倭国の正体『愛しき人よ』⑤

2021年5月14日
倭国の正体
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■第5章 海を越えて

 建安十三年(208年)の秋、十月、邪馬台国王、邪馬幸は二十隻の船に玄雄副将軍ら家臣兵と難升米ら倭人兵を従え、懐かしき辰国の富山港に到着した。台風に遭遇することも無く、穏やかな船旅であった。塩土、布津、赤女や元辰国の兵や船乗りたちは、港に上陸するや、数年前と変わらぬ辰国の香りに歓喜し、にわかに活気づいた。難升米ら倭人兵たちは大陸の異様な景色に驚いた。邪馬幸は、先ずは伽耶に向かい、父、辰王天津彦に面会することにした。辰国の日支城から避難して伽耶の高霊城にいる辰王の所へ行くと、辰王、天津津彦は耆老、首露、奈解らの助けを得て、何とか辰王の威信を保っていた。辰王は息子、邪馬幸王の逞しく成長した姿を見て喜んだ。邪馬幸と共に玄雄副将軍、塩土も同席し、渡海してからの倭人の国々の統一過程を語り、邪馬幸が邪馬台国王となった今日までの経過を説明した。また妃、豊玉姫や、赤女、難升米らの紹介もした。魏公の娘、麗英公主は邪馬幸の皇后として、邪馬台国で押雲と共に留守を守っていると話した。

「流石じゃ、邪馬幸。目的の為に真直ぐに進む。それこそ我が東明王の血を引く英雄じゃ。烏弥幸は他所見してばかりしていて、曲がった生き方をしているが、お前はそのまま真直ぐに進むが良い。良く来てくれた。余は嬉しいぞ」

 辰王天津彦は邪馬幸の帰国を喜ぶと共に、邪馬幸に同行して来た塩土や玄雄副将軍たちに感謝を述べた。また赤女が帰国し、耆老と親子対面出来たことに感激した。耆老は水死したと思っていた娘との再会に号泣した。邪馬幸は辰国から渡海し倭人の島での年月の経過報告を終えると、心配になっていた現在の半島の状況を辰王に確認した。その結果、様々なことが分かった。遼東の南下によって辰国の滅亡を回避するた為、父、天津彦は天孫の流れを二分し、邪馬幸を倭人の島に避難させ、邪馬幸は邪馬台国を建国した。だが兄、烏弥幸は半島にとどまり、遼東との激戦を繰り返したが、ついに遼東の圧力に屈した。そして今は公孫康の配下になり、辰国の存在を抹消し、父の支配を隠し、辰王を保護しているということであった。つまり遼東の公孫康にしてみれば、麗英公主を失いはしたが、辰国は滅亡し、その脅威は存在しなくなり、一安心という状況であった。

         〇

 父、辰王天津彦との面会が終わるや、邪馬幸は耆老や赤女や玄雄副将軍、難升米大将等を引き連れ、兄、烏弥幸のいる日支城へ向かった。その一行の到着は、直ぐに烏弥幸に報告された。それを聞いた烏弥幸はびっくりした。

「何っ。邪馬幸が儂に会いに来たと。何の為だ?」

「耆老様も御一緒です」

「理由は何だ。儂の配下になって仕えるいうのか?」

「理由は何も」

「まあ良い。広間に呼んで参れ」

「ははっ」

 烏弥幸の則近は烏弥幸が弟、邪馬幸の来訪を喜んでいない態度なので、驚いた。遠い海の向こうから折角、来着されたというのに、どういうことか。不思議に思いながらも側近は一行を広間に通した。邪馬幸にとって、懐かしい広間であった。烏弥幸は直ぐに広間の壇上に現れた。邪馬幸は耆老らと平伏して挨拶した。

「烏弥幸様。お久しゅう御座います。邪馬幸、海を渡り、邪馬台国の王となり、辰国の様子伺いに戻って参りました。数日前、父上にお会いして来ました。父上がお元気なので安心しております」

「そうか。しばらくであったな、邪馬幸」

「はい。兄上も益々、御健勝の御事とお喜び申し上げます。辰国王や辰国の民草の為に日夜、奮闘されて来られた兄上に、この邪馬幸、心より感謝申し上げます」

 邪馬幸は兄、烏弥幸の今までの御苦労に心を込めて感謝を述べた。すると、烏弥幸はせせら笑った。

「辰国から逃亡したお前が、倭人の国の王だと。笑わせるな。お前は何用あって戻って来たのだ。まさか釣り針を返しに来たのではあるまいの?」

 烏弥幸の言葉に、烏弥幸の重臣たちが、どっと笑った。邪馬幸は相変わらず、棘のある兄、烏弥幸の言葉であると思った。それと共に、昔、自分にペコペコしていた重臣たちの自分への態度が違っているのに気付いた。邪馬幸は答えた。

「その通りです。その釣り針を返しに参ったのです」

「何じゃと?」

「これがお借りしていた釣り針です。あの時の大魚から取り戻して参りました。長い間、お借りしていて、本当に申し訳ありませんでした」

 邪馬幸は、烏弥幸から借りた釣り針を烏弥幸に差し出した。すると烏弥幸の顔色が変わった。

「そんな馬鹿な。そんな夢のような話があるものか。それは贋物に決まっている。しばらくぶりだと思って甘い顔をしていれば、調子に乗りおって、嘘も良い加減にせい」

 烏弥幸は激怒した。周囲の者はどうしたら良いのか狼狽した。その時、耆老が進み出て言った。

「嘘では御座いません。それは本物です」

「耆老まで嘘を言うのか」

「嘘ではありません。赤女、前へ」

 耆老は娘、赤女の名を呼び、自分の隣に座らせた。呼び出された赤女は海幸の前で両手を床につけ烏弥幸に挨拶した。

「お久しゆう御座います。赤女です」

 そう言って自分を見詰める女を見て、烏弥幸は驚いた。

「お前は赤女。赤女ではないか!」

 海に沈んで死んだ筈の赤女が、今、眼前にいる。どういうことか。烏弥幸には信じられぬ現実だった。

「はい。赤女です。その釣り針は間違いなく、烏弥幸様の釣り針です。私が海に潜り流されながら、やっと大鯛から取り戻したものです」

「お前は、なのにどうして、どうして今まで、ここに戻らなかったのじゃ」

 それを聞かれ、赤女は詳細を語った。

「私は烏弥幸様の釣り針を取り戻す為、海に飛び込み、切れた釣り糸を手繰り寄せ、大鯛から釣り針を抜き取ろうとした瞬間、海底深く呑み込まれ、気がついてみると、その大鯛と一緒に、倭人の船に運び上げられていたのです。倭人たちは奴国王、綿津見様の漁民たちで、大鯛から烏弥幸様の釣り針を取り外し、私を奴国まで連れて行きました。それから私は海辺の芦屋で暮らし、烏弥幸様の釣り針を、ずっと大事に守つて参りました。私は奴国で生活しながらも烏弥幸様や家族のこと、故国のことを決して忘れず、故国に戻れる日を待ちました」

 赤目の言葉は、後半、泣き声に近かった。

「辛かったであろう」

「はい。私は何時も烏弥幸様と魚取りに行った時のことを思い出し、懐かしんでいました。二人で駈っこした砂浜。咲く浜茄子。松の木の多い岩場。夕日の入り江。それらのことを思い出し、何時も泣いていました」

「可哀想に・・・」

 烏弥幸の顔から邪馬幸に対する激怒の色が消え、赤女に対する同情と優しい男の慈しみの微笑みが浮かび上がった。

「そんな時、奴国王様の所に邪馬幸様が現れて、落ち着いたら私を烏弥幸様のもとへ送り届けてくれると約束して下さいました」

「この邪馬幸も奴国で赤女と再会し、驚きました。この奇跡を兄者が知ったら、どんなに喜んでくれるであろうと狂喜しました。早く赤女を兄者に会せてあげたい。早く耆老殿に会せてあげたい。そう思いつつも、倭人の国をまとめるのに時間がかかり、今日の日になってしまい、誠に申し訳ありませんでした」

「そうであったか。贋物の釣り針などと疑ったりして申し訳なかった。有難う邪馬幸。赤女。釣り針、しかと受け取ったぞ。長い船旅、疲れたであろう。今夜はゆっくり休息するが良い」

 二人の会話は昔の兄弟に戻っていた。長い年月、離れていたことが夢のようであった。

「ところで兄者。戦さはどうなっているのですか?」

「戦さ?」

「はい。遼東との戦さです」

「お前がいなくなってから公孫度が死に、お前たちが半島から失踪したとして停戦となった」

「公孫康がよく引き下がりましたね」

「彼は引き下がるような男では無い。我らの上に君臨したつもりでいる。百済を馬韓、新羅を辰韓、伽耶を弁韓と勝手に名付け、昔のように朝貢をさせている。そして今や彼は三韓を衛満郡とし、自分の統治下にしようとしている」

「兄者は、それを黙って見ているのですか?」

「馬韓の肖古は公孫康に味方している。触らぬ神にたたり無しじゃ」

「それでは、辰国の建国以前に戻ってしまうではありませんか」

「公孫康は三韓を衛満郡にすることが出来た暁には、肖古を衛満太守、烏弥幸を衛満都尉にしてくれるというのだ。有難い話だとは思わないか」

 烏弥幸には遼東に反抗する意思が消滅していた。父、天津彦が情熱をもって建国した辰国の滅亡を邪馬幸は憂えた。

         〇

 二日後、邪馬幸は赤女やこの地に残りたい辰国兵を置いて、父、天津彦のいる伽耶の高霊城に戻った。それから数日して烏弥幸は日支城に耆老を呼んで二人で密談した。邪馬幸の処遇についてである。

「耆老。お前は、今の度の邪馬幸の帰国をどう思うか。儂は邪馬幸がこの領土を奪いに来たと思っている。表面上は赤女を返しに来たと言っているが、それは偽りである。何も邪馬幸、自ら来ることでは無い。塩土にでも送らせれば良かったことではないか。見たか、耆老。邪馬幸が連れて来た船団には六百名ほどが乗って来たというではないか」

「はい、確かに。しかし邪馬幸様が、この国を奪いに来たというのは誤解です」

「何故?六百名もの兵を連れてだぞ」

「赤女は言っていました。辰国がもし遼東に従属させられて、辰王が痛めつけられているようであれば、邪馬幸様が王権を取り戻してやると仰有っていたと」

 耆老のその言葉を聞いて、烏弥幸は顔色を変えた。

「耆老。お前は分からぬのか。我々はもう辰国を捨てたのだ。辰国という国は何処にも無いのだ。今や我々は遼東王、公孫康様の配下であり、楽浪や帯方と同じく衛満郡として、遼東の群制の下にそれぞれ生きながらえているのじゃ。馬韓、辰韓、弁韓として、その名は残っているが、これはかっての辰国では無い。あくまでも公孫康様の支配する国の一部なのだ。これを取り戻す為に来たという邪馬幸の魂胆。これは辰王の王権を取り戻しに来たという美談では済まされない反逆である。まさに邪馬幸は間違いなく、この領土を奪いに来たのだ」

「いいえ、違います。それは誤解です。邪馬幸様は私たちを苦境に追いやるような人ではありません。私たちの幸せを考えておられるのです」

 耆老は邪馬幸の弁護をした。邪馬幸は亡くなったと思っていた赤女を自分の手元に連れて来てくれた恩人であった。だが烏弥幸の見方は違った。

「耆老。お前は邪馬幸の怖さを知らないのだ。邪馬幸は家族同胞を犠牲にしてまでも、自分の欲望を果たそうとする男だ。お前と楽浪の朝貢の時もそうであった。朝貢の帰りに、あいつが麗英公主を攫って来なかったなら、遼東との戦さは起こらなかった。そして戦さが始まり、自分の身が危うくなれば、父上をうまく騙し、海外逃亡だ。儂だったら父上を置き去りにして逃亡など出来ない。たとえ敵の奴隷になっても、父上と共に残る」

「でも邪馬幸様が倭人の島に移動したのは、辰王様の御命令と辰王様より直接、お聞きしておりますが・・・」

「命令であろう筈が無い。同じ兄弟を何故、父上が差別しよう。耆老よ。お前はどうしたのか。お前は赤女が戻って来たので、赤女を失った時の邪馬幸に対する憎しみと赤女を失った悲しみを忘れてしまったのか。あいつは一人の娘の死を儂のように泣きはしなかった。他人の釣り針を失くした程度にしか考えなかった男なのだ。儂はあの時、釣り針が欲しくて邪馬幸と口論したのでは無い。一人の人間、一人の娘の命の尊さを痛感したからこそ、邪馬幸を許せなかったのじゃ」

「分かっております」

「ならば邪馬幸を殺せ!」

「ええっ!」

 耆老は、ひっくり返る程、驚いた。震える耆老を睨みつけ、烏弥幸はうめくように続けた。

「邪馬幸は間違いなく、この領土を奪いに来たのだ。でなくして何故、あんなに多くの船団が必要なのか。邪馬幸を始末しないと、お前は楽浪へ行った時と同じ過ちを、また繰り返すことになるのだぞ。それはあってはならない事だ。邪馬幸を殺せ!」

 烏弥幸は威圧的だった。耆老は娘、赤女のことを思った。赤女と烏弥幸を復縁させたい思いがあった耆老は覚悟を決めた。

「烏弥幸様のお考え、とくと分かりました。首露殿たちと相談し、早急に対策を考えましょう」

「当人は勿論のこと、父上にも気づかれぬよう計画してくれ。邪馬幸、一人を殺せば、彼らは全員、逃亡する。失敗は許されぬぞ」

「はい。良く分かっております」

 かくして密談は終わった。耆老は赤女を連れ戻してくれた恩義ある邪馬幸を殺害せねばならぬ運命を呪った。どうしたら良いのか、日夜、苦しんだ。

         〇

 耆老は、烏弥幸から命じられた計画を長子、虎丘に相談した。虎丘は父、耆老の話を聞いて、どきりとした。狼狽えている父を落ち着かせてから、父に言った。

「父上。この話は他者に相談することでは御座いません。他の者に相談したら、誰かから漏れることも考えられます。気を許して、首露様たちに話す内容では御座いません。もしことが発覚したら、父上はじめ一族郎党、皆殺しとなります」

「ならば、どうすれば良いのじゃ」

「二人で実行するしかありません」

「お前と二人でか?」

「そうです。私がついております。心配しないで下さい」

 首露たちに共謀を依頼することは、かえって危険だという息子、虎丘の意見は最もであり、結局、耆老は、自分たち親子で邪馬幸を殺害する事を決定した。そして数日後、耆老親子は伽耶の自宅に邪馬幸を招待した。

「邪馬幸様。ようこそ我が館に、お越し下さいました。耆老、この上なき喜びに御座います」

「邪馬幸様。お久しゅう御座います。耆老の長男の虎丘に御座います。ようこそ、お越し下さいました。我が一門、邪馬台国王となられました邪馬幸様を、心より歓迎申し上げます」

 緊張しているのか虎丘の声が少し震えて聞こえた。

「この邪馬幸、親子しての歓迎に感謝する。耆老よ。お前も素晴らしい家族と後継者を得て、本当に仕合せだな」

「はい。お陰様で赤女も戻り、我が家は今、春のようです。何もかも辰王様御一家のお陰です。どうぞ、皆様、こちらの席にお座り下さい」

 邪馬幸は帯同した邪馬台国の大将、難升米と都市牛利を連れて、言われるままに耆老邸の庭園に設けられた観月亭の席に着いた。そして耆老に招待を受けた礼を述べた。

「本日は、我々、三名を招待していただき有難う。実に立派な庭園での鄭重なもてなしに深く感謝する。あらためて紹介しよう。こちらが私が頼りにしている倭人の首長、難升米である」

 すると直ぐに難升米が頭を下げ、耆老親子に挨拶した。

「邪馬台国の総大将、難升米です。どうぞ、よろしく」

 見るからに猛将に相応しい大男の挨拶だった。続いて邪馬幸が牛利を紹介した。

「こちらが牛利である」

「はい。私は邪馬台国の副大将、都市牛利です。これを御縁に、お付き合いの程、よろしくお願い申し上げます」

 牛利は礼儀正しい邪馬台国の俊英であった。耆老はその邪馬幸の従者二人にちょっと前かがみして半礼を返すと、まず邪馬幸に笑顔で酒を勧めた。

「さあ、邪馬幸様。再会のしるしに、お酒を・・・・」

 邪馬幸は耆老からの酒を受けた。難升米と牛利も虎丘からの酒を受けた。

「懐かしい辰国の酒じゃ」

 そう言って邪馬幸も耆老親子に酒を注ぎ、酒席が始まった。邪馬幸は耆老と酒を酌み交わしつつ、耆老にはお世話になったと昔を振り返り、互いに軽く笑い合った。一方、虎丘は倭人の大将、二人の酌に努めた。

「難升米様。牛利様。遠慮せず、辰国のお酒を、どうぞ、どうぞ」

「かたじけない。こんな御相伴にあずかろうとは、何と言って、お礼を申し上げて良いやら。実に美味い酒じゃ」

 酒好きの難升米は遠慮が無かった。虎丘と酒を注ぎ合った。牛利はそれに加わらず、酒に控え目だった。耆老は邪馬幸たちに料理を勧めた。

「邪馬幸様。両大将様。娘たちが朝から夢中になって作った料理です。次々に出て参ります。さあ遠慮せず、沢山、召しあがって下さい」

「有難う。懐かしい料理じゃ」

 と言いかけて、突然、邪馬幸が耆老に質問した。

「ところで耆老、今宵の酒席の目的は何じゃ?」

 その質問に耆老は驚かなかった。虎丘が驚く程、実に落ち着いていた。

「前もってお話致しましたように、我が愛娘、赤女を遠い倭人の国より、お連れいただいた御礼の酒席に御座います」

「おう、そうであったな。赤女はいるのか?」

「はい。厨で妻たちと料理をしております。間もなく現れるでしょう」

「そうか。兄者は赤女に再会出来て喜んでいるのだろうか。耆老はどう思う?」

「それはそれは大変、お喜びの筈です。烏弥幸様は昔のような笑いを見せるようになりました。そして邪馬幸様が邪馬台国王になられたことを、とても嬉しい事だと仰有られておられました」

 父、耆老に合わせるように、耆老の息子、虎丘が言った。

「父上の申される通り、辰王様も烏弥幸様も邪馬幸様の御帰国を、とても喜んでおられます。公主様が何故、御一緒でなかったかとの質問もありましたが・・・」

「おう、公主か。彼女は今や、私の妻となり、邪馬台国の皇后として押雲と共に留守中の倭人の国々を守っている。国を守るとということは大変なことじゃ」

 すると耆老が邪馬幸を見詰めて吐息を漏らした。

「誠に御座います。国を守るということは。辰王様も大変、御苦労なされて参りました。辰国を守る為に伽耶に移動し、どんなに辛い日々を送られておられることか」

 耆老の言葉に邪馬幸は自分が国を離れてから、父、天津彦がどれ程、苦労して来たかを想像した。そして今も辰王として不満足でいるのではないかと。

「しかし、もう大丈夫だ。邪馬幸が応援に駆け付けたからには、辰国を再び隆昌させてみせる」

 邪馬幸には辰国隆昌の自信があった。邪馬幸は胸を張った。それに続くように邪馬幸の背後から女が囁くように言った。

「その通りです。邪馬幸様をお迎えして、辰国は百倍の力を得たようなものです」

 美しく着飾って料理を運んで来た赤女が、いつの間にか邪馬幸の背後に佇んでいた。

「おお、赤女。帰国して一段と美しくなったな」

 赤目は赤くなりながらも、上手に話題を変えた。

「辰国は私の故国です。父や母、兄弟と再会出来て、赤女はこの上無き仕合せに御座います。また奴国の豊玉姫様をこの国にお迎え出来て、楽しい毎日を送っております」

 二人が親しく話している間に、一旦、席を外した虎丘が戻って来て、二人の会話に割り込んだ。

「邪馬幸様。辰国の新しいお酒をお持ちしました。赤女の酌でいかがです?」

「新しい酒?」

「甘路の里でとれた烏弥幸様御推奨のお酒です」

「兄者、推奨の酒?」

 邪馬幸が不思議な顔をした。その様子を見て、耆老は娘、赤女に早く酒を注ぐよう合図した。すると赤女は新酒の説明をした。

「この酒は瑞光酒といって、小麦を原料にした甘路の酒で、とても身体に良く、精力を増進させてくれる辰国一の美酒です。さあ、一盃、おあがり下さい」

 その説明を受けて邪馬幸は冗談を言いながら、赤女に盃を差し出した。

「まさか毒酒では無いだろうな?」

 邪馬幸の鋭い眼光が虎丘の目に注がれた。虎丘は震えた。

「滅相もありません。これが毒酒であろう筈がありません」

 その返事の仕方が余りにも奇妙だったので、牛利が虎丘に言った。

「邪馬幸様は、御疑いの様子じゃ。その酒が毒酒で無く美酒である証拠を、虎丘殿、貴男が先に飲んで、お示し下さい。それから我らも頂戴致しましょう」

 牛利の言葉に虎丘は蒼白になり、困り果てた。

「むむ・・」

「何故、飲まないのか?」

 難升米が嚇した。弟、虎丘の困り果てた顔を見て、赤女が言った。

「私が頂戴致しましょう」

 赤女が虎丘の盃を取り上げ、自分で盃に酒を注いで、飲もうとするのを目前にして、耆老が叫んだ。

「赤女、お前は死ぬつもりか!」

「私は一度、死んだ女。烏弥幸様、御推奨の美酒であれば、飲んで死んでも本望です。虎丘。私にお酒を注ぎなさい」

「姉上!」

 虎丘は赤女に瑞光酒の入った白い陶器を渡され震えた。

「男は狼狽えるものではありません。さっ、早く」

 牛利が、それを煽った。

「お目出度い烏弥幸様御推奨のお酒です。赤女様は一気に飲み干したがっております。虎丘殿、早くお注ぎになられては・・・」

「虎丘。早く、お酒を・・」

 それを見かねて耆老が、突然、立ち上がり、虎丘から白い陶器を奪い取った。そしてそれを床に叩きつけた。割れた白い陶器から、陶器より白い酒が流れ出た。耆老は邪馬幸に跪いて詫びた。

「邪馬幸様。私が悪ろう御座いました。この酒は瞬時に人を死に至らしめる毒酒です。私が濊から入手したものです。虎丘や赤女には罪は御座いません。どうか我が子の命だけはお助け下さい」

 耆老は涙ながらに真実を告白した。耆老が何故?邪馬幸は耆老を見詰めたまま、何も言わなかった。代わりに難升米が怒った。

「矢張り毒酒であったか。どうも様子がおかしいと思った。恩を仇で返そうとは、牛馬にも劣る奴じゃ。直ちに成敗してくれよう」

 難升米が憤怒して大剣を振り上げた。それを制し、牛利が観念している耆老に訊ねた。

「誰に頼まれたのか?」

「私ひとりの考えです。虎丘や赤女の知らぬこと。どうか二人をお助け下さい。私は殺されて当然です」

「ならば死んで邪馬幸様にお詫びせよ!」

 難升米が再び大剣を振り上げた。

「お父様!」

「父上!」

 姉弟が絶叫した。耆老の首が一刀両断、観月亭の床に転がったと思いきや、難升米の大剣は邪馬幸によって、取り押さえられていた。邪馬幸は言った。

「私には信じられない。私を殺そうとしたのが、何故、私を可愛がってくれた耆老なのか?だが、事情は聴くまい。もう良い。二度と私の前に姿を見せるな。誰も分からないい所に行って暮らせ」

「邪馬幸様。私を殺して下さい」

「もう耆老は難升米に殺されたのだ。父、辰王にも、そう話して詫びる。直ちに姿を消すが良い。虎丘は至急、耆老の墳墓を造り、耆老を敬え」

 邪馬幸は、そう言って席を立つと、難升米と牛利を連れて、耆老邸から立ち去った。

         〇

 翌日、邪馬幸は玄雄副将軍を連れ、高霊城に行き、父、辰王に会い、耆老を誅伐した経緯を説明し許しを求めた。辰王、天津彦は事件を聞いて驚くと共に烏弥幸が、耆老に邪馬幸を殺害せよと、そそのかしたのではないかと疑った。また一方で、邪馬幸が、赤女のことで、耆老と喧嘩になり、殺したのではないかと疑った。辰王は直ちに実態を検証する為、烏弥幸を高霊城に呼び寄せた。その時、邪馬幸は、王宮の外を倭人軍で取り囲み、万一に備えた。軽い気持ちでやって来た烏弥幸は、その物々しい雰囲気にびっくりした。烏弥幸が入城すると城門は固く閉じられた。そして辰王が、事件の追及に入った。

「烏弥幸よ。お前を呼んだのは他でもない。耆老が殺されたのじゃ」

「何ですと?」

 耆老が殺されたと知って、烏弥幸は驚いた。邪馬幸を殺せと命じた耆老が、早くも殺されようとは、一体どういうことか。何故、邪馬幸がここにいるのか。そんな兄に耆老殺害の経緯を邪馬幸が説明した。

「実は昨日、私は耆老の屋敷に招待されました。その折、耆老に毒酒を飲ませられそうになりました。その毒酒を私の代わりに赤女が飲もうとして、耆老が、その酒が毒酒であることを白状しました。誰に殺すことを頼まれたのかと問いただすと、耆老は自分一人で考えたことだと答えました。そこで私の従者、難升米が許せぬと言って耆老を成敗しました。父上は耆老が殺されたと仰せられましたが、私が私の命を狙った耆老を殺させたのです」

「何と酷いことを」

「耆老は言っていました。辰王や自分たちが日支城から南に避難することになったのは、私が海の向こうに逃避したのが原因であり、その恨みを晴らそうと、私の命を狙ったのだと」

「耆老が、そんなことを」

「ですから私は当分、この地に滞在し、耆老が願っていたことを実現します。父上が日支城に戻れるよう、兄者と共に遼東と戦います。お分かりの通り、私は今や、かっての邪馬幸では無いのです。邪馬台国の王位にあり、妻は魏公、曹操殿の娘、麗英皇后であり、第二夫人は海神、綿津見の娘です。昔と違い天下無敵なのです。麗英皇后は私が渡海すると同時に、魏公に辰国の支援をすべく、遼東を攻撃するよう魏に依頼の使者を送りました。魏と辰国により、遼東を挟み撃ちする計画です。それでも兄者は、まだ遼東にへりくだり続けようというのですか」

 烏弥幸は、邪馬幸と父、天津彦の目を見た。両者とも同じ鋭い目だった。

「いや、参った。参った。勘弁してくれ。儂が弱気であった。あの麗英公主が、魏公に遼東攻撃の使者を送っていようとは、参った。参った」

「そこで私が私を殺そうとした耆老を誅伐したことを、お許し下さい。私は耆老が言うように海の向こうに逃避したのではありません。力を付けていたのです」

「分かった。分かった」

「分かってくれれば良いのです。血を分けた兄弟ではありませんか。お互いの国力をつけ、半島を北上し、一致協力して東明王時代の祖国を奪回しようではありませんか。それが私たち兄弟の使命です」

「言われてみれば、その通りだ。儂も心を改め、再び騎馬民族の王子として遼東と戦おう」

 邪馬幸は、兄、烏弥幸の双眸をじっと見詰め、尚も言った。

「それでこそ、私の兄者です。辰国の再興は国民の願いです。遼東に対抗し、辰王の偉大さを見せつけてやりましょう。私は、その為に船団を組織し、兵を引き連れ戻って来たのです」

 邪馬幸の威風溢れる言葉に、辰王、天津彦の目に涙が光った。

「烏弥幸、邪馬幸の兄弟よ。それでこそ兄弟であり、我が息子だ。余はお前たちのような立派な息子を持って仕合せである」

「父上。この烏弥幸、弟、邪馬幸によって目が覚めました。東明王の末裔として、再度、遼東に挑戦してみせます」

「嬉しいぞ、烏弥幸。邪馬幸が戻って来たからには勇気百倍。昔のように砂塵を蹴って草原を駈け廻ろう」

 その父の言葉を聞いて、邪馬幸は愉快でならなかった。

「真番、帯方、臨屯はもとより、楽浪までも侵攻し、いずれは玄菟、遼東をも・・・」

「そうだ。儂らの祖先はもともと扶余の出身、騎馬民族なのだ。地の果つるまで駈け廻り、我らの領土としよう」

 烏弥幸は調子に乗って、父王と同じようなことを言った。息子二人の決意を確認し、辰王、天津彦莫優は再び望みを抱いた。

「では再び遼東の支配下にある百済、濊、沃沮に声をかけ、戦略を練ることにしよう。今度こそ、辰国の強さを楽浪や遼東に味あわせてやる。伽耶、新羅の首長はもとより、高句麗や沃沮の連中も、楽浪や遼東に苦しめられ不満を抱いている筈。我らの意思を伝えれば、必ずや賛同してくれるであろう。今度こそは負けてはならぬのだ」

 邪馬幸の扇動により辰王も、その気になった。烏弥幸もそれに共感した。

「はい、父上。父上の仰せの通りです。伽耶、新羅、濊、高句麗、沃沮の首長らは、我らに味方するでしょう。遼東、楽浪に味方するのは、扶余だけかも。漢帝国は既に分裂し始め、魏とて麗英公主からの使者が到着すれば、遼東の面倒を見るどころか、邪馬幸の言う通り、遼東を挟み撃ちにしようと攻め込んで来るでしょう。遼東を攻撃するには、彼らが油断している今が絶好の機会。新羅、高句麗、濊、沃沮の首長たちに加勢を依頼し、遼東を一気に攻め立てましょう」

 邪馬幸を殺害しようと考えていた烏弥幸は、耆老のことなど忘れ、邪馬幸と共にやる気、満々になっていた。烏弥幸の気変わりの早いのには呆れたが、邪馬幸は父王の復権の為には喜ばしい兄の気変わりであると思った。

「もし、海からの攻撃が必要なら、邪馬台国の船団をお使い下さい。足りなければ更に船団を呼び寄せます。かって百家をして海を渡った我ら一族は、倭人たちと協力して邪馬台国を築き、今や最強の船団を有しております。辰国と邪馬台国が一致協力して、海陸両方から攻撃すれば、いかに軍事力を誇る遼東といえども、音を上げ、和睦を結びにやって来るに違いありません」

 邪馬幸の、説得は辰国の親子を勇気づけた。辰王、天津彦は決断した。

「遼東への反攻。まさに機は熟したぞ。烏弥幸、邪馬幸、兵を集めよ!」

 何時の間にか兄弟喧嘩は結着し、倭人軍の王宮包囲も解除され、辰王とその息子たちは遼東攻撃の準備にとりかかった。

         〇

 建安十四年(209年)遼東太守、公孫康は計画通り、三韓を衛満郡とし、辰国を完全統治下にする為、自分の妹を百済の臣智、肖古の長子、仇首の妻として、その勢力拡大に努めた。百済の肖古は公孫康の命令に従い、辰王のいる伽耶を攻撃した。ところが辰国は今までの辰国とは違っていた。今まで自分に従っていた辰王の長子、烏弥幸が寝返って父王に味方した。海外逃亡していた辰王の第二王子、邪馬幸が邪馬台国王になって、倭人軍を引き連れ、辰国の救援に駈けつけていた。辰王、天津彦は従兄、故国川王、男武の後継、山上王、延優に密使を送り、高句麗から遼東を攻めさせた。濊貊の不耐濊も高句麗に従った。また烏弥幸は新羅の臣智、奈解を説得した。奈解は烏弥幸の要請を受け、長子、干老と将軍、利音に出撃を命じ、浦上八国を攻撃した。邪馬幸もそれに参加して戦った。そんな時、奴国王、綿津見の娘、豊玉姫が高霊城内で邪馬幸の子供を産みそうだという情報が入った。邪馬幸は、その知らせを聞いて喜び、戦場から高霊城に駆け戻った。そして建築途上の産屋に入り、戦場から血を付けたまま帰って来て豊玉姫の産室で、豊玉姫が出産する様子を盗み見した。その邪馬幸の乱暴を知り、豊玉姫が怒った。

「邪馬幸様。私は奴国に帰ります。赤子は、この地に置いて行きます」

 邪馬幸は慌てた。

「待ってくれ、豊玉。こんな赤子を置いて、お前は私にどうせよと言うのか」

「貴男は見てはならないものを見てしまったのです。私はもう、貴男と会いたくありません」

「しかし、赤子を置いて行かれても」

 邪馬幸は豊玉に辰国に留まるよう哀願した。しかし何時もになく気の荒れている豊玉姫は邪馬幸の願いを聞き入れなかった。

「赤子の面倒は妹の玉依がしてくれます。玉依に頼みました」

「何を言っているのじゃ。玉依はまだ少女じゃ。赤子を扱ったことも無い。玉依にどうせよというのか?」

「既に玉依が乳の出る女を捜してくれました。万事、玉依がうまくやってくれます」

「無理を言うな。そう怒るでない。私は男の子を欲しいと思っていたのじゃ。一時も早く、お前の産む子が男か女か知りたかったのじゃ。盗み見したのは悪かった。男の子を産んでくれて有難う。お前には感謝している」

「許す訳には参りません。女の恥辱です」

 豊玉姫はきつかった。何が女の恥辱なのか邪馬幸には分からなかった。二人の口論を聞いていた豊玉姫の妹、玉依姫が、寝床に横たわっている姉に優しい声で囁いた。

「姉上様。邪馬幸様が、こんなにお許しを願っているではありませんか。それでも許して上げられないのですか」

「玉依。男と女の間には、犯してならない一線があるのです。この人は、その禁を破ったのです。私は許す訳には参りません」

 豊玉姫は強情だった。邪馬幸は匙を投げた。

「仕方あるまい。これ程までに詫びても許して貰えないのなら、豊玉の勝手に任せるまでだ。邪馬台国に帰ろうが、奴国に帰ろうが、豊玉の好きにするが良い」

「姉上様。今の言葉で総てが決まりました。和邇を呼びましょう。直ちに姉上様を奴国に船でお送りします。私は、この赤子を抱いて、この地に留まります。さようなら、姉上様。今日はこれで失礼します」

 玉依姫は、邪馬幸と共に豊玉姫の部屋から立ち去った。邪馬幸は赤子のことを、父、辰王と玉依姫に託すと再び戦場に向かった。半月後、豊玉姫は本当に奴国へ向かう和邇の船に乗った。妹、玉依姫が我が子を抱いて見送る岸の上の晴れた空に向かって、豊玉姫は呟いた。

「さようなら、邪馬幸様・・・」

 豊玉姫は無常にも戦乱の地に夫、邪馬幸と乳飲み子を抱く妹を置いて辰国から和邇の船に乗って去って行った。

         〇

 辰国王、天津彦は、周辺国の力を借り、遼東軍を攻めた。邪馬幸は豊玉姫が去って少し寂しかったが、玉依姫が残り、長男をみていてくれるので、安心して戦場に向かえた。浦上八国を服従させると、邪馬幸は塩土、布津らと船団を組織し、玄雄副将軍、難升米、牛利ら豪傑を含む倭人兵と辰国兵を船に乗せて、帯方の三郎城に侵攻した。その為、百済の肖古は辰王に降伏し、遼東軍は帯方郡から楽浪郡へと後退した。更に邪馬幸は楽浪の鎮海浦に攻撃を加えた。烏弥幸は新羅の利音将軍を先手として帯方から楽浪へと前進した。高句麗、山上王延優も、王都を卒本から丸都に移し、不耐濊と共に遼東を攻めた。三方からの攻撃を受け、更に魏の曹丕が攻めて来る気配を見せたので、公孫康はついに弱気になった。百済の肖古を通じ、和睦を申請して来た。遼東の使者、公孫模が楽浪に陣を張っている辰国軍の邪馬幸のもとに派遣されて来た。

「邪馬幸様。遼東の公孫模様がお見えになりました」

「そうか。ここに通せ」

 公孫模は肖古に案内され、玄雄副将軍、難升米、牛利らの居並ぶ広場に案内され、邪馬幸の前で平伏し、挨拶した。

「邪馬幸様。楽浪の公孫模に御座います。お久しゅう御座います。本日は遼東太守、公孫康様からの御用件をお伝えに参上しました」

「おう、良く来た。本当にしばらくぶりだな。五年ぶりかな?」

「いいえ、七年になります。でも邪馬幸様にはあの頃の面影が残っております」

「お前とて同じではないか。あの頃と少しも変っていない。懐かしいぞ」

「邪馬幸様には、あの頃の雄々しさに加え、王者の風格が備わりました」

 公孫模は敵陣にいながら、恐れることもなく御世辞を言って、調子良かった。こういった事に慣れているらしい。

「ところで遼東太守からの用件とは何か?」

 邪馬幸が用件を問うと、公孫模は邪馬幸の目をじっと見詰め、真剣な面持ちに変わり、その用件を述べた。

「邪馬幸様。遼東太守、公孫康様は私が伝えていた辰国の力を、ようやく今頃になって理解されました。そこで公孫康様は邪馬幸様と面識のある私めを今回の使者に選ばれ、私がここに派遣されという訳です。公孫康様は強い者同士が戦さを続ければ続ける程、互いの力を消耗するだけなので、無意味な戦さを止め、魏公、曹操様と御縁のある邪馬幸様を将来の辰王様とお認めになり、自分の妹を妻の一人に加えていただけないかと仰せられております。それを受け入れていただき和睦出来れば、幸甚であと・・・」

 その用件を伺い、邪馬幸は首をひねった。

「遼東太守、公孫康殿の妹姫を邪馬幸の妻にとは、何故?」

「それは先程、申し上げました通り、邪馬幸様が将来の辰王様になられるお方であり、あの高句麗をも邪馬幸様が味方にされたからです」

「高句麗は、もともと辰王の血縁じゃ」

「ですからこそ、公孫康様は辰王家と姻戚になることを望んでおられるのです」

 公孫模は額に汗をかきかき、熱心に邪馬幸を説得した。

「主旨は分かった。しかし辰王は私の父、天津彦莫優である。その後継は私の兄者、烏弥幸じや。遼東太守の妹姫は兄者の妻にするのが望ましいと、公孫康殿に伝えよ。兄者が了解されるか否かは不明だが・・・」

「して、戦さは中止していただけるのでしょうか」

「どうかな?」

「邪馬幸様。この公孫模、命を懸けて、ここに参ったのです。これ以上、戦さを広げるのを、お止め願います。辰王様に攻撃を止めていただくよう、お願いして下さい」

「お前が命懸けでここに参上した勇気を認めよう。では、互いに、今回の和睦の話を持ち帰り、返事をいただくまで休戦するとしよう。お役目、誠に御苦労であった」

「有難いお言葉で御座います。では公孫模、これにて失礼させていただきます」

 公孫模は邪馬幸に深く頭を垂れ、目頭を押さえ、辰国軍の楽浪の陣から立去って行った。百済の肖古の降伏後の仲介により、楽浪の公孫模が遼東の使者として、辰国軍の邪馬幸と交渉し、長期間戦って来た辰国と遼東の和睦の下地が成立した。戦乱の地に、漸く平和の兆しが訪れ、辰王天津彦は再び日支城に戻ることとなった。

          〇

 遼東太守、公孫康の妹が、辰国の第一王子、烏弥幸に嫁した翌年、建安十六年(211年)、邪馬台国王、邪馬幸は辰国が平和になったのを見極め、父、辰王に辰国の南岸、富山、金海から、耆老が隠れ住む馬老までを、辰国の見守り地として邪馬台国の租界地とし、倭人兵が居留する了解を得て、邪馬台国に帰国する旨を伝えた。

「邪馬幸。いよいよ帰るか。余はお前が戻って来て、辰国を復元させてくれたことに感謝している。烏弥幸もお前が来て、これまで見えていなかったものが少しは見えるようになったようだ。今回のことで、烏弥幸も自分の味方を増やせることが出来たし、余はこれで安心して暮らせる」

「本当に来て良かったです」

「それにしても、豊玉姫には悪いことをした。産屋も満足に造ってやれず、申し訳なかった。それで余が勝手に孫の名前を葺不合などと付けてしまったが、帰国したら豊玉姫と相談し、立派な名前をつけてやれ。麗英皇后にもよろしく言ってくれ」

「はい、父上」

 邪馬幸は辰王に帰国の挨拶をした後、兄、烏弥幸にも帰国することを報告した。

「兄者。私は辰国が落ち着きましたので、帰国すると、父上に伝えました。私は邪馬台国に帰ります。兄弟、努力した甲斐あって、遼東軍を後退させ、高句麗とも親和関係を結ぶことが出来、本当に良かったです」

「邪馬幸。本当にお前のお陰だ。百済、濊貊も我らの支配下になり、父上は本当の辰王になられた。お前に感謝する」

「しかし、父上も御高齢になられた。次の後継者は兄者だ。辰王の後継として頑張って欲しい。そして何かあったら、邪馬台国に遠慮なく言って来て下さい」

「有難う、邪馬幸。邪馬幸も困ったことがあったら、言って来てくれ」

 兄弟は、力強く互いの手を取り合い握り合った。

「私は三日後、葺不合と玉依や従者たちを連れて、富山の港から出発します。父上を暮々も大事にして下さい。母上の墓参りもよろしくお願いします。また、遼東の公孫康の妹姫も大切にして下さい。公孫康が何時、気が変わって襲来して来るか分かりません。注意を怠らないようにして下さい」

「分かっている。立派に父の後を継ぎ、辰国の領土を、きちっと守る。そして邪馬幸が暮らした伽耶の一部をお前の恩を忘れぬ為、また葺不合の生地として、虎丘に守らせておこう」

「感謝します。邪馬幸は思い切って辰国に戻って来て本当に良かったと思っています。もし奴国で赤女に会わなかったら、故国のことは忘れていたかも知れません」

 すると烏弥幸は頭を振った。

「そんなことは無い。お前の何処かに優しさがあるから、故国のことを思い出してくれたのだ。麗英皇后、押雲将軍によろしく伝えてくれ。辰国の土産を沢山、準備する。邪馬台国で暮らす辰国の民たちのところへ持って行ってくれ」

「兄者。本当に有難う。海山遠く隔っても、私たちは矢張り、真の兄弟なのですね」

 滅多に涙を見せない邪馬幸が涙ぐんだ。

「そうさ。儂たちは何人も侵すことの出来ない、真の兄弟なのだ」

 かくして邪馬台国王、邪馬幸は辰国を安民楽土に復活させ、邪馬台国の租界を造り、帰国することになった。冬の季節風の強い十二月、邪馬台国の一行は、伽耶の富山港を船出した。