倭国の正体『愛しき人よ』①

2021年5月12日
倭国の正体

 

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愛しき人よ。私は大学生の身でありながら、日本古代史の研究に誘われ、その時代に関する幻想が夏雲のように広がり、次から次へと想像が湧いて来て、何か文章にしてしまわないと、眠れなくなってしまった。そこでその幻想を『幻想・邪馬台国』として綴ることにした。もしも私が来春、大学を卒業出来なかったなら、この作品を書いた為だと笑ってくれ。無事、卒業出来たなら、この作品を書いた為だと祝ってくれ。

■第1章   辰国の誕生

 二世紀後半の中国大陸は後漢の霊帝が西暦189年5月13日に没し、献帝の時代となり、帝に仕える去勢された宦官たちが国政の実権を握り、宦官による片輪の政治が行われるようになった。その為、光武帝、劉秀が再興した大帝国、後漢はまさに滅びようとしていた。そんな中、黄巾軍青州兵、三十万の降伏を受け入れた騎都尉、曹操が、その実力を認められ、済南の相に任命された。また幽州の太守、公孫瓚を自殺させた袁紹が華北全土に勢力を伸ばした。長江下流では兄、孫策の後を受け継いだ孫権が頭角を現し始めた。その中でも建安元年(196年)8月、都を洛陽から許昌に遷都し、献帝を許昌に迎え入れた曹操は切れ者だった。彼は北方にある扶余、高句麗の存在を忘れていなかった。曹操は領土拡大を考え、北方攻略を画策した。それを感じ取った扶余王、夫台は、漢の太尉、曹操の差し向けた鮮卑軍から国を守る為、一族の娘を遼東太守、公孫度と結婚させ、烏桓と力を合わせ、西方からの攻撃を防いだ。高句麗では故国川王、男虎が国を治め、遼東太守、公孫度の侵攻を阻止すべく、軍事強兵に力を注いだ。南朝鮮では、濊人や韓人たちが遼東からの攻撃を受けて逃亡し、斯盧や伯斉の年老いた族長たちが集まり、新しい国を建国しようと必死になって考えた。そのような渦中に、高句麗、太祖王の王子、莫勤の子、天津彦、莫優がいた。彼は高句麗などの流浪の民と共に南朝鮮に移動し、狩猟の生活を送って来たが、最早、獲物も少なくなり、狩猟に依存する生活は長続きしないと気付き始めていた。幼くして父、莫勤を失った天津彦は王位争いを嫌い、従妹の木花姫を連れて南に逃亡し、流民たちと努力に努力を重ね、新天地で辰王家の族長となり、今や狩猟も億劫になる程、年老いてしまっていた。それ故、天津彦もまた、他の族長と同じく、南朝鮮の地に新しい国を建国することに賛成だった。天津彦は狩猟生活の現状を一族の者に確認した。

「皆の者に訊きたい。最近の不猟について、どう考えるか、各人、思っていることを言ってくれ」

 すると天津彦の次男、邪馬幸が一番先に答えた。

「父上。それは決まっていますよ。我らの腕の低下が原因です」

 次男、邪馬幸の答えに天津彦は首を傾げた。

「腕の低下。本当にそれが原因だろうか」

「そうですとも、皆、獲物を射止める方法を知らなすぎます」

 すると邪馬幸の兄、烏弥幸が、弟に諭すように言った。

「一族きっての弓の名手とはいえ、邪馬幸よ、言葉が過ぎるのでないだろうか。事実、最近、我らの乱獲により、獲物が少なくなって来ているのだと、俺は思うが」

 兄の烏弥幸は冷静にものを見ていた。続いて年寄の耆老が発言した。

「私も烏弥幸さまと同じ考えです。現在、我らの部族の総てが、狩猟だけに頼って生活しています。近頃では、めっきり獲物の数も減少し、孕み鹿や子鹿まで射止めている有様です。鳥や魚についても同じです。産卵期の鳥や魚を、めったやたら捕まえてしまう。これでは鳥獣魚介が子を産み育てることが出来ません」

 その意見を聞いて邪馬幸は憤然とした。

「では、どうせよというのか。狩猟を止めて、農耕民と同じように、穀物の種を蒔いて育てるというのか。そんなこと、我らに出来るのか」

 弟の反抗的言葉に、兄、烏弥幸は更にこう言って、弟を説得した。

「そんなことを言っているから俺たちは進歩出来ないのだ。流浪していた頃と今とでは、時代が大きく変わって来ている。東では濊人の奈解により、新羅の国が生まれ、西では我らが縁者、肖古が百済の国を興した。いずれも我らと同じ騎馬の民が中心になって建てた国だ。これらの国では騎馬の民が国を治め、農耕民たちが作る穀物などを集積し、うまく分配して、それを食って生活している。考えてみよ。一頭の鹿が食い荒らす樹々の芽を得る為には一つの山が必要だ。しかし、その広さの土地を耕し、穀物の種を蒔いてみろ。優に百人程を養う穀物を収穫することが出来る。俺たちはこのことに、もっと早く気づくべきであった」

「すると兄者は農耕民から施しを受けるというのですか。俺は嫌だ。俺は農耕民と一緒に生活するのは嫌だ」

 弟、邪馬幸は兄の意見に真っ向から反対した。それを聞いていた族長、天津彦は息子二人の口論などから、これからの一族の在り方について、こうあるべきではないかと推測した。

「烏弥幸の言う通りかも知れない。邪馬幸。お前は楽浪の府へ行ったことが無いから、烏弥幸の説明を聞いても納得出来ないのだろう。烏弥幸に言われてみれば、その通りだ。漢人たちは立派な家に住み、綺麗な服を着て、美味しい物を食って生活している。農耕民らに作物を作らせ、食い扶持のみを農耕民に与え、余剰の収穫物を取り上げている。彼らを見習い我らも同じことをするべきかも知れない。そうして得た収穫物を毛皮や鉄や碧玉、織物と交換すれば、我らの贅沢な生活も栄華も夢ではない。一族の将来を考えると、農耕民を支援し、彼らと同化することが賢明かも知れぬ」

 天津彦は、烏弥幸の意見を採り入れ、土着農耕民、韓人との同化を考え始めることとなった。だが邪馬幸は頑固だった。

「父上。俺は嫌です。農耕民たちと一緒の生活など考えただけで、腹がむかつきます。獲物はまだまだ得られます。現に昨日も、俺が大鹿を仕留めたではありませんか。皆が頑張ろうとしないからです。だから獲物が得られないのです。魚だって、頑張れば、もっと獲れる筈です」

 邪馬幸はあくまでも農耕民との同化を嫌った。兄、烏弥幸も引き下がらなかった。弟、邪馬幸に向かって言った。

「邪馬幸。魚釣りだって、そう簡単ではない。お前の腕で、沢山、釣れるというのなら、釣って来て見せろ」

「俺は釣り道具を持っていない」

「なら俺の釣り道具を貸してやる。どんな魚でも良い。三匹以上、釣って来たら、お前の言葉を信じよう」

「お安い御用だ。百匹近く釣ってみせるさ」

「大きく出たな。耆老の娘、赤女が釣り場に詳しい。彼女に案内してもらえ。もし釣れたとしても、小魚、一匹だろうがな」

 二人の口論に耐えかねて天津彦が息子たちに命じた。

「言い合いは止めなさい。まずは実態を明日、確かめよう。邪馬幸が海に行くのだけでは片手落ちなので、烏弥幸は山へ行って確かめなさい。明日、烏弥幸が山へ、邪馬幸が海へ狩猟に行って、現実を確認すれば、総てが分かる。そして、その結果報告により、この地に先住している農耕民たちと一緒に国を造るか、従来通り、辰王家を名乗り、遊牧狩猟の生活を続けるかを決定することにしよう」

「良いでしょう。俺は明日、海へ行きます」

 邪馬幸は自信満々だった。烏弥幸は落ち着き、しっかり声で答えた。

「俺は山に行きます。耆老、申し訳ないが、山への案内を頼む。また邪馬幸の案内を赤女に頼んだくれ」

「承知しました。お任せ下さい」

 かくして、一族会議は、天津彦の息子たち二人に、現在の狩猟生活を異なった角度から調査させることで終了した。このことは狩猟生活を送って来た騎馬の民、辰王家が三世紀に向かって大きな変革を迎えようとしている現れだった。

         〇

 翌日、兄、烏弥幸は耆老と共に山に向かった。何時も海に出かけることの多かった烏弥幸は、久しぶりに山歩きをしたが、鹿や熊と出会うことが無かった。猪や兎を見つけたが捕まえることが出来なかった。雉に矢を射ったが命中させられなかった。烏弥幸はかって幼かった頃に較べ山野に獲物が少なくなっていることを実感して館に帰った。一方、海に向かった邪馬幸は、岩場で、大魚を釣り上げそうになったが、大魚の力が強く海に引きずり込まれそうになった。そして次の瞬間、釣り糸が切れ、大魚を捕り逃がしてしまった。結果、邪馬幸は、兄、烏弥幸から借りた釣り道具の大事な釣り針を失なったばかりか、一緒に連れて行った案内人の赤女まで遭難させて、哀れな姿で帰った。二人が帰ったところで、報告会議が開かれた。会議を開始するや、冷静な筈の烏弥幸が弟を罵倒した。

「邪馬幸。皆から聞いたぞ。お前は大変なことをしてくれたものだ。赤女を失い、俺の大事な釣り針も魚に持って行かれたというではないか。その上、魚を一匹も釣って来なかったというではないか。百匹近く釣ってみせると豪語したのに、何たる様だ」

「申し訳ありません、兄者。獲物は確かにかかったのですが」

「言い訳は聞きたく無い。お前から借りた弓矢は返す。俺の大事な釣り針を返してくれ」

「お許し下さい、兄者。釣り針はあの大きな魚に取られてしまったのです。お返ししたくても、お返しすることが出来ません」

 邪馬幸は兄、烏弥幸に土下座して謝った。しかし烏弥幸許さなかった。

「土下座すれば済むと思っているのか。釣り針が無かったら、俺は明日から、何を手にして魚を獲りに行けば良いのか。それに、お前は、あの大事な赤女を助けられず、見殺しにしてしまったというではないか。どうして助けられなかったのか」

「赤女は釣り針を魚から取り戻そうと海に飛び込んだのです。そして、それっきり」

 邪馬幸は泣きそうな顔をして弁解した。だが烏弥幸は弟を厳しい顔で睨み付け、激しい声で叱責した。

「それっきりだと?お前たち何人もが見ていて、赤女を助けようとしなかったのか」

 すると邪馬幸と一緒に頭を垂れていた塩土が当時の状況を説明した。

「助けようとして、私も海に飛び込みました。しかし荒波にもまれ、とうとう赤女様を見つけ出すことが出来ませんでした」

 塩土が邪馬幸を庇うような発言をしてので、烏弥幸は更に激怒した。

「お前たちは謝れば済むと思っているのか」

「いいえ。償いとして、この邪馬幸、自分の剣をつぶし、五百本、いや千本の針を造って、お返しします」

「駄目じゃ。俺は許さん。あの釣り針がどうしても必要なのじゃ。あの釣り針でなければ、俺は許さん」

 これでは会議が進まぬ。烏弥幸の無理な要求を耳にして、天津彦は息子、烏弥幸を説得した。

「烏弥幸。そう我侭を言うものでは無い。邪馬幸たちが深く頭を下げ謝っているではないか。許してやれ。お前より怒りたいのは耆老の方だ。愛娘、赤女を失い、耆老こそ辛く可哀想なのだ。耆老、わしからも謝る。邪馬幸を許してやってくれ」

 天津彦は耆老に対して申し訳ない思いで胸がしめつけられるようだった。天津彦の言葉に耆老は平伏して答えた。

「勿体無いお言葉。赤女は仕事に殉じたまでの事。仕合せな娘です。邪馬幸様のせいではありません」

「耆老!」

 天津彦は耆老に近づき、耆老の手を握りしめた。耆老の眼には涙がいっぱいだった。邪馬幸は申し訳なさに胸が張り裂けそうになった。烏弥幸は天津彦が席に戻るのを確かめると、自分の山野での狩猟の結果を報告し、提言した。

「いずれにせよ、父上。本日の結果により、我々は先住の韓族の農耕民たちと一緒に国を造ることにしましょう」

 天津彦は本日の報告と若き烏弥幸の言葉に建国の覚悟を決めた。

「昨日の約束に従い、本日の結果をもって、韓族たちと一緒になって国を造ることを決定する。明日からこの地に、城塞と祭場を設置し、辰王家の尊厳を高めることにしよう。そして韓族たちに対し積極的な支援を行い、国を富ませ、いずれは辰王家の故国、高句麗とも交流しよう」

 この天津彦の言葉に天津彦に長年、仕えて来た将軍、押雲は感激した。

「流石、我らの一族を代表する辰王様。かの高句麗と肩を並べ、やがては漢にも及ぼうとするその心意気。押雲、感動しました。辰王様にお仕えする我ら一同、一丸となって建国に頑張りまする」

 邪馬幸も建国に反対では無かった。

「国を造ると決まったからには、邪馬幸も頑張ります。国を富ませ、兵力を大きくし、父祖の地と合流し、大帝国構築に尽力します」

 天津彦は列席者の声に建国への自信を深めた。

「皆の言葉を聞いて、余は嬉しい。一同、皆、頑張ってくれ。ついては次の三つの事柄を守って欲しい。第一は地元、韓人たちと親しく平等に付き合う事。第二は個人よりも国家を大事に思う事。第三は伝来の祭祀を絶やさぬ事。以上の三つの事柄を遵守してくれれば、我らの建国する国は、どのような苦難に遭遇しても、永遠に繁栄するであろう。もし、これらの事柄を守れぬ者が出たなら、国は滅びるであろう。余の申した以上三つの事柄、一同、皆、遵守せよ。分かったか」

 天津彦の決起の呼びかけに、烏弥幸が率先して、父、天津彦に額ずいて答えた。

「御意。承知しました。我ら一同、只今の御言葉にたがわず、辰王様の御命令の下に、新国家樹立の為に努力する事を誓います」

「誓います」

 邪馬幸や耆老、押雲たちも烏弥幸に倣って平伏して、宣誓した。兄弟喧嘩から始まった会議は、こうして終了した。

         〇

 数日後、辰王、天津彦は百済、新羅の南方にある伽耶に出かけ、韓人、伽耶の首長、首露と会見した。膝を突き合わせて首露と新国家樹立を討議すると、首露は、こう答えた。

「我々、部族は、農耕民なので、鋤や鍬をもって戦うことは出来ても、馬を乗りこなし暴れ回ることは出来ません。従って、伽耶を辰王様に守っていただくことは構いませんが、それだけでは、漢や高句麗に対抗出来ません。出来ることなら、辰王様に百済、新羅、伽耶を統括した大国を構築していただきたいのです。そして、その暁に、国名を『辰国』とされるのが宜しいでしょう」

 首露の具申と説得に天津彦は勇気を貰った。首露の意見を採用し、『辰国』の建国を思い立ち、翌日、首露を連れて一族のもとへ帰った。そして即日、会議を開催し、こう伝えた。

「皆に集まってもらったのは他でもない。余はここにおられる伽耶の首長と相談し、我ら辰王一族と韓人と濊人と三部族が一緒になって、部族連合国家『辰国』を樹立しようということで意見が一致した。そこで、ここにおられる韓人の代表、首露殿を皆に紹介し、首露殿の考えを披露していただき、皆と意見交換したい。まずは首露殿に御挨拶していただく。首露殿、お願いします」

 天津彦の言葉に首露が天津彦と並んで台上から挨拶した。

「只今、ご紹介いただきました伽耶の代表をしている首露です。お見知りの程、宜しくお願い申し上げます。私はこの度、辰王様より、建国の相談を受け、真っ先に賛成した者です。時代は今、大きく変わろうとしております。特に遼東からの軍事的圧力には、目に余るものがあります。最近、遼東からの集団が、我々のような半島の南端までやって来て穀物や貴重品や娘を奪って行くのです。このような悪逆非道が長く続くことがあって良い筈がありません。しかし私たち土民である韓人には武器も無ければ、戦闘の知恵も知識もありません。そこに今回、東明王、朱蒙様を始祖とする辰王様からのお話が御座いました。私は韓人の古老や幹部を集め、どうしたものかと、仲間に相談しました。すると、ほとんどの者が辰王様に従属することを希望し、天の助けだと言って喜んでおります。伽耶の連中は辰王様の率いる騎馬軍団が、自分たちを遼東から守ってくれると喜びに沸き返っております。どうか皆さまが、一時も早く建国されますよう、首露、心よりお願い申し上げます」

 首露の挨拶が終わると、天津彦は胸を張って、一同に言った。

「聞いての通りだ。我々もまた伽耶の人たち同様、この建国について喜び、祝賀せねばならない。また百済、新羅とも連携して、強力な連合国を築き、遼東からの圧力を撥ね退ける大国を造り上げねばならない。それはこの半島に生きる民草が遼東からの脅威にさらされない為の安全保障であり、それを守るのが我々の使命じゃ」

 天津彦の言葉に一同が頷いたのを見計らってから、烏弥幸が首露に向かって言った。

「首露殿。伽耶の人たちの心情、首露殿のお話を聞き、我ら深く理解しました。我ら騎馬一族は必ず、貴男様を始めとする伽耶の人たちを、お守り致します。そして相互信頼の上に立って、末永く手を取り合い、部族連合国家『辰国』の為に努力邁進して行くことを約束致します」

「有難う御座います」

 首露は烏弥幸の言葉に深く感謝の意を表し、喜びの笑顔を見せた。それから天津彦は『辰国』のこれからについて、出席者に意見を訊いた。

「それでじゃ。この部族連合国家『辰国』を、如何にしたら強国にし、繁栄させることが出来るか、皆の意見を聞かせて欲しい。出来れば具体的対策を提案して欲しい」

 すると、これまた烏弥幸が手を挙げ、提案した。

「私は帯方との境に長い城壁を築くことが良策であると考えます。漢と同じように国家総動員して、境界壁を造れば、国土を守ることが出来ます」

 その提案に邪馬幸が反対した。

「長い城壁を築くなんて、無茶な話です。俺は反対です」

 邪馬幸の反対意見に烏弥幸はムッとした。

「何故、反対するのじゃ。秦や漢が万里の長城を築いたように、国を城壁で囲み、外敵から国を守るのだ。それに何故、反対するのか?」

「それは世界が広大無辺だからです。蓑虫のように自ら殻に閉じこもることなど、愚の骨頂です。『辰国』は天馬の如く、世界に雄飛するのです。楽浪、遼東はもとより、高句麗、扶余、烏桓をも平定し、やがては鮮卑、羌、漢にまで、その力を広めるのです」

「何と目の前を見ず、夢のようなことを。お前は何でも私に反対すれば良いと思っているらしいが、お前には何か案があるのか」

「あるよ。俺は一番先に成さねばならぬことは、『辰国』の体制造りが必要であると思う。これから始まる新しい国は幾つかの部族によって結成されることになる。しかし、今のところ、その統合会議が行われていない。各部族に王と称する者が沢山いる。誰を新たな国の国王にするか先ずは明確にすべきである」

 すると伽耶の首長、首露が慌てて、邪馬幸に言った。

「何を申されます。『辰国』の国王は、国の名が示すように、辰王様でなければならないのです。私をはじめ、百済の肖古、新羅の奈解は、それぞれの部族の長帥であって、国王とは言えず、臣智なのです」

 首露は天津彦が国王であるべきであると主張した。だが実直な邪馬幸は納得しなかった。父が理由無くして国王に成ることを良しとしなかった。

「しかし、首露殿、それは父と首露殿の関係者との暗黙の了解であって、百済や新羅を加えた公議によって決定された事ではありません。国家組織というものは、個人の指示や一部の人間だけの暗黙の了解により、もの事を決定してはなりません。先ずは各部族長の位階を決めるべきです」

「成程」

 邪馬幸の説得に首露は頷いた。邪馬幸は更に弁じた。

「そして更に位階を八段階にして、色相により位階が分かるようにしてみては如何かと。錦、紫、黄、白、青、赤、緑、黒の八色です。例えば国王は錦、臣知は紫、農民は緑といった風に」

 天津彦は息子たちが、建国について、あれやこれや真剣に考え、検討していることを知り、首露と共に感心した。

「邪馬幸のその提案、中々、良いと思う。先ずは国民の技能や役割を調査し、位階を検討しよう。言われてみれば今まで、余の個人的采配で人を動かして来た。そうした独断的人事や行動指示は、行ってはいけないことだ。皆に相談したつもりでも、自分で決断して来た余の行いが、皆の生活を苦しめ迷わせて来た。これからは他の部族の人たちや皆と相談の上、多数の賛成者の意見によって、物事を採決することにしよう。それが国家というものであり、我らの目指す世界だ」

 天津彦は邪馬幸の意見を採用し、『辰国』の部族統制の為に位階制度を施行することを首露たち部族長と相談することにした。こうして部族連合国家『辰国』が形成されることになった。そして、王宮の名を日支城とした。

          〇

 『辰国』の体制がスタートして間もなく、漢の曹操が冀州、青州、幽州などを領する大将軍、袁紹と争っている建安7年(202年)、遼東太守、公孫度は東北地方に、その勢力を伸ばし、南朝鮮を勝手に三韓と称し、それぞれの代表に朝貢するよう要求して来た。三韓の代表とされた百済の肖古、新羅の奈解、伽耶の首露はどうしたものかと、南朝鮮を守る騎馬の王、辰王、天津彦に相談に来た。先ずは百済の臣智、肖古が訴えた。

「辰王様。遼東太守からの使者が百済に参って、楽浪の府に毛皮五百枚、馬二十頭の鉄荷、兜いっぱいの碧玉宝石、兵士二百人分の穀物を届けろと要求して来ました。どうしたら良いでしょう」

 百済の臣智、肖古は楽浪に一等、近いこともあって、相当、慌てていた。新羅の臣智、奈解も同じ使者を受けていた。

「私の所にも公孫度は同じ要求をして来ました。どうしたものでしょうか」

 その問いに辰王、天津彦は悩んだ。国民が苦労して得たものを、一方的に差し出せとは、無茶な話である。当然、拒否すべきである。だが断れば彼らは服従させようと襲撃して来るであろう。そうすれば沢山の死者が出る。どうしたら良いのか、天津彦は腕組みして、うなった。

「遼東太守に貢物を送るべきか否か、余はどう答えれば良いのか?」

 父の迷う発言に烏弥幸が意見を述べた。

「公孫度という男は、恐るべき奴です。貢物を送り、忠誠を誓うべきです」

 それを聞いて、弟、邪馬幸が反対した。

「何を言われるか兄者。我が父上は東明王の後裔、太祖王の孫、天津彦、莫優であるぞ。辰王として遼東太守から貢物をもらうことはあっても、要求されたからといって、こちらから貢物を送ることはない」

「愚かなことを言うな。情勢は変わって来ているのだ。公孫度に背いたら、どんなことになるか、お前は分かっているのか」

 また兄弟喧嘩が始まった。邪馬幸は強気だった。

「漢の献帝の力は弱まっていると聞く。公孫度とて、虎の威を借る狐じゃ。何も恐れるに足らない。また『辰国』の国王として、その存在を知らしめさず、ここで公孫度にペコペコしていては、臣智諸侯に申し訳が立たない。要求を断るべきだ」

「邪馬幸。お前は強気だが、公孫度に勝てる自信があるのか」

「我らは騎馬の王者、東明王の後裔。戦に負けることは無い。公孫度のような愚将に負けてなるものか。俺は戦を好んで言っているのではない。我らは天孫なのだ。聖なる一族なのだ。正しい戦さをすれば、必ずや天が守ってくれる。天下無敵である筈だ」

 邪馬幸の熱意ある言葉に辰王、天津彦は心動かされた。

「邪馬幸の言う通りだ。楽浪の府などに貢物を送る必要はない」

 天津彦は邪馬幸の意見に賛成し、遼東太守への貢物の献上を断ることにした。それを受けて臣智たちの顔色が変わった。首露が撤回を求めた。

「お待ち下さい。この首露。辰王様や邪馬幸様の勇猛心と我ら国民に対する慈愛、心底より分かりました。しかし、冷静に考えて、一度は貢物を送っておくべきかと」

「首露殿。貴方は今まで、遼東に貢物など送りたくないと言っていたのに、どういうことか?」

「それは『辰国』の証明の為です」

「証明とは?」

邪馬幸は首を傾げた。何故、証明が必要なのか。首露は続けた。

「証明。それは三韓を束ねる『辰国』が存在することの証明です。高句麗以外に『辰国』という立派な国が存在していることを、漢帝に知らしめる為です」

「成程。それは必要なことだ」

 天津彦は首露の具申を聞き納得した。邪馬幸は父、辰王の気の変わりように呆れ果てた。何と弱気なと思った。

「我が国の存在の証明というのなら、貢物を送る必要など無いではないか。遼東に使者を送り、遼東太守に対し、『辰国』に貢物を届けろと命じれば良いではないか」

 天津彦は困った息子だと渋い顔をして、邪馬幸に言った。

「それはならぬ。こちらから先に貢物を届けるのだ。残念なことに我らはまだ、濊人や韓人たちと一体になりきれていない。万一、戦闘が起こったら、各部族が勝手な所に逃亡し、少数で敵と対峙する恐れがある。首露殿は、その危険をお気づきで、言っておられるのだ」

「その通りです。今、『辰国』に必要なのは辰王の末裔一族と韓人、濊人との密着です」

 首露の論理に烏弥幸は同調した。

「首露殿の言う通りです。今のところは大人しく公孫度の要請に従うのが得策です。皆で協力して貢物を集めることにしましょう。そして、それら貢物を三韓を統率する『辰国』からの貢物として公孫度に届けましょう」

「そうしよう」

 天津彦も首露の考えに賛同し、辰国王の名で貢物を送ることを決定した。それに対し、百済の肖古が質問した。

「その貢物を届ける役目として、百済から使者を派遣するのでしょうか。それとも辰王様の直属の御使者が届けに行かれるのでしょうか?」

 その質問に対し、辰王、天津彦は躊躇することなく答えた。

「それは言うまでもない。我が辰王家より使者を派遣する。漢語に詳しい耆老たちと腕力のある邪馬幸たちに行かせる。但し、荷物を運ぶ為の運び人足たちは三韓から、それぞれ出して欲しい」

「承知しました」

 臣智たちは了解した。驚いたのは邪馬幸だった。

「俺が楽浪へ行くのですか?」

「そうじゃ。その目で楽浪を良く確かめて来るにじゃ。お前も楽浪に行けば、漢人たちが、どのように利口な連中であるか分かるであろう。勉強のつもりで、耆老らと一緒に楽浪へ行ってくれ」

「ははーっ」

 かくして辰王、天津彦は三韓の束ねとして、辰王家より楽浪への朝貢の使者を送ることを決定した。

         〇

 辰国が貢物を届ける楽浪は後漢が統制力を失い、曹操、孫権、劉備の支配する魏、呉、蜀の三国分立の気配が萌芽し始めていて、曹操が、この地方を支配下に入れようと、緻密な画策をしている渦中にあった。曹操は北辺の烏桓を服従させると共に、東北に独立していた公孫度を配下にする為、公主、曹麗英を公孫度の息子、公孫康に嫁がせるなどして、袁紹の背後を狙った。そんな時代に、辰王、天津彦は遼東太守、公孫度のもとに、朝貢の使者として、息子、邪馬幸王子を派遣したのである。多くの従者を連れて楽浪に向かいながら、王子、邪馬幸は重臣、耆老に訊いた。

「耆老。父上は何故、この役目を俺とお前に命じたのであろうか?」

「それは、辰王様が会議で申された通り、漢語に詳しい私と武術に優れた邪馬幸様を適任者と考えられたからでありましょう。また邪馬幸様が辰王様の後継者であることをお示しする為でもありましょう」

「俺が後継者だと。そんな馬鹿な。父上はこの前の兄者と俺の争いの結果、兄者の意見に従い、『辰国』の建国を決定し、兄者の意見に従い、この朝貢だ。爾来、後継者は兄者に決まったものと思っているが」

 邪馬幸は思っていることを率直に喋った。耆老は邪馬幸と馬を並べて、笑いながら邪馬幸に言った。

「いいえ。辰王様は後継者を決めている訳ではありません。沢山の御兄弟の中から、一等、優れた者を後継者にしようとする筈です。私は辰王様が邪馬幸様の方に可能性を見出そうとして、今回のお役目を御命じになったのだと思っております」

 朝貢の使者二人は、楽浪に向かいながら沢山のことを語り合った。礼城江を越えた海州に近い所で、邪馬幸たち一行は、異様な光景を目にした。

「ところで耆老よ。ここは何という所だ。芦の葉で編んだ小屋が限りなく立ち並んでいるが。見よ。大人も子供も我らの掲げる旌旗を見て、皆、逃げ惑っているように見えるが」

「ここは屯有県の南、帯方県です」

「ほほう。ここが兄者が城壁を築こうと言った帯方県か」

「はい。以前にはこのような部落はありませんでした。こんな荒れ地に住む者は全く居なかったのに、どうしたことでしょう」

 耆老にも、この地に詳しい百済の兵士や人足にも分からない光景であった。邪馬幸は馬から降りて、恐れること無く、芦小屋に近づき、そこにいる者に訊ねた。

「そこにる女よ。お前さんたちは、こんな荒れ地で、何をしているのだ。前から、ここに住んでいるのか」

すると女は恐る恐る答えた。

「いいえ。おらたちは皆でここまで逃げて来たんだ」

「一体、何があって逃げて来たのだ?」

「楽浪のお役人たちが、おらたちをいじめるから逃げて来たんだ。楽浪のお役人は、うちの人をさらって行った。何でも、ずっと北の方へ連れて行って、兵隊にするっちゅう話だ。それにお役人たちは、うちの人と一緒に、おらたちの穀物を一つ残らず奪い取って行ったんだ。種モミさえも残してくれなかった。それでおらたちは、ここへ逃げて来た。あんな所で暮らすのは、もう真っ平だ」

 その女と邪馬幸たちの様子を見ていた他の女や老人たちも集まって来て、邪馬幸たちに訴えた。

「本当に酷い奴らなんだ。見てくれ。子供たちも骨と皮ばっかりだろう」

「おらたちは何故、悪い事をしてもいないのに、いじめられなければならないんだ」

「おらたちは安心して暮らせる新しい土地へ行って暮らしたい」

 女たちは目にいっぱい涙を浮かべ、訴えた。

「すると、お前さんたちは楽浪から逃げて来たのだな」

「はい。楽浪の田舎からです」

 楽浪から逃げて来た人たちの話を聞いて、耆老が邪馬幸に言った。

「邪馬幸様。この状況だと、楽浪の地では、領内の土民たちを相当、酷使していると考えられます。でなくして、こんな大掛かりな逃亡が行われる筈がありません」

「その上、三韓に穀物、毛皮、鉄、宝玉を要求するとは。公孫度は何と悪逆な奴だ。貴奴は遼東の安全を守る為で無く、野心に燃えているようだ。必要以上の食糧や兵士、武器を調達しているということは、中原に進出し、漢の覇者にでもなろうという魂胆かも知れない」

「人間を人間と思っていない非道の仕業です」

「許せぬ」

 邪馬幸は目を吊り上げ、憤怒した。その邪馬幸に流浪の民たちは手を合わせ懇願した。

「ここでお会いしたのは何かの縁。どなた様か分かりませんが、おらたちをお助け下さい。楽浪へ行っても、おらたちと出会ったことは黙っていて下さい」

 邪馬幸は流浪の民たちを可哀想に思った。同じ人間に生まれながら、何故、このような悲惨な目に遭わなければならないのか。もしかして、自分の先祖たちも、このような辛い思いをして、北方から逃れて来たのではないのか。邪馬幸は懇願する流民たちに言った。

「分かった。お前さんたちに出会ったことは黙っていよう。ところで、お前さんたち、女、老人、子供だけでの逃亡、難儀であろう。ここに楽浪の府へ届ける為に運んで来た穀物がある。それをお前さんたちに分けてあげよう」

 それを聞いて耆老は慌てた。

「邪馬幸様。楽浪には、どうするのです」

 耆老は楽浪への納品する穀物が無くなることを心配した。ところが邪馬幸は平気だった。邪馬幸は笑って言った。

「この穀物は、もともと辰国の土民たちから得た物。困っている土民に返すのが一等である。楽浪の府には他の物を渡せば良い。さあ、お前さんたち、遠慮なく分けてもらえ」

 邪馬幸の言葉に流民たちは狂喜した。

「本当ですか?」

「有難う御座います。まるで地獄で神様に出会ったようです」

 今にも死にそうな骨と皮ばかりの老人が、邪馬幸に感謝して、邪馬幸に何度も何度も拝礼し、邪馬幸の名を教えて欲しいとお願いした。それに対し、邪馬幸は、こう伝えた。

「私はここより東南にある日の出ずる国、『辰国』の王子、邪馬幸皇子莫流である。仕合せに暮らしたいと思うなら、我が国『辰国』へ行くが良い。『辰国』は平和な国だ。誰もが我が父王の統治のもとに平和に暮らしている。邪馬幸皇子に言われて来たと伝えれば、皆、喜んで迎えてくれる筈だ」

 邪馬幸の言葉に耆老が付け加えた。

「邪馬幸様の仰せの通りです。みんなで『辰国』へ行くが良い」

「有難うございます。邪馬幸皇子さま」

 流民の老人、女、子供たちは手を合わせて、邪馬幸たち一行に礼を言い、穀物を分配してもらった。

         〇

 建安7年(202年)秋、『辰国』の朝貢の使者たちは楽浪の府に到着した。楽浪は遼東太守、公孫度の息子、公孫康が守備していた。邪馬幸たち一行は、楽浪城の衛兵に公孫度に会いたいと申し出た。ところが公孫度は漢に出かけていて面会出来ないとのことであった。そこで朝貢の為に伽耶から来たと伝えると、衛兵は城内に連絡をとり、一行を城内に入れた。それから代表の邪馬幸と通訳の耆老を宮殿に案内した。二人は宮殿前の庭に通された。衛兵が、正面に座っている楽浪の重役に向かって、こう報告した。

「公孫模様。伽耶からの一行が朝貢に参りました」

 すると偉そうな二人が邪馬幸と耆老を睨みつけて、口火を切った。

「蛮夷ども。ようやくやって来たか。わしが遼東太守の補佐役、公孫模である。隣りは同じく楽浪の張敞将軍じゃ。お役目、御苦労」

 無礼な公孫模の言葉に、邪馬幸は怒りを覚えたが、耆老が制するので、耐え忍んだ。耆老は邪馬幸に平伏させ、公孫模たちに挨拶した。

「申し遅れました。私は伽耶の通訳、耆老と申します。こちらは朝貢使の代表、邪馬幸様です。これを機会に、今後とも宜しくお願い申し上げます」

「相分かった。ところで蛮夷ども、申しつけた品々、持参したか」

 張敞の言葉もまた無礼だった。邪馬幸は耆老が耐えているのが分かったので押し黙って我慢した。耆老は張敞の問いに答えた。

「はい、持参しました。お調べ下さい」

 耆老の言葉を受け、張敞は近くにいた部下に調査を命じた。張敞の部下は宮殿の門外で待機している朝貢の一行の所へ駆けて行き、邪馬幸の従者や人足が運んで来た荷物を確認した。その確認が終わるまで、公孫模と邪馬幸は睨み合ったまま、口をきかなかった。張敞の質問に耆老が答えていると、張敞の部下が戻って来て、荷物調査の結果を報告した。

「報告します。三韓からの荷物は、穀物を除いて、総て約束通りです」

「何じゃと。穀物が無い!」

 公孫模の顔が曇った。それを聞いて張敞が耆老に詰問した。

「お前らは何故、穀物を持参しなかったのか?」

 耆老が邪馬幸の顔を見たが、邪馬幸は知らん顔をした。耆老は焦ったが、これが自分の役目と、知恵をふりしぼって答弁した。

「伽耶をはじめとする三韓は今、辰王様の統治下にあり、高句麗など周囲の国から、『辰国』と呼ばれております。いまだに狩猟に頼って生活している者たちの多い集まりです。その為、土民たちが少なく、穀物が上手に出来ません。従いまして、毛皮や鉄や宝玉は、お約束通り準備出来たのですが、穀物をお届け出来ず、誠に申し訳ありません。ここにおいでのお方は、その辰王さまの後継者、邪馬幸王子様で御座います。いずれ『辰国』の王となられるお方です。よろしくお願い申し上げます」

 耆老が邪馬幸に頭を下げるよう合図したので邪馬幸は頭を深く下げ、挨拶した。

「今後ともよろしくお願い申し上げます」

 頭を下げる邪馬幸を見て公孫模が大声を立てて笑った。

「こいつが王子だと。笑わせやがる」

 だが張敞は笑わなかった。

「公孫模様。こやつは不耐濊と言って、悪逆非道、始末におえない連中です。これまで漢の太守や高句麗の王たちが手を焼いて来ました。こやつらが王国を造り、朝貢して来たということは、只事ではありません。こやつらを怒らせると面倒です。一応の物を運んで来たのですから、からかわず、物資だけいただいておくのが賢明です」

「そうか。ではそうしよう。遠路はるばる御苦労であった。『辰国』の王子、邪馬幸よ。お前のことは良く覚えておこう。半年後も、また同じように訪問して来るが良い。お前らの位階については、遼東太守、公孫度様と良く相談しておこう。半年後に、また会おう」

 公孫模の言葉に対し、邪馬幸がこう返答した。

「私は位階を得る為に楽浪の府にやって来たのではない。『辰国』の王子として、遼東郡と友好を結ぶ為にやって来たのだ。われら『辰国』という『漢』と並存する偉大な国が半島の南に在るということを分かってくれれば、それで良い」

 邪馬幸の返答に張敞が怒った。

「蛮夷、無礼なり。我が国に並存する偉大な国がこの世にあると思うか」

 蛮夷と言われ、邪馬幸は我慢出来ず、怒った。

「お前たちでは話にならん。公孫度殿が不在ということなので、公孫康殿に是非、お会いしたい」

「それはならぬ」

 張敞が拒否すると公孫模が笑った。

「張敞。そう怒るな。貢物をいただいたのだ。少々の無礼は仕方あるまい。兎に角、元気の良い奴じゃ。こやつらは、漢帝国や遼東の事について無知なのじゃ。少し教えてやれ」

 公孫模に諫められ、張敞は大人しくなり、説明した。

「お前らは、楽浪に公孫度様や公孫康様がおられるものと勘違いしておられるようだ。お二人は、ここから更に遠い遼東城におられるのだ。そこへ行くには、ここまで来たのと同じくらいの日数がかかる。それ故、我らから朝貢の使者が楽浪に来て納品を済ませたことを伝えておく。しかしながら、辰国の王子、邪馬幸が、『辰国』が『漢』と並存する偉大な国であるという発言は問題である。本件については太守、公孫度様にお伝えし、裁決をいただくことにする」

 耆老は張敞の終わりの言葉を聞いて、震え上がり、慌てて弁解した。

「張敞様。お許し下さい。邪馬幸王子は楽浪の府にやって来たのが初めて。いささか気張っているのです。若さ故の失言と、お許し下さい。また半年後の朝貢の件につきましても、邪馬幸王子と共に、我が主、辰王様に間違いなく報告致しますので・・・」

「分かれば良い。我らが太守、公孫度様は、漢の霊帝様に代わって、東に高句麗を討ち、西に烏桓を追い、大いに武名を上げ、漢の遼東郡を十倍にも膨れ上がらせた立派なお方だ。その公孫度様の実力を見抜いての今回の朝貢は実に有効であったと認める。『辰国』の今後の浮沈も総て公孫度様の掌中にある。これからも怠ることなく朝貢するが良い」

 耆老は張敞の言う通りかも知れないと思った。耆老は平伏して述べた。

「かしこまりました。このこと『辰国』の国王、辰王様に事細かにお伝え致しましょう。高句麗をしのぐ『辰国』の国王のこと、御指示の貢物を準備することなど、朝飯前です。私たちの伝言を必ずや、お聞き入れ下さると思います」

 すると公孫模が二人に言った。

「そうであるか。宜しく頼む。我らが太守、公孫度様は『辰国』と末永く交流したい気持であると辰王に伝えてくれ」

「はい。伝えさせていただきます」

 公孫模の言葉に耆老は深く頭を下げた。邪馬幸もそれに合わせた。会見を終えると張敞が邪馬幸たちに言った。

「朝貢の使い、御苦労であった。下がって休息するが良い。今夜、そちたち二人は兵舎に泊るが良い。他の者は申し訳ないが、城外にて野営していただきたい」

 こうして、邪馬幸と耆老は朝貢の役目を何とか終わらせ、楽浪城内の兵舎に泊ることとなった。

         〇

 楽浪城内の宮殿前から兵舎まで衛兵が邪馬幸と耆老を案内してくれた。兵舎の片隅に通された邪馬幸と耆老は、衛兵が運んで来てくれた夕飯を済ませ、衛兵のいなくなった部屋で休息した。休息しながら邪馬幸は耆老に話しかけた。

「耆老。見たか?」

「何をです?」

「ここへ来る途中、建物の格子窓から俺たちを見ていた女だ」

「ああ、見ました。格子部屋に閉じ込められている若い女。何か囚人のようでした」

「綺麗な女であった。あの女は一体、何者であろうか?」

「さあ、どなたでしょうか。私にはとんと分かりませんが」

 耆老は不愉快な答え方をした。朝貢の使者としての役目を忘れ、城内の格子部屋にいる女に浮気心を起こすとは、何と不謹慎なことか。それに耆老は邪馬幸の為に、愛娘、赤女を失っているのだ。なのに邪馬幸は、そんな耆老の気持ちも配慮せずに、こう言ったが、耆老は邪馬幸の若さ故と、堪忍した。

「耆老よ。朝貢とは、こんな馬鹿馬鹿しものなのか。朝貢を受けたのだから相応の儀礼を尽くすのが楽浪のやるべきことであろうが」

「は、はい」

「公孫模の奴、貢物を受け取りながら、我らに兵舎で食事をさせただけで、何のお返しもしようとしなかった。俺は彼女を、お返しとして貰って行こうと思う」

「あの囚人の女を掠め取って行くというのですか」

「そうだ。欲しいものを手に入れる。これが我ら騎馬民族の主義だ。彼女が誰で、どんな女であろうと知ったことでは無い」

 耆老は邪馬幸の乱暴な考えに呆れ返った。

「お止め下さい。我らの今回の役目は『辰国』の存在を示すこと。我らは、その役目の朝貢を無事、終わらせたのです。後は『辰国』に帰り、帰国報告をすることが、我々の残された仕事です。このまま大人しく帰るのが賢明です」

 耆老は邪馬幸の無謀な考えを差し止めようと説得した。しかし、耆老の忠告を聞く、邪馬幸では無かった。

「いや。俺はこのまま帰りたくない。もっと『辰国』の力を示す必要がある。番人が守っていたくらいだから、きっと名のある女に違いない。俺は彼女を貰って行く」

「邪馬幸様。肝心なのは今です。耐えて下さい。ここで事件を起こしたら総てが水の泡です」

「そんな事はない。漢人たちが、我々から拉致した女の数に較べれば、たった女、一人ではないか。たとえ問題が起こったにせよ、女を返せば済むこと」

「いいえ。そんな簡単に済むことでは御座いません。戦さが始まります。『辰国』が充分に体制づくりの終わらぬうちに、彼らに攻撃されて御覧なさい。どうなることか」

 若い邪馬幸は耆老の忠告を軽視した。

「何を言うか。『辰国』は父、辰王の力により、既に体制づくりも整い、軍備も今まで以上に専門化し、強化されている。多くの格闘技を経て選び抜かれた武人たちが、各部隊長となり、戦闘に備えている。騎馬の民としての戦闘経験と組織化された攻撃方法により、漢兵など、あっという間に蹴散らしてしまう実力を保持している」

「そうであったとしても、ここは耐えるべきです。総てが『辰国』の国民の為です」

 耆老は強く反対した。だが邪馬幸は言う事を聞かなかった。

「耆老よ。邪馬幸は彼女に一目惚れしたのじゃ。その一目惚れも気まぐれでは無い。心底から惚れたのじゃ。何か運命的なものを感じてのことじゃ。あらゆることを考えての望みじゃ。それでも彼女を掠め取って行くことは駄目か?」

「駄目と言わざるを得ません。しかし、それでもなお、邪馬幸様が決行するというのであれば、私は、今夜のうちに城外に出て、野営している連中に、明朝、夜明け前に出発することを指示しに行きます。連れて来た使者を全員、無事に帰国させるのが、私の使命ですので・・・」

「そうしてくれ。邪馬幸は番人のいるあの建物の部屋に侵入して、彼女を必ず救出してみせる」

 邪馬幸は計画を止めることを全く考えなかった。邪馬幸の性格を知る耆老は諦めた。

「これ以上、お止めしても無理の御様子。私は責任を取りません。決行するからには成功させて下さい」

「成功させるとも。夜、皆が寝静まった頃、行動を開始する。彼女を連れ出せば、あとは『辰国』へ一目散だ」

「では私は今から城を抜け出し、野営している連中に、明日、早出の事を伝えに行きます。戻りませんので、お一人になりますが、頑張って下さい」

 心配しながら退散しようとする耆老に邪馬幸が言った。

「耆老。申し訳ないが、お前の腰の鉄斧を置いて行ってくれ。建物の扉に錠前が取付いていたら、それで壊したいのだ」

「分かりました。くれぐれも気を付けて下さい」

 耆老は邪馬幸が慎重にことを進められることを願い、その場から退出した。

         〇

 深更、邪馬幸は兵舎に来る途中にあった建物に近づいた。番人はいたが二人とも眠っていた。予想した通り、建物の扉に錠前が取り付いていたが、鉄斧でこじったら直ぐに外れた。建物の中に入ると部屋が三つ並んでいた。一番先の部屋を覗くと、女が寝ていた。彼女かどうか確かめようとして近づくと、女はフクロウのように細い目をものうげに開いた。彼女では無かった。女は邪馬幸に気づくや、叫び声を上げようとした。邪馬幸は咄嗟に起き上がった女の口を布でふさぎ、あらかじめ準備し持参した縄で女の手足を縛りあげた。それから二番目の部屋を覗いた。その部屋には机と椅子が並んでいるだけで、人の姿は無かった。一番奥の部屋に忍び込むと、寝台の上の布団の中で寝ている彼女の顔が高窓からの月の光で、はっきりと見えた。両手を伸ばし彼女の髪に触れると、彼女はいきなり布団を剥ぎ、驚いた顔をした。

「しっ。静かに」

 余りにも思いがけない出来事であるというのに彼女は冷静だった。小さな声で言った。

「どなたですか?」

「私は『辰国』の王子、邪馬幸です」

「こんな深夜に、何しにここへ?」

「貴女様をお連れに参りました」

「私を連れて何処へ行くというのです?」

「私の父の治める国、『辰国』です」

「私、『辰国』なんて聞いたこと無いわ」

 彼女は、邪馬幸が『辰国』の王子であることを信じていない風だった。邪馬幸を冷ややかな目で見た。

「その『辰国』は三韓が統合して出来た国であり、ここより南方、伽耶の地を王都として、我が父、辰王が統治している国です」

「私は、そんな辺鄙な国へ行きたくありません。三韓のような野蛮な国へ行って住むくらいなら、この牢獄のような館の中で死んだほうが増しです」

「貴女様は『辰国』という国を知らないから、そう仰有られるのです。『辰国』は素晴らしい国です」

「私は行きません。牢獄のようなこの部屋の中で、ずっとこの銅鏡を眺めております」

「愚かなことを。『辰国』には谷那の金山という所があります。私たちはそこから採れる鉄や銅で武器や鏡を作っています。『辰国』で採れる白銅は素晴らしいです」

「白銅?」

 彼女にとって、その名は『辰国』同様、初めて聞く名前だった。彼女は邪馬幸の言葉に興味を抱いた。邪馬幸は目を輝かせて彼女を口説いた。

「そうです。白銅です。白銅は美しく輝く。白銅の鏡に映る貴女様の顔は、青銅鏡など、足元にも及ばない。澄んだ湖水以上に鮮明に貴女様の美しい面輪を映し出してくれる。私は辰国の鏡に、貴女様の早く映してみたい。その美麗な横顔を」

 邪馬幸は、そう言って彼女の傍らに近づいた。彼女は、ハッと息をのんだ。

「何をなさります。止めて下さい」

「止めません。私は貴女様を己れのものにする為に、命がけで忍んで来たのですから」

 邪馬幸は女に挑みがかった。

「止めて下さい」

「止めません」

「ああっ」

「熱いですか?谷那の鉄剣は、このような熱さの中から鍛えられ、出来上がるのです。熱ければ熱い程、良いのです」

「ああっ。貴男様ったら」

 彼女がしがみついて来た。邪馬幸は確認した。

「私と行くか?山を越え、谷を越え、緑の国、『辰国』へ」

「ああっ。お止め下さい」

「素晴らしい国だ。馬に乗って行く故国への旅。ゆらりゆらりと遥かなる旅。行くか邪馬幸と」

「邪馬幸様。止めて!」

「行くか。私と『辰国』へ」

 邪馬幸は攻めた。

「あああ、もう駄目。行きそう。行きます」

「これで決まりだ。『辰国』へ一緒に行こう。『辰国』へ行ったら、素晴らしい白銅鏡をあげよう」

 交渉は短時間で終わった。彼女は邪馬幸の情熱にあっさり、『辰国』行きを決めてしまった。そして彼女の方から、こう言った。

「別の部屋に私の侍女、李紅梅がいます。彼女を起こして、旅の仕度をしますので、それまで何処かに隠れていて下さい」

「侍女は、先程、私が縛り付けたので、縄をほどいてやらねばならぬ」

「まあっ」

 彼女は邪馬幸の乱暴に、呆れ返った。それから紅梅を開放し、三人一緒になって荷物をまとめた。そして夜陰にまぎれ、楽浪城から退出した。

         〇

 邪馬幸が、場外で野営している辰国の一団の所へ戻ると、耆老が眠らずに待っていた。邪馬幸は耆老に二人を紹介しようとしたが、女たちの名をはっきり知らず、先に耆老を紹介した。

「こちらは『辰国』の重鎮、耆老です。私と一緒に楽浪に貢物を運んで来て、その役目を終え、私の帰りを寝ずに待っていたようです」

「それは御苦労さま。私は曹麗英。この者は私の侍女、李紅梅です」

「これはこれは公主様、耆老、お待ちしておりました。夜が明けるとまずいので、一時、休息されましたら、出発致します」

「分かりました。よろしく頼みます」

「公主様?」

 公主と聞いて邪馬幸はびっくりした。耆老の顔を見ると、耆老は笑って答えた。

「城を出る時、衛兵から、あの館は麗英公主様の御住居だとお聞きしましたので」

「そうであったか」

 かくして楽浪への朝貢の使者、邪馬幸たち一行は、その役目を終え、帰国の途についた。漢の美女、曹麗英を土産の帰途である。その帰途、邪馬幸たちは図らずしも、不思議な漢人兵の一隊に巡り合った。その隊長が邪馬幸たちに言った。

「濊人ども、丁度良いところに来てくれた。これより帯方に向けて出発するところであるが、道案内してくれる者がいなくて困っていた。帯方への道案内をしてくれ」

「何故、帯方へ行かれるのですか?」

 耆老が隊長に質問した。すると隊長は、その理由を述べた。

「楽浪、屯有の土民たちの中に不心得者が多く、沢山の連中が南方の帯方方面へ逃亡しおった。兵士になるのを嫌がったり、穀物を作ることを嫌がって逃亡した連中だ。全くけしからぬ奴らじゃ。楽浪の公孫模様の御命令で、そやつらを連れ戻しに行くところじゃ」

 邪馬幸たち一行は同行したくなかった。邪馬幸の顔を窺ってから耆老が返事した。

「私たちは『辰国』という国から来ました。帯方とはちょっと方向が違いますので、案内するのは難しいかと」

「方向が違うだと。嘘を申すな。足が帯方の方角に向かっているではないか。もし道案内を断るというなら、すぐそこの砦の牢に閉じ込めるぞ」

 耆老は慌てた。

「私たちは急いでおります。砦の牢に閉じ込められては困ります。邪馬幸様。どうしたものでしょうか」

 すると邪馬幸が隊長に答えた。

「仕方あるまい。途中まで案内しよう。しかし一つだけ条件がある」

「何じゃ」

「我々が貴方たちを案内するので、遠回りとなる為、帰国が遅れるという旨、『辰国』の王に使者を二名立てたい。了解いただければ案内しよう」

 邪馬幸のちょっと偉そうな言葉に、隊長の男は一瞬、戸惑ったが、直ぐに同意した。

「よろしい」

「では話が整いました。『辰国』の使者を早速、出発させ、我々は皆さんのお手伝いを致しましょう。帯方への道は、こちらでしたね」

「そうだ」

「我々、『辰国』の者が先導しますので、部隊の方は我々の後について来て下さい」

「良かろう。遠回りするで無いぞ。流民たちは女、子供を連れている。近道を行けば数日で追いつける」

「そうで御座いましょう。流民たちは皆、裸足で岩道を歩いているに違いありません。馬で追いかける我々が、彼らに追いつくのは、ほんの数日のことでしょう」

 耆老は道案内しながら隊長の言葉に調子を合わせた。邪馬幸は、隊長をからかいたくなって、馬上で並ぶ隊長に質問した。

「しかし隊長殿。流民たちが逃亡したのは相当、前のことではないのですか」

 邪馬幸の質問に隊長は面倒くさそうに答えた。

「十日前の事だ」

「随分、以前のことではありませんか」

「なあに。流民たちは先程、申したように、女、子供を連れての逃亡。そう遠くへは行っていない筈だ。百里逃げれば千里逃げたつもりになる連中だ。そう慌てることはない。それに彼らには食糧が無い。逃亡する道々、食糧を集める必要もあろう。結構、まだ近くにいるかもしれない」

「それにしても何故、逃げる連中を追ったりするのですか?」

 耆老が邪馬幸と交替で隊長に訊ねた。すると隊長は胸を張って答えた。

「総ては公孫度様のお考えです。公孫度様は、人は宝と考えております」

「人は宝?」

 何故、人が宝なのか。邪馬幸には理解出来ない言葉であった。

「そうです。漢人にとって、人は宝なのです」

 隊長は公孫度の思想に心酔している風であった。一行は緑増す南へ南へと向かった。

         〇

 数日後、一行は真番の地に入った。芦の葉で編んだ小屋が点在しているのが見えて来た。部隊の兵士が芦小屋に気づき、指さして隊長に言った。

「隊長。あれは流民たちの小屋です」

 それを聞いて隊長は喜びの声を上げた。

「ついに見つけたぞ。皆の者、良く聞け。流民を捕まえたら、一人残らず、縄で縛りあげろ。逆らう奴は殺しても良いが、一人でも多く連れ帰るのだ。分かったな!」

「了解しました!」

「では、やれっ!」

 命令が下るや兵士たちは芦小屋めがけて駈け出した。

「それっ。若い女がいるぞ。捕まえろ」

 乱暴な楽浪の兵士たちは流民たちを襲った。

「可哀想なものだ」

 耆老は荒くれ兵士たちが、流民を襲うのを見て溜息をついた。邪馬幸はつぶやいた。

「漢兵たちは、女に飢えている」

 流民たちは楽浪から自分たちを捕縛に来た兵隊に気づき、慌てふためいた。まるで巣を突つつかれた蜂たちのようだった。

「逃げろっ。漢兵が来た。急げ!」

 逃げ惑う流民たちに向かって、馬上から隊長が叫んだ。

「土民たちよ。逃げる者は容赦なく殺す。従う者は助けてやる。大人しく我らに従え!」

 隊長は流民たちに服従をすすめた。しかし誰も隊長の言葉に耳を貸す者はいなかった。

「きゃっ。やめて!」

「止めろっ。女たちに手を出すな」

 流民の男たちや老人が棒きれなどを持って兵士に対抗した。

「うるせえ。俺たちに逆らう気か。てめえら、漢兵の恐ろしさが分からねえのか」

「嚇されたって怖かあねえよ。やれるものなら、やってみな」

「何だと。なら殺してやる。えいっ!」

 漢兵は刀剣を抜き流民の男を叩き斬った。

「うわあっ!」

 流民の男は血しぶきを上げて倒れた。流民たちには鎌や鍬はあっても武器が無い。

「やめてっ。やめてっ!」

 流民の女たちは泣き叫んだ。邪馬幸は地獄絵のような現実を呆然と眺めた。と、突然、耆老が叫んだ。

「ああっ。邪馬幸様。公主様が、逃げようとしています」

「何だと!」

 耆老の声に邪馬幸は我に返った。あの麗英公主が侍女に手を引かれ邪馬幸たちを後に駈け出していた。邪馬幸には彼女が逃げようとする気持ちが理解出来なかった。

「待て。何処へ行くのだ。何故、俺たちから逃げようとするのか?」

 すると公主の侍女、紅梅が隊長に駆け寄り、こう命じた。

「隊長。あの男たちを殺せ。ここにおられるのは、楽浪に嫁いだ魏公の姫君、曹麗英様じゃ」

 曹麗英公主の名を耳にして隊長は仰天した。男装をしていたので、女だとは気づかなかった。

「魏の公主、曹麗英様ですと?」

「そうじゃ。曹麗英公主様じゃ。この蛮夷どもから、捕虜の恥辱を蒙った。身の程知らずの連中じゃ。討ち取った者には恩賞を与える。こやつら一団を成敗せよ」

 それを聞いたとたん、隊長は手綱を握り締め、兵士たちに号令した。

「皆の者、乗馬せよ。今まで一緒にここに来た蛮夷は敵じゃ。殺せっ。殺せっ!」

 隊長は部下に邪馬幸たち一団を捕えるよう命じた。すると邪馬幸も部下に向かって叫んだ。

「者ども、ばれたとあっては仕方ない。漢人兵をやってしまえ!」

「おおっ!」

 耆老は部下たちと一緒に気勢を上げると、逃げ惑う流民たちを集めた。

「流民たちよ。辰国の王子、邪馬幸様は、お前さんたちを助けに来たのだ。我らと共に漢人兵と戦い、漢人兵を一人も生かして返すな。力を結集すれば、必ず勝てるのだから」

 耆老の言葉を聞いて隊長は慌てた。

「何を言うか。お前たちこそ縛につけ!」

 隊長が叫んでも邪馬幸たちは驚かなかった。邪馬幸は隊長に向かって大声で言った。

「隊長、見るが良い。お前の部下の大半は、女を追いかけていた為、ほとんどが下馬してしまっている。あんな半裸の姿で、我らに勝てると思うか」

 邪馬幸の指摘に隊長は狼狽しながらも、尚、強がりを言った。

「兵の数は、お前たちの五倍だ。お前たちに負ける筈が無い。くたばれっ、蛮夷!」

 激昂した隊長は邪馬幸めがけて、向かって来た。邪馬幸は叫んだ。

「我は蛮夷ではない。辰国の王子、邪馬幸じゃ。行くぞ!」

 邪馬幸は愛馬に一鞭くれると、向かってくる隊長に迫った。大剣と大剣が火花を散らした。邪馬幸は武術に自信があったが、相手も大勢を率いる隊長だけあって、強かった。邪馬幸の馬が身を避けようとした時、隊長が斬り込んで来た。邪馬幸はそれを下から大剣で受け止め、右手で短刀を抜き、相手の利き腕を思いきり斬り飛ばした。

「シヤーッ!」

「うわあっ!」

 邪馬幸の短刀で腕を斬られ、隊長は落馬した。確かな手応えだった。漢兵が落馬した隊長のところに駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

 隊長には、部下に答える余裕など無かった。馬上で大剣を握る邪馬幸を睨みつけ、隊長は叫んだ。

「殺せっ。殺せっ!」

 そう叫ぶ隊長に駆け寄った部下が、隊長に伝えた。

「隊長。もう駄目です。敵に囲まれています。あの山の上にも、こっちの山の上にも、敵兵がいっぱいです」

「騎馬の大軍です」

 そこへ勇壮な騎馬に乗った武人がやって来た。相手を見て邪馬幸が言った。

「おお、来てくれたか」

 邪馬幸は父王に使者を送っておいて良かったと思った。武人は邪馬幸に挨拶した。

「遅くなりました」

 そう挨拶した騎馬の大将は、邪馬幸と馬を並べ、降参した漢兵の隊長らに向かって豪語した。

「漢兵たちよ。辰国の将軍、押雲が来たからには、お前らは最早、袋のネズミじゃ。ここにおわす辰国の王子、邪馬幸様に刃向かうとはいい度胸だ。しかし、お前たちの勢いもこれまでだ。覚悟を決めろ。お前らは二度と漢土に戻ることは出来ぬ」

 その言葉を聞いて漢兵たちは震え上がった。隊長は涙を流し、哀願した。

「助けてくれ。わしが悪かった。何でもする。命だけは助けてくれ」

「問答無用。騎馬の民に同情の涙は無い。死ねっ!」

 押雲将軍は容赦なかった。彼の偃月刀が一閃すると、隊長の首が跳び、あたりの草木は朱色に染まった。邪馬幸は漢兵の処分や流民のことなど後の事を押雲に一任すると、麗英公主と侍女を連れて辰国に向った。

         〇

 楽浪への朝貢の大役を終え、邪馬幸たち一行が伽耶に戻ると大会議が開かれた。百済の肖古、新羅の奈解、伽耶の首露も参加しての大会議だった。楽浪での邪馬幸の狼藉は、何者かによって、辰王、天津彦に伝えられていた。会議が始まるや、邪馬幸の兄、烏弥幸が邪馬幸に叱咤の言葉を発した。

「邪馬幸よ。お前の無謀にも程があろう。楽浪に三韓を代表し朝貢を済ませたことは認めるが、漢の女を攫って来るとは何ということか。漢の女を攫って来たら、どんな事になるか、考えなくても分かることではないか。ましてや、その女は魏公、曹操様の姫君と侍女ということではないか」

 兄にそう言われると、邪馬幸は兄に返す言葉が無かった。ただ黙ってうな垂れた。それを見て、耆老が辰王に詫びた。

「申し訳、御座いません。私が同行しながら、お止め出来なかったのがいけなかったのです。朝貢の品を届けたというのに、楽浪の重臣たちが我々に対し相応の儀礼を尽くさなかったので、邪馬幸様は立腹されて、軟禁状態の公主様を連れて来られたのです。もしこの事で邪馬幸様を罰するというのなら、通訳の役目を果たせなかった、この耆老を罰して下さい。邪馬幸様は『辰国』の存在を充分にお示しになり、我が国の威厳を漢人たちに周知させたのですから、褒められても罰せられる人では御座いません。罰するというなら、私を罰して下さい」

「分かった。耆老、もう良い。御苦労であった」

 辰王、天津彦は感謝の目で耆老や邪馬幸を見た。烏弥幸には邪馬幸たちを処罰しようとしない辰王の気持ちが分からなかった。

「父上。このままで良いのですか。漢の魏公や遼東の兵の大軍が押し寄せて来ますぞ。邪馬幸と公主様を楽浪に送り返しましょう」

 すると辰王は厳しい目で烏弥幸を睨みつけ、諭すように言った。

「烏弥幸よ。良く聞け。今回の朝貢をするか否かについて、諸侯の意見が分かれた。東明王の後裔である余は大人しく楽浪の言い成りになることに我慢出来なかった。そこで諸侯と相談し、『辰国』を建国し、合同で朝貢の使者を派遣した。今回は邪馬幸と耆老たちの努力により、朝貢を果たし、我が『辰国』の存在を明確に示すことが出来た。今ここで邪馬幸と公主様を返送したとしても、いずれ楽浪や遼東とは戦わねばならぬ時が来る。何故なら半年後の朝貢を素直に受け入れる訳には行かないからだ。散々、搾取された後、食うや食わずの状態で戦うより、今、この機会をとらえ、楽浪が攻めて来たなら、楽浪と戦うべきじゃ」

 辰王、天津彦の答えは意外であった。その言葉に烏弥幸は驚愕した。

「しかし父上。公孫度は強敵ですぞ」

「そんなことは分かっている。だが何時までも彼らの攻撃力を恐れ、平身低頭している訳には行かない。『辰国』は出発してしまったのだ」

 すると伽耶の臣智、首露も辰王に賛成した。

「その通りです。辰国は出発してしまったのです。何の関係も無い楽浪に、これ以上、貴重な物を朝貢するのは勿体無いことです」

 百済の肖古、新羅の奈解たちも辰王に賛成した。烏弥幸は伽耶の臣智、首露を睨めつけて怒った。

「首露。お前は何時も言う事が違うな。この前は朝貢に賛成したではないか?」

「いいえ。この首露、朝貢に賛成したのではありません。『辰国』の証明をする為、一度だけ朝貢をしておいた方が良いかと、お勧めしたのです。ですから邪馬幸様と耆老殿が朝貢を済まされて戻られた今、二度目の朝貢は不要だと思います。いよいよ辰国の実力を示す時です」

「楽浪と戦うというのか」

「そうです。邪馬幸様が連れて来られた流民たちをはじめとして、沢山の者が漢人に不満を持っています。これらの力を結集すれば、漢人軍など恐れるに足りません。それに事実、流民たちを追って来た楽浪の部隊を、我ら辰国の将軍、押雲殿が全滅させたではありませんか。漢人にこれ以上、愚民扱いされぬ為にも、ここで一度、楽浪を討つべきです」

 首露の主戦論には、出席者の多くが吃驚した。烏弥幸は主戦論に反対だった。

「楽浪と戦うのは止めた方が良い。私の言う通りにした方が安全だ。耆老、お前はどう思う?」

「私は今度の事件を起こしたことを申し訳なく思うばかりで、何も申し上げられません」

 耆老は邪馬幸を制御出来なかったことを反省するばかりで、自分の意見を言わなかった。その様子を眺めていた辰王が口を開いた。

「耆老、そのことはもう良い。余も烏弥幸も諸侯も、漢の事情に詳しいお前の意見を聞きたいのだ」

 辰王、天津彦は現在の楽浪を見て来た耆老の意見が聞きたかった。耆老は、恐る恐る自分の意見を具申した。

「では自分の意見を申し上げます。今回、邪馬幸様と楽浪に訪問した限りにおいては、楽浪の戦闘力、守備力等、何ら、恐れるに足りません。しかしながら現地の話ですと、私たちが楽浪に訪問した時、普段、楽浪を治めている公孫度の息子、公孫康が遼東に出かけ不在でしたが、その男は公孫度以上の男だということです。公孫度の後継で、今や老体の父に代わって、総ての指揮をとっているとか。ですから、彼を怒らせぬ程度に防衛するのが肝要かと。こちらから討って出ることは危険だと考えます」

「それは我が国の軍事力を高め、相手の出方を待ってから行動を決めるという意見だな」

「はい、そうです。降参するのも、攻撃するのも、それからで遅くないと思います。急いては失敗します」

 耆老の意見を聞いて、辰王は納得した。邪馬幸の意見を求めることは無かった。

「分かった。では軍事力を高め、様子を見ることにしよう。今から敵の来襲には充分、気を付け、見張り台を増やすなどして、各部隊に注意を喚起するよう通達せよ」

「ははーっ!」

 押雲将軍が大声で答えた。結局、遠方、新羅の奈解たちを集めた大会議を開いたものの、朝貢を終わらせたことの報告だけで、大きな変化は起こらなかった。総て、時流を観察しながらということで、会議は終わった。