倭国の正体『愛しき人よ』④

2021年5月13日
倭国の正体
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■第4章 邪馬台国の誕生

 建安十二年(207年)大陸では臥竜、諸葛孔明が「三顧の礼」をもって劉備に迎えられ、天下三分の計を説き、漢帝国をめぐる情勢に大きな変化が生じつつあった。倭人の暮らす列島でも新興、卑弥国と旧国、山門国が敵対することとなった。押雲将軍が放った密偵、多模大将が八幡城にやって来て、邪馬幸たちに報告した。

「ついに山門国との戦さが始まります。山門国王、難帥升の後裔、難帥米の指揮のもとに兵が集まり、数日後、我らを全滅させようと攻撃して来る計画でいます」

「そうか、御苦労」

 いよいよ始まるかと頷いた邪馬幸に綿津見が声をかけた。

「邪馬幸様。山門国には立派な城壁があります。彼らはその城壁の上から弓矢を射って来ます。我々の奴国軍は、その城壁まで攻め込むのですが、彼らの為に、今まで何万もの兵を失いました。彼らと戦うのには遠くから攻撃するしか方法がありません」

「綿津見殿。大陸での戦さは城壁はつきもの。敵の隙を見つけ、城壁に鉤縄か猿梯子をひっかけて乗り込めば何とかなる。いずれにせよ、攻撃をしかけて来る敵を退散させることが先決だ。押雲よ。敵の襲来に備え、四方に合戦の兵を配備せよ」

「はい。承知しました」

 押雲将軍は邪馬幸の命令を受けて、奴国兵、卑弥国兵を四方に分散配備して、時を待った。それから三日後の明け方のことだった。敵は山門国の旗を立てて攻め寄せて来た。それに奴国兵、卑弥国兵が対峙した。邪馬幸は奴国の横隈まで出っ張り、押雲将軍に戦況を確認した。押雲は平伏して邪馬幸に答えた。

「敵は皆、歩兵ばかりです。その数は計り知れませんが、我々の騎馬軍団が奇襲すればあっという間に四散するかと思われます。しかし人数が多いので、全員を捕まえることは難しいかと」

「そうか。ということは、敵を蹴散らすことは出来るが、全員を降伏させることは無理だということだな」

「はい。敵は山に逃げ込み、我々がいなくなると、また這い出して来て、我々の陣に夜襲をかけて来たりしています」

「何か、彼らを追い詰める良い方法はないのか」

「多模大将の話によれば、あの山の東に久須国という山林族の国があります。その国の万年を味方に入れ、北東西の三方から攻撃するのが良策かと思われます。三方から攻められれば彼らは必ず南方へ退去する筈です」

 押雲将軍の提案に綿津見は感心した。

「成程。西方は海。彼らが逃げるのは南方だけ。彼らを追い詰めるには、まさに良策。久須国の万年は時々、山門国に苦しめられているので、必ず我々の味方になってくれるであろう」

 邪馬幸は、その説明を聞いて念押しした。

「すると、我らは北東西の三方に陣を構え、それぞれに騎馬の大将を立て、北から卑弥国の兵、東から久須国の兵、西から奴国の兵で、一気に攻め立てれば、彼らは驚き、南に移動し、山門の城壁内に逃げ込むというのだな」

「はい、そうです。そうすれば彼らは南に移動し、山門国の城壁内に閉じこもることでしょう」

 押雲は自信満々だった。それを聞いて邪馬幸は笑った。

「城壁内に敵が閉じこもれば、こちらの思う壺だ。彼らは必死になって城壁内から攻撃をしかけて来るであろう。我らは射りたいだけ敵に矢を射らせ、時々、こちらからも矢を射れば良いのだ。すべては時が解決してくれる」

 綿津見には二人の会話が理解出来なかった。

「時が解決してくれるとは?」

「時とは戦っている経過の長さのことです。その経過の長さが長引けば長引く程、敵は城壁内で保有している矢と兵糧を失うのです。持久戦に持ち込むのです」

「しかし我々とて、持久戦となれば苦しくなります。武器は別としても、兵糧が沢山、要ります」

 心配する綿津見を見て押雲が諭した。

「持久戦でも、敵が城壁内に閉じこもった時の持久戦は簡単です。こちらは少数で見守っていれば良いのです。彼らが投石したり、矢を放てば放つ程、彼らの武器は減少して行くのです。我々の武器や兵糧は後方から次から次へと運んで来るので、不足することはありません。兵糧や飲料水が無くなるのも城壁内の方が、ずっと早い筈です」

 押雲の説明に邪馬幸が更に付け加えた。

「その上、更に敵を困らせる方法があります。それは敵の捕虜を通じて城門を開けさせ、捕虜を一挙に城壁内に送り込むのです。そうしたら城壁内はどんな事になるか。食糧が尽き、城内の一木一草も無くなる。人間の飢餓状態ほど恐ろしいものはない。場合によっては人間同士、共喰いを始める」

「身の毛もよだつようなお話」

 綿津見は恐怖の余り、震え上がった。倭人たちはそんな戦いはしない。怯える綿津見を見て、押雲が言った。

「綿津見様。戦さとは、そういうものです。もし山門国が我ら天孫に従わぬ時は、天罰が下り、彼らを窮地に陥れる筈です。幾多の戦闘を経験して来た我ら騎馬軍団は、まさに天下無敵なのです」

 押雲の言葉は辰国の将軍らしく自信に満ち溢れ、冷酷非情そのものであった。

         〇

 山門国と新興、卑弥国の率いる奴国、久須国の連合軍との戦いは激烈を極めた。天は久須国を仲間に加えた卑弥国に味方した。山門国の難升米は城壁内にこもり、押雲将軍や玄雄副将軍に攻め立てられ、散々な敗北を喫した。多くの兵を失い、武器を捨て、ついに卑弥国王、邪馬幸に降伏した。邪馬幸は敗者を優しく受け入れ、その名誉を保留し、倭人の島統一を説いた。難升米は倭人の島統一に賛同した。邪馬幸は勝利すると、卑弥国に凱旋し、奴国や久須国の重臣を同席させ、部下に弁じた。

「皆の者、良く聞け。我らは到頭、強国、山門国を制圧した。ここまで来れば、倭人の島の統一は目の先である。だが広い倭人の島々には、まだまだ我らの力を知らぬ国々がある。それらの国々に、我々の力を明示する為、私は山門国のあった場所に新しい国を建国するつもりだ。異論があるか伺いたい」

 すると真っ先に押雲将軍が質問した。

「何故、新しい国を建国されるのですか?」

 それに邪馬幸王が答弁した。

「我ら天孫は、倭人の国を統一する為の主軸となる国が必要なのじゃ。我ら天孫はこの地に天降った時、奴国王、綿津見殿より、八幡の地を賜った。その八幡と山門の発音は良く似ている。そこで私は、倭人の国々を統一する為の主軸となる国を滅亡させたばかりの山門国と同じ発音の八幡国にしようと思う。強国、山門国の名に近い国名なら、我らを知らぬ者でも、恐れ靡かせることが出来る。諸国を従える為には、このような詐称も良かろう」

「成程。八幡国ですか」

「そうだ」

 邪馬幸が、そう答えた時、邪馬幸王の隣りに座っていた麗英皇后が、異論を唱えた。

「私は倭人の権力の中心となる主軸国の建国には大賛成です。しかし、八幡国という詐称の国名には反対です。似た国名にするなら、国王様の自らの御名、邪馬の文字を使い、『邪馬台国』にされては如何です」

 その提案に押雲が賛成した。

「流石、皇后様。騎馬の民の血を引く国名に相応しい国名かと」

 その国名に邪馬幸も感心した。

「おおっ。『邪馬台国』か。悪くは無いな。綿津見殿はどうかな?」

「皇后様の仰せの通りです。良い国名です」

 綿津見の返事を受け、邪馬幸は、新しい国の名を『邪馬台国』に決定した。

「では我々の主軸国の名を『邪馬台国』とする。そして、今まであった山門国の地に都を置く。その為、私は、この八幡城から山門城に、押雲将軍らを連れ、移動する」

 それを聞いて、また綿津見は驚き、心配顔で伺った。

「すると邪馬幸様は卑弥国や奴国にはおられなくなるのですか?」

「そうじゃ。当分、戻らぬ。邪馬台国の基礎を固めたら時々、戻って来よう。卑弥国は綿津見殿と、塩土、布津に任せる」

 邪馬幸の答えに綿津見は不服の様子だった。それを感じて、押雲が綿津見に助言した。

「綿津見様。邪馬幸様は、一旦、こうと決めたら方針を変えぬお方。奴国には当分、戻らぬでしょう」

「でも豊玉が・・・」

 更に言おうとする綿津見を押雲が小声で制した。

「綿津見様。落ち着いて下さい。皇后様がおられます」

 そう言われて綿津見は、一旦、唾を呑み込み、落ち着いてから明確に答えた。

「お分かり申した。卑弥国と奴国の守りは私が塩土殿たちと一致協力して、お引き受け致します。邪馬幸様は安心して、思う存分、邪馬台国の基礎造りに御専念下さい」

「綿津見殿。無理ばかり言って申し訳ない。後をよろしく頼む」

 邪馬幸は、綿津見に後事を委任し、山門城への移転を決定した。

         〇

 数日後、邪馬幸は、押雲将軍や玄雄副将軍、多模大将等に守られ、麗英皇后、卑弥呼、巫女の予女等を連れて、難升米が去って空になっている山門城に入城した。城壁内を一回りして邪馬幸は部下に言った。

「流石、山門国。奴国同様、難帥升の時代より、漢帝国と交流していただけのことはある。街にも城にも邪馬台国の王都に相応しい基礎が備わっている。これに天孫の建物を加え、立派な王城を築き、綿津見殿の御一家をお迎えしよう」

 邪馬幸の言葉が終わるか終わらぬかの時、麗英皇后が口を開いた。

「この国は私の育った魏の許昌に似ています。まるで父、曹操や弟、曹丕、妹の節英、華香などが、顔を出すのではないかと思われる程の御殿や街並みです。私はこの地であるなら卑弥呼と一緒に永住する事が出来ます。良かったわ。こんな素晴らしい所があったなんて」

「それは喜ばしいことです。この押雲、早速、優れた大工職人を王城に呼びましょう。それに邪馬幸様や皇后様の構想を加え、更に立派な王城に仕立て上げます。さすれば街は、もっと引き立ちます」

 押雲の心意気に邪馬幸は気を大きくした。

「そうしてくれ、押雲。ここに倭人の立派な王都を築き、諸国から邪馬台国に朝貢させ、国の偉大さを誇示することも、諸国統一の材料となろう」

 邪馬幸の発言に麗英皇后は喜悦した。

「そうです。王都は国のまほろば。美しくなければなりません。私の生まれ育った魏の都、許昌のように・・・・」

 麗英皇后は、自分の育った古都に似た存在に遭遇し、ここを足掛かりにして、漢帝国との交流を実現化することを秘かに夢見た。

         〇

 建安十二年(207年)、邪馬幸の治める邪馬台国は近隣の伊都国、末盧国、狗奴国、斯馬国などの小国を支配下に治め、邪馬幸は九州に君臨する大王になった。だが倭人の島は尚、東方に伸びていた。邪馬幸は東方への進出をせねばならぬと思っていた。時々、奴国に行って、東方への進出について協議した。その間、豊玉姫との間に女子が生まれた。名を豊玉姫の名に似た台与呼と名付け、将来、予女の後継の巫女にしようと考えた。この台与呼の誕生に、麗英皇后は嫉妬したが、侍女、紅梅の助言もあり、豊玉姫に向かって敵意を向けて来ることは無かった。それどころか、卑弥呼の妹が出来たと喜んで見せた。また巫女の予女を部屋に迎えて、邪馬幸の先祖からの祭祀とは、何か、その信仰と政治への関与はどのようにしているのか、詳しく教えてもらった。そして将来、娘たち二人が、邪馬台国の神に仕える王女として生きることが理想ではないかと考えたりした。つまり王家の政教分治の始まりである。魏公の娘、麗英皇后は、漢帝国のように強大な国家になるには、王権の構造改革が必要であると女だてらに考えていて、意外な構想を描いていた。こうして、邪馬幸王と麗英皇后の関係は隔絶し始める様相となった。

         〇

 建安十三年(208年)、邪馬幸王は奴国の綿津見からの連絡を受け、久しぶりに竜宮城に出かけた。そこには豊玉姫や塩土たちも待機していた。邪馬幸が会議室に入ると、二人の男が部屋に呼ばれた。綿津見が二人の男を前に邪馬幸に説明した。

「この二人は、二日前、玄海島に漂着した者です。二人は疲れ切っていて、初め何を喋っているのか分かりませんでしたが、漸く話せるようになりました。それによると、今、辰国は大変なことになっているようです」

 邪馬幸は、それを聞いて、うずくまっている二人に辰国の状況を確認した。漂着兵の話によれば、兄、烏弥幸が遼東太守、公孫康に服従した後、辰国は滅ぼされ、辰国の地が衛満郡にされようとしているとのことであった。その為、もと辰国兵や農民たちの一部が遼東軍に傷めつけられ、国外に逃亡している状況だという。その状況を耳にして、邪馬幸は辰国へ戻るべきか悩んだ。

「どう致しましょう?」

 綿津見に訊かれ、邪馬幸はこう答えた。

「まずは二人を八幡城に連れて行き、ゆっくり休ませよ。元気になったところで、もっと他に情報がないか聞き出してくれ。私は一晩、考える。皆もじっくり考えてみてくれ。明日、今後について、打ち合わせをしよう」

 そして邪馬幸は、その夜、久しぶりに豊玉姫の部屋に泊った。可愛い台与呼を寝かせてから、豊玉姫が邪馬幸に質問した。

「邪馬幸様。何をお考えになつておられるのです。もう寝ましょう」

「まだ、考えている」

「何をですか?」

「故国の父や兄者のことじゃ」

「だって、貴男様は、その国から追放されて来たのでしょう。それなのに何故?」

 邪馬幸のことを海の向こうの国から追放されて来た辰国の王子だと教えてもらっていた豊玉姫にとって、邪馬幸の発言は奇怪だった。

「そなたの父、綿津見殿も知っているが、私は追放されて来たのでは無い。国民には天上から来たなどと大きなことを言っているが、私は海の向こうの辰国から避難して来たのじゃ。倭人の国をひとまとめにして、兵隊を増強し、敵を退治出来る力をつけるまでの一時の避難じゃ。私の本性は辰国の邪馬幸王子、莫流なのじゃ」

「麗英皇后様を拉致した悪事を働き、追放されたのでは・・・」

「そうではない。大陸では父と兄者が国を守っている。しかし、漂着兵の話を聞けば、漢帝国、特に遼東からの攻撃は執拗のようである。兄者は別として、父上が辰国を守りきれているかどうか。それが心配でならない。そなたの父、綿津見殿のお陰で、山門国を平定出来たし、近隣諸国も我々に従い、倭人の島統一の為の邪馬台国の基礎も完成した。それに軍事力もつけた。そこで私は、押雲に邪馬台国の留守を依頼し、再び大陸に戻ってみたいと考えている」

 邪馬幸が、そう話すと豊玉姫の顔色が変わった。

「すると邪馬幸様は大海を渡って、辰国へお帰りになってしまおうという、お考えなのですか?もう、帰って来ない御積もりですか?」

「いや、帰って来る。辰国の後継者は私の兄者。無事に国を治めているかどうか、様子を見に行くだけのことだ。それに赤女も故国に返してやりたい。赤女は兄者の恋人だった人だから」

「そんな嘘を。赤女と邪馬幸様の関係は尋常ではありません。貴男様は赤女と一緒に辰国に帰り、戻って来ない御積もりですね」

 幼馴染みの赤女との関係は男女の関係では無く、兄弟愛や友情のようなものであるのに、豊玉姫は邪馬幸と赤女の関係を嫉妬していた。

「豊玉。お前は誤解している。私が大陸に行くのは、遼東太守、公孫度が亡くなり、その後を継いだ息子、公孫康が辰国をどのように扱っているのか、その確認に行くのだ。漂着兵の供述によれば、公孫康が帯方郡と真番を併合し、更にその南を衛満郡として統治しようとしているという話だ。もしそうであるとするなら、辰国が存在しているかどうか疑問である。父上がどうしているか心配でならない。私は、それを確認に行きたいのだ」

「邪馬幸様が御父様を思う気持ちは分かります。でも、それは危険な事です。辰国が遼東の統治下になっていれば、邪馬幸様は国賊または敵ということになります。上陸と同時に捕えられます」

 豊玉姫は邪馬幸王の渡海を諫めた。しかし、自制を促されても邪馬幸の祖国への思いは弱まるばかりか、かえって強まった。

「そういう危機的状況であればこそ、尚、邪馬幸は戻らなければならないのだ。戻って行って祖国、辰国を再興せねばならぬ」

「でも」

「豊玉。分かってくれ。肉親の情というものは海山遠く隔つとも、断ち切れるものでは無いのだ。肉親の血が邪馬幸を呼んでいるのだ。私は行く。海を渡って辰国へ」

「分かりました。邪馬幸様の決心の程、決意の固さ。こうなれば私も邪馬幸王の妃、豊玉。海を渡り、邪馬幸様に付いて参ります」

 邪馬幸は豊玉姫の言葉に唖然とした。何ということか。

「女の身で海を渡るのは危険だ」

「航海に危険はつきもの。赤女を連れて行くのですから、私だって何も恐れることはありません。麗英皇后様だって海を渡って来られたのでしょう」

「気の強い女だ」

「私も海人の娘。やるとなったら徹底的にやる女ですから、奴国の兵を連れて邪馬幸様に付いて参ります」

「邪馬台国の兵で充分だ。お前は付いて来ない方が良い」

「いいえ、付いて参ります」

 邪馬幸は豊玉姫に心のうちを告白してしまった事を後悔した。その為、いろんな事を考え、その夜、充分に眠ることが出来なかった。

         〇

 翌日、邪馬幸は押雲や綿津見や塩土ら重臣と相談し、邪馬台国のことは麗英皇后に一任し、辰国に行くことを決定した。豊玉姫は会議後、妹、玉依姫に邪馬幸王と一緒に辰国に同行するつもりだと話した。玉依姫は姉の渡海の話を聞いて、びっくりし、渡海に反対した。

「姉上様。どうして姉上様まで大陸に渡るというのですか?」

「私は邪馬幸様に付いて行くと決めたのです」

「そのような御身体ををして、船で大海を渡るのは無理です。私は知っているのです。姉上様が邪馬幸王様の次の御子を懐妊していることを」

 豊玉姫は妹の言葉に赤面した。

「お前はどうして?」

「一緒に暮らしていれば、そんなこと直ぐに分かります。そのような御身体で、大海を渡るのは危険です。止めて下さい」

「私は邪馬幸王の妃です。夫の行く所、何処へでも付いて行きます」

 妹の玉依姫は姉、豊玉姫の決意を聞いて泣きべそをかいた。姉と離れ離れになるのかと思うと居たたまれなかった。

「姉上様はどうかしています。皇后様ですら行かないものを、姉上様が一緒するとは」

「いいえ。赤女も一緒するのです。もし私が一緒しなかったら、邪馬幸様は赤女と一緒になって、二度とこの国に帰って来ないかも知れません。私は命を懸けて、御一緒しなければならないのです」

「台与呼はどうするのです」

「皇后様が可愛がってくれているので心配いりません」

「我が子のことを残しても邪馬幸様のことを」

「邪馬幸様のいない人生なんて、私には考えられません」

「姉上様の覚悟の程、良く分かりました。ならば私も御一緒します」

 玉依姫は話の流れから、余計なことを口走ってしまった。必ず反対されると思った。しかし、現実は違った。

「本当ですか?玉依!」

 豊玉姫は喜びの声を上げ、妹の両方の手を力強く握り締めた。こうなっては仕方なかった。玉依姫も姉の手を握り返した。

「本当です。姉上様に御一緒して、御身の回りの面倒を見させていただきます。私以外の誰が、姉上様の面倒を見ることが出来るでしょう」

「有難う、玉依!」

 豊玉姫は妹の優しさに感涙を流した。玉依姫は反対に嬉々として喋った。

「私たちの船には父上にお願いして、航海の上手な和邇をつけてもらいましょう。和邇であれば、きっと私たちを、うまい具合に大陸に運んでくれましょう」

「そうですね」

 姉妹が豊玉姫の部屋で話しているところへ、父、綿津見が顔を出した。何時もの笑顔だった。

「聞いていたぞ、二人の話。でかしたぞ、豊玉。邪馬幸王さまの御子を懐妊したとは。それにしても二人とも、本当に海を渡るつもりか」

「はい」

 豊玉姫は、はっきりと答えた。玉依姫は黙って頷いた。綿津見は先程から話を盗み聞きしていて、二人の決心が固いことを知っていた。

「では二人して、邪馬幸王様をお守りしなさい。私は穂高たちと待っている。二人が安全である為の宝物を授けよう。豊玉には塩満珠、玉依には塩乾珠を上げよう。塩満珠を使って祈れば、海水が溢れ、塩乾珠を使って祈れば、海水が退いて行く。どう使うかは二人の自由だ。いずれにせよ、邪馬幸王様にお仕えして、奴国に再び帰って来るのだ。私は何時までも待っているぞ」

「お父様!」

 豊玉姫が綿津見にしがみついて泣いた。玉依姫も同じく父、綿津見にすがった。

「二人とも泣くでない。お前たち二人で決めたことではないか。泣きたいのは儂の方だ。和邇には儂から依頼しておく。無事に邪馬幸王やお前たちを辰国に送り届け、目的を果たし、再び共に戻って来るようにと」

「ありがとう。お父様!」

「儂や穂高や台与呼のことは心配せず、目的の為に身命を賭けよ」

 かくて奴国王、綿津見の娘二人も、邪馬幸と共に辰国に渡ることになった。

         〇

 一方、邪馬幸王は急いで邪馬台国に戻り、今回の奴国での会議の経緯を麗英皇后に報告した。麗英皇后は邪馬幸の渡海に反対しなかった。

「邪馬幸様が綿津見殿や卑弥国の重臣たちと相談して決定したことに私は反対しません。但し次の条件があります。私は同行致しません。この城で卑弥呼と台与呼の養育に専念致します。また万一、この城で戦闘が発生した時のことを考え、押雲将軍を残して行って下さい。もと山門国王の難升米は、この際、従者として辰国に連れて行って下さい」

「良かろう。ではこの事を皆に伝えるので、同席してくれ」

「分かりました」

 そこで邪馬幸はあらためて邪馬台国の重臣たちを集め、渡海することを報告した。そして留守中の邪馬台国の統治は臨席する麗英皇后が執行し、押雲将軍が、その補佐をすると伝えた。また、引率兵の大将として、難升米と都市牛利に従軍するよう命じた。麗英皇后は邪馬幸の気性を知っているので、じっと耐えることにした。邪馬幸が留守の間、邪馬台国を守りながら、何か新しいことを実行出来るのではないかと考えた。邪馬幸が故国を思うように、漢の父母、兄弟のことを思った。邪馬台国での会議後、邪馬幸と押雲将軍は諸々、打ち合わせをした。そして数日後、邪馬幸は戦争の仕度をして、難升米、都市牛利らの武将たちと自分の部下を引き連れ、奴国へ戻った。奴国の港では塩土、布津、和邇らが、二十隻の船を準備して待っていた。邪馬幸や玄雄副将軍や赤女たちが、それに乗り込み、いよいよ出発となった。綿津見たち奴国や卑弥国の人たちや、邪馬台国兵の関係者たちが、港から離れて行く船の人たちに向かって、大声で叫び、手を振った。二十隻の船は一路、辰国へと向かった。