第八章「雨乞い小町」

幻の花

千早振る 神も見まさば 立ち騒ぎ 天の戸川の 樋口あけ給え

 貞観八年(八六六年)六月になると、長雨の五月と打って変わって干天が続き、人々は凶作を恐れた。旱魃が続き、稲や樹木が枯れ、酷暑が地を襲った。人々は、去年六月、政府が御霊会の営みを抑制する法令を出したのが、この猛暑の原因であると囁き合った。そこで政府は六月九日、五畿七道の境内諸神に奉幣すると共に、諸寺院に金剛般若経の転読をさせ、降雨を祈った。しかし雨は降らなかった。困り果てた政府は、六月十八日、六十八名の僧侶を大極殿に集め、三日間、大般若経を転読させて、再度、降雨を祈願した。だが、それも効き目が無かった。雷は鳴ったが、雨は降らなかった。この分では未曾有の大飢饉になりそうだった。事実、諸国から、農作物が枯れて、人民が飢疫に苦しんでいるという情報が、しきりに入って来ていた。だが雨は一向に降らなかった。政府は尚も諸神諸仏に祈祷を行い、ありとあらゆる雨法を試み、高僧の修法を繰り返させた。七月に入っても降雨は無かった。清和天皇は天下大旱魃を恐れ、朝廷の重臣たちに、どうしたら良いものかを相談した。そこで出て来たのが、遍昭である。中納言、源融は、叡山で円仁、円珍の両巨匠につき、天台密教の奥義を究めた遍昭に、昔、弘法大師が、神泉苑で請雨経を読み、三日間にも及ぶ雨を降らせたが如く、祈雨の修法を行わせたらどうかと提案した。如何なる名僧の雨乞いの修法も、如何なる神社での神事祈祷も効果が無かった時だったので、この意見は直ぐに採用された。源融は早速、歌仲間の遍昭の所に駈けつけ、神泉苑での雨乞いを依頼した。

「遍昭殿。朝廷では貴殿に雨乞いをしてもらうより他に、雨乞いの手立てが無くなってしまった。そこで、貴殿の友人である私に、是非、貴殿に雨乞いの依頼をして欲しいとの仰せがあった。お受けしていただきたいのだが」

 遍昭は、それを聞いて呆れ返った。祈ったところで、降雨があるとは考えられない。遍昭は笑って答えた。

「尊い聖が七日七夜祈っても、一向に雨が降らないというのに、この薄馬鹿坊主の遍昭がお祈りしたところで、龍神様はお出ましになるまい。そんなことをしたら、龍神様はお怒りになり、反対に向こう十年ぐらい雨が降らなくなるだろう」

「そ、そんな。ならば、どうすれば良いのじゃ」

「龍神様は男だから、女が雨乞いすれば効果があるに違いない。そうだ。小野小町はどうだ。流星を見て、伊勢神宮に遣わされ、平穏祈願して、神託を得た程の巫女である。彼女は、その神通力を備えている」

「何、小町じゃと。そんな娘に神泉苑での雨乞いという難事が勤まると思うか」

「勤まる。小町には、それだけの不思議が籠っている」

 源融は、遍昭が小町にこだわり、了承してくれないので困ってしまった。それで遍昭の言う通りに従い、更衣、在原文子の付き人、小野小町に、その総てを賭けてみることにした。もし雨が降らなかったならば、小町を推薦した源氏の権威は失墜し、藤原一門が、益々、増長するに違いないと想像したが、今となっては致し方なかった。源融は即刻、更衣、在原文子を尋ね、小町を雨乞いの巫女として借りることの了承を得た。

          〇

 翌日、中納言、源融は、参内するや、清和天皇に遍昭と面談した報告を行い、巫女、小野小町に雨乞いさせる旨を奏上した。清和天皇は斎宮、恬子や遍昭が霊能があると推薦した小野小町の雨乞いに賛成した。清和天皇は早速、宣旨を下し、神がかりの巫女と噂の高い小野小町に、宮中、神泉苑に於いて、雨乞いをさせることにした。雨乞いの日の前日、小野小町は参内を許され、清和天皇に御拝眉を賜った。色好みの僧都、遍昭が馬から落ちる程、うっとりとした絶世の美女、小町を再び見て、若き清和天皇は胸をときめかせた。歌才に優れた小野良実の娘、小町。彼女は全くもって美しかった。桜色に染まった恥じらいの顔。湖のように綺麗に澄んだ瞳。梅のはなびらかと紛うばかりの白い歯。あるいはまた情熱的な紅い唇。長く波のように後ろに垂れ流された黒髪。それは今を切っての色好み、在原業平に、妹の方を口説いておけば良かったと、後悔させる程、男を魅了する容色に満ち溢れていた。そんな小町であるから、如何に天皇といえども、その艶然たる美麗な小町の姿を見て、息をのみ、心惑わされない筈が無かった。若き清和天皇は忽ち小町に夢中になり、我を忘れる程、うっとりしてしまった。そして神泉苑での雨乞いに、この小野小町が、最適任者であると推挙したところの中納言、源融の見識に感心した。

          〇

 清和天皇に見染められた小野小町は、その翌日、仮の従五位下を授けられ、更衣に準じ、紫糸毛の車を賜り、神泉苑に向かった。人々は、その巫女、小野小町を一目、見ようと、ごったがえした。都は、小町の噂で持ち切りであった。

「あの流星を見たという小野小町なら、きっと雨を降らせるに違いない」

「いや、女の色を使って龍神を招くなどということは出来ない話さ」

「何でも歌道の力をもって、龍神の涙を流させるとか」

「それにしても、雨乞いの当日だけ、仮の従五位下を授けるとは、朝廷もけちなことを考えるものだ。どうせ藤原一門の指示だろう」

 やがて小野小町の乗った紫糸毛の車が、清和天皇を始めとする公卿百官が居並ぶ神泉苑に現れた。神泉苑は小町の雨乞いを見ようとする群衆も加わって、黒山のようだった。神泉苑の池には既に金銀七宝で飾られた雲法壇が高く設けられていた。雲法壇の下は、錦綾の幕が張り巡らされ、清和天皇を中心にして、その三方には太政大臣、藤原良房以下の公卿百官が列を正し、小町が来るのを待っていた。この神泉苑の池には、その昔、弘法大師、空海が請雨の修法を行った時、壇の右手上方に、五尺ばかりの金色の蛇が現れ、滝のような雨を降らせたという伝説があった。果たして今日、紫糸毛の車に乗って表れた小野小町が、それと同じように、雨を降らせることが、出来ようか。提案者、中納言、源融は心配した。そんな心配をよそに小野小町は紫糸毛の車から降りると、大衆に手を振ってから、清和天皇に深く挨拶して、静々と雲法壇に登った。煌びやかな衣装をまとった小町は、雲法壇に登り切ると、そこに正座し、瞑目して静かに合掌した。そして人に聞こえぬような小さな声で、孔雀経を読んだ。その経文を大声で唱えるでもなく、髪を振り乱して天に祈るでもない小町の静止した状態を見て、太政大臣、藤原良房以下、公卿百官は、ただただ、小町の美貌を眺め入るばかりで、一向に雨乞いの雰囲気になれなかった。太政大臣、藤原良房はせせら笑った。彼は心の中で、こう考えていた。

「中納言、源融の奴は、今まで、我ら藤原一門が起用した高僧たちに因縁をつけ、この小野小町に霊能があると清和天皇に奏上したが、あんな小娘に如何ほどの呪力があろうか。もし小町が天に祈って雨が降らなかったなら、しめたものだ。融の奴を清和天皇の前で、散々に傷めつけて、今度こそ、政治に口出し出来ぬようにしてやる。左大臣、源信は、この間の事件で、もう大丈夫だが、この融こそは警戒を要する男なのだ。禍の根は、小さいうちに切り取ってしまうのが賢明ならば、今日のこの雨乞いこそ絶好の機会である」

 一方、中納言、源融は気が気でなかった。運命の総てを若い小町に任せるしかなかった。その小町は読経を終えると、天に向かって両手を広げて大声で叫んだ。

「ああ、天帝よ。我が歌を聞き、地上を見下ろし、我ら苦しむ民草を救い給え。ああ、天帝よ。我が歌を聞き、慈悲の御心をもって、恵の雨を降らせ給え。ああ、天帝よ。我が歌を聞き、我ら下界の願いを叶え給え」

 小町は手を合わせ、天に祈ると、二礼して平伏した。それから雲法壇の上から、朝臨閣にいた清和天皇の方を振り返り一礼した。そして緋の糸花のついた衵扇を動かし、自分の従者を招いた。その仕種の美しさは金の冠とあいまって、煌めくばかりの妖艶さに溢れていた。清和天皇初め、そこにいた者は、あっと息を呑んだ。小町の従者は用意しておいた碧玉板と筆を小町に渡した。小町は、従者から受け取った筆を使って碧玉板に、さらさらと和歌を書いた。そして美しい声で、声高く、雨乞いの歌を詠じた。

  千早振る 神も見まさば 立ち騒ぎ

  天の戸川の 樋口あけ給え

 その霊法の和歌は炎天にまで届く程、心深く、神泉苑の檀上より、燃え滾る夏の天上へと昇って行った。小町は歌い終わると雲法壇より降りて、和歌を記した碧玉板を神泉苑の池に浮かべた。清和を初めとする多くの人たちが、その小町の和歌の才に感服すると共に、その奇妙な行動に驚いた。小町が碧玉板を水面で揺すると、熱心な小町の心が届いてか、天空が俄かに曇り出した。黒雲が湧起こり、あたりが急に薄暗くなった。誰かが叫んだ。

「おおっ。雨じゃ」

 まさに雨であった。美しい銀色の雨が、天上から下界へと無数に落下して来るではないか。人々は狂喜した。小野小町の歌の力の偉大さに驚き、人々は跳び上がって喜んだ。まさに神業である。清和天皇は中納言、源融の奏上が、事実であったことを知り、小町の霊能に畏怖を覚えた雨は、それから数日間、降り続いた。清和天皇は早速、小野小町の雲法法楽の和歌の功徳を優勝した。小野小町は、この功績により、清和天皇から、恩賜の御衣と一緒に山州山科郷、百町と田畑、山林等の所有地など、沢山の褒美をいただいた。そればかりか朝廷は、小町のような立派な娘を育てたところの、今は亡き小町の父、小野良実の生存中の不遇を傷み、従五位上、甲斐守を追賜した。ここに至って、小野小町の評判は、都の内外に益々、高く広まり、噂が噂を呼び、その小町の美貌と歌才とは、かの有名な在原業平と並び評される程になった。こうなると小野小町にとって、妻子ある恋人、伴中庸のことなど、もうどうでも良かった。小町にとって宮中での生活が、小野家栄光の道と思えて来た。