第十三章「霧隠れ小町」

幻の花

霧の中 いづ方なりや 如何せん 小舟に乗りて 川下りけり

 貞観十年(八六八年)二月の或る日、侍医、当麻鴨継は太政大臣、藤原良房のいる染殿第に呼び出された。一体、誰が御病気になられたのだろうと、急いで駈けつけると、病人は何処にもいなかった。呼んだのは主人、良房本人であった。緊張する鴨継に良房が質問した。

「鴨継。この良房、お前にちょっと訊きたいことがある」

「はい。何で御座いましょう?」

「世間で申す、王朝の四大美人とは誰と誰のことじゃ?」

 鴨継は自分の知っている世間の噂を、ありのままに答えた。

「それは藤原高子様、藤原多美子さま、在原文子様、小野小町様に御座います」

「そうか。ではその四大美人のうち、誰が一番先に帝の皇子を産むと思うか」

 そう訊かれて鴨継は困ったが、答えないわけにも行かず、普段、診察している状況を踏まえて話した。

「藤原多美子様も在原文子様も御病弱な御身体ですので、藤原高子様か、小野小町様かと思われます」

「その通りじゃ。高子か小町じゃ」

「は、はい。でも小町様は宮中にいても、帝に御近づきになることは無いでしょうから」

「それが、最近、帝が裏で小町に会おうとしている気配があるので、困惑している」

「は、はい」

 鴨継がかしこまっていると、良房は恐ろしい目つきで、また口を開いた。

「そこで、お前に相談があるのじゃ。言うまでもない。小町の身体を、赤子が産めぬようにしてくれ」

「え、えっ!」

「問答無用。分かったな、鴨継」

「は、はーっ」

 鴨継は血が引くような思いだった。余りの恐ろしさに、再び良房の顔を見る事が出来なかった。鴨継は命令を受けると、血相を変えて家に逃げ帰った。

           〇

 数日後、当麻鴨継は藤原良房の命に従い、数人の家来を后町に忍ばせた。この日の夜は霧が流れ、仕事を終えた小町は郷愁のようなものを感じ、后町のはずれの池のほとりを歩いていた。歩きながら、あの人はどうしているだろうと、伴中庸のことを思った。その時だった。突然、何者かが、小町に襲い掛かり、小町を袋詰めにした。

「何をするの。やめて!」

 小町は袋の中から叫んだ。しかし、その声は人気のない場所の袋の中からなので、人に気づかれることは無かった。袋詰めされ宮中から盗み出された小町は、夜霧の中を鳥羽にある当麻鴨継の屋敷まで大特急で運ばれた。小町は鴨継の屋敷の一番暗い部屋に運び込まれ、袋から出されると、大声で叫んだ。

「貴方たちは一体、何者です。私が帝にお仕えする女官と分かっての狼藉ですか。ことが知れたら、貴方たちの命はありませんよ。貴方たちは、それでも良いのですか?私を直ぐに開放し、何処かに消えなさい」

「そうは行かないんだな」

「では貴方たちは、一体、私に何をしようというのです」

 小町の叫びは虚しかった。男たちは覆面をした鴨継の指示のもとに、もがく小町の身体を部屋の中央にしつらえた台上に縛り付け、横たえた。そして部屋中に沢山の菊燭台を配置すると、それに火を点けた。部屋の中はその炎で、濛々たる煙に包まれた。小町は息苦しさに身をよじった。その時、男たちの手が伸びて来て、小町の体を包んでいる衣装を剥ぎ取った。

「ああっ。何をするの!」

 小町は叫んだ。だが小町は横臥している台上の四隅に四肢を縛り付けられ、どうすることも出来なかった。鴨継は小町の顔面を黒い布で覆うと、真言宗の修験者の一人に読経をさせた。読経の声がひときわ高まり、護摩木の燃える音が激しくなると、濛々たる煙の中で、鴨継は小町を犯した。そして修験者七人に、続いて小町を凌辱させた。輪姦の業を終わらせると、鴨継は次の仕事に取り掛かった。鴨継は小町の女性としての大切な部分に一本の竹串を差し込み、それ以外の部分を、針で縫い合わせし、そこに焼け鏝を当てた。その陰肉を焼く熱さに、小町は絶叫した。

「ギャーッ!」

 陰肉の焼きただれる異臭が立ち上り、小町は悶絶した。激痛に七転八倒したいが、縛りつけられているので、どうすることも出来ず、小町は気を失った。後のことは全く分からなかった。

          〇

 翌日、小町は池の上で目を覚ました。夢か、現実か。まるで霧に覆われた暗い沼の上を小舟に乗って漂っているようだった。焼けただれた傷口がとても傷んだ。小町は、小舟の中で、そっと起き上がった。そして昨夜、拉致され、何処かへ運ばれ、強姦され、性器を焼かれたことを思い出した。兎に角、股間が痛む。どうなっているのか確かめたかった。だが辺りはまだ暗く、空気が冷たく、風邪を引きそうそうだった。昨夜のことを思い出し、精神が混乱したが、ともかく夜が明けるのを待つことにした。

  霧の中 いづ方なりや 如何せん

  小舟に乗りて 川下りけり

 やがて小鳥の鳴く声が聞こえ、夜が明け、いつの間にか、巨椋池まで流されていると知った。小町は、朝日が昇って来ると、恐る恐る自分の股間を覗き込んだ。そこは大きく焼きただれて黒紫色に変色していた。

「どうなっているの?」

 驚きに舌がもつれた。そっと股間のただれた部分に手をやると、ひりひりと痛んだ。竹串のお陰で、排尿だけ可能な自分の小さな孔を見て、小町はめまいがして、倒れ伏し、大声で泣いた。女で無くなったのである。可哀想な話であるが、美麗なるが故に人の嫉妬をかい、片輪者にされた小町。彼女は生涯、陰門を開かず、無膣であったなどと人は言うが、その原因はこんあところにあったといえる。大ショックを受けた小町は、その後、忽然と宮中から消えた。

          〇

 清和天皇は、あの霧の深い夜から小野小町が宮中にいなくなったことを知り、小町を捜すようよう命じた。しかし、都中、何処を捜しても、小町は見当たらなかった。中納言、源融は小町に頼んだ漢文の『竹取物語』を仮名文に変更する仕事がどうなっているのか確かめる為、小野の里の小町の実家を訪ねた。もしかして、そこに小町がいるのではないかと期待したが、小町はいなかった。融は、家にいた小町の母と姉に訊ねた。

「小町は不在か?」

「はい。何処におるのか分からず、当方も困っている次第です」

「何か手がかりは無いのか」

「言って良いことか分からないことですけれど」

「何じゃ」

「小町が突然、身を隠したのは、歌のことか、恋の病です」

 寵子のその言葉を聞いて、融は、小町が人に気づかれない所で和訳の作業をしたいと言っていたのを思い出した。融は寵子に確認した。

「先日、私が小町に渡した草紙の写本は、ここにあるか?」

「はい。多分、文机の箱の中に」

 寵子は直ぐに立ち上がって、写本を捜しに奥の部屋に行ったが、慌てて戻って来た。

「写本は御座いません。その代わりに、この歌が」

 寵子が文箱に入っていた短冊を融に示した。

   天の原 白き煙の流るらむ

   富士の高峯を 見ばやとぞ思ふ

 それは融が依頼した『竹取物語』の結末の場所を、見学に出かけることを暗示した歌であった。融は、その短冊を懐中に入れると、一人、ほくそ笑んで小町の実家から立ち去った。もう小町は当分、宮中には戻らないと思った。こうして、小町の宮仕えは二年という短い年月で終わった。