質問した。
「あそこに見える島は何という島ですか?」
「神集島です」
その草の答えに同調し、伽耶津まで神功皇后を見送りに来ていた伊都県主五十迹手が申し上げた。
「そうです。草の申す神集島です。私は、その昔、中臣烏賊津殿の父君、臣狭山様と任那に渡海したことがあります。その時、私たちは、あの神集島で祈願し、一支国に渡り、そこから更に対島国に行き、沙都島を経て、任那国に訪問しました。私が、このような老体でなければ、皇后様の御供をさせていただきたいのですが、何しろ、この老体では無理です。総ては葛城襲津彦殿と中臣烏賊津殿に伝えてあります。二人の指示に従い出発すれば、あっという間に任那に到着致します。海の北西には必ず、任那の国があり、その北隣に新羅や百済があります」
それは伊都県主五十迹手が、その昔、任那に渡海した時の話であった。それを聞き、神功皇后は勇気づけられ、これから従軍する幹部兵に告げた。
「皆の者。伊都五十迹手の話を聞いたか。この海の北西には間違い無く宝の国、新羅がある。これから、任那に向かって乗船する。そして現地に到着次第、任那と連合軍を結成し、新羅と戦う。新羅と戦うにあたって、前もって皆さんに約束してもらいたい五か条があります。良く聞いて下さい」
すると、大三輪鴨積が皆の前に出て、ことの重要さを示す為に、一言、喋った。
「皆さん、良く聞いて下さい。もし、この皇后さまの御注意に逆らう者あらば、その者は、皇后様が手にしておられる斧鉞によって、処刑されることになります。そうならないよう、皆さん、耳をかっぽじいて皇后さまの御注意、五か条を聞いて下さい。では皇后様、お願い致します」
それを受けて、神功皇后は注意点五か条の訓示を行った。
「では遠征にあたっての注意事項、五か条を伝えます。先ず第一は上官の指示命令に正しく従うことです。一人でも指示命令に従わぬ者が出ると、士気を励ます鉦鼓の音が乱れ、軍の旗も乱れる。そうなって来ると軍卒が整わず、戦いに敗れる原因となります。上官の指示に絶対従って下さい。第二は戦乱に乗じて、財を貪り、物を欲しいと思ってはなりません。私欲に未練があると、きっと敵に騙され、敵に捕らえられ、殺されます。第三は敵の数が少なくても、決して侮らないことです。また敵の数が多くても、挫けないことです。常に油断せず、気を引き締め、勇気をもって、事に当たれば敵に勝てます。第四は暴力で婦女を犯してはなりません。自ずから降参する者を殺してはなりません。弱い者いじめをしてはなりません。戦いに勝てば必ず恩賞をいただくことが出来ます。最後、第五に言っておくことは、倭国軍から逃亡してはなりません。どんなに辛くとも、共に戦って下さい。逃亡した者は総て厳罰に処します。以上です」
神功皇后の明確な訓示に誰もが神功皇后の五か条の注意点を肝に命じた。続いて大三輪鴨積が、いよいよ出発するに際し、更に幹部兵の意気を高める為、一同に大声で言った。
「では、これから出発するが、その前に中臣烏賊津殿より、本日の神様のお告げを皆に伝えるので、心引き締めお聞き下さい」
大三輪鴨積の要請を受け、中臣烏賊津が、船の舳先に立った。
「我々の出航に当たり、天照大神様からのお告げがありました。それを伝えます」
中臣烏賊津は、そう言うと鏡山に向かい手を合わせ二礼二拍手一礼してから、再び幹部兵一同に向かって神託を述べた。
「この大神は天上より、神功皇后とその臣下の出発をはっきりと目にした。神功皇后の意気込みと臣下への指示は徹底しており、万全であると窺った。和魂は皇后の命を守り、荒魂は先鋒となって軍船を導き、一同の願いは必ず叶えられる。これから神集島に立ち寄り、神々を祀り、宝の国へ向かうが良い。そこには幸福が待っている。勇んで行って来るが良い」
中臣烏賊津の神託が終えると、岡県主熊鰐が部下たちに指示した。先ずは広い海を駆け回っている草に言った。
「草。出発の準備だ。西方より戻ったばかしのお前には気の毒だが、神功皇后様をはじめとする軍兵が御出航される、手慣れた仲間で出発を手伝ってくれ」
「草。喜んで、お引き受け致します。なんなら草も任那へ同行致しましょうか?」
「それには及ばぬ。戦さは騎馬戦じゃ。お前が泳ぎ回って活躍する出番は無い」
その会話を聞いていた神功皇后が熊鰐に言った。
「熊鰐よ。草も連れて行くが良い。海を渡ることは大変なことじゃ。草のような航海に慣れた若者が、一人でも欲しいところじゃ」
神功皇后の言葉に、草は跳び上がって喜んだ。
「皇后様。有難う御座います。草、頑張ります」
そんな草の喜ぶ顔を見て神功皇后は微笑し、熊鰐と草に命じた。
「では早速であるが、その手始めに依網吾彦男垂見を神集島に案内せよ。彼に私たちの武運長久を祈らせるにじゃ」
「畏まりました。草よ、これから儂が紹介する依網吾彦男垂見殿を神集島にお連れして、我らが武運長久を祈る祭主とせよ」
「分かりました。草は早速、小舟で、神集島に渡り、吾彦男垂見殿に武運長久を祈るよう伝達致します」
かくて神功皇后は、神集島に諸神を祀り、十月十三日、追い風に乗って、伽耶津の港から堂々と船出した。
〇
伽耶津の港から出発した大船団は、先ずは一支国の亀の浦に立ち寄り、一泊し、翌日、一支国から対馬国の浅茅浦に到着した。神功皇后は、そこで対馬県主高耶彦に会い、新羅や任那の状況を確認した。高耶彦の話では、新羅の奈勿王が領土を広げようとしていて、あちこちで摩擦を引き起こしているとのことであった。大陸の状況を再確認した大船団は、浅茅浦から対馬の北端、鰐浦を経由して、そこから一路、任那に向かった。岡軍の軍船を先頭に、安曇軍、武軍、伊都軍、穴門軍、出雲軍、佐波軍、吉備軍、松浦軍の軍船がそれに続いた。男装をされた神功皇后は穴門践立の指揮する船に乗り、腰に早産を防ぐ石を巻き付け、武装、凛々しく、船中に立ち、烏賊津と共に神に祈った。風の神は風を起こし、波の神は波を立上げ、海中の魚群は船を押して進行を助けた。追い風に乗った倭国の軍船は、たちまちにして沙都島脇を経て、任那国の主浦に到着した。任那の民は倭国の船団が来航することを、あらかじめ知らされていたが、その船の多さに驚き、逃げ惑った。神功皇后は、早速、葛城襲津彦と中臣烏賊津を任那大王のもとに派遣し、面会を申し込んだ。神功皇后に会いたいと願っていた任那大王、五百城入彦は大いに来訪を喜び、神功皇后を金官城に招いた。金官城の衛兵に案内され、大広間に入ると、葛城襲津彦の兄、木羅斤資が笑顔で現れた。
「倭国女王、神功皇后様、ようこそ任那にお越し下さいました。私は任那大王、五百城入彦様に仕える木羅斤資と申します。皆様の御来訪を心から歓迎申し上げます」
「出迎えご苦労様です。貴男の父君、武内宿禰や、ここにおる貴男の弟、葛城襲津彦には何時も大変、お世話になっております」
「こちらこそ、一族の者がお世話になっており、感謝しています。只今より、任那大王様が、お見えになりますので、よろしくお願い申し上げます」
「分かりました」
神功皇后は指定された台座に座り、任那大王の現れるのを待った。任那大王とは、どんな人物であろうか。会うまで心配であった。しかし会ってみれば優しい白髪の老人、武内宿禰に良く似ていた。部屋に入って来るなり、任那大王の方から声をかけて来た。
「おおっ、貴女が噂に高い神功皇后様ですか。青海を越え、この任那まで、良くぞ御出で下された。儂が任那王、五百城入彦である。大船団を連れての、自らのお出まし、木羅斤資から話は聞いていたが、本当だったので、びっくりしておる次第です」
「このような武装をしての無礼な訪問、お許し下さい。私は新羅王に会う為にやって参りました」
「新羅王に会う為とは、大業な!」
「はい。新羅の奈勿王は熊襲の羽白熊鷲と共謀し、倭国の一部を占領しようとしました。その為、秘密ですが我が夫、仲哀天皇や木羅斤資殿の兄、蘇我石川が命を落としました。幸い、熊襲を退治出来ましたが、まだ新羅との決着がついておりません。私は何故、もと辰国の仲間でありながら、倭国を占領しようなどと、良からぬことを考えたのか、その理由を尋問する為、自ら新羅王に会いに渡海して参りました」
神功皇后は、新羅王の悪事を任那大王に訴えた。それを聞いて、任那大王は腕組みした。
「新羅の奈勿王は今が、新羅の領土を拡大する絶好の機会と考えている。今や漢は三国が滅び、魏の後を継いだ晋も南下して中原から去った。その為、遼東では燕国の慕容が、契丹、高句麗、百済への圧力を繰り返し、領土を広げようとしている。その外圧が少ない新羅は、悪い心を起こし、この任那にも攻撃して来ている。しかし、我が息子に勝てず、何時も退散する始末。その失敗にも懲りず、倭国まで手を伸ばそうとしたとは・・」
「出雲では、新羅軍が攻撃して来たので、私も直接、対峙し、新羅兵を追い返しました」
「して、奈勿王に会ってどうしようとするのです」
任那大王は倭国の武装した軍団を目にして、新羅国との戦争に巻き込まれるのではないかと危惧した。神功皇后は、その任那大王に、自分の考えを伝えた。
「今回、私たちは三千隻の軍船に八万の兵を乗せ、やって参りました。貴国の主浦に一千隻を待機させ、後の二千隻は、新羅の東岸、太白山に沿って六万の兵を乗せて待機させております。このことを奈勿王に会って説明し、倭国を攻めるような悪事をせぬよう注意し、倭国に朝貢を約束させます」
それを聞いて、任那大王、一瞬、顔を曇らせた。
「すると、この任那と同様、新羅を倭国の属国にしようとでもいうのかな?」
任那大王の言葉には剣があった。神功皇后は、その任那大王の心を読み取って答えた。
「任那は倭国の属国ではありません。倭国の故国です。倭国、そのものです。それ故、成務天皇様の弟君の五百城入彦様が、御統治なされておられるのではありませんか」
「それは、そうじゃな」
任那大王は神功皇后の返答に感心した。そして自分の発言の愚かさに苦笑した。そこで神功皇后は、任那大王をじっと見詰め、任那大王にお願いした。
「そこで任那大王様にお願いが御座います。この神功皇后に力を貸して下さい。新羅の奈勿王に会いたいのです。新羅王に会う手立てを、お教え下さい」
その言葉を聞いて、任那大王が傍に控えている木羅斤資に言った。
「木羅斤資よ。真若を呼べ!」
「真若?」
神功皇后が、不思議そうな顔をして首を傾げると、任那大王は笑った。
「我が息子の名じゃ」
そして、しばらくすると、木羅斤資に案内され一人の若者が登場した。威風堂々とした若者であった。
「父上、お呼びでしょうか」
「真若よ。ここにおわすは、倭国、仲哀天皇様の后、神功皇后様じゃ。新羅の奈勿王に会う為、任那に来られた」
すると若者は床にひれ伏し、神功皇后に挨拶した。
「神功皇后様。ようこそ任那に、お来し下さいました。私は五百城入彦の嫡子、譽田真若です。若輩者ですが、よろしくお願い申し上げます」
「まあっ。何と凛々しい。任那の皇太子に相応しい御立派なお姿。こちらこそよろしくお願いします」
美しい神功皇后の笑みと優しい言葉を受けて、真若は赤面した。任那大王は、その真若に言った。
「真若よ。神功皇后様は、新羅の奈勿王に会いたいと申されておる。奈勿王に会う、何か良い方法は無いか?」
任那大王の問いに真若が答えた。
「父上。新羅、奈勿王は神功皇后様が大船団で任那に来られたことを既に知っております。大船団の波が、新羅の東海の村の中にまで及んだとのことです。奈勿王は臣下を集め、言ったとのことです」
「何と?」
「東海の海水が国の中まで上がって来たことは、新羅建国以来、かって聞いたことが無い。天運が尽き、国が海になるかも知れない。軍船は東海に満ち、旗は日に輝き、鼓笛は山河に響いている。これは、きっと倭国の軍隊が新羅討伐にやって来た証拠である。倭国は神の国であり、女王が国を治めているという。きっと、その倭国の神兵がやって来たのだ。とても兵を挙げて戦うことは出来ない。奈勿王はそう言ったとのことです。これは、奈勿王が、私のところへ、先程、送って来た使者の話です」
「その使者は、どんな内容を伝えて来たのか?」
「内容は倭国と新羅の和睦の仲介依頼です。使者は仲介依頼までの経緯を私に話しました」
「どんな経緯を?」
神功皇后は真若に訊ねた。
「七年前、新羅は倭国の熊襲にいる女王、田油津媛と将軍、羽白熊鷲に頼まれ、倭国の出雲を攻撃しましたが、別の倭国女王が神兵と共に現れ、新羅からの派遣軍は全滅させられたとのことです。その時、倭国女王に命を助けられた阿智は帰国して、新羅王に報告したそうです。〈倭国は新羅の敵では無く、新羅の天日矛の一族も暮らす、味方の国です。遼東や高句麗から攻められ困った時は、倭国に援軍を依頼すれば、倭国は任那を通じ、即刻、応援の派兵をすると、女王が約束してくれました〉と。すると奈勿王は、倭国の内乱を様子見することにしたそうです。そして現在、新羅では高句麗が鮮卑に押され南下して来ているので、倭国に救援を依頼しようかと重臣たちが奈勿王と相談をしていたそうです。そんな矢先、突然、倭国の大船団が東海に現れ、奈勿王は驚愕し、慌てて、任那に、仲介を頼むよう使者を派遣したとのことです。その使者は七年前、倭国に行ったことがあるという阿智という男です」
「阿智?」
神功皇后は何処かで聞いた名であるような気がした。真若は更に話を続けた。
「阿智は倭国の将軍に伝えて欲しいと言っております」
「何と?」
「もし新羅が、出雲より退去した後、新羅王の下臣が助命されたというのに、倭国に対し、何の貢物も贈らず、失礼であったことを怒り、今回の渡海になったのであれば、それは地に頭をつけ、謝りたい。いずれにせよ、即刻、倭国将軍にお会いし、総てをお詫びしたいので、任那大王様を通じ、倭国将軍に取り持って欲しいと」
「それで、お前は何か返事したのか?」
「いいえ、まだです。父上に相談すると伝えてあります。ですから、奈勿王に会うのは簡単です。その使者に、奈勿王との面談を約束すれば良いことです」
真若の説明に任那大王は頷いた。神功皇后が真若に質問した。
「その使者は、まだ任那に滞在しているのですか?」
「はい。この金官城内にて、任那大王様の返事を待っております。ここに呼びましょうか」
「そうですね。ここに呼んで下さい」
神功皇后の要請を受け、真若は木羅斤資に命じた。
「木羅斤資よ。使者をここに連れて来てくれ」
「ははーっ」
木羅斤資は、そう返事するや、新羅の使者を連れに部屋から退出した。神功皇后は真若からの話を聞いて、あの出雲の海戦にて、命を助けた若者のことを思い出した。しばらくすると木羅斤資が、新羅の使者二人を引き連れて部屋に現れた。神功皇后の顔を見るや、新羅の使者は床にひれ伏し、涙を溢れさせて言った。
「女王様。お懐かしゅう御座います。七年前、女王様に出雲で命を助けられた阿智です。こちらは、あの時、一緒だった阿珍将軍です。女王様に再び、お目にかかれるとは、まるで夢のようです」
まさに神功皇后が先程、思い出していたばかりの出雲で出会った新羅の男であった。神功皇后は、新羅の使者、二人に駆け寄った。
「おお、阿智。阿智ではないか。私も貴男に再会出来て夢のようです。元気で何よりです。奈勿王の使者が、阿珍将軍と貴男であるとは、思ってもいませんでした。私は奈勿王に会う為、任那にやって来ました。一日も早く奈勿王に会い、奈勿王の倭国に対する考えを聞き、倭国に戻りたいと思っています。任那大王様と共に奈勿王に会う便宜を計って下さい」
「お優しい女王様の御言葉に感謝申し上げます。奈勿王様もまた女王様にお会い出来ることを心から望まれておられます。何時、何処で面談したいと伝えたら良ろしいでしょうか」
阿智の問いに神功皇后が戸惑っていると、任那大王が答えた。
「では二十四日、卓淳の城で会おう。真若。卓淳の城に人を派遣し、奈勿王との会談の準備を始めよ」
「分かりました。阿珍将軍は新羅に戻り、卓淳城での会談の日時を奈勿王に伝えよ。阿智は、その日まで、こちらで預かる。木羅斤資は卓淳まで行き、関係者と緊密な連携を図り、会談の為の警備を整えよ」
真若の指示は、てきぱきとしていた。神功皇后は、余りにも早く新羅王との面会予定が決まったので、任那大王、五百城入彦に心より感謝した。
〇
十月二十四日、神功皇后は任那大王と共に従者を引き連れ、卓淳の城に入り、新羅の奈勿王と面談した。護衛兵を従え卓淳城にやって来た奈勿王は、任那大王に挨拶した後、神功皇后に平身低頭、恐縮しっ放しだった。
「倭国大王、神功皇后様。私が新羅王、宇留助富利智干、奈勿です。遠い東の国から、ようこそお越しく下さいました。女王様のことは七年前、倭国より帰還した阿智より、詳しく伺っていました。その慈愛に満ちた御政道により、倭国の民の尊敬と信頼を一身に浴びた神功皇后様の御姿は、まさに眩しい菊の花のような美しさです。私はここに、新羅の地図や戸籍を差し出し、この国を女王様の御統治下にしていただきたいと願っております」
余りにも低姿勢で呆気ない、奈勿王自らの服従の言葉に、神功皇后は母、葛城高額媛から教えられて来た新羅との関わりを思い出し、情け無く涙をこぼしそうになった。
「奈勿王様。新羅を倭国の統治下になどと納得出来ぬ事を私に申されますな。私は新羅王、儒礼、天日矛五代の女王です。言ってみれば貴男と私には同じ血が通っているのです。それ故、私は貴男の国を統治するなどと考えておりません。かって阿智に語ったように、互いに侵すことなく、兄弟国、仲良くやって行こうと言っているのです。阿智の語ったところでは、高句麗の南下に苦労されているとの話だったので、万一、救援依頼の話があれば、任那に数万の兵を船で送り届け、何時、如何なる時でも、新羅に加勢出来る体制作りをして参りました。今回も、八万の兵を率いて来ております。安心して私たちに希望を述べて下さい」
神功皇后の言葉に奈勿王は涙ぐんで言った。
「私は愚か者で、私の縁戚のお方が、倭国王族におられるとは知りませんでした。自分の無知無能に呆れております。あの田油津媛と羽白熊鷲の誘いに乗り、出雲に攻め込んだことを、深く反省しております。それなのに女王様は、私たちに加勢する為、沢山の兵を任那に派遣下されました。何と言って感謝して良いのやら、その言葉がありません」
「感謝に及びません。新羅は任那と同じく、辰国時代からの私たちの仲間なのです。困った事があったら、何でも相談して下さい」
神功皇后は、倭国を出発する時と違って寛大だった。葛城襲津彦が荒田別と新羅王を殺そうかと合図したが、誉田真若がそれを制した。奈勿王は神功皇后に降伏を申し出、神功皇后は今、夢に描いていた金銀の国を、無血で授かろうとしていた。何も降伏を申し出た奈勿王を殺すことはない。奈勿王は、打ち解けて来たこの時とばかり、神功皇后に高句麗の理不尽な侵攻を訴えた。
「高句麗は故国壌王が亡くなられ、若き広開土王が、その領土拡大に夢中です。彼は燕国の慕容に攻められながらも、百済や新羅に時々、攻撃を仕掛け南下しようとしています。彼はかっての故国原王の繁栄時代に国土を戻そうと、軍隊を増強しています。私たちは乱暴な彼らに応戦しながら、かろうじて国を守っている次第です。それ故、私は新羅を縁戚の神功皇后様に委ねようかと思っております」
「国王たる者が、そんな弱気では困ります。新羅の国民は貴男を頼りにしているのです。私は貴男に新羅を守ることを、お願いします」
「勿体無い話です」
奈勿王は、安堵した。神功皇后は抜け目なかった。柔らかな言葉の中にも、油断無い思慮深さがあった。
「何で勿体無いことがありましょう。貴男は私の縁者です。これからは互いに交流を深め、お互いの国を繁栄させるよう頑張りましょう。この際、私は私の優秀な将軍、烏賊津臣を任那に残して帰ります。困った事がありましたら、ここにおられる任那大王様や烏賊津臣に相談して下さい」
神功皇后の言葉に奈勿王が答えた。
「誠に有難う御座います。私は今日のこの日の会談を機会に、今後は末永く倭国に服従し、天皇家の騎馬を飼育する役目に就きましょう。派遣船を絶やさず、春秋には馬の手入れ用の刷毛や鞭を奉りましょう。また求めが無くとも、男女の手になる新羅の珍しい産物を献上致しましょう」
「倭国もまた、新羅に定期的に使者を出しましょう。そして任那と共に、お互いの繁栄を確認し合いましょう」
神功皇后は任那大王による今回の会議に大満足だった。奈勿王の能弁にも、うっとりした。
「神功女王様。この奈勿王、女王様の広き御心に深く感謝申し上げます。私は新羅王として、東に昇る日が西から昇らぬ限り、阿利那礼川の水が逆に流れて、川の石が天に昇り、星になることが無い限り、倭国に朝貢を続けることを誓います。もし春秋の朝貢に欠け、馬の梳や鞭の献上を怠ったなら、天地の神様の罰を受けても仕方ありません。私は、これから倭国王室の内宮家として絶えることなく、倭国王に朝貢致します」
奈勿王の言葉を聞き、神功皇后が奈勿王を見詰めて言った。
「奈勿王の心遣い有難く思います。しかしながら、真実、倭国と交流しようと思うなら、貢物だけでなく、優秀な人物を倭国に送るべきです。私が優秀な将軍を、任那や貴男の国に残すように、貴男も倭国に人を派遣すべきです」
奈勿王は神功皇后の優しく美しい面輪の中に、厳しい人質要求を感じ取った。
「仰せの通りです。近く、我が子、微叱許智を倭国に派遣することを、この場で、お約束申し上げます」
かくして卓淳城での国王会談は終わった。結果、新羅国は新羅王家から倭国に人質を出すこと、春秋に必ず、倭国に朝貢の使者を出すことなどを約束し、倭国の将軍の監督下で、今まで同様、奈勿王が新羅を統治することとなった。
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十月末、神功皇后は卓淳城から任那の金官城に戻り、任那大王の助けを借り、倭国への帰国の準備に入った。新羅遠征が、国王会談により、無血で終わったからといって、油断出来なかった。新羅、奈勿王からの依頼もあり、高句麗南下の防衛の為の援軍を残さなければならなかった。その為、全軍、直ぐに引き上げるわけには行かなかった。その間、神功皇后のお腹は目立って大きくなった。もしかしたら侍女、但馬由良媛の手を借りて、任那で出産することになるのではないかと思ったりした。そんな時、百済から、辰斯王の使者がやって来た。
「神功皇后様。百済、辰斯王の使者がやって参りました。倭国女王様にお会いし、貢物を献上したいとのことです」
真若の報告に神功皇后と任那大王は顔を見合わせた。神功皇后は了解した。
「お会いしましょう」
神功皇后に許可をいただき、百済、辰斯王の使者が部屋に通された。その席に、真若と木羅斤資と中臣烏賊津らも臨席した。百済の使者の一人、久氐が緊張して申し上げた。
「百済国、辰斯王の使者、久氐です。倭国、神功皇后様の御来訪を知り、我が国の貢物を献上する為、漢城からやって参りました。お帰りの時の荷物となりましょうが、金、銀、太刀、鏡、絹、綾織物など、百済の貢物をお持ち帰り下さい」
任那大王と共に並んで椅子に座っていた神功皇后は大きくなった腹を突き出し、辰斯王の使者、久氐に言った。
「久氐とやら、遠路はるばる御苦労であった。本来なら、この神功、漢城まで赴き、辰斯王に面談し、直接、この礼を述べるべきであろうが、私も国内に取り残して来ている諸々の用事があり、間もなく、帰国せねばなりません。その為、辰斯王に会う事も叶いません。辰斯王には、私が呉々もよろしく言っていたと、お伝え下さい」
その言葉を聞いて久氐は答えた。
「お忙しいところ、お目通りいただき、誠に有難う御座いました。神功皇后様を漢城に、お招き出来ないのが残念です。久氐、漢城に帰り、神功皇后様のお人柄、その美しさ、心の深さを辰斯王にお伝え致します」
「今回の私の訪問は新羅の奈勿王に会い、倭国に弓を引くような事をせぬよう忠告に参ったのです。私たち倭国には軍事力をもって他国を攻撃し、領土を奪い取ろうなどという考えは微塵もありません。お互いが親交を深め、幸せになることです。私は奈勿王と良く話し合いをしました。奈勿王も私の忠告や意見を聞き、納得してくれました。私は目的を果たしたので、後は任那大王様にお任せして帰国します。この次に来る時は辰斯王にお会いしたいと思っております」
神功皇后の落ち着いて答える堂々としたお姿を目の当たりにして、久氐は畏怖しつつ申し上げた。
「その時が早い事を私たち百済国民一同、首長くしてお待ち申し上げます」
神功皇后は百済の都を想像した。どんな王都なのだろうか。行って見たい気もしたが早く帰国せねばならなかった。
「折角、ここまで来て、漢城の都を見る事が出来ず、私は実に残念です。それ故、私の代理を、貴男に同行させますので、漢城まで案内して下さい。そして漢城の素晴らしさを、彼に披露して下さい。彼の名は中臣烏賊津と言います。その先祖は、貴男の国の月支国に住んでいたと言う話です」
神功皇后の紹介の言葉を受けて、中臣烏賊津が臣下席から一歩、進み出て、久氐の前に跪き挨拶した。
「只今、神功女王様から紹介された中臣烏賊津です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」
「私の先祖、天御中主命は、かって馬韓の月支国で暮らしておりましたが、天押雲命の代に、辰国の王子、邪馬幸様と共に海を渡り、奴国の倭人と共に倭国建国に活躍しました。私は幸いにも、神功女王様の随員として、今回、その父祖の地を踏むことが出来ました。しかし何処に月支国があったのか全く分かりません。お手数とは存じますが、後日、その地を、お教え下さい。また漢城に赴き、辰斯王様と会見させていただき、神功女王様からの、お礼の言葉を、お伝えしたいと思いますので、よろしくお願いします」
「我ら一同、喜んで烏賊津様を、漢城に御案内致します。また月支国のあった場所にも御案内致しましょう。天御中主命様は秦の始皇帝の後胤で、月支国を建てた聖王であると伝えられているお方です。その墳墓も御座います」
神功皇后は烏賊津の先祖の正体を知って驚くと共に、その烏賊津が自分の代理として任那に残り、百済や新羅らの諸国に対応する倭国の大使として、活躍することを願った。
「烏賊津臣よ。長い間、私の側に仕えてもらい、無理を言った。ここでまた百済への使者として、大役を仰せつけるが、よろしく頼みます」
「心配、御無用に御座います。私の父、臣狭山も、その昔、伊都県主五十迹手殿と百済に訪問し、大役を果たされたと聞いております。私も父に負けず、役目を全う致します」
烏賊津の言葉に神功皇后は涙ぐんだ。新羅王に会ってから神功皇后は涙もろくなっている自分を反省し、拳を握り締め久氐に頼んだ。
「久氐殿。聞いての通り、中臣烏賊津は百済とは因縁の深い男。手数をお掛して申し訳ないが、漢城におられる辰斯王に会わせてやって欲しい」
「畏まりました。この久氐、責任をもって、烏賊津様を漢城に御案内致します」
百済の辰斯王の使者、久氐は、神功皇后の要望に応じて、数日間、任那に留まり、良く晴れ渡った日に、中臣烏賊津たちと連れ立って、漢城に戻って行った。
〇
神功皇后は、自分の審神者を長年務めて来てくれた中臣烏賊津を見送ってから、落ち着きなく帰り支度を始めた。任那で話す神功皇后の言葉のそれぞれの中に別離の予感が滲み出ていた。神功皇后は新羅の奈勿王との決着も無事終了し、百済の辰斯王の使者とも面談し、任那大王に感謝の気持ちを伝えた。
「任那大王、五百城入彦様。私は今回、夫の反対を押し切って渡海し、貴男様を始め、真若様にお会い出来、本当に幸せでした。新羅の奈勿王にも会えたし、はたまた百済の久氐殿とも面談出来ました。皆さんにお会いし、世界の情勢が把握出来たこと、今後の政道に役立てたいと思っています。これからもまた健康の許す限り、自ら交流の為、任那や百済に訪問したいと思っています」
任那大王、五百城入彦は、自分を尊重し、立ててくれる神功皇后の言葉を嬉しく思った。
「仰せの通りじゃ。儂も倭国より任那大王として派遣され、世界の広大さを知った。また敵の脅威も知った。任那広しといえども、世界の広大さから見れば、ほんのわずかな半島の先端。陸続きで、その先には沢山の大国が連なっている。この中で、国家としての安定を計り、国を治めて行くことは、大変なことである。我が息子、真若も、この荒波にもまれながら、任那の地を守備して行かねばならない運命を背負っています。真若をよろしくお願いします」
任那大王は年老いた自分の亡き後のことを考えてか、息子、真若の支援を神功皇后に依頼した。真若も、それを聞いていて神功皇后に深く頭を下げた。
「未熟者ですが、この真若のこと、お引き立ての程、よろしくお願い申し上げます」
「倭国と任那は遠い昔からの身内です。それ故、苦しい時は助け合い、嬉しい時は喜び合う。この間柄を何時までも絶えることなく、永続させて行きましょう。お願いしなければならないのは、私の方です」
神功皇后は任那大王親子に深く頭を下げた。そんな律儀な神功皇后を任那大王は信頼出来る女王だと思った。それから二日後、神功皇后は木羅斤資と津守住吉を新羅に派遣し、奈勿王の家の門に神功皇后の御杖を突き立て、新羅人らに住吉三神を守護神として鎮め祭ることを命じた。そして十一月中旬、神功皇后は新羅征討を終え、任那大王たちに見送られ、任那国の主浦から軍船を引き連れ、帰路についた。