第六章「宮仕え小町」

幻の花

世の中は 飛鳥川にも ならばなれ 君と我とが仲し 絶えずば

 貞観七年(八六五年)秋十月、業平の兄、正四位下、在原行平の娘、在原文子に更衣の話が持ち上がった。行平は勿論のこと、在原家一族の者が文子の入内に期待した。その為、文子の付き人として、小野小町をと考え、行平が小町の母、文屋秋津の娘に相談し、内諾を得た。行平は早速、屋敷に小町を招き、文子と一緒に入内の指導を受けさせた。小町は伴中庸との恋をしつつも、付き人とはいえ、入内出来ることを喜び、日々、学習に励んだ。料理裁縫、医療着付、漢文和歌、書道絵画、歌舞音曲などなど。そんな最中、父、小野良実死去の知らせが、突然、飛び込んで来た。あの玉造小町の話をして、孤影寂然と都を去って行った小野良実が何と、十一月二日の出羽の寒い日に死去したというのだ。良実死去の知らせは、半月後に都に届いた。その知らせを聞いて、都にいた良実の妻、妙子と、その娘、寵子と小町は、余りにも予期していなかったことだけに、深い悲嘆にくれた。主人を失った母子は、家が涙で流れるばかりに泣いた。小町はその悲しみを歌に詠んだ。

  有は無く 無きは数そふ 世の中に

  あはれ何れの 日まで嘆かむ

 そんな悲しみの小町の家に、親戚縁者の小野葛弦、小野忠範、小野利任、文屋康秀、坂上茂樹、坂上富雄や、亡き父の友人らが、力を落とさぬよう、励ましにやって来た。友人とは在原行平、業平兄弟、僧都遍昭、伴中庸、紀友則らであった。遍昭は、その時、息子、由性と素性を連れて来た。遍昭親子は追善を祈り、読経した。小町は、その席で遍昭を見て驚いた。あの馬から落ちた愚かな僧が、今、有名な天台宗僧都、遍昭とは、とても考えられないことであった。遍昭親子は死者の冥福を祈って、熱心に読経した。寵子は時々、業平に視線を送り、寂しげに微笑んだりした。生別、死別。それは避けられぬ生あるものの宿命であった。そんな悲しみの中にあっても、父を失った若い娘たちの恋は死滅しなかった。姉の寵子は業平を恋し、妹の小町は遍昭に惚れられ、またその息子、素性に秘かに愛された。文屋康秀も、あるいはこの時、小町の美しさに心を染めたかも知れない。だが誰よりも真剣に小町のことを思い詰めていたのは、伴善男の息子、中庸であった。中庸は妻子のことを忘れ、小町の為なら、何でもする覚悟であった。今の小町にとって、恋人は伴中庸ただ一人で充分であった。

          〇

 小野良実の死去は、小野家に決定的な打撃を与えた。残された遺族の悲しみは長く続いた。中でも、良実に最も愛され、長く連れ添ってき来た文屋秋津の娘、妙子は、出羽に同行しなかったことを、強く悔い、その悲しみは尋常でなかった。彼女は涙ながらに娘たちに詫びた。

「妻である私が任地に行かなかったのが、いけなかったのです。お父様は、慣れぬ厳寒の地にあって、家族もおらず、寂しく耐え難い辛い日々を送られ、病に罹ってしまわれたのです。私が一緒に行って暮らしていたら、こんな事にならなかったでしょうに。私が浅はかでした。許して下さい」

 娘たちに済まない思いでいっぱいだった。総ての責任が自分にあったと、自分を責め続けた。妙子の夫への悔恨の思いは、彼女の心の奥深くに病巣を作った。彼女は精神的にも肉体的にも疲労が蓄積し、遂には病の床につくこととなった。その母の看病は、姉の寵子の役目となった。小町は父の四十九日が過ぎると、再び在原行平の屋敷に行って、入内の為の見習い事に励んだ。頼りにしていた父、良実を失った今、小野の里で侘しく暮らす小野家の実生活の中で、期待されるのは、若い小町の入内、ただそれだけであった。小町はそんな中にあっても恋を楽しんだ。伴中庸と時々、密会した。また好きでもない男からの手紙や歌を読み、悲しみを紛らせた。その好きでもない男とは、青白い素性法師のことである。素性法師は、小町に沢山の恋歌を送った。

  打ちわびて よばはむ声に 山彦の

  応へぬ山は あらじとぞ思ふ

  行く水に 数書くよりも はかなきは

  思わぬ人を 思ふなりけり

  あすか河 ふちは瀬になる 世なりとも

  思ひそめてむ 人は忘れじ

  いつまでか 野辺に心の あくがれん

  花し散らずば 千代も経ぬべし

 素性法師は、あの遍昭の息子だけあって、流石、その歌は素晴らしかった。小町は素性法師の歌の技巧に感銘し、時には好きでも無かった素性法師を、ふと夢見ることもあった。

          〇

 貞観八年(八六六年)正月、小町は大和の石山寺で遍昭と業平らが歌会を催すので、一緒に行かないかと素性法師に誘われた。歌に興味のあった小町は、母、妙子の許可を取り、その歌会に顔を出すことにした。小町は素性法師に案内され、ピクニック気分で大和に出かけた。その途中、腹が空いたので、斑鳩の里で一休みした。外では寒いから近くのあばら家を見つけ、その中で握り飯を食べた。それからだった。素性法師が歌を詠んだ。

   いざ今日は 春の山辺に まじりなむ

   暮れなばなげの 花のかげかは

   思ふどち    春の山辺にうちむれて

   そことも云わぬ 旅寝してしが

 素性法師の目は真剣だった。小町はあばら家の中で素性法師に抱き竦められた。僧衣の中から男の温かさが伝わって来た。小町は悩んだ。素性法師は自分の色香の為に、あるまじき行為に及ぼうとしている。そう思うと、急に好きでも無い素性法師に対する愛しさが湧き上がって来た。小町は返歌した。

  世の中は 飛鳥川にも ならばなれ

  君と我とが 仲し絶えずば

 それはOKの返事だった。素性法師は喜び、小町を寝かせた。足を大きく押し開き、その上に重なった。小町は美しい異国の仏像のように穏やかな顔で目を閉じ、優しい表情で素性法師を迎え入れた。

「私って、どうしてこうなんだろう」

 小町は素性法師の繰り返す愛に歓喜しながら、愛欲に溺れる自分を反省したが、ことが済んでしまえば、それで終わりだった。セックスは小町にとって、決して罪悪的なものでは無かった。

          〇

 小野小町の宮仕えは貞観八年(八六六年)二月のことである。小町は在原業平の兄、行平の娘、文子の付き人として、常寧殿の後ろの后町で働くこととなった。文子の御膳の給仕、御手水の奉仕、お衣装の着付け、時折の宿直など、細々としたことに、非常に神経を使った。しかし常寧殿の後ろの后町での日常は、のんびりしたものであった。小町は他の付き人や女房たちと種々の話をした。清和天皇のこと、藤原高子のこと、藤原多美子のこと、藤原頼子のこと、藤原良房のことなど、総て面白い話ばかりであった。特に知っている在原業平の噂話には、花が咲いた。小町は姉の愛する業平の流布本の『悲恋業平集』や『東下り業平集』があるのを知ると、后町の女房にお願いして、それを手に入れ、文子と一緒に時を忘れて、これらを読破した。こうして宮中に入った小野小町の詩歌の力は益々、磨かれることとなった。